光の方向へ
いくら気配を消したところでゴーレムはアレウスの足跡を追ってくる。それどころか視界がどれくらい広く、そして遠くを見渡せるのか分からない以上はどれだけ距離を取っても安全とは言い切れない。足跡すら残さない歩き方と走り方を早いうちに習得しておくべきだったと後悔する。
「反撃に出るか?」
走りながら呟き、迷う。
このまま逃げていてもゴーレムはアレウスを永遠に追いかけ続けてくる。この界層全てのゴーレムがアレウスを殺すためだけに集結するとはとてもではないが思えないが、もしそうなってしまった場合を考えるなら、まだ対処が追い付く段階でゴーレムを出し抜くべきだ。そうは思うが、こんなところで体力も魔力も消費したくない。なにせまだ何界層なのかも分からないのだ。無駄に消耗すれば力尽きるだけだ。
幸いにも、追跡速度は遅い。行き止まりの広場に入りさえしなければ追い詰められることもない。ただし、マッピングは不完全なため確実に安全な方向へと走れるわけではない。
留まり続けるわけにもいかない。アレウスがこの窮地を脱する方法は自身に迫っているゴーレムを全て破壊することか、堕ちる穴か登る穴へと飛び込むことだ。そして、できることならば登る穴を目指したい。走っている先に都合良く別界層に繋がる穴を見つけられることを祈るしかない。
「祈ってどうする」
神はいない。神はアレウスに微笑まない。常にアレウスに試練ばかりを与えてくる。そんな神など、目の前に降臨したって信じない。信心深くないアレウスの祈りなど神が聞き届けるわけがない。
だから実力で引き寄せる。知識で特定する。
「僕が轍を荒らしたゴーレムはともかく、他のゴーレムは僕を追いかけているゴーレムを追いかけている」
最初にアレウスへ攻撃的な意思を示したゴーレムを別のゴーレムが追いかけ、その別のゴーレムをまた別のゴーレムが追いかけている。最初のゴーレムを足止めすれば、あとは縄張り争いよろしくゴーレム同士での仲間割れを起こす。アレウスから続いている連鎖は一番最初の――アレウスの背中を一番近くで追いかけているゴーレムさえどうにかすれば止まる。
「飛刃じゃ岩や瓦礫には弾かれる」
魔力を込めた炎の飛刃なら破壊も難しくない。しかし、近距離での剣戟の方が威力では勝る。近距離で魔力を込めた飛刃なら一番有効だろう。この短剣はオーガの筋肉を引き裂いた。オーガの筋肉を裂くことができたなら、岩石ぐらいは折れることなく叩き切ることができるはずだ。
「折れるか折れないかを考えている時点で、得策じゃないんだよな」
翻って、アレウスはゴーレムと向かい合う。魔力で短剣に炎を帯びさせ、松明を捨てた代わりの灯りとしつつ、対抗できる力とする。
ゴーレムの伸びる腕による打撃を回避しつつ、体を構成している物質と物質の隙間を裂くように短剣を振るう。恐らくは魔力的な流れによって組まれているゴーレムの腕を断ち切ることに成功するが、その腕は再び核から噴出する魔力によって接合され、有効打とならない。
ゴーレムの攻撃を誘いつつも左右に体を揺らし、的確に振った腕を見ながら避け、再び腕を断つ。
やっていることは時間稼ぎで、更に短剣を折らない戦い方。炎を帯びさせているため折れないとも思ってはいるのだが、やはり慎重に行きたい。そうなるとアレウスが狙える部位は接合部だけになってしまうが、逆に無駄な攻撃の回数を減らせるために回避に乱れが生じることもない。
素早く後ろを取って、足の接合部に詰め寄る。
短剣を振ろうとした瞬間、ゴーレムが体を捩じらせながら足元目掛けて拳を落としてきた。
「くっ!」
避けられはするが、密着はできないため下がる。
