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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第8章 -シンギングリン奪還-】
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曖昧な生死

-強くなりたいなら知識を得なさい。

知識は君を助けてくれる。

冒険者を目指すなら尚更だ。-

 ジュリアンが目を覚ました頃にはすっかり日が昇り、懐中時計を見たところでそれが正しい時間を刻んでいるのかすら曖昧になってしまっていた。こうなると体内時計が正確性を持ち始めるのだが、それも異界に長く留まり続ければ肉体的な環境適応によって変化してしまう。

 むしろ、異界で活動するのなら適応した方が良いようにも思えてくる。それでも日数の経過だけは記憶しておかなければならない。日が経って間もない時期に異界獣を外へと引きずり出せばリスティたちの準備が間に合わない。逆に日が経ち過ぎればリスティたちは見切りをつける。しかしながら、その絶妙なタイミングをアレウスたちが望んだところで異界獣が思い通りに動いてくれるわけではない。そもそも、まだ異界獣を見つけられていない。アレウスは一年前に見た巨大な天秤こそ異界獣そのものだったと睨んでいるのだが、シンギングリンの周りには見当たらない。


「休むなら宿屋で休めばいいのに」

 合流したアベリアがアレウスかジュリアン、もしくは両方の体調を心配しながら言う。

「アベリアも休んでいくか?」

「私は二日くらいなら起きていられるから」

「そういう強がりは良いから」

 彼女がそんな体質を有していないのは一年前から分かっており、ここ数週間弱を共に過ごしても睡眠を取らなかった日はなかった。

「眠いのは眠いけど、宿屋に泊まりたい。異界で野宿は気が休まらないから」

 それはアレウスも肯くところなのだが、ジュリアンが眠る前に自身は深い眠りに落ちていた。だったらアベリアがここで眠ったところで魔物が襲ってくることなどほぼないだろう。

「野宿するの嫌いだったか?」

「そうじゃなくて、アベリアさんは活動する拠点を先に見つけたいってことが言いたいんですよ。街の外で野営ばかり続けていたら、それはそれで怪しいですし」

 なにかアベリアにジュリアンが目配せをしている。それを見るに、ジュリアンの説明以上にアベリアが野宿を嫌う別の理由があるように思える。つまり、アレウスの察しが悪い。

「悪い、なにを言いたいのかちゃんと説明してくれ」

「ここ最近、水浴びも沐浴も出来ていないから」

 体臭を気にしている。ここで「気にしない」と言うのは恐らく違うので、アレウスは「ああ、うん、そうか」と相槌を打つ。

「もうちょっと女性に気遣いできるようになった方がいいんじゃないですか?」

 ジュリアンがわざとらしく耳元で囁いてくる。囁き方が丁寧で、中性的な彼の容姿と未だ発達し切っていない喉仏のせいか極めて女性とも受け取れる声のせいで思わず距離を取ってしまった。彼は彼で己自身の振る舞い方を男性的に変えてもらいたいものだとアレウスは心の中で思いつつ、話しがまとまったのかまとまっていないのか曖昧ではあるものの、とりあえずの拠点確保ということで宿屋を目指す。


 シンギングリンの宿屋は利用したこそないものの場所はよく知っている。異界の中で当たり前のように生活し、当たり前のように日常を送り、当たり前のように幸福に満ちている。シエラの言っていた通り、本当に死んだことにすら気付けていないのだろうか。それとも死んでいると分かっていながらも、周りに死んだと思われたくなくて平常を装っているのだろうか。訊ねたところで答えはしないだろう。むしろその質問は混乱と不和をもたらしかねない。

 やはり、エイラがネックとなっている。彼女の生死、そして居場所。その両方を知らなければ、人々に不安感を与えるような詮索も調査も行えない。


「聞き込みに行きましょうか?」

 ジュリアンは一刻も早くエイラについて知りたいらしく、道すがらに訊ねてきた。

「せめて安否確認だけはしておきたいんです」

 言っていることはアレウスの考えと一致する。

「……まだ、少し様子を見たい」

 しかし、アレウスは引き留める。

「なんで……僕たちに比べて彼女は弱く、一刻の猶予もありませんよ?」

「この界層に辿り着けているか分からない。分からないままに手当たり次第に訪ねて回れば、僕たちの調査を耳にする輩が出てくる。だからまずは聞き込みよりも、自分の足で捜索するしかない。あとは気配感知と君の糸による魔力感知だ」

