縛られない
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アレウスとアベリアはジュリアンを残して、シンギングリンを発った。帰路にはジュリアンが飼っていた馬を借りられたのだが、アレウスは乗馬の技能がなく、この一年の間に馬の扱いを学んでいたアベリアが手綱を握る形での帰路となった。
「最初は僕を引き留めていたのに」
「事情が変わった。調査と救出は違うから」
「でもアベリアはエイラとそこまで親しくはなかっただろ」
「親しくなりたいと思っていたんだけど、それができなかった。それに、あの子は貴族なのに掃除をしてくれていたし、ジュリアンと一緒に私たちの帰りを待っていてくれたはず。だったら、エイラは仲間と一緒でしょ?」
「一緒ではないけど、友達ではあったのかもな」
だが、この選択は私情を挟んでいる。物事に私情を挟むと、面倒事に変わりやすい。
「お待たせしました」
リスティのいる村へと一日半を掛けて戻り、休む間もなく彼女のいる建物へと押し掛け、話し合いの時間を設けてもらった。
「私の依頼を達成していただき、ありがとうございます。地図の通りに収集隊を派遣することになりますが、気に留めなければならないことはありますか?」
「森林については魔物を追い出しましたが、小型の魔物が未だ逃走中です。採石場にはどこにも寄与しない人たちが住んでいたので、こちらとの協力関係を結ぶことで一時的に物資の補給を行うことを約束しました。収集隊の旗にこちらの印を付けたものを用意してください」
「物資……まぁ、ここには冒険者崩れの方々が沢山いらっしゃるので狩猟自体に困ったことはありませんし、食料の蓄えはある方です。ただ、ずっと補給をし続けるのは難しいですよ?」
「ええ、それも話しています。なので、彼らの扱いは今後の課題になります。無理に追い出して、怨恨を増やせば思わぬところで人が死んでしまいます。穏便に済ますにはこの手段しかありませんでした」
「なるほど……ええ、分かりました。こちらの方で次の問題として話し合っていきます。水源についてはどうでしたか?」
「魔物の痕跡はなく、また呪いや霊的な存在による穢れもなく、濾過すれば飲み水に使えます。ですので、小型の魔物の大半はシンギングリン跡地に入ったものと思われます。ただ、散り散りになった可能性も否めなく、またどこかで集結して人々を襲う準備をしているやもしれません」
「オーガやオークは討伐したから、ガルムやゴブリンとの小競り合いがしばらく続くと思う」
アベリアがアレウスの説明に付け加える。
「オーガを二人で討伐したんですか……? そうですか、そこまであなた方は強く……小型の魔物についての報告を踏まえて収集隊に元冒険者の数を増やします。彼らの協力さえあれば、ゴブリンやガルム程度なら怖くはありません」
「それで、」
「話は以上とします」
アレウスが切り出そうとしたところでリスティが席を立った。
「まだ話は終わっていません」
「シンギングリンの異界についての話ではないのですか?」
見抜かれている。そして、その目には確固たる意志が灯っている。
「オーガを少数で仕留めることのできる貴重な人材を、そう易々と異界の調査へと送り出すわけにはいきません」
「ですが、異界にエイラが堕ちてしまったんです」
アベリアがリスティを止める。
「子供を助けるのは人として当たり前のことじゃないの?」
「状況を知ってください。あなたも、そしてアレウスさんも手放したくはない戦力です。戦力とは、この集落とも村とも呼べない場所におけるあらゆる脅威を跳ね除ける力を指します。先ほども言いましたが、オーガを二人で討伐できる強さがあれば、大半の脅威をあなた方で払うことができるでしょう。私たちは、たった一人の子供を救うことよりも、この先の未来で起こるやもしれないこの場所での惨劇への対策を考えることを重視します。あなた方の肩に、ここにいる多くの人々の命が乗っています。理解してください」
一を取るか全を取るか。リスティの言うことには慈悲がないようにも見えるが、全を重視するならば当然の意見だ。むしろ一を重視しているアレウスとアベリアの方が少数だろう。
「ジュリアンに頼まれています」
「ジュリアン・カインドが……? でしたら、シンギングリンから即座に呼び戻してください。彼にもここで力を尽くしてもらわなければなりません」
「そうじゃありません。僕はジュリアンに頼まれている以上、シンギングリンの異界からエイラを助け出さなければなりません」
「助け出せなかったら?」
リスティは問う。
「助け出せなかった場合、私たちはアレウスさんとアベリアさんを喪うどころかジュリアンさんまで喪う。そうなるのだけは避けなければなりません。危険な場所へ赴かせることは、認められません」
アレウスは天井を見る。アベリアは座り直しはしたものの、うつむいている。
「…………ははははっ」
ふと、気付いてアレウスは笑う。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、なんでも。そう、なんでもない」
アレウスはリスティの依頼を完遂するためにここに訪れた。
