その場所がどこであろうと
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どこでもない場所で生きることの大変さは一番よく知っている。
どこでもない場所で生きる方法は一番よく知っている。
「結局、ロジックの謎は解けずじまいか」
「一年間、どれだけの方法を試してもロジックを開くことはできなかったからな。巻物を用いれば転写することはできるが、それだけでこいつの存在全てを調べるには限界がある」
「実質、約二十年分だからな。調べるにしても同様の時間が掛かる。転写の巻物だって、特定の箇所を指定してもそれで全てが網羅できるわけじゃない」
「二十年のロジックを調べるには二十年掛かるのはな」
「だったらいっそのこと、処刑してしまった方が速いということだ。こんな不気味なロジックを持っている者を国が費用を払ってまで生かし続ける理由がない」
両手両足に枷、鎖で引っ張られて歩く。着ている服は薄汚れていて、整えることのできなかった髪は雑然と伸びている。しかし、ヒゲが生えている形跡はない。
「さっさと歩け」
急かされる。ロクな食べ物も口にしていない。歩く気力がまず湧かない。
それでも足を動かし続ける。
「しかし、我ら連合もやれば出来るものだな」
「シスターのお力添えがあってこそだが、連邦をここまで押し退けることができるのなら、もっと早くに動くべきだったんじゃないか?」
「このまま帝国と王国も我ら連合の一部にしてくれよう」
「強国の態度を取っていたが、フタを開けてみれば案外、弱いものだな」
くだらない話で盛り上がっている。外のことなど一切話してはくれなかったのだから興味はない。
歩き疲れてきたところで、急に鎖を引っ張られて受け身も取れずにうつ伏せに床へ倒れる。
「連れてきました」
「ご苦労。それでは、粛々と進めよう」
乱雑に蹴飛ばされ、立つよう促されて起き上がる。しかし、向かう先は断頭台。程なくして、くぼみに頭を押し込められ、固定される。処刑人は大きな斧を持ち、なにやら言葉を紡いでいる。恐らくは罪状、そして神への祈りだろう。
辺りがザワついている。処刑は見世物であり娯楽。その歪んだ思想が見える。しかし、ここは室内。聴衆の面前というよりは貴族連中のためにあつらえられた特等席といったところだろう。
神官が屈み、こちらを見る。なにやら言葉を紡いでいる。これもまた神への祈りだろうか。
処刑人が大きな声を上げる。貴族連中がその声に呼応して大きく大きく声を荒げる。神官が諫めるまでそれは続き、やがて静寂が包み込む。
斧が振り上げられる。構えたところで、首を綺麗に切り落とす距離、位置を測り直している。
「最期になにか言うことはあるか? 伝言などがあれば、可能な限り努力しよう」
「ぁ……あ……」
「どうした?」
「あ…………ぁ、ああ」
「なにを言っているか聞こえない」
神官が処刑人に待機を命じ、近付き、再び屈み込んだ。
「たとえどんな罪人であろうと最期の言葉くらいは聞かねばならない。言ってみよ」
「一年、掛かった」
そう呟き、自身の中にある貸し与えられた力を着火させる。頭をはめ込んだ木枠は燃え尽き、両手の枷を一気に振って、目の前にいた神官の顎を殴り飛ばす。触れた箇所から燃え上がり、神官の体は火に包まれる。
「自分の魔力で、着火させるのに、一年掛かった」
呼吸を整えながら振り向いて、斧で応戦しようとする処刑人の“間”を盗む。気配消しと合わせての接近に反応し切れていない処刑人の手を掴み、そこから炎を燃え移らせて、悶えている間に斧を奪う。
「さっさと失せろ」
貴族の集まる特等席に炎に包まれた斧を投擲する。あくまで追い払うための投擲であって、当てはしない。
兵士が集まり、一斉に攻撃を仕掛けてくる。炎と熱で押し飛ばし、身を屈めながら走って包囲網を突破する。その際にどうしても邪魔になった兵士のみに触れて、灼熱で焼き払う。