「シンギングリンの皆さんは優しい方々です。僕たちの話を聞けばきっと協力的になってくださいます」

 尚もジュリアンが自己を押し付けてくる。引かない点は男らしいのだが、その男らしさは今はいらない。

「それはエイラが貴族じゃなかったらの話」

 見かねてアベリアが口を挟む。

「あの子は貴族だから、奴隷や浮浪者よりちょっと上の一般人――いわゆる平民にとっては、あんまり良いイメージを持たれていない。この異界に取り込まれた貴族領における貴族の扱いがどうなっているかもまだ分からないのに、エイラの名前を出したら取り返しのつかないことになる」

「居場所を突き止められていない今以上に、取り返しのつかないことになりそうなこともないと思います」

「じゃぁ、生きているかもしれない彼女がより命の危機に瀕するような面倒事に巻き込まれても構わない? あなたが我慢して、抑えてくれれば巻き込まれずに済むかもしれないのに」

「分かってくれ、ジュリアン。聞き込みをしないとは言っていないんだ。まだ、聞き込みをしていいかどうかの段階に来ていない。それだけだ」

「…………ちゃんと理由があるなら承服します」

 ようやく下がるものの、ジュリアンは少々、不満はあるらしい。。

「理由もなく、頭ごなしに僕のやり方を否定しているのかと思ったので……さしでがましいことを言ってしまいました」

「さしでがましくなんて思ってない。そうやって言ってくれないと僕たちは別角度からの意見を取り入れられずに頭が固くなってしまう。だから君は良いことをした。悪いことなんて一つもしていない」

「褒めるのがお上手ですね」

「アレウスは褒めるの下手だよ。だって滅多に褒めないもん」

 余計な一言がジュリアンの不満を解消したのか、彼の表情に明るさが戻る。ただし、睡眠を取っても疲労の色は残っており、変わらず焦燥感には駆られている。この場は抑えてくれたが、アレウスがダラダラとした活動を続ければ勝手な行動に出る。


 日数以外にも、ジュリアンの焦燥感との競争まで気に掛けなければならなくなってしまった。だが、これらは異界に堕ちる前から分かり切っていたことだ。それを改めて思い知ったからといって、アレウスまで焦りの色に染まらなくてもいいはずだ。


「宿屋で部屋を取ったら、まずは大衆食堂か酒場に立ち寄っての盗み聞きだな。今の街がどういう仕組みで動いているのかはやっぱり街の人が一番よく知っている。でも、酒場は不埒な輩も出てきやすいから僕が一人で行く」

「お酒を飲みたいだけじゃ?」

「違う」

「じゃぁ、コロール・ポートのときみたいに変装するのが趣味になった?」

「お前とジュリアンがいたら目立つんだよ」

 なにやら(へき)に目覚めたのではと疑うアベリアに説明する。

 美女と美人を連れ歩くのは貴族や王族のやることであって、アレウスのやることではない。それこそアベリアの疑う(へき)を越えた危ない(へき)に片足を突っ込んでいる。

「では僕が大衆食堂で、アレウスさんが酒場ですね。アベリアさんは睡眠を取ってください」

「昼時にジュリアンが出ている間に僕は街中を歩いて、どんな話題が飛び交っているのかを耳に入れる。夕方になったら一度、宿屋に戻って情報交換をしよう。そのあとで僕は酒場に行く」

「僕たちは夕方、部屋で待機ですか?」

「さっきも言ったけど二人は目立つ。ああでも、アベリアは水浴びか沐浴をしたいんだったか。外に出るときはフードを被って髪が目立たないようにしてくれ」

「二時間くらい眠ったら、大衆浴場に行く。そこで私もなにか聞けないか試してみる」

「それよりも、あなたが酒場に行っている間、僕とアベリアさんは二人切りになるんですけど」

「なにか問題があるか?」

「はぁ~……こんな感じですよ、アベリアさん。ちょっとでも動揺するかと思ったら、案の定です」

 深い溜め息をつくジュリアンに、アベリアもまた続くようにして溜め息をついた。

「安心してください。部屋は二つ取りましょう。そもそも男女で部屋は分けるべきですからね。僕がこれまで稼いだお金が異界の宿屋に呑み込まれていくのは少々、思うところもありますがこんなのはあの子の命に比べたら紙屑です」

