アレウスのすべきこと
馬車での睡眠は収容施設にいた頃よりも手狭で決して寝心地が良かったわけではなかったのだが、アベリアと再会できた安心感のおかげか精神的には安らぎがあった。体は未だ疲労の色があるものの、気持ちの面では癒された。
それにしても、アベリアは再会してからほぼずっと引っ付いている。馬車の中でもずっとアレウスの肩に頭を乗せ、穏やかな寝息を立てていた。女慣れしていないアレウスにとって苦痛のはずだったが、そんな感情よりも彼女のぬくもりから得られる心地良さが勝った。今後、アレウスはアベリアにまた邪な感情を抱くようになるのだろう。ただ、もしそうなったとしても一年前と違って彼女も成長しているので後ろ指をさされるような背徳的な関係とは異なる。
ならば全てを打ち明けて、正式に彼女と交際するべきか。
浮かれている。世界はアレウスが浮かれられるほど平和ではない。
「こんな時代でもわたくしたちを案内してくださる馭者の方々には頭が上がりませんわ」
馬車の利用料を払い、馭者と挨拶を済ませてから歩き出したクルタニカが欠伸をしてから言った。
「彼らも生きるためにお金を稼いでいらっしゃるのでしょうけれど、盗賊に襲われてもおかしくはありません。それよりももっと安全な……いいえ、安全な仕事などひょっとしたら無いのかもしれませんわ」
「戦争になったからといって盗賊が増えるものか?」
エルヴァが訊ねる。
「軍人が増える分、取り締まりも厳しくなるようにも思えるが」
「そのように、軍人がなにもかもを見過ごさないでくださるのならよろしいんですが、現実はそうではありませんでしてよ。以前は頻繁に使われていた街道も、今では使われなくなってしまった。理由が分かりまして?」
問いかけが返されてエルヴァは困ったようにアレウスを見る。だが、本当に困っているからといってアレウスを頼るのは彼の性格的にあり得ない。面倒な話になるのならアレウスに任せてしまおうと考えたのだ。
「冒険者の活動が減った」
「正解でしてよ。冒険者によってある程度、盗賊や犯罪が抑止されていたんでしてよ。廃れてしまった街道は、冒険者が頻繁に利用してこそ成り立っていたところですわ。ですが、まだ使える街道が残されているだけマシですわ。場合によっては全ての街道が使い物にならず、街や村ごと放棄せざるを得なくなってしまったところもあるのですから」
「廃れた街道には魔物が住む」
「ええ。冒険者の数が減ったことで魔物の数は増加の一途を辿っていましてよ。盗賊が待ち伏せしている街道、魔物が蔓延っている街道……そんなことを踏まえながらわたくしたちは移動をしなければならなくなりました」
クルタニカが歩いている先に村が見えてくる。
「あのあと、わたくしは一時的にリスティの元から離れていましてよ。ミーディアムという種族が、ヒューマンたちにはあまりにも不気味に映ったせいですわ。『神樹』の影響を受けていないエルフも迫害され、追放されてしまいました。わたくしはそんな方々が作られた集落にしばし身を寄せていましたわ」
クルタニカは追放されるミーディアムやエルフたちに過去の自分を重ねて、放ってはおけなかったのだろう。
「リスティの元に戻ったのは?」
「追放や迫害は、戦争が終結しようと禍根として続くんでしてよ。それを阻む手立てをわたくしは知りません。かと言って、そのままそこで生活を続けていても禍根も遺恨も、どうにかすることはできない……せめて、そう、せめて、亡くなられた方々の御霊を送ることだけは続けなければと思い直したんですわ。そこからはずっと、神官としての仕事ばかりでしたわ」
つまり、冒険者としての神官ではなく教会で働く神官として働いていた。
「私はずっとリスティと一緒だったけど、冒険者への依頼は一個もなかった。そんなことしている暇がなかったから」
アベリアはうつむきながら言う。
「それに私は、アレウスのことしか考えていなかったから……あんまり、リスティの力にもなれなくて」
「急にいなくなったアレウスが悪いんでしてよ。それでもアベリアはリスティの手伝いに奔走していましたわ。頼りになっていたかはともかくとして、人手があるのと無いのとでは天と地ほどの差がありますわ」
会話に入れないもどかしさが続く。アレウスは一年間、身動きを取ることができない状況にあった。勿論、なにもしていなかったわけではないのだが外ではもっと大きく物事が動いていた。そこに自分がいなかったことが虚しくもあり腹立たしくもある。
自分で自分を許せない。アレウスは自己嫌悪に陥りそうだった。
村に入り、クルタニカが真っ先にアレウスたちをリスティのいる家へと案内する。
果たしてこれは村なのだろうか。村だとは思うが、あまりにも発展途上である。集落にしても規模が小さすぎる。なにもかもが足りていない。それはきっと、戦争によるしわ寄せだけではない。
「現在、冒険者の矜持が非常に問われる状況にあります」
アレウスとエルヴァを見てもさしたる反応もせず、リスティは冷たく切り出す。
「エルヴァはともかく、アレウスさんはそれでも冒険者を続けたいとお思いですか?」
語気が強い。エルヴァですら半歩、下がるほどだ。
「一年間、どこでなにをしていたか……そんなことを問えるほどの余裕が私たちには与えられていません。見ていただいた通り、ここにはなにもかもが足りていないのです。一からの村作りがこれほどに困難とは思いもしませんでした」
「リスティさんが中心になって村作りを?」
「いいえ、私は村人の補佐をしているだけに過ぎません。私の主な仕事は冒険者周りで起こるいざこざの処理です」
そこで深いため息をつく。
