転換
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「過去の一度もイェネオスが私の前に立ち塞がったことなんてないのに……!」
自身の体の半分以上が崩れていながらもイプロシアは生きており、その身の再生を待つ。
「まさか、あれほどの遠距離から魔力の塊をぶつけられるとは思わなかったわ」
『神樹』を取り込んだからこその再生力だが、取り込んだからこそ死ねないでいる。
「こんなに体が崩れていても『逝きて還りて』を発動できないなんて……命だけが頑丈になってしまった……もはや肉体は足手まといになるだけなのかもしれない。けれど、肉体からの解脱は私ですら未だ解きほぐせていない」
クリュプトンの矢が貫いた箇所の回復はやはり他の部位に比べて遅い。
「呪いを撃ち込まれてしまった……いずれ回復するから別に構わないけれど、楔を打ち込まれたようなものね。これじゃ、すぐに異界を渡れないわ」
生えた足を使ってイプロシアは上半身を起こし、立ち上がる。
『予定が随分と狂ってしまったようだな』
瘴気が小さく膨らみ、中から黒騎士が現れる。
「それを言うのはこちらの方よ。キトリノスを止めるのはあなたの役目だったはず」
『キトリノスは殺した。だが、娘の方までは手が回らなかった』
「……やっぱり、キトリノスを優先したのが失敗だったわ」
『これからどうする?』
訊ねられた瞬間、イプロシアは黒騎士のロジックを開く。
「悪いけど、私は『異端審問会』をこのまま抜けさせてもらうわ。あなたに付いて来られたり、記憶が残っていると迷惑なの。私の都合の良いように書き換えさせてもらうわ」
呟きながら黒騎士のロジックを書き換えていく。
「クリュプトンも『異端審問会』を抜けるでしょうね……いいや、あの子のことだから自らの正義に同調してくれた“彼ら”の活動には今後も関わるはず……そうなると、私の魔力の残滓を追いかけられるのも時間の問題か」
書き換えを終えて、黒騎士のロジックを閉ざしつつイプロシアは木の根に絡めているシェスを見る。
「彼を無傷で回収できたのは不幸中の幸いね。『超越者』すら亡き者にされていたら、今後の見通しも立たなくなるところだった」
木の根でシェスを絡め取ったままイプロシアは風魔法を行使して浮き上がる。
「随分と親不孝者に育ってしまったものね、クラリェット? でも、私があなたに会うことはもう二度とないでしょう。だってもう、私がそのようにロジックを書き換えてしまったもの」
笑いつつ、空中でイプロシアは加速する。
「世界中のエルフの暴虐を皮切りに、もはや世界は大戦の時を迎える。そんなゴタゴタが起こる中で私を探すことは不可能よ」
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「想像以上にイプロシア・ナーツェに入れ込んでいた者は多いようです。『大いなる至高の英雄』にして『賢者』である以上、もはや信仰にも近い対象だったのでしょう」
エレスィは辺りの惨状に嘆きながらアレウスにそう説明する。
「これからどうなる?」
「分かりません。俺たちには、なにを信じ、なにから始めればいいのか。そうすぐに答えが出ることはありません。クリュプトン様も気付けば姿を消しておられた。きっと、イプロシアを討つべく立ち去ったのでしょう」
アレウスはその希望的観測について、首を横に振りかけたがどうにか抑える。
クリュプトンはそこまでエルフの味方ではない。イプロシア・ナーツェを討つために血統も名誉も捨てた。そのように解釈はできても、だったらなぜクラリエを殺そうとしたのか。母親がエルフの全てを覆そうとしている。その事実を伝えずに殺すことは、彼女の中の正義感が働いたからという理由だけでは決して納得できるものではない。
だとすれば、クリュプトンは再び『人狩り』として姿を消したまでだ。イプロシア・ナーツェを討つことを続けながら、彼女はまた正義のために人を殺し続けるのだろう。
「叔父さん……」
アレウスの見える範囲でクラリエは『影踏』の死の間際に直面している。
「死んでも、甦るんだよね? だって、叔父さんは冒険者なんだから」
「見て分からないか? 俺はもう甦ることができない」
「なんで?!」
「クリュプトンの矢にロジックを穢された。あの矢の呪いは、“不死性を阻害する”。姉さんはエルフから寿命を吸い上げていたが、俺はそうではない」
先ほどからエレスィが連れてきたエルフたちに回復魔法をかけてもらっていても『影踏』の傷は塞がらないままだ。むしろ矢に触れた部分から徐々に朽ちて行っている。
「冒険者を狩ることができたのも、あの黒い矢によるものだ。“裏”では『教会の祝福』を得ながらも甦ることのできない冒険者の死体が出るたびに不思議がられていたが、あの『黒衣』に込められた力なら全て納得が行く」