「ジュリアンはジュリアンでエイラに固執しすぎ。好きなの?」

 訊かずにおいたことをアベリアはスッと言ってしまった。


「好きだったら、こんな目に遭わせるわけがないじゃないですか。好きだったら、もっと立派に守ってやれていますよ。好きだったら……そう、好きだったら……こんなことには、ならなかったのに……」


「違ったみたい。変な勘繰りをしてしまって御免ね」

「固執しているのは認めます。私情でお二人に頼み込んだ部分もあります。でも、好きではない……僕の恋心は、壊れてしまっていますから。そもそも、あの子は恋愛対象になりませんよ。守ってやりたいって気持ちはあるんですけどね……いや、あったんですけど……」

 激しい後悔をジュリアンは抱えている。それは過去、そして今の両方にある。せめて現在の後悔を拭い去ってやりたい。そして、エイラを助けることはアレウスにとっても重要だ。遅すぎる救いの手ではあるが、差し伸べられるのなら差し伸べたい。


 宿屋に到着し、偽名で予定通り部屋を二つ取る。アベリアが荷物を片方の部屋に放り投げ、アレウスたちの部屋へと入る。


「酒場に寄る前に貴族領の方も様子は探る。気取られたら面倒だから、ほんの少しだけだが……あと、どこかに現状を探れるような資料があればいいんだけど」

「図書館はないの。あったら、古書店で本を買うお金を生活費に回せたのに」

 生活に一杯一杯だった頃を思い出すようにアベリアは言う。

「お二人とも、なにを言っているんですか? 調べ物をしたいならギルドが一番じゃないですか」

 正しいことを言われたが、ジュリアンの言い方が癪に障る。ただし、完全に抜け落ちていただけに先輩面をしてなにかを言うことすらできない。

「僕が行ってみるよ」


 予定が僅かに変わっただけで、最初に立てた根幹が大きくは変わらない。アベリアはもう一方の部屋に戻って眠りに落ち、アレウスとジュリアンは宿屋を出て二手に分かれた。


 どうしてギルドを忘れていたのだろうか。いや、本当に忘れていたのではなくあえて考えないようにしていたのではないだろうか。それは、守りたかったのに守れなかった後ろめたさがあったからかもしれない。

 考えたくはなかったのだ。今更、冒険者ギルドに足を運びたくなかったから。


「……僕の気配消しに気付くのは、多分だけど中堅以上……中級冒険者にはもう気付かれないはず」

 果たしてこのギルドにそこまでの手練れがまだ残っているのか否か。これまで当たり前のように訪れていた場所が、さながら敵地のような感覚でアレウスは開け放たれている扉をくぐった。


 静まり返っている。あれほど騒がしかった場所に、人の姿はまばらでさほど混み合っていない。そしてアレウスが入ってきた際に誰一人として視線が向くことはなかった。

 これはバレずに裏側まで回り込めるかもしれない。そう思い、アレウスはギルドの奥へと素早く身を滑り込ませた。担当者も、そこにいた冒険者もアレウスにやはり気付いていない。安全に、問題なく、事務室の方でここ一年の記録を調べることができる。


 そのように意気揚々と一歩を踏み出したのだが――



「こんな地獄に、一体なんのようだい? 『異端』のアリス」

 アレウスの周りだけを煙が包む。煙草の臭いを思い切り吸ってしまい、アレウスはむせ返る。

「正面の奴らはこれでも気付かないのかい。随分と、ボンクラどもばかりが地獄に来たもんだよ。ただ、シエラがいたならこうも上手くあんたが侵入することもできなかっただろうさ」

