異界の平和
-任せてよ。このチャンスをものにして『勇者』になってみせるから。
俺が『勇者』になれば、この街のギルドも大きくなるはずだ-
宿屋にいつ刺客が訪れるか分からない。その緊張感を抱きながら時間を潰していたのだが、不思議なことにギルドの壁や窓を打ち破って逃げてきたのに怪しい人物が現れることはなく、また、ジュリアンもさして周囲を警戒するような素振りを見せないまま帰ってきた。事態をジュリアンに説明したが、ギルド関係者と思われる者からの接触はなかったと言う。そしてアレウスも隠れこそしていたが、自身に敵意を向けているような気配を感知することはできなかった。
ギルドもアレウスの感知の範囲に入っているのだが、アイリーンとジェーンの気配は追えない。というよりも、逃げてから気配が消えた。特殊な魔法陣によるものとも推測できるが、単純に二人が気配消しの技能でアレウスの感知から逃れているだけのようにも思える。
「『審判女神の眷属』がアレウスさんを捕まえようとしましたか……」
宿屋の部屋に入ってからジュリアンが口元に手を当て、考え込む。
「ですが、アレウスさんを追いかけてはこなかった……気配消しの技能によって追えなかったのではないのですか?」
「僕は常時、気配を消せない」
どちらかと言うと隠密行動のために用いるのではなく戦闘時に相手を攪乱するために用いる。一年間、『不死人』に夢の中で鍛えられたのだが、あの女にはあるときから気配消しが通用しなくなった。その段階でアレウスは高めるべき技能の中から気配消しの技能を外したのだ。だから未だに一年前に見た『影踏』どころかクラリエにも劣ったままだ。
「だから、二人が僕を追い切れないってことは考えにくい」
「だとしたら泳がされているのかもしれませんね。僕たちが異界に来た目的を知りたいんじゃないでしょうか」
「あり得る。だから二人は僕を殺すのではなく、捕らえようとしたんだ」
敵意はあったが殺意はなかった。しかし、捕獲や拘束を考える者の気配を学べたと手放しで喜ぶことでもない。
「もし捕まったら、拷問でもされるんでしょうか」
「それに近いことはされるかもな。エイラの聞き込みと捜索はギルド周辺ではやめておこう」
「情報を集め切れなかったら、そのときに……って感じですね」
「ああ」
部屋の扉を開けて、アベリアが顔を見せる。
「私、大衆浴場に行ってくるから」
簡潔に伝えることだけを伝えてアベリアは扉を閉じた。
「ギルドは危険だって言わなくて良かったんですか?」
「言うべきだったかもしれないけど、大衆浴場とギルドは離れているし、アベリアも気配を感じ取ることができるみたいだったから」
森林でオーガと戦ったときも、その前もアベリアは攻撃に反応できていた。それどころかゴブリンの放った矢を杖で叩き落とすことさえやってのけていた。つまり、魔物の位置を彼女は掴み取れていた。
「なんだ、アレウスさんなりに考えがあったんですね。僕はてっきり、湯浴みをしに行くアベリアさんに緊張して喋れなかったのかと」
この少年に見通されるほどアレウスの反応は顕著だっただろうか。
「そんなわけないだろ」
精一杯、平常心を装いながら言ってみるがジュリアンはなにか察したかのように「ふぅん」と声を漏らした。
「まぁ、そんな暢気な話で盛り上がりたいわけではなく」
そう言われると逆にもっと詮索してくれとアレウスは思ってしまう。ジュリアンが抱えているあらゆるアレウスとアベリアから感じ取れる関係性を白状してくれれば、今後このように動じることもなくなるというのに。
「食堂では冒険者はあまり見かけませんでした。いえ、恐らくは冒険者だったのかもしれませんが、どちらかと言えば彼らは便利屋でしょうか」
「魔物の討伐依頼を請け負っていないのか?」
「勝手な憶測ですけどね。だって装備が魔物と戦うものとは程遠いものでしたから。それでも、話し方とか態度が変わり切っていないので雰囲気で冒険者だったんだなと判断しました」
「……他には?」