それを、リスティの了解を得なければ異界へ救出しに行ってはいけないと勝手に考え違いをしていた。
「僕はシンギングリンに行きますよ」
「ですからそれは、」
「リスティさんの意見は聞きはしますけど、それは別になんの拘束力もない」
アレウスは席を立つ。
「だって僕は冒険者ギルドに所属しているわけではないし、リスティさんも元担当者であって現担当者ではない。話をすることはしても、僕たちをこの場所から出さないようにするだけの拘束力はない」
了解はいらない。ギルドがなく、ただ自分から冒険者と名乗っているだけのアレウスを縛る規則はない。
「私がそれを許すと?」
「だから許されるとか許されないとかじゃないんです。あなたに許されなくても、僕は縛れない」
明らかにリスティの反感を買う形になっているが、言っていることは全て事実だ。ギルドを通して築かれた関係がない。未だ新たな関係性が築かれていないのなら、彼女の忠告に正しく従う理由はない。
「……アレウスさん? 本気で言っているんですか? 本気で、子供のために異界に行くと? それも、生きているかすらも分からない子供のために?」
「ヴェラルドはそうしてくれましたよ」
『異界渡り』はアレウスの元へとやって来た。子供のために異界を調査したわけではないのだろうが、救い出そうとしてくれた。
「その道を歩むと決めたなら、やっぱり僕は間違っていない」
そこで観念したようにリスティが深いため息をついた。
「異界……から異界獣を引きずり出すことができますか?」
「……できるかは分かりませんが?」
「あのシンギングリンに留まっている異界は、シンギングリンの八割を削って生み出されたもの。であれば、その中にあるのは全てシンギングリンにあったものである可能性が高いんです。もし、異界獣を異界から引きずり出し、討伐することができたなら」
「魂の虜囚はどうしようもないが、シンギングリンの八割は取り戻せる可能性が高い。そうだろ?」
エルヴァージュがアレウスの隣に空いていた席に座り、リスティが言おうとしたことを代わりに言う。
「異界獣の討伐。異界を消すためにはそれが必須となる。だが、異界は奴らの巣であり、彼らの道理が通る世界。だったら、奴らの道理が通らないこちら側へと引きずり出せたなら、この場所に集っている冒険者崩れや元冒険者のほとんどの戦力を投じれば討伐できるかもしれない」
「シンギングリンの八割を取り戻せたからといって、すぐにその場所に帰ることができるかと言えば、多分ですけどできないでしょう。でも、この場所を村へと発展させつつシンギングリンの復興も進めることができれば、いつかは……そして、シンギングリンの復興が始まればそれはこの場所に住んでいる人々の希望となるだけでなく、各地へと散った人々が戻ってくる場所にもなる」
リスティはアレウスを見つめながら、一呼吸を置く。
「あなたに賭けて、いいですか? こんな、無茶苦茶な賭けを、あなたに託してしまってよろしいでしょうか?」
「態度が変わりすぎなんだよ」
「一年音沙汰のなかったアレウスさんに無茶をさせたくはなかったんです」
言い訳を述べてはいるが、今のリスティは信念を曲げている。さっきアレウスに述べた一よりも全を優先することが彼女の本音だ。そのため、相反する感情のせめぎ合いの中で、アレウスに問い掛けている。
「最善を尽くします」
だからアレウスも先ほどの態度を包み隠し、リスティに従っている風を装う。
頼まれようと頼まれまいとアレウスは異界へと行くことを決めていた。態度が軟化したとしても、それまでのリスティの言葉が撤回されたわけではない。だから依然として腹の探り合いは続けなければならない。
「二人の手助けをしてください、エルヴァ」
「僕にはこの土地の土壌を改善する仕事がある」
「それはもうほとんど終わっているでしょう。神を信じていないアレウスさんには、讃美歌よりもあなたの指揮の方が合っているでしょう」
リスティがエルヴァにやや攻撃的な語気で言う。
「行かないと言うのなら、『逃がし屋』にあなたのことを伝えますが?」
「行けばいいんだろ」
よっぽど『逃がし屋』が嫌いなのか、エルヴァが素直になる。
「まぁ、私が伝えずとも『逃がし屋』はあなたがここにいることなんて気付いていらっしゃるのでしょうけど。接地している限り、見つけられないわけがない。あなたと『逃がし屋』はそういう関係でしょう? まるでクルスと、」
「奴らと僕たちは違う。それと、そんな風に奴を呼ぶな」
途端に機嫌を悪くしてエルヴァが席を立った。
「支度をしてくる。少し待っていろ」
出ていくエルヴァを見送って、アレウスは一息つく。
「ゆっくりしている場合じゃないよ。私たちも準備しなきゃだし、あとどうやって救出するか沢山、策を練らないと」
気を抜いたアレウス以上にアベリアの意気込みが強い。
「私たちの力でも異界獣を倒せる。アクエリアスを倒したときと同じように……それを証明しなきゃ」
再誕したばかりのアクエリアスを倒せたのはカプリースとクニアだけでなく、獣人の姫君の協力もあった。その協力を今回は仰げない。なにより、あのとき異界はまだ生じていなかった。
異界を壊す。その第一歩を、アレウスたちは遂に踏み出すときが来たのだ。