人型ではあるが、身体的特徴まで人間を模倣していない。むしろそこはスライムに近い。魔力による接合はしていても、人間では考えられない捻じれ方と、拳の落とし方を平気でやってのける。
前方、左右、後方、そのどれもに対しては反応が鈍いが足元だけは怖ろしく速い。足を動かせなくなれば核を露呈しやすくなる。自身の急所を知っているからこそ、感知能力がそこだけ高いのだ。
それならそれで、戦い方を変えるだけだ。足元で反応速度が上がるのなら、間合いを詰める流れで切りにいけばいい。足元での反応速度が高いのなら、それ以外のところで短剣を振る動作に入り、その剣戟のピークを足元に持ってくればいい。それならゴーレムの反応速度でも間に合わないはずだ。
理論は組み立てられた。あとはそれを実証するだけ。オーガとの命の取り合いに比べれば、簡単なことなのだが他のゴーレムが追い付かれる前にこのゴーレムを動けなくさせなければならない。その残り時間を気にするせいで、妙な緊張感がある。緊迫感とも言い換えることができるだろうか。
焦りはしている。だが、嫌な焦りではない。もっと命に肉薄されているときに感じる焦燥感に比べれば、心地いい。
「……うん……うん……うん」
透明な思考の中で、自分の感覚に肯きながら声を零し、その場で軽く上下に身を揺らして一気に筋肉の緊張を解き、再び強めて駆け出す。
ゴーレムの攻撃は脅威ではない。さっきから何度も避けている。予想外だった攻撃も避け切った。どれもこれも、直撃するような速度を持ってはいない。
詰め寄るよりも先に短剣を振る。自身の速度、そして屈むタイミング、そのどれもを事前に考えての振り始めだが、頭に思い描く軌道から微塵の逸れもない。
足元に入る。ゴーレムが体を捩じらせる。拳が落ちてくる――前にアレウスの短剣が足の接合部を裂き切る。バランスを崩し、拳はアレウスではなく地面を打って、自重でゴーレムがその場に崩れた。続いてもう一方の足の接合部も切断した。
「明確な倒し方はまだ見えていないけど」
核をこのまま破壊するか悩んだが、他のゴーレムの接近も間もなくだ。魔力消費も最低限にするなら、これで手じまいにしなければならない。
炎の短剣の灯火を頼りにアレウスはその場から離脱し、崩れたゴーレムにどんどんと群がっていく無数のゴーレムたちが奏でる重低音を耳にしつつ、一気にその場から離れた。
「轍を踏まないようにしないと」
距離を取り切ったところで、走り方を変える。前を見るというよりも前方のやや斜め下の地面を見ながら走る。これから自身が踏み締める地面に轍があるかどうか。それを確かめながらとなるため、普通に走るよりも速度は落ちる。安全を重視するのなら、全ての動作は遅くなるのだが、神経質なアレウスは歩くよりも速い程度に速度が落ちた。
暗闇をなんの目標もないまま進む。書きかけの地図を開き、現在地を確認しようとするがいまいち掴めない。星座を頼りにしたいが、異界の空に描かれる星座が世界と同一とはとてもじゃないが思えない。
逃げた方角は記憶がある。そこから焚き火の地点は経由せずにひたすら走った。真っ直ぐ走ったはずだが、暗闇の中の真っ直ぐ走ったという考え方ほどアテにならないものもない。明るいところでさえ真っ直ぐ歩けることなど整備されたところ以外、あり得ないのだから。
それでも地図上のこの辺りだ、と見立てを立てる。あとは見えない壁に接触し、壁沿いを進めば書きかけの地図のどこかの地点には行けるだろう。だが、書きかけの地図のどこにも界層を渡るための穴は無かった。
ならば、見立てなど考えずに、迷うことを前提として探索を続けるべきだろう。一時的ながら脅威は去った。ゴーレムを追いかけていたゴーレムたちが今度はアレウスの足跡を追ってくるというのなら、また対策を考えなければならないが、それはそのときになってから考える。