「盛況でしたね。一切合切の心配がない、みたいな。不安を抱いていらっしゃらない。魔物の襲撃、不安定な国家間、家族、仕事……その他諸々の、抱えなければならない不安を抱いていないように見えてなりませんでした」
「それは……要するに、生きている上で抱かなければならない不安……ということか?」
「突き詰めてしまうとそんな感じです。アレウスさんはギルドでなにか見つけることはできましたか?」
ジュリアンが集めてきた情報を聞きつつ、アレウスも自身が集めた情報を提供する。
「冒険者が未だに達成できない依頼……受けた冒険者はシンギングリンに帰還していない……死んでいるんでしょうか。確か、異界では『教会の祝福』が働かないんでしたね」
「ギルドの記録に真実が書かれているのなら、死んでいる。だけど、帰還していないのはただ死んだだけじゃない。ただ死んだだけなら魂の虜囚は、この異界ならシンギングリンで復活する」
「甦るってことですか?」
「いや、正確には死んでいるが異界獣が魔力を吸収するために自分の異界で生活させる。だからただ死んだだけじゃ死なない。魂の虜囚化をしているなら死亡扱いになる理由は一つしかない。異界獣に全ての魔力を喰い尽くされたんだ」
魂の虜囚が解放されるたった一つの方法は異界から脱出すること。それで初めて魂が輪廻に還る。異界獣に喰われたら、永遠に輪廻から外れてしまう。
「……不思議なことに、食堂では異界獣の話を一切聞きませんでした。いえ、それどころか魔物の話すら耳にすることはなかったかもしれません。シンギングリンの外には、間違いなく魔物がいるというのに」
「僕はこの界層に来てから魔物を見ていないんだが、やっぱりいるのか?」
「はい……ほぼゴーレムでしたけど。あとはゴブリンを見かける程度。そのゴブリンもちょっと様子が変でした。体の一部と岩が一体化していると言いますか……いえ、岩だけではなく木の破片や石、瓦礫なんかと一体化している個体も見かけたんですけど」
一体化。ゴブリンにそんな性質はない。ならばそれはこの異界だけで起こっているゴブリンの突然変異体だ。しかし、魔物は異界獣の残滓から生成される。アレウスもそう教わっている。ならば、リブラの魔力から生まれ落ちた個体は総じて突然変異を起こしているということになる。
魔物が石製以上の武器を持ち始めたとき、冒険者との戦いは更に苛烈になると言われている。ジュリアンの言う通りならば、ここのゴブリンは金属製の武器を持ち歩いてはいないが、物質と一体化している。問題はこれが変化の途中なのか、リブラの尖兵が特徴として有しているものなのかがまだ不明ということだ。
「街に入ってこないなら、まだ心配する段階じゃないかもな」
「そうですね。なにかあれば、最初に気付くのは街の人々のはずですから」
しかし、街の人々は魔物についての話題を出さない。魔物が侵入しても彼らは気付かないのではないか。そんな怖ろしいことまで考えてしまう。
「まだまだ情報が足りないな。アイリーンとジェーンが僕を捕まえようとした意図も分からないし、エイラの手掛かりには繋がらない。アベリアが湯浴みついでに話を耳にすることと、あとは僕が夕方から酒場に行ってなにか聞くことができればいいけれど」
「あーそうでした」
ポンッとジュリアンは手を叩く。
「酒場から帰って情報交換を済ましたら、アレウスさんはアベリアさんの部屋で寝てくださいね」
「なんで?!」
初めて彼の前で取り乱してしまった。
「よくよく考えたらその方が良いと思いまして」
「僕は思ってない」
「事態は急を要する。けれど、手当たり次第の調査はあの子を危険に晒す。急を要していても、猶予はある。その猶予の間になにかをしちゃいけないという道理はありませんから」
「なにかしちゃいけないとはなにをしちゃいけないというんだ?」
ワケの分からない問い掛けをしていると自分でも分かっているが、問い掛けるしかなかった。