「戦争が始まり、あらゆるところで徴兵が行われています。ですが、冒険者の大半は『教会の祝福』がある以上、兵士として志願しても軍人になることはできません。エルヴァが行方知れずだったせいで、『緑角』も崩壊を始めています。それでも軍人ではなく傭兵、もしくは一部地域での憲兵としての仕事が冒険者には割り当てられました。ですがそれは一握りであり、入ることができなかった冒険者はこれまでの生活を失い、路頭に迷う者も少なくありません。中には盗賊に堕した者まで現れています。そして、エルフへの強い迫害意識だけが残る現在……ありとあらゆる意味で『冒険者』という地位は、失墜しているとしか言いようがありません。そんな中でも、アレウスさんは冒険者であり続けたいですか? それとも、冒険者という殻を捨てて、いっそのこと軍人になりますか? その手助けはエルヴァがやってくれるでしょう」
「僕に許可を取らずに決めるか。まぁ良い。アレウスがなりたいと言うなら後ろ盾にはなろう」
「こう仰っています。どうなされますか?」
示される二つの道。そのどちらも茨の道ではあるが、軍人として生きる方が今の時代には合っている。そして『教会の祝福』を受けていないアレウスは一般的な冒険者が持つ制約に困らされることもない。
命懸けなのは冒険者も軍人も変わらない。
「……違う、そうじゃない」
アレウスは悩んでしまったことを後悔しつつ、呟く。
「僕は、軍人になりたかったわけじゃない。ずっと前から、僕が目指すのは冒険者で……異界を渡る者」
「ですがその道はもう、」
「いいえ、僕はこの道を逸らせるつもりはありません。僕は、僕の生き様が終わるそのときまで冒険者であり続けます」
「綺麗事ならいくらでも言えます。そう、綺麗事なら」
「クルタニカにも似たようなことを言われました。でも、僕の気持ちは一年前……いいえ、異界から脱出したその日からずっと揺らがず変わっていません。冒険者のあり方が変わったのなら、そのあり方に迎合することもできます。でも、僕が憧れたのは、僕が背中を追っていたのは、今の冒険者ではありません。一年前に確かに歩んでいた冒険者の道の先に目標として置いたヴェラルドやルーファスさんの背中です。だから僕は、これからも以前と変わらない冒険者の道を歩きたいと、思っています。たとえそれが、どれほどの綺麗事で、どれほどの夢物語だとしても」
意思表示だけはする。協力はきっとしてもらえない。クルタニカもリスティも見てきた世界が違う。
だが、アレウスだって見てきたものは違う。五年間の異界での生活はともかく、一年間の収容施設での暮らしをリスティもクルタニカも、そしてアベリアですら知らない。
どれほど雲行きが怪しくとも、どれほどに女の『不死人』に小馬鹿にされようとも、アレウスは冒険者の道を見続けていた。
「……この村とも呼べない場所にも、居場所と思い集う者たちはいます。なにもかもが足りないので、いずれ多くがいなくなってしまうとしても、私は生活を安定させなければならないと、思っています。そのために必要なのは石材、木材、食料、水、良質な土、鉄……言えば言うほど切りがありません。土に関してはエルヴァがしばらくここに滞在してくれるなら、解消されるやもしれません。土がどうにかなれば次は水があれば作物を育てられるようになります。それ以上に家畜を育てることも必要になってくるのですが」
「乗りかかった船だ。土については僕がなんとかしてやる」
借りた貸しを返す。そういう考えなのだろう。
「僕がそれらを集めてきたらいいんですか?」
「違います。それをするのは村人たちの役目です。だからアレウスさんにやってもらいたいのは」
リスティがアレウスに地図を見せる。
「現状、石切り場や森林といったありとあらゆる場所が魔物が住まい、危険な状態にあります。アレウスさんにはそこの魔物たちを撃退し、安全を確保していただきたいのです。その後、村人や冒険者崩れを派遣し、石材や木材を収集します。時間は掛かりますが、そうしなければ家を建てることどころか村作りなど夢のまた夢となります。合わせて獣が隠れ潜んでいるところも調べていただけますか? 魔物以外にも、賊が潜んでいるやもしれません。それを殺すか殺さないかはアレウスさんに任せます」
「……シンギングリンを見に行っても?」
「構いませんが、命の保証はないと言っておきます。安全を確保したのち、地図に印を付けてください。その地図はこちらにあるもう一方の地図と連動しています。印を付ければこちらの地図にも浮かび上がる。わざわざアレウスさんが行き来する手間が省けます」
「ヴェインたちは今どこにいるんですか?」
「ガラハさんは山里から帰っていません。クラリエさんは数度、こちらに顔を見せには来ましたがエルフへの迫害が強かったため、森へと再び帰りました。ヴェインさんは……難民として、とある街にいらっしゃいます」
「そのとある街ってどこですか? ヴェインと会えるなら、会いたいんですけど」
「教えるのは、憚られます。彼もこの一年を普通に過ごすことはできていません。そして、アレウスさんが首を突っ込んで解決できるようなことではないと私は思っています」
リスティはアレウスには心を開いていたと思っていたが、一年でやはり再び心を閉ざされてしまっている。信用を回復することが最優先になるのは分かるが、含みのある言い方をされたら気にならないわけがない。
ただ、なにを言ったところでリスティは鉄の意思でヴェインの居場所を教えることはないだろう。
「分かりました」
「ここでアレウスさんに与えられる物はほとんどありません。そのボロボロの服の代わりぐらいは用意できますが、鎖帷子や短弓、その他諸々の道具はこの場の防衛のために使うしかないので」
「それで良いです。あと髪も切ってもらえると助かります」
貢献すること。冒険者として今、できることはそれだけだ。
そしてシンギングリンの現状をこの目で見ておきたい。その両方を満たせるのなら、あとは向かうのみである。