「日が昇れば、いる場所だって分かるようになるはずだ」
この界層は見晴らしが良かった。夜を越えて日が昇れば景色も見えるようになる。現在地の特定はそこからでいい。別にここに長居したいわけではないのだ。一刻も早く、次の界層を目指したい。
書きかけの地図はそのままに二枚目の紙を出し、再びマッピングを始める。あとで二枚の地図を照らし合わせて一枚にする。だから、一枚目に不用意に書き込むより新しい地図を作る。
「ジュリアンは大丈夫かな」
アベリアよりもまず気掛かりなのはジュリアンだ。異界を経験したことのない彼を真っ先に案じるのは当然だろう。
「外のゴーレムと追跡の特徴が違ったから、ジュリアンの魔力の糸じゃ誤魔化し切れないだろうし」
なんとか轍を踏まないで、或いは踏むことが要因になると気付いた上で探索を続けてもらいたい。いや、そもそもゴーレム以外の魔物に出会っていないかどうかの心配もある。
こんなにも人の心配をする暇があるとは。そうアレウスは自分自身に驚く。生き抜き、どう脱出するかしか考えてこなかった。そんな異界でこの余裕を感じるのはなぜか分からないが罪悪感がある。明らかに無駄な罪悪感だ。捨ててしまっていいはずなのに、捨てきれない。
昔の自分を否定したくないのだ。苦労していた頃の自分を、余裕のなかった頃の自分を、異界で五年間生き続けてきた頃の自分を、さながら鼻で笑っているかのような思考回路が許せないのだ。そのクセ、辛いだけだったはずなのに、どういわけかその辛さを神聖視していて、それを薄気味悪くも感じている。
決して交わらず、決して相容れない。相反した感情が渦巻く中、アレウスはただただ進み続ける。
孤独がそうさせるのだろうか。暗闇がそうさせるのだろうか。それとも、走っているから自己分析が加速するのか。なんにしても、これはあまり良くない。気持ちが沈み、生き方に迷ってしまう。
昔を否定したくないクセに独りで一生懸命に生きていた自分はもうどこにもいない。むしろ、早く誰かと合流したいと強く思っている。それが今のアレウスを突き動かしている。多少の疲労も顧みないで、ひたすらに足を動かし続けている。
広場は注意深く、通路はどこか安心して、調査は最小限にしつつ気配は隠し、移動は俊敏に。轍は絶対に避ける。それを繰り返しての移動のさなかで、人か魔物か判別不能な死体を見たりして気分も悪くなる。なのに小腹は空くため、気は進まないが干し肉を少しだけかじり、水を飲む。
「この穴は……登る穴……か?」
そうして辿り着いた広場の一角に穴を見つける。空気を吸い込むのではなく、吐き出している。登る穴であることは間違いない。懐中時計は午後六時十分を過ぎたところだ。焚き火をしてからおよそ二時間、この界層をさまよっていたことになる。堕ちた時刻からならもっと掛かってしまった。
「まだマシな方か? 堕ちる穴だったら、更にさまよっていたからな」
そう自分に言い聞かせて、アレウスは登る穴へ飛び込んだ。
景色が歪み、一瞬の内に辺り一帯が一変する。着地を再び失敗し、起き上がっている間にここも世界で言うところの闇夜に包まれていることを把握する。
だがそれ以上に、景色の一つに強い明かりがあった。
「あっちには人がいそうだな」
シンギングリンの明かりか、それともアベリアやジュリアンが発している明かりか。エルヴァが親切に明かりを灯すとは思えないため、その三つの可能性となる。だが、光は大きく強く、どうにも眩さが勝る。焚き火や“灯り”の魔法でもこれほどの大きさで発光したところは見たことがない。
「ぬか喜びはしたくないな」
とはいえ、最初の界層は切り抜けた。次の界層にある光は早々にその正体を知るべきだろう。アレウスは休まず、光の方向へと駆け出した。




