思い出す
「反逆……反逆、ねぇ。私は別に神樹信仰を強制した気はないけれど。“異界”から持ち帰ったのがおよそ二千年前――本当にそれぐらい前だったかは憶えていないんだけど、それぐらいに私は『神樹』の種子をこの地に植えた。そう、植えただけ。植えただけなのに、エルフが勝手にそれをありがたがって、勝手に周辺を森にして、勝手に自分たちの住まう場所だと決め付けた。考えてもみてよ? なんでエルフは森に住みたがるの? 自然が好きだから? 精霊と触れ合えるから? いや、前時代的すぎるでしょ。各地に精霊は漂っているし、その精霊の力を借りて魔法を唱えることだってできる。精霊に好かれている人だっている。なのに、なんで森? なんで自然? 答えは簡単だよね。私が、エルフをそうであるように育てたから」
「姉上が、そうであるように育てた?」
「一つ言っておくと」
イプロシアは自身に集ったエルフに攻撃させ、饒舌に語る。
「私はあなたたちの姉でもない。だって私は――イプロシアは三千年を生きられるハイエルフ。その親から弟が産まれたのなら、その子たちだっておよそ二千年以上は生きていなきゃおかしいじゃない? でもあなたたちって、そこまで長く生きてきた記憶はないわよね? だから、私はナーツェという家柄にお邪魔しただけ。あなたたちのロジックを書き換えて……ね。まぁ自分のロジックも書き換えたけど。ナーツェって家柄は、血統は、あらゆるところで武器になるくらいには肥大化していたから。一番扱いやすいところがナーツェだったってところかな。だから、そこの私の娘もナーツェの血の正当後継者じゃないってわけ」
「なにを馬鹿げたことを!」
「だって私は『衣』を使えないじゃない? 仕方がないよね、『衣』の技術は私が産まれたあとにエルフの中で派生したものだから。そうなると私の娘は『衣』を使えるのかどうかってところに興味があるんだけど……その様子じゃ使えないのかしら」
クラリエはその言葉に疑問を覚える。自身は今まで何度か“異界”だけでなく、この世界でも『白衣』を一瞬であれ纏ったことがある。イェネオスはその気配を『森の声』を伝って感じ取っていた。つまり、他のエルフもクラリエの魔力を捕捉までは至らないまでも感知することはできていた。それをどうして、実の母親は知らないのか。
万能ではない。
凄まじき全能感を漂わせているイプロシア・ナーツェにも知らないことがある。それも、自らの能力の箔付けとしか思っていない娘の実力を知らないのだ。
「さっさと黙らせろ」
クリュプトンが魔力の波濤から逃れ、ようやく戻って矢をつがえた。
「狩り切れ」
矢を放ったことが号令となり、『影踏』とゴーシュが同時に駆ける。
自らに迫る矢を木の根でねじ伏せるも、続けざまに射掛けられる赤い矢を防ぎ切ることで精一杯なのか、その場から動く様子はない。
「でね、私にとって最高なことがこれから起こるんだけど」
呟くイプロシアに『影踏』の短刀が迫る。
「これからあなたが死ぬのよ、デストラ・ナーツェ」
『影踏』の短刀が届くより先に、追随していたはずのゴーシュが加速し、真横から『影踏』の脇腹に短刀を突き立てた。
「な……あ゛っ?!」
血飛沫を上げ、『影踏』が力なく崩れ落ちる。
「どう……し、て……」
「全てが手はず通りに整って、全てが思い通りになって、全てがこの時のためにあった。そんな風に思えたところで、私の見てきたルートを越えることは絶対にないのよ。このパターンも私は知っているから。唯一、気掛かりなのは娘がいることなんだけど、赤子の入れ替えの事実判明後に起こることは総じてゴーシュの裏切りによってデストラが死ぬことになる。ハイエルフを裏切って森を燃やし、私を裏切って団結し、あなたを裏切って殺す。それがゴーシュ・ナーツェの生き様なのよ」
「なぜですか?! なぜ、裏切るのですか!!」
エレスィが嘆く。
「裏切ったのではない。これは、私に与えられた当然の権利だ。私は権利を行使しただけだ」
ゴーシュが短刀を更に深く『影踏』に突き刺す。
「世界のため、神々のため、エルフのため……そんな使命や役目以上に、あまりあるほどの私怨が、デストラ・ナーツェにはある。そう、裏切りではない。これは私情によっての成敗だ」
「エルフのためにと、長い長い時間を掛けたとしても、私情は使命を踏み越える。だって使命も役目も、どれもこれもただの押し付けだもの。押し付けて、任せた気になって、良いところで顔を出す。そんなの、許せないでしょ? どれだけの苦労と悲しみをゴーシュ・ナーツェは背負ってきたと思っているの?」
「黙れ。貴様に私の心の内を語る権利はない! 兄上がいなくとも、貴様など私一人で殺すことができる!」
それを聞いてイプロシアは、さながら子供が些細な言葉遊びに夢中になって笑い転げるかのような、無邪気にケラケラと笑う。
