乱入
アレウスが出し尽くした力が、クラリエの血を飲んだことでどんどんと内側から湧き上がってくる。筋肉が弛緩し力を入れようにも入れられず、なんとか転がる程度しかできていなかったが、それが嘘のように身を起こすことができた。
「これが魔力……か?」
魔の叡智に触れたことのないアレウスは自身の中で湧き上がる力をそう解釈する。
「異界に堕ちて以降、魔力の器が空っぽだったアレウリスから魔力を感じる」
イプロシアはクラリエを睨んだまま、自身の感じるままのことを言葉にする。
「アベリアと共に紡いだ世界のロジックに干渉した影響で、あの日から全ての魔力をアベリアに移譲して喪失したはずなのに」
「喪失だと?」
「薄々、勘付いていたんじゃないの? 君のロジックを開く力は、君自身の魔力で成せているわけではない。力そのものは君自身の物に違いないけど、そこに用いる魔力はいつだってアベリアの魔力。君は自分の生成する魔力が常にアベリアに流れ、君はアベリアの魔力を傍にいることで一時的に使用する。離れていても、傍にいた魔力の繋がりは続く。でも、離れていた場合のロジックへの干渉能力の使用できる回数は二回から三回が限度」
複数の水弾を生成し、イプロシアが全てを撃ち放つ。アベリアの火球への対策だ。五大精霊の優劣によって、火属性は水属性には敵わない。
「それが今、君自身の中から生じる魔力のせいで、制限から解き放たれた。我が子の愚かな行いが、君をまた一つ強くしてしまった」
アベリアの生み出した火球を全て水弾で打ち消し、更に彼女を追尾するように魔力を注ぎ続ける。
「君たちはここで始末する。世界のためにならない!」
アベリアが『原初の劫火』の力を解き放ち、全身に炎の衣を纏いつつ、追尾する水弾を阻むように炎の障壁を複数作り出し、通過するたびに水弾は小さくなって遂には蒸発する。
「世界のためにならないのはお母さんの方でしょ」
血の重みから解放されたクラリエは、これまでのどんな戦いよりもハッキリと『白衣』を纏い切り、神々しくもある白い魔力で短刀を生み出し、一斉に射出する。
「神になる。ただそれだけのために、なにもかもを捨てるって言うの?」
「元々、持っていないから捨てるもなにもないのよ」
短刀を足元から這い出る木の根で防ぐも、生じる魔力の爆発までは抑え切れず、衝撃波から逃れるためにイプロシアが大きく後退していく。
「あなたは『勇者』の血を捨てて、きっと後悔するだろうけど」
「後悔なんてしない。後悔するわけがないから、アレウス君に譲った。それに、私が『勇者』と『賢者』の間にできた子供という事実は、そのロジックは変わらない。変わるのは、私がその血を捨てたか否かってだけ」
これまでのどんな『衣』を纏ったエルフよりも俊敏に、そして迅速に走ったクラリエが瞬く間にイプロシアとの距離を詰める。魔力の短刀に対し、木の枝の杖。双方とも魔力で生成された物であるため、容易く切ることも折れることもない。だからこそ近距離での魔力の鬩ぎ合いが起こる。どちらの攻撃にも乗せられた魔力は激突を繰り返し、弾き飛ばし合い、辺り一面で爆発を繰り返す。だが、弾き飛ばされた白い魔力は決してむやみやたらと爆発しているわけではなく、その全ては弾かれても尚、クラリエの意思に従うかのように森人に衝突し、爆発によって消し飛ばしている。イプロシアが種を植え付けたエルフの精鋭は、生じる魔力の波濤に押し流されてイプロシアを守るという行動が取れないままに吹き飛ばされ続けている。
「クラリエのことをなんとも思っていないような口振りだったのに」
アレウスは傍に来たアベリアに呟く。
「さっきは、自分のところへと誘おうとしたんだ」
「言動が一致してない」
「ああ。多分だけど、イプロシアは娘をどう扱っていいか分からないんだ」
「やり直す……らしいけど?」
