意志は曲げない
「身軽なら良いってわけでもないんだよ。考えて動けているかい? 私には考えて行動しているようには見えない」
そこまで否定されるほど考えていないわけではない。目線、筋肉の動き、そして剣の揺れ、踏み込むであろう足の動き。それらにはずっと意識を集中している。考えている。考えて動いて、死角をさっきは取ったのだ。
ドクンッと心臓が跳ねる。背筋が一気に凍り付く。
「ほぅら、ボーッとしているから、近付けてしまったよ」
瞬きはしていない。ずっと視界に収めていた。いつ踏み込まれても良いように身構えてもいた。
なのに男はアレウスの間近に立って、優しく、しかし不敵に笑いながら囁いて来る。だが、その言葉に意識を向けてはならない。動揺してはならない。何故なら、ここで動かなければ剣に切られてしまう。
更に後ろへ飛び退る。アレウスの腹部、そのギリギリを剣が真横に薙いだ。空気、空間を切るとはまさにこのことを言うのだと言わんばかりに、どのような力の抵抗も受けない滑らかな軌跡を描き、振り切られた剣は同じように軌跡を描き直してルーファスの構えへと戻る。
男が振っているのではなく、剣が自らの意思で切りに来ているのでは。そう錯覚するほどに、剣術には流麗さが見えた。そして、綺麗なだけではない。アレウスは踏み込めない。男は構えてはいるが、さほどの緊張感もなくただ立っている。だが、それでもアレウスは先ほどのように一気に距離を詰められなくなっていた。
心の余裕を奪われた。どうして距離を詰められたのか。そして、あの磨かれた剣術を目の当たりにして、勝ち目を見失った。どこに踏み込んでも対処され、どこから短剣を振ったところで、刃は剣に阻まれる。それどころか、このまま動かなくとも男はまたも意識の外から距離を詰めて来て剣を振って来る。あらゆるイメージが潰される。恐怖なのかそれとも、圧倒的な力の差を見てしまったが故に、畏れ多くも、挑み掛かって良いものなのか。そのような葛藤がアレウスの中で起こる。
「そんなに呆けていると、また近付いてしまうよ?」
「お手上げです。敵いません」
アレウスは短剣を落とし、両手を挙げて投降の意を示す。
「……拍子抜けだ。君ならもう少し、飛び込んで来ると思ったんだよ?」
「どう捌いても、あなたの剣に切られるイメージしか湧きません。なら、挑んで怪我をするのは避けようかと思いまして」
ルーファスは剣を納め、溜め息をつく。
「そんな覚悟で私に師事しようとは、随分とナメられたものだよ。けれど、早々に諦めてもらえて良かった。さぁ、いつまで両手を挙げているんだい?」
アレウスは両手を降ろし、小さく肩を落とす。
「そのように落ち込まなくても良い。君みたいな冒険者は幾らでも居たからね。ただ、君もその冒険者たちの域を出なかったのは悪い意味で期待を裏切られてしまったよ」
そう言って、アレウスが両手を降ろしたのを見てからルーファスが背後を見せる。刹那、持ち前の素早さを活かしてアレウスは距離を詰め、振り返り様に飛んで来る男の拳を避けて、懐に入る。
「不意討ちかい? けれど、君は拳を鍛えてはいないだろう? 今、君の手には武器はなにも……!?」
脇腹にアレウスは短剣の刃を当てる。勿論、その下には服があり、そして更に下には鎖帷子がある。ここで引いたところで切り裂くことなどは出来ないのだが、武器を持っていないという男の発言は世迷い言であることを証明する。
「まさか……一体、どうして……?」
「お手上げはしました、敵わないことも分かりました。でも僕は負けたとは一言も言っていません」
「落とした短剣がどうして手元にある?」
「初めから鋼線で手首と短剣を結んでおきました。落としはしましたが、鋼線を引っ張れば手元に戻ります。知ってますか、鋼線? 細さや太さによってはピアノ線や針金という呼び方もされているんですが」
「は……ははははっ、はははははっ! なるほど、君はつまり私にこう言いたいわけだ。相手の戦意を削ぐまで決して背中を見せてはならないと。魔物であったならば確実に殺せと。僅かでも生かしておけば、思わぬ一撃を受けてしまう」
「ですが、これだけやっても僕は、あなたに一太刀も浴びせられない。今までの魔物がそうであったように僕もまたここから一気に形勢を逆転される」