「いつまでも進展がないのはそれはそれで鬱陶しいんですよ。なんか一年前よりアレウスさんがアベリアさんに遠慮がちで、見ていてイラッとするので、それならもう軽く性行為の一つでもしてもらえば、そのイライラも消えるんじゃないかと」
「軽い感じで言うな」
「壁一枚だと不安ですか? だったら僕は一日、別のところに」
「それは命の危機に関わるからやめろ」
宿屋の壁は確かに薄いが、それを気にしてこんな話をしているわけではない。
「君に頼まれて、異界までエイラを助けに来ている。僕もエイラを救いたい。その間に、そんな浮かれたことに思考を向ける余裕はない」
「だったら、アベリアさんと昔みたいに戻ってくださいよ。昔らしさがないんです。接触も控えめにしていて、触れるようとしたところをギリギリ抑えて触れないようにして、昔なら抱き着いたり頭を撫でたり、頬を撫でたりしていたのに、そんなのほとんど見ないですし」
「大人になったんだ。無理な接触は良くない」
「僕が触れようものなら全魔力を注いで鎮圧させられますけど、アレウスさんをアベリアさんが嫌がっていないじゃないですか。あの人に触れられるのはアレウスさんの特権ですよ? 性行為はともかく、肉体的接触は気を落ち着かせる効果があるとも言われています。嫌う人もいらっしゃるらしいですけど相手の脈拍、心音を聞くことで自分以外もちゃんと生きているんだという実感を得られる方も一定数いらっしゃいます。アレウスさんは多分ですけど、心音を聞くと落ち着くタイプなのでは?」
「だから?」
「手を繋ぐのはアレウスさんとアベリアさんの儀式的行為と僕は見ているんですけど、それ以外の接触を重ねることでお二人はより一層、冷静になることができるのではないかと。そうすれば僕がたとえ危機的状況、そしてパニックに陥っていても冷静に切り捨てる判断ができるのではないかと」
お荷物にはなりたくありませんから、とジュリアンは付け加えた。
「……自己犠牲のために僕たちの仲を詮索しているのか?」
「犠牲じゃありませんよ。自己保身です。自分自身がみっともない死に方をしたとしても、それが誰かの足を引っ張るような死に方でないことを望んでいるんです」
アレウスが出会う男性陣はヴェインを除いて自己肯定感が低いので、もはや『類は友を呼ぶ』を体現してしまっているのだが、ジュリアンも例に漏れずのようだ。
「僕は誰一人だって見捨てる気はない。アベリアも……そして、まだここに来ていないエルヴァだってそう思っているはずだ」
「エルヴァさんが? あの人が本当にそう思っていらっしゃいますか? あんな、誰でも切り捨てる気しかないような目をしている……怪しい方を。今だっておかしいと思いませんか? アレウスさんが連れてきて、そこで初めて会った時点であの人からは言いようのないほどの実力を肌で感じ取ることができました。なのに、異界に堕ちてから未だ合流を果たせていない。それって、エルヴァさんは僕のちっぽけな依頼なんて切り捨てて、もう異界から脱出しているからじゃないんですか?」
エルヴァならやりかねない。なにせ利用し利用されの関係だ。
「それはない」
「どうして言い切れるんですか?」
「エルヴァはリスティの言うことは絶対に従うからだ」
「そんな、絶対と言えるほどの?」
「ああ」
なんならそこにはアレウスとアベリアと同様の、もしかしたらそれ以上の関係性があると見ている。親友――もしかしたら恋仲かもしれないと疑うほどだ。
「……だったら、信じてみます。また僕は取り乱してしまったみたいで、申し訳ありません。なんだか、ここに来てから僕は謝ってばかりですね……」
「ジュリアンは、僕たちどころか自分自身も信じていないんじゃないか?」
「自分自身?」
「自分を信じていないから、切り捨ててもいいと平気で言えてしまうし、死に際に人に迷惑をかけたくないと思う。そりゃ僕だって自己肯定感が低いし、信じるなんてこと……どこまでできているか分かんないけど……君の依頼を聞いて、君とエイラを救いたいと思ったのは心からの事実なんだ。だから僕は、僕自身を信じなくてもその自分自身が感じた事実を信じている。物は言いようと思うかもだけど、ジュリアンも自分自身じゃなくてもいいから、自分が思ったこと、自分が感じたこと、自分が話したことのどれか一つを信じてみてもいいんじゃないか?」