「もしそれが本当なんだとしても、これまで経験したルートの中で娘がここまでこの場に関わる状況がなかったんだと思う」
「それが『賢者』にとっての誤算?」
「或いは、想定の外にいる」
「うん、私もそう思う」
「クラリエを補佐する」
「そして、私たちも『賢者』の隙を窺い、攻撃する」
「それすらも手の平の上だったならそこまでだけど……やってみるだけやってみよう」
アレウスはアベリアと手を繋ぎ、目線を合わせ、肯き合う。
自身の中に湧いて出ているのが魔力なのだとしても、アベリアとの応答と手を繋ぐこの手順を捨て去る気は起きない。
なぜなら、これこそが二人が繋ぎ続けてきた絆の表現方法だから。
左右に分かれるように炎を放出しながら駆け出して、アベリアは魔法で、アレウスは加速しつつの剣戟を試みる。
「二人で寄り添い合って、二人で戦って、二人で高め合う。素晴らしいとは思うよ?」
クラリエと魔力での押し合いをしていながらも、イプロシアはアレウスの接近もアベリアの魔法も感知して、振り向くことなくもう一方の手にある杖を振る。
「『至高』に登った私に付け入る隙があると思うな」
凄まじいまでの魔力で練られた風圧。回避不可能な上に力尽くでどうにかなるものではない。土壇場での風属性魔法の選択。それも絶対の魔力を持つイプロシアの魔法ともなれば、『原初の劫火』状態のアベリアでさえも拮抗することはできない。
「クリュプトン様」
エレスィはイプロシアの注意から外れたクリュプトンに近付き、巻き付いている木の根を青い魔力の一閃で断ち切り解放する。
「『灰銀』と罵り、虐げ続けてきたというのに力が必要と分かれば『様』付けか」
明らかな怒りを込めた言葉でエレスィを威嚇しつつもクリュプトンは『黒衣』の魔力を再び矢に収束させていく。
「だが、それも全て後回しだ。貴様たちを殺すよりもまず先に殺さなければならない者がいる」
「あなた様は、あらゆる汚名を被ってまでイプロシア・ナーツェを止めることを四大血統の中で決めたのですか?」
「自惚れるな。私は私の正義を遂行しているだけだ。家の決めたこと、血統、種族、なにもかもがどうでもいい。唯一、どうでもよくないのは、ナーツェの血統ただ一つ。特にあの欲深いイプロシア・ナーツェだけは殺さなければならない」
「夢を壊されて、怒りを崇拝していた対象に向けることしかできない。それがあなた」
クラリエの魔力を押し返したところで僅かに余裕が生まれたらしく、イプロシアは杖を振ってクリュプトンとエレスィの足元の大地を隆起させる。
「自分も『賢者』のようになりたいと。『至高』の冒険者になりたいと、強く願い、求め、手を伸ばしていた。なのに、私という存在は、あなたが思っているほど崇高な志を持っていたわけでも、世界のために戦っていたわけでも、エルフのために生きていたわけでもないと知り、絶望した」
隆起した岩石が次々と二人を襲うが、クリュプトンは悠々と避け、エレスィはギリギリの回避を続ける。その間に風圧が弱まったため、アレウスは再び走り出して、アベリアも炎の矢を放つ。
「四大血統はどいつもこいつも憎たらしいほどに私を監視し続けていた。奴らだけが私という異端を、異端だと認識していた。ナーツェが取り込まれつつあることも知っていた。だからこその結託だったんだろうけど、その結託を企てたナーツェは死に、役割を継いだデストラは、人生を私を殺すためだけに消費させられたゴーシュの手によって殺された。何度も似たようなルートを経験していたからこそ、突破できたんだけど……テラーの一族がここに来ないのも黒騎士を仕向けたからだし」
後ろに目でもあるのかと思うほどの反射神経でイプロシアは地面を隆起させることで生み出した土の壁で炎の矢を阻み、アレウスの最速で到達する道のりすらも妨害する。