「……殺されたはず」

「魂は留まっていた。あんな殺され方をしたんだ。世界を恨み、呪いに転じたっていいじゃないか。そう思っていたというのに、今やここは世界でもなんでもなく、ただの地獄。なんのために呪いになろうとしたのかすら分かりゃしない。もはや呪いにもなれず、死んだのに死に直すことすらままならず……どうしたもんかと、こうして毎日、煙草を吹かす毎日さ」

「リブラが魂の価値を平等にする際、あなたのシンギングリンに留まっていた魂も秤に加えてしまった」

「知っているよ。誰よりも死んだと分かっている私が、それを知らないわけがない。それにしても…………私が人として死ねたのも、不思議な話さ」

 ふぅ、と女は再び煙を口から吹く。

「とっくに人であることは捨てていたんだがねぇ……せめて生きている内に解放されたかったところだが……それも叶わぬ願いに過ぎなかった」

「あなたは、誰に殺されたんですか……?」

 女はアレウスの口に人差し指を押し付ける。

「死人に口無し。生者が辿り着くべき真実に、死者が口出しするのは最悪のお節介さ。学び、知り、勝ち取れ。冒険者がやってきたことを放棄するんじゃないよ」

 女の姿が曖昧になり、煙が揺らめくとともに消えて行く。



 ハッと、アレウスは唐突に我に返る。

「……今のは、なにか見させられていたのか? それとも、本当にあったこと、か……?」

 手を開いたり閉じたりして、自身の感覚が確かめつつ、ふと足元を見る。

 煙草の吸い殻と灰が落ちている。

「この煙草に特殊な幻覚を見せる作用があったなら……都合の良い幻を見ていただけになるけど……そうじゃないなら、この異界にはヘイロンがいることになるけど、ならなんでギルドで姿を消すんだ?」

 ギルドを自宅のようにして生活していたのはヘイロンだった。リスティからはそう聞いている。そしてシンギングリンでも有名な担当者だった。わざわざ文字通りアレウスを煙に巻かなくてもいい。


 シエラだけでなくヘイロンもいるのなら、ギルド長の狂気とやらを更に探ることができる。


「でもまずは」

 すべきことを優先する。アレウスは事務室に入り、収納してある書類を一つ一つ丁寧に調べていく。

「…………魔物討伐の依頼は減って、街中での当たり障りのない依頼が増えている。便利屋みたいになって行ったせいで、冒険者を辞めてしまう人が増えて……中堅以上の冒険者は、ほとんどがもういない……?」

 それはなんとも不自然だ。辞める人は多いかもしれないが、それまでのランクを捨てにくいのはどう考えても中堅以上の冒険者だ。その数が減少の一途を辿っているとすれば、意図的に数が減らされていることになる。

「中堅以上の冒険者が特定の依頼を全て失敗している。だからこの依頼は未達成でありながら危険ということで封印。幸い、街に危険を与えるものではなかった……? そんな、そんなこと、あるのか? 失敗したから諦めたなんて、ギルドで……あるはずがない」


「「あなたは秤に乗せなかったはず」」


 アレウスは手に取っていた書類を鞄に突っ込み、事務室の窓を目指す。しかし凄まじい速さで一人がアレウスを追い抜き窓からの脱出を阻み、後方の出入り口はもう一人に抑えられる。

「確保します」

「捕らえさせてもらいます」


「「アレウリス・ノ―ルード」」


 前後からジリジリとにじり寄る二人に逃げ場を失うアレウスは目だけを動かして、抜け道を探る。


 一ヶ所だけ、煙草の灰が壁にひどくこびり付いている。

「器物損壊、どうかお許しいただきたい」

 事務の机や棚を引き倒し、二人の接近を鈍らせたのち右の机に飛び乗って、その壁に突進する。壁は物凄く脆く、突進の勢いもほぼそのままに隣の部屋へアレウスを導く。二人に追い付かれる前にその部屋にあった窓を破って、アレウスはギルドから脱出した。


「ギルドは、なにかおかしくなっている」

 いることがバレてしまった。宿屋にもそう長くはいられなさそうだ。

 アレウスはジュリアンが食堂から帰ってくるまで、アイリーンとジェーンとその刺客が宿屋に訪れないことを祈りつつ、近くの物陰で時間を潰すこととなった。

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