『影踏』は視線と首の動きでクラリエに自身の懐を調べさせる。紙を手に取り、クラリエがそれを広げる。
「ただの紙に見えるかもしれないが、クローロン家の住処が記されている。エレスィやイェネオスの力を借りれば、地図が浮かび上がる。クローロン家を辿れば、『身代わりの人形』の問題についても知ることができるはずだ」
「……ヤダ、嫌だ! だって叔父さんは言っていたじゃん! 叔父さんはあたしに殺されることで罪を償うって!! まだあたしは! 叔父さんを殺せてない! 殺させてもくれないの?!」
「……等しく、償う機会を与えることができていたなら…………こうはならなかった、のかもしれない」
「みんなあたしを置いていく! エリスも、叔父さんも!! こんな別ればかりなら……あたしが死んでいたらよかったのに……!」
「クラリェット」
諭すように彼女の名を呼ぶ。
「生き続ければ良いことも、あるものだ。紆余曲折はあれ……あの赤ん坊が、今やこんなにも立派に育った。親の愛情など知らないはずなのに……沢山の無茶を強いられてきたはずなのに……こんなにも真っ直ぐ、正しく育った。ああ、あのときに呪いを浴びせたのは間違いだったのか……あのとき、俺の手で殺しておくべきだったのか……あの日のことを夢見るたびに後悔を……し続けて……お前の稽古をつけるたびに…………どうしてこのような運命を背負わせてしまったのかと、何度も、何度も……心が折れそうになった」
『影踏』の声量は徐々に弱まっていく。
「ゴーシュだってそうだ。俺たち四大血統は固く繋がりを保ち、いずれ再び現れるであろうイプロシアを待ち続けた。そのためにはゴーシュに、ハイエルフと呼ばれる連中の動向を見てもらうため、ずっと、ずっと媚び諂ってもらわなければならなかった。その日々は……ゴーシュにとって、地獄……分かっていても……そこから救い出せば、イプロシアに立ち向かうための全てが、崩れてしまいかねない……だとしても、背負うべきは俺で、ゴーシュには外で生きてもらった方が、良かったのやも、しれない」
「駄目……死んじゃ駄目だよ! だってあたしはまだ、叔父さんに届いてすらいない! 叔父さんから学ばなきゃならないことが沢山ある!!」
「……ああ、まだ…………まだまだ、だ。だが、それを教えるのは……俺じゃない。これからは、お前自身が、お前の手で……自らを高めて行く。喜ばしいことに、お前には切磋琢磨できる友がいる。だから俺は……なんの不安もなく、逝くことができる。短刀を、取れ」
泣きじゃくりながらクラリエは『影踏』の短刀を手に取る。
「お前は、魔法の短刀ばかりを持ち歩いて、粗製品ばかりを使っていたからな……名匠の一品くらいは、持ち歩くべきだ。俺にはもう、必要のない物だから。ナーツェの血統に正しき者が、正しき品を、手に……するべきだ」
『影踏』の首がこちらを向く。
「アレウリス・ノ―ルード。我が姪は、寂しがり屋で人懐っこく、それでいて危うい…………面倒を見て、やってくれ。人は、寄り掛かりながら生きる。お前と、アベリア・アナリーゼのように……だが、姪は独りで、立つことを、求められ続けて……別ればかりを、繰り返して……だからせめて、止まり木に、なってやっては、くれないか?」
咳き込み、『影踏』は大きく息を吸うが、肺機能の低下からかまともに吸えていない。
「……あの世で、童心の頃、共に過ごした者たちへ……胸を張ることはできないが……惨めだと、笑われるやもしれないな」
「守りたい者を守るため、あらゆることに手を染め、あらゆることに身をやつした。それで大命を果たせなかったから、あの世の者たちが笑うと?」
カーネリアンが感情のままに語る。
「そんなことがあろうはずがない! 恥だと思っているのはあなただけだ! あなたの生き様を見届けてきた者たちは、志半ばであなたが死ぬことを残念に思うことはあっても、嘲笑うことなど決してしない! 誇ってほしい。あなたは、生き抜いた。あなたは後悔に苛まれて逃げ出し、死ぬことだってできたのにそうはしなかった。自らが決め、そして与えられた使命に立ち向かい続けた。それのどこが悪い? それのなにが惨めか?! どうか最期はせめて! 胸を張って逝くべきだ!」
「……素晴らしい、人生だった。周りの者が聞けば、ロクな人生じゃない、と言うかもしれないが……ああ、素晴らしかったとも…………おれは……生きた……か…………ぁ…………」
クラリエの泣く声だけが木霊する。
「死んでも泣いてもらえる者がいる。わらわもそうでありたいと思う」
「……いつまでもやられっ放しじゃない。いつまでも、いつまでも……こんな、悔しいことは……続かせない」
自身の器に満ちる魔力を感じながら、アレウスは決意を露わにするのだった。
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どうにも外が騒がしい。ジュリアンは自室から出て、ロビーへと早足で向かう。