恐らく、魔力を感知されている。クラリエの血によって魔力を得たのだとすればアレウスの位置もイプロシアは掴める状態にある。だが、これをどうこうする術はない。そもそも、『至高』に到達している彼女の感知の技能が魔力だけとは限らない。気配すらも読み解いているなら、どんなことをしても子供騙しになる。
なにも考えていないような行動になってしまうが、相手に全ての手を読まれてしまうのなら考えすぎるよりは突撃して臨機応変に動き回る方がいいだろう。アレウスがとにかく間合いを詰めてイプロシアを攪乱できなければアベリアの魔法が届くかも怪しく、クラリエもいつかは押し切られてしまう。
「どうしてそんなに私のことを嫌うの?」
ボソッと呟いたイプロシアは接近するアレウスに水弾を放つ。構わず突き進み、短剣で弾く。炎の短剣は魔力を帯びている。水弾を切ることはできないが、打ち飛ばすことぐらいはできる。たとえ打ち飛ばし、魔力を注がれて再びアレウスに向かい出しても構わない。とにかく、イプロシアの隙を作りたい。
「私を生かすことは、君を異世界へと帰すことに繋がるかもしれないのに」
「僕は死んで、産まれ直しているんだ」
背後から水弾が迫る。振り返らない。アベリアが生み出す灼熱が水弾を蒸発させる。
「元の世界に帰りたいと思ったのなんて、産まれ直したときぐらいだ」
「でも、帰れるなら帰りたい。違う?」
「理由が知りたい」
短剣に炎を込める。
「僕は、この世界に産まれ直した理由を知りたい」
それを知ることこそが『異界渡り』のヴェラルドに生かされた命の使い方だ。彼に頼まれたことは、叶えなければならない。生きているアレウスが叶えなければならないことだ。
「今更、帰りたいとも思わない」
いつかは元の世界に帰れるんだろう。もう、そんな風に考えて生きちゃいない。
沢山の死を見た。沢山の絶望を知った。だが、それ以上にこの世界で沢山の生き様を知った。
この世界で生きて、生きて、生きて、産まれ直した理由を知る。そして生き続けて、この世界で死ぬ。
だからもう、良いのだ。もう、産まれ直す前の世界のことは、良いのだ。アレウスが死んで、それでも回り続けている世界に、どうして戻る理由があるだろう。もし戻れたとして、居場所があるわけでもない。
産まれ直す前の自分はもう世界のどこにもおらず、産まれ直した自分はもうアレウスなのだ。だったら、アレウリス・ノールードとしての生き様をこの世界に刻むべきなのだ。
「世界を渡りたいんじゃない。僕は、異界を渡りたい。そこがあんたと僕の違うところだ」
差し迫るアレウスの短剣に動じることなくイプロシアは魔力の障壁を展開する。『白衣』の帯が走り、横から妨害するようにして彼女の障壁を破壊する。妨害してきたクラリエを見ることもなく、杖から生じた衝撃波で打ち飛ばす。
炎の短剣の切っ先。届くか届かないかの間際に、繊細に編み込まれた魔力の障壁が再度展開し、阻止される。
アレウスの後方――アベリアの唱えた炎の矢が短剣より先に障壁に到達し、打ち破る。
「笑わせるな!!」
クラリエ以外に対しては平静を装い続けてきたイプロシアが怒号を上げて、遂に本性を露わにする。それに応えるように彼女の内部から生じた魔力の波濤がアレウスの刺突を押し退けた。
「一介の冒険者ごときにこの私を殺せるとでも思っていたのか?! いい加減にしろ! 私はイプロシア・ナーツェ! 『至高』の頂に立った者だ!!」
覇気が違う。魔力で押し退けられたぐらいなら再度、突撃できるものだが、一気に表出した彼女の迫力に気圧されて、足が竦んだ。
動けずにいるアレウスを見て鼻で笑い、一振りの杖を地面に投げ捨て、彼女の片手が宙を滑る。
「“開け”」
その一言と共に、彼女の周囲に複数のロジックが浮き上がる。その内の炎が噴き出す二つのロジックを彼女は弾くが、残りは一気に開かれる。