アレウスはルーファスから離れ、手首に結んでいた鋼線を解いて、そしてまた短剣を落とす。
「今度こそ降伏します。これが現状における僕の限界であり、敗北です」
「“間を取る”……この意味が分かるかい?」
「さっきルーファスさんがやっていたような、意識を集中しているはずなのにいつの間にか近付かれている、あれのことですか?」
「魔法かなにかだと思っているんだろうが、あれは意識の外から間合いを詰める足運びなんだよ。どれだけ集中していても、必ず切れ目がある。瞬きもそうではあるけれど、ほんの少し別のことに気を向ける。集中していても別のことを考えている瞬間はあるだろう? 私はそこに入り込んだんだ。先に考えて動けているかと聞いた。あれはね、集中している時に私の言葉を思い起こさせて一瞬の途切れを起こすための準備だよ」
「……なるほど」
「私は『闇歩』と呼んでいるが、君には『盗歩』と呼んでもらった方がしっくり来る。そこに『技』が無くとも、剣や短剣を振るえばお釣りはやって来る」
「意地でも『技』を見せる気はないんですね」
「ああ、だから私は君に『闇歩』をあげよう。あげると言っても、習得するまで師事してもらうことになるけれど」
虚を突かれたようにアレウスは顔から表情を抜けさせる。
「え?」
「短剣はともかく、剣は見てあげよう。『技』は教えないが、振り方ぐらいは覚えてもらっても構わない。ついでに『闇歩』を教える」
「僕へのメリットは大きいですが、あなたへのメリットはありますか?」
「君という弟子を取る気になった。それが私への最大のメリットだ。けれど、私も年がら年中、街に居るわけではないからね。不定期且つ、今日のような休息を取っている時に教えてやるくらいしか出来ないけれど、それでも構わないかい?」
「はい」
「一ヶ月ぐらいを目処だと思ってもらいたいところだ。一ヶ月で“間を盗めなかった”なら、それ以上は関わらないし、君の話も金輪際聞くことはないだろうから、師事する以上は気を抜くような日がないことを祈るよ。一ヶ月なんて弟子とも呼べないかも知れないが、私のロジックには残ってしまうからね。不甲斐無い弟子を取った、なんてテキストが刻まれてしまっては困るんだ」
「善処します」
「善処じゃ駄目だ。必ずやり遂げろ。必然を起こせ。良いかい?」
「は……い」
ルーファスは「次に会う時はもっと強く返事をしなよ」と言い残し、酒場へと戻って行った。
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「わざと背中を見せるような、相手に勝ち目を僅かでも見せようとする手練手管は好きにはなれませんわ」
「そう怒ることでもねぇだろ」
「いいえ、怒りますことよ」
「ルーファスはそもそも、断る気なんて無かったんだっての。だが、覚悟ばかりは確かめねぇと分かんねぇ。女はこういう男同士の心情ってのは分かんねぇからなぁ」
「分かりたくもありませんわ。力の差を見せ付け、地に伏せさせ、泣き喚かせながら懇願させてようやく弟子にするべきでしたわ。ああいう下賤な輩は、恩を仇で返すようなことを平気でなさいますわよ?」
「私が決めたことだよ。それ以上、弟子について文句を言うのは控えてもらいたい」
「あり得ませんわ。殿方の思考はこれだから嫌なんですのよ」
仲間の愚痴を聞きながら、ルーファスは麦酒を一気に飲み干してから笑みを作る。
「今は亡き友人よ。素晴らしき報告をさせてもらうよ。今日、才能の塊と出くわした。いいや、以前からもうその才能はあったのかも知れない。そうだ、初めて見た時から彼には見込みがあった。だが、それが本物であったかどうかは見極めることが出来なかった。けれど、今は亡き友人よ、私の目もまだまだ狂ってはいないらしい。変わるぞ、この世界は。努力と才能を積み上げて、彼が登って行く」
自身の言葉に酔い痴れながら、ルーファスは続ける。
「そして、今は遠き同期よ。いつかその場所に届いてしまうだろうさ。『至高』に達してから登ることをやめてしまった、その域に。やがて至る、その場所へ。そうと決まれば、私もこうしてはいられない。今は亡き友人よ、今は遠き同期よ。世界のために、異界を消し去るため、歩もうではないか。そうして私も至るのだ、その高みの域へ」