エイラがエルフに腕を掴まれ悲鳴を上げた。
「おい、なにをしている!!」
普段は使わない荒々しい言葉を使いながらジュリアンが走る。
と、玄関から出てすぐの真横からジュリアンは鈍器で頭を殴られる。視界が揺れ、それどころか脳も揺れて立っていられずうつ伏せに倒れる。
「神が命じた」
エルフが呟く。
「我らが戦うときが来たと。森に隠れ潜む日々は終わったと」
「それで、どうして……子供を狙う!? 争うのなら民間人に手を出すな!」
「ヒューマンの女子供は我らの価値となる」
「価値?」
「ヒューマンはハーフエルフを産める。ならば女子供をさらい、我らが世界を征服したのち、繁栄を永遠のものにするために子孫を今のうちに仕込む」
「ふざけるな……」
「神が命じた」
エルフの首元から木の芽が生えて、枝葉を伸ばす。
「ゆえにこれは聖戦である」
魔法の糸を用いて、頭を殴られたことで思うように動かない体を無理やり立たせる。体に力は入らない。頭から血も迸っている。だが、まだ思考ができるなら魔法の糸で肉体を操り人形のようにすればいいだけのことだ。
「二度も同じことは味わいたくないんだよ」
魔力の糸で周囲にいるエルフをまず捕捉する。これで不意を打たれることはなくなった。あとは魔力の扱い方でどれだけ自分自身を動かせるか否かだ。
「“束縛”!」
エイラの腕を掴んでいたエルフをまず魔力の糸で縛り上げ、引き寄せることで地面に転がす。続いてジュリアンに一斉に襲い掛かってきたエルフたちの攻撃から逃れるために多少、無理な姿勢のままで思考で魔力の糸を動かして避ける。
「執事やメイドはどうした?!」
「みんな……もう……」
その言い方からして既にエルフたちに捕らえられたか殺されたかのどちらかだろう。
遠くで爆発が起きる。ジュリアンのいる場所からでも十分に聞こえ、そして衝撃も身に感じることができた。
「逃げろ」
「逃げ……?」
「逃げろって言ってるんだよ! このままだと捕まって、どこの誰とも知らない何者かに売られて良いようにされるだけだぞ!! そんな目に遭いたくないなら、死にたくないなら走れ!!」
「でも、ジュリアンが」
「良いから走れ!!」
鬼気迫るジュリアンの言葉に、エイラは足をもつれさせかけながらも全速力で駆け出した。
「行かせるか!!」
そんなエイラを追いかけようとしたエルフをジュリアンは再び魔力の糸で引き寄せ、転ばせる。人数が人数だが、手繰れば単純に転がってくれる。あとはエイラがこのあともエルフに捕まらないように逃げ延びてくれることを祈るだけだ。
「“火の玉よ”」
一人のエルフが詠唱して作り出した火球がジュリアンへと放たれる。直線的で避けやすい。そんな魔法に当たるわけがない。
が、避ければ後ろにある家に火球が落ちてしまう。
「“盾となれ”」
あまり得意ではない補助魔法を唱え、自身の前に障壁を張る。しかし火球の勢いを留めるだけで、脆くも崩れ去り、更に火球の爆発がジュリアンを襲う。
「魔法で我らエルフに敵うなどと思ったか」
「哀れなヒューマンよ」
「神の啓示を受けられなかったその悲しき命に、終焉を」
意味不明な言葉を並べ立て、涙すら見せたエルフは剣を引き抜き、振り上げる。
石像がエルフの頭を打ち、破壊する。振り上げた剣はジュリアンには向かわず、その場に落ちた。
「師匠……」
「師匠になったつもりはねぇな」
複数の石像が自在に動き回り、周囲のエルフたちを次から次へと屠っていく。
「だが、冒険者らしく子供を守ったのは正解だ。そうしていなかったら見捨てていたところだ」
「エイラは……女の子は?」
「さっき、俺の石像が拾った。張り巡らせていた糸がシンギングリンの不穏を感知して、さっさとずらかろうとしていたんだがほんの一瞬だけ気になっちまった。そうして寄ってみたら子供が泣きながら走っているじゃねぇか。で、ここに来てみれば……まぁ、見知った奴に死なれるよりはマシだ」
元逃がし屋はそう言いつつ石像にジュリアンを抱かせる。
「なにが起こってんのか分かんねぇ以上、居続けるわけにはいかねぇ。一時的にシンギングリンから出て野営するぞ。場合によっちゃお前たちを別の街まで逃がす。しかし、エルヴァージュはどこでなにやってんだ? あいつが動いていれば、こんな不穏分子を排除せずに放置しているわけがねぇってのに……!」
ジュリアンは意識が薄れ行く。
「すみませ……ちょっと、眠ってもいいですか? “癒しよ”」
回復魔法を自らに唱えるまではできたが、鈍器で殴られたことによる脳震盪ばかりは取り除くことができず、そこでジュリアンの意識は飛ぶ。
「現役を退いて、あとは隠居して人知れず死にたかったってぇのに、クソ面倒なことが始まりやがったな……」
元逃がし屋は自身が創作した石像を引き連れ、ジュリアンとエイラを抱えさせながら街の外へと向かった。