エルフの精鋭たちは皆、崩れ落ち、クリュプトンとエレスィも立ったまま意識を失う。クラリエも抗えず、気絶する。
「一度に複数人のロジックを開いた?!」
「君はまだしも、アベリア・アナリーゼのロジックも開くには手間が掛かるから弾いたが、残りは造作もない。私はエルフよりも長く生きるハイエルフ。奴らのロジックを複数開いたところでどうということもない」
止めなければならない。アレウスは竦んで動けない足を拳で叩き、震える足取りのまま間合いを詰めていく。
「書き換えるな!!」
「指をくわえて見ていろ」
踏ん張る力が足りず、風圧で押し飛ばされる。アベリアが複数の炎の矢を放つが、どれもこれも児戯とばかりに、見ることなく水弾で撃ち落としていく。
「君たちを殺し合わせることの方が、万事上手く行きそうだ」
指を素早く滑らし、やがて全てのロジックを閉じる。
「仲間に殺され、死んでいけ」
「履き違えているでしょ?」
目覚めてすぐにクラリエが呟き、『白衣』を纏う。エレスィは『青衣』を、クリュプトンも『黒衣』を纏い直して起き上がる。
「『衣』は生き様を燃やす。あたしたちが燃やすのは未来じゃなく、過去。ロジックで書き換えられるのは未来じゃなく、過去だけ。だったら書き換えられたテキストは燃やせばいい!」
煌々と燃える白い輝きの中でクラリエが叫ぶ。
「クラリエ様の言う通りだ。書き換えられた部分など、過去の一部。燃やせば済む」
「これくらいは、『衣』を使う者は出来て当然のことだ」
「ハゥフルのお姫様――クニア様のときもそうだった」
アベリアがアレウスに説明する。
「あのときクラリエが奴隷商人に書き換えられたクニア様のロジックの一文を焼き払って、束縛から逃れた。他人でできるなら、自分のロジックなら簡単にできるはず」
「ふ……ふふふふ、じゃぁ私がロジックを開いたところで、あなたたちはそれを燃やして何度だって私に立ち向かう……そういうこと?」
イプロシアは笑い、その身は樹木に包まれていく。
「だったら、ひたすら戦い続けてあなたたちのロジックが全て焼き尽くされるまで耐えろってこと? 馬鹿を言わせないで。私にそんな長い時間、あなたたちと付き合う気はない。私に歯向かう者は全て排除しておきたかったけど、虚しい戦いは有意義にすらならない」
再び樹木を破って現れたイプロシアは、まさに樹と一体化したかのような姿と化していた。森人や、種を植え付けられたエルフとは異なり、肉体そのものが固い樹皮に守られている。色の異なる複数の木の葉によって作られた衣を着て、瞳は深緑に満ちている。
「こんなところで『神樹』を解放なんてしたくなかったけれど、あなたたちをまとめて殺したいし、試し撃ちもしたい。だったら、丁度良いわよね」
イプロシアの指先に魔力が収束しかたと思ったのも束の間、熱線が放たれる。
エレスィの首元を狙った熱線は、彼の反応速度を完全に上回り、避ける時間すら与えることもなかった。
それでも彼が死なずに済んだのは、到底、人間の反射や反応とは異なる“意識”を保有した“物”以外に他ならない。
「エキ……ナ、シア?!」
機械人形の名前を思い出しつつ口にし、その登場にアレウスは驚く。
「“天”の“炎”に!!」
熱線を貫通させず、体内で受け止め切ったエキナシアが、素体だけを残して分解され、天高くへと吸い上げられる。
「“乱”れる“華”よ!!」
直上よりの火炎をイプロシアは浴び、叫び声を上げる。
「エルフの認識阻害の魔法はひどく厄介なものだな」
以前は白く、今は黒い翼を羽ばたかせながらガルダが降り立つ。
「空からですら、お前たちを見つけ出すことに手間取ってしまった」
ガルダ――カーネリアンは以前よりも柔らかな表情をアレウスに向け、炎に包まれた薙刀を握り直した。