こんなこと、言えるほどに自分は立派ではないのだが。
アレウスは必死に言葉を選びつつ、ジュリアンに自身の思っていることを伝えようと努力した。
「喪ってから、ずっとこんな性格ですから。すぐには難しいかもしれません。でも……そんな風に言ってくれたのは、アレウスさんが初めてかもしれません。なので、ちょっと善処してみます」
伝わり切ってはいないかもしれないが、ジュリアンに気付きを与えられたのなら十分だろう。
「それはそれとして、アレウスさんとアベリアさんは同室で腹を割って話してくださいね」
そこに信念を持たれても困るが、譲る気配はなかった。
その後、ジュリアンにはアベリアが帰ってくるまで室内かつ騒がしくならないような足運びと体捌きを教えた。
「アベリアさん、実はさっき話している間にアレウスさんがアベリアさんと同室の方がいいんじゃないかと提案を受けましたので、その方向に話はまとまりました」
「ほんと?」
「はい」
「……やった。久し振りにアレウスと寝られる」
「いや、再会してからはいつも寝ているだろ」
「屋根のあるところで寝るのは久し振りだから」
脱走、再会、リスティの依頼、ジュリアンと再会してエイラの救出依頼。これらはほぼ休みなく訪れ、休めたとしてもほぼ野宿であったし、再会してすぐの睡眠は馬車の中だった。彼女の言っていることは間違っていないのだが、なにかを期待している自分がいることをアレウスは憎たらしく思う。
ジュリアンはああは言ったが、彼女は元奴隷だ。それも性的な奉仕を目的とした奴隷になりかけていた。それらの嫌悪感は未だに残っているはずだ。彼女がそう思わなくなっていても、アレウスが覆い被されば様々なことがフラッシュバックしかねない。
だから、ずっと手を出していないのだ。その件については、落ち着けるところでしっかりと話し合おうと約束した。だが、いくら落ち着けるからといって異界の宿屋でする予定では決してなかったはずだ。
「ふざけているよな……馬鹿げてもいる。こんな余裕を持って異界に堕ちるべきじゃない。もっと張り詰めていて、悲壮感を持って臨むべきだ……」
夕方、酒場に向かう道すがらアレウスは呟く。
「腑抜けている……絶対に、腑抜けている。こんなのは、足元をすくわれる」
言い聞かせる。
「気を抜いて、いっつも痛い目を見てきたじゃないか。忘れるな……忘れるな……忘れるな、忘れるな」
悔しい思いをし続けてきた過去を無かったことにはしない。経験を無駄にはしない。
「……よし」
帰ってからのことは鋼の意思で跳ね除けるとして、まずは酒場での情報収集だ。アレウスも年齢的にはお酒を飲める。だから堂々と入店する。
ただし、酒場での規則は知らない。席には着けたが、一人で酒場に来ているのに酒を注文しないのはきっと怪しまれる。飲んだことはないが飲むしかない。そう思い、アレウスは麦酒を注文する。
典型的な一人席。中央には大台があって、そこに着きさえすれば誰とでも気兼ねなく飲めるといった感じだろうか。しかし、雰囲気が合わない。酔い潰れた女性を介護するかのように男が外へと連れ出しているが、あれはきっと真の意味で介護するために連れ出してはいない。
どちらが先に潰れるかの飲み合いも行われ、なにやら男が服を脱いで裸踊りを始めている。それに釣られて、酔った女性がサービスとばかりに胸をはだけさせて見せつけていたりもする。なんなら女性の給仕が男からお金を受け取り、二階へと案内している。あれはきっと給仕も仕事の範疇としている夜の女だ。酒場の方が酔っ払った男からの指名が入りやすいのだ。それどころか酔っ払っているからこそお金を多めに引き出すことができるのかもしれない。