「かわいそうに」
床に付くほどの黒髪を垂らした女が現れ、呟く。しかし言葉とは裏腹に彼女の表情のどこにも“かわいそう”などと思う気持ちは込められていない。
「彼らにだってこれからの人生があっただろうに」
「そんな言葉には惑わされない」
女の前で立ち止まり、吐き捨てる。
「どうせ、そこで見ていた人たち以外は『不死人』だろう?」
ニタッと女は笑い、袋を投げて寄越す。
「当たらずとも遠からず。ワラワたちのような『不死人』とは異なるがな」
爪を伸ばす女を尻目に投げて寄越された袋から短剣を取り出す。
「死んでから『不死人』として復活する。とはいえ、そこに命などというものはない。『教会の祝福』のような甦りでもない。ワラワたち『不死人』が好きなように扱える私兵のようなものじゃ。こういった、生物としての命を持っておらず、歩き回る屍をお主たちはゾンビなどと呼んでおるようじゃのう?」
炎で焼き払った処刑人が焼け爛れた肉体でありながら背後に迫る。振り返り、短刀で切り払うと同時に蹴り飛ばして転ばせる。
焼いた神官が呻き声を上げながら迫ってくる。やはりそこに生気はない。
「とはいえ、ゾンビになる前は生きておったのじゃぞ?」
「嘘をつけ」
「ほう?」
「ゾンビに処刑人と神官を演じさせていただけだろう? それに兵士の中にも一人だけゾンビが紛れていたな」
女は迫る神官へと走り爪を振るって切り捨てる。
「なんじゃ、バレておったか。つまらんのう、つまらんのう。ワラワの神官の演技は良かったと思わんか?」
「お前の中の都合の良い神官像には騙されない。この世界に、あんなに罪人に優しい神官がいるわけがない」
「……おると思うがのう」
「いや、いない」
「殊更、神官のことになるとお主はうるさいのう」
女はクスクスと笑いつつ爪が空気を切る。生み出される飛刃を避ける。壁が崩れ、穴が空く。
「行け。“黒のアリス”」
「僕を殺すために来たんじゃないのか?」
「うーむ、それはそうなんじゃがのう。興が乗らぬ。いや、これはお主に情が移ったとかではないぞ? 単純に、ワラワの格が落ちるのだ」
歪んだ考え方に共感はしない。
「ロクになにも食べていない、そんな痩せこけたお主を相手にして殺すのは簡単じゃ。恐らく十人中十人が殺せと言う。ここで殺さねば絶対に後悔すると言う者もおるじゃろうな。なんでここで殺さなかったんだと嘆く輩も出てくるじゃろう。じゃが、一切合切を無視してでもワラワは面白い人間とは面白い殺し合いをしたい。ワラワを殺し切れるやもしれんお主をここで屠るのは勿体無い」
「余裕だな」
「当然じゃ。面白い人間は所詮は人間。ワラワを殺し切れるやもしれんが、ワラワが先に殺し切る。逆に言えば……次に出会った際、つまらん舞台を用意しておったら…………ただでは済まさんぞ?」
建物全体に緊急事態を示す鐘の音が響く。
「はよう行け」
「……敵に情けを掛けられるとはな」
「ハッハッハッ! 笑わせおるわ! ワラワはお主よりも上。上に立つ者は下の者を愛でる。“夢の中で何度も交わって”、よもやワラワと同格にでもなったつもりでいたか?」
短剣に炎を込め、壁にできた穴をくぐる。その先にあった通路を駆け抜けて、頭の中の記憶を頼りに炎で更に壁に穴を空ける。
「こんなところからはさっさと出てしまいましょう」
牢屋の一つで足を止め、炎の短剣で鉄格子を断ち切る。
「エルヴァージュさん」
そう呼ぶと男は立ち上がり、一体どうやったのかは不明だが両手両足を拘束していた枷を自ら外して立ち上がる。
「ここから出て、どうする?」
「考えていません。出てから考えます」
男は苦笑する。
「行き当たりばったりだな」
男は床を足で叩く。足元の床を割って土塊が現れ、そこから男は岩石で出来た鈍器を握る。
「だが、そんなものだな。僕も捕まって一年以上経っている。外のことはなにも分からない。だからこそ出てから考えるのは賛成だ」