道徳が死んでいる。こんなところを常連として通おうとは思えない。出された麦酒を恐る恐る飲みながらアレウスは、すぐにでも帰りたいという気持ちになった。
「すっかり仕事も減っちまってなぁ」
「まぁ仕事が無い方が街が安全って証拠だからな」
「にしてもこれだけ減るのは異常だろ。飲まなきゃやってられねぇよ」
冒険者の話だろうか。聞き耳を立ててみるが、その後の会話から鍛冶屋の愚痴だと分かった。魔物との戦闘が減ったことで鍛冶屋への注文が減ったのだろう。それでも武器を精錬するだけが鍛冶屋ではないため、喰えなくなるわけではない。
その後もそれらしい話を耳にしても、アレウスの知りたいことではないことが続く。麦酒を四杯飲み干しても、まだ有力な情報は耳に入らない。
酒が回るとはこういうことを言うのか。思考が浮いて、視界も安定しない。大体、麦酒もさほど美味しくない。美味しくないのになぜみんな、これを美味しそうに飲んでいるのか。
そして、一人で飲んでいると段々と寂しくなってくる。人恋しくなる。誰でもいいから、話しかけてほしくなる。
そんなアレウスを狙いすましたかのように一人の給仕の女性が傍に寄ってくる。両手を広げて、胸に飛び込めとばかりに誘ってくるため半分、泣きそうになりながら体を預けようとする。
「聞いたか? ずっと行方知れずだった貴族の娘が見つかったらしい」
そこをギリギリのギリギリ――本当の本当にギリギリのところで耐え切り、アレウスが冷静さを取り戻したことを察したのか女性は明らかに分かりやすい舌打ちをしてから離れて行った。そんな態度を取られるとより一層の人間不信が加速してしまうのだが、寂しさを押し殺して聞き耳を立てる。
「ああ、一年くらい探していたらしいな」
「放蕩息子ならぬ放蕩娘か。駆け落ちかなんかだったのか?」
「いんや、聞けばまだまだガキだそうだ」
「ガキっつっても、世の中には色々とヤバい性癖の親父がいるからな。飼われていたんじゃねぇか?」
「もしくは騙されて連れ去られ、いいように調教されていたか」
「どっちにしたって心の傷はヤバそうだよな」
「ま、貴族の奴らにゃちょっとぐらい辛い目に遭ってくれなきゃ困る。俺たち平民の辛さを知らねぇんだから」
「つっても、子供に関しての辛さにゃ同情するけどな」
「ああ……自分の娘のことと思ったら、耐えられんな。別にこんな辛さを貴族に分かってくれねぇかと願ったこたぁねぇんだが」
「違いない。恨んでいようと、そんな風に痛い目を見てほしいとは思っちゃいないからな」
「見つかったんならなによりだ。貴族の連中は好かんが、今日ばかりはその見つかった娘さんの心の傷が癒えることを願って飲み明かそうじゃねぇか」
「ただ飲みたいだけだろ」
「いやいや、願ってんのはマジだぜ?」
「見つかった……のか。だったら、貴族領にいる可能性が高い」
だが、貴族領には容易く入れない。
「あの子は、両親といる?」
偽りだ。もうその両親は魂をリブラに取られている。
だが、偽りであっても、そこに彼女の求めていた姿があったのだ。
アレウスは席を立ち、支払いを済ませる。
「お客さん、お酒を飲むのは初めてだったろ?」
「え、はい……」
「初めて酒を飲んで……それも四杯だろ? 酔いにくい体質なのかもしれないが、酒ってのは限界量が分からんと懲りることができんからな。ここでもここ以外でも、あんまり無理して飲むんじゃないぞ。別に俺たちはどいつもこいつも酒に溺れさせようと思って場と酒を提供しているわけじゃねぇんだ。楽しく飲んで、楽しく遊んで、楽しい記憶を残す。飲み過ぎてなんにも覚えてねぇなんて連中みてぇにはなるんじゃねぇぞ」
外に出る。
夜の風を浴びて、酔いは僅かに醒める。
「あんなに人がいるのに、僕のことをちゃんと見ていたのか」
客の一人をそんな風に注目することができるのだろうか。もしかしたら怪しまれていたのかもしれない。
「忘れない内に帰って、話さないと」
足がフラつく。しかし、記憶はしっかりと保持したままアレウスは宿屋へと帰った。