「僕でも一年で出られるようになったのに、一年以上もここでなにをしていたんですか?」
「己を恥じていた。任務を遂行できなかった僕に、帝国に戻る価値はあるのかどうか。それならここで死んだ方がずっとマシだとな」
「それじゃ、絶対に殺したい相手も殺せなくなりますよ?」
「自身の失態で復讐の感情が薄れていた……ああ、そうだ。殺したい」
鈍器が地面を打つ。
「僕は、クールクース・ワナギルカンを殺したいんだった」
改めてやって来る感情をエルヴァージュは単純明快にそう表現した。
そこから収監施設からの脱出は難しくなかった。どれだけの邪魔をされようと、殺さないように心掛ける自身と異なり、エルヴァージュは人を殺せる。この男に全ての殺人の責任を押し付けている。しかし、人殺しじゃないという免罪符を得たいわけではない。この場においてはエルヴァージュの方が突破力がある。
もはやこの手は血で濡れている。
この状況で自身がすることはエルヴァージュが取り零した者の息の根を止めること。あるいはトドメを刺すこと。そうしなければ脱出できないのならば、そうやって脱出する術を選ぶ。ここに安全な場所はない。危険であり、命を奪われる危険性が秘められているのなら、己自身も覚悟を決めて命を取りに行く。
そうしなければ、失った時間を取り戻す猶予すら与えられることはない。
「できればシンギングリンに向かいたいです」
「シンギングリンに?」
「捕まる直前に、街のほとんどが消し飛んで……そのあと、どうなったのか分かりません。仲間もどこにいるのか……」
「ずっと一緒にいた女の子がお前の気配を感知できないとはな」
「消し飛んだ衝撃が凄まじくて、動けなくなったんです。そのとき、『不死人』に捕まってしまって」
「感知できる範囲外へと一気に連れ出されたというわけか」
「恐らくは」
エルヴァージュと協力して包囲網を突破し切り、見えてきた巨大な門に狙いを定める。
「“火天の牙”」
炎を込めた短剣から繰り出される飛刃は狼のように鋭い牙へと形を変えて門に噛み付く。門を完全に破壊することはできなかったものの、牙で抉った部分は炎の熱で溶けて隙間が出来ている。その隙間を抜け、エルヴァージュが鈍器で地面を叩く。
大地が隆起し、溶けた門を土塊が覆い尽くす。
「これで追っては来られまい」
収監施設から出てすぐの周辺は整備が不十分な森の中だった。
「右か左か……分かりません」
「だったら分かるところまで行けばいいだけの話だ」
エルヴァージュはそう言って一歩を踏み出す。
踏み出して、その足が地面から離れた瞬間に爆発した。
「エルヴァージュさん?!」
爆風や衝撃、爆音は全て炎で寸断し、叫ぶ。
「僕やお前じゃなかったら死んでいたな」
地中で起きた爆発に対し、エルヴァージュを土塊が覆い尽くしている。
「土の中なら、土が先に僕を助けてくれる。だが……なるほどな。これがいわゆる、地雷か」
「こんな道のど真ん中にあったと?」
「ここは本当の出入り口ではないんだろう。いわゆる見せかけの出口だった。誰だって目の前に巨大な門扉があれば、そこが出入り口だと思う。それにまんまとハマってしまった。だが、奴らは僕たちがこんな物では死なないとは知らなかった。一般的な脱走兵はこれで死ぬんだろう」
土塊の中から出てきたエルヴァージュがこちらを見る。
「ここからはお前の方が得意な領域だ。死にはしないが、そう何度も受ける気にもならない。お前の罠感知に期待するぞ、アレウリス」
そう言って後ろに下がったエルヴァージュに代わって、前に出る。
「久方振りにそう呼ばれましたけど、その最初の相手があなたで残念です」
「言うな。僕だって久し振りに名前を呼んできたのがお前で残念だった」
お互い様だと言いたげな表情を見つつ、アレウスは感知の技能を働かせ、地雷原を歩き出した。