「今までは『神樹』の力を使っていただけ。だからこれからあなたを襲うのは、私が本来持ち合わせていた魔法」
イプロシアは自身の傍に生えた木の枝を千切り、短い杖を指揮棒のように振る。
「罪に悶えて、燃えて逝け。“煉獄”」
泥のようにゴーシュの足元に炎がへばり付く。右足、左足と燃え盛り、更には燃焼を始めた場所とは異なる右手、左手も火を噴いて、激しく燃え盛る。必死に火を消そうと努めているが、動けば動くほどに燃焼速度が上がっていく。
どれだけ消し去ろうとしても消し去れない。ゴーシュは自らを焼く炎に悶え苦しみ、遂には全身が炎に包み込まれ、絶叫を上げる。邪悪な炎の輝きは数分にも満たない内に人体を焼き切った。
「まだこれからだったのに……やっぱりこの世界の種は脆すぎる。でもまぁ、ナーツェの反逆はこれで終わり。次はジュグリーズ? それともロゼ? それとも、戦意喪失してしまったかな」
「貴様は!!」
イプロシアの正面に木に侵食されたエルフたちが並ぶ。クリュプトンは射掛ける手を止める。文字通りの肉盾である。矢の爆発をエルフたちを犠牲にし、隙を見極めて先ほどのような魔法で仕留める。そういった算段を彼女は読み取ったらしい。
「本当に『異端審問会』に歯向かうの?」
「私を奴らと同列に語るな」
「それはまぁ、そうだけど。あなたは私を狩るためだけに『異端審問会』と手を組んだ。で、私は甦るために『異端審問会』と手を組んだ。あなたは正義で私は大義。でも、どっちも手を組んだだけであって、そこに属してはいない。あんなのと同列にされるのは私も御免だし。甦ってしまえば、もう手を貸す理由もない」
イプロシアが杖を振り上げる。
「今までのルートだと私はあなたと相討ちになる。だから死の間際の絶叫を聞いたことがないの。ねぇ、あなたはどんな死の音色を奏でてくれるのかしら?」
「逃げて!!」
気付けばクラリエは、自身を散々な目に遭わせたクリュプトンにそう叫んでいた。
「逃げたところで私の魔法は、」
そこまで言ってイプロシアは翻り、背後に迫る瘴気を咄嗟に木の根を振ることで起こす風で払い飛ばした。
「ちょっと、これはこのルートだからこその展開かな」
払い切れなかった瘴気の中から赤熱の輝きを放つ短剣を携えたアレウスが現れ、イプロシアの喉元を掻き切ろうとしたところで木の根に阻まれる。周囲のエルフが一斉にアレウスへと群がるが、短剣が木の根に触れたことで起こった爆風が彼諸共に吹き飛ばした。
「“魔炎の弓箭”」
「っ! アベリア・アナリーゼも一緒なの?!」
アレウスの起こした爆発で開けた木の根の穴にイプロシアを魔力が生み出した炎の矢が貫く。
「“大いなる癒しよ”」
自身の体にできた穴をイプロシアは回復魔法で一瞬の内に塞ぐ。
「今までのルートなら、あなたは『黒騎士』が相手をしているはず。私の復活を見届ける瞬間に立ち会うとき以外で、あなたがこの場に来ることはない! それともあなたは『黒騎士』を倒したって言うの?!」
「いいや、僕が戦ったのは『黒騎士』じゃなかった。最初から、『黒騎士』は一人だったんだ」
怒りか、それとも悲しみか。普段は感情を表に乗せることを嫌うアレウスが、驚くほどにメチャクチャな感情に苛まされていることにクラリエは気付く。
「僕は……! なんにも、分かっちゃいなかった」
短剣に炎を宿し直すだけでなく、アベリアから貸し与えられた力によって着火した体は炎を纏う。
「なんにもできないけれど、せめて約束だけは……エウカリスと交わした約束だけは、守る」
エウカリス。
アレウスの言った『エウカリス』とは、クラリエがここに訪れるために名乗ったエウカリスではなく、“異界”で再会したエウカリスのことだろう。
なにもかもを吐き出して、もうなんにも残っていない体が、どういうわけかその名を聞いただけで僅かに動く。今までも行われていた血液の循環を強く感じる。
満ちる。
満ちる。
満ちる。
「終われない……」
終われないのだ。
なにを勝手に終わらせようとしていたのだろうか。どうして、そんなことも放り出そうとしてしまっていたのだろうか。
エウカリス――エリスの分まで外の世界を見る。
空っぽではない。
原動力ならあるではないか。
関係無い。そう、関係無いのだ。
これまでの全ては、ただの残響。ただの感情のさざ波だ。母親への身勝手な想像を壊されたことへの失意。そんなさざ波が一気に押し寄せてきたせいで、押し流されかけた。
衝撃的だが、不幸ではない。
戦うこともままならないほどの絶望であったが、
母親と過ごした日々よりも、エリスと一緒に過ごした時間の方がずっと長い。
母と子の繋がりと、親友との繋がり。
どっちが大切か。
どっちが強固か。
人による。人によるが、己はどうだろうか。
そうだ。
それを決めるのは、いつだって――
「私のことは、私が決めるんだ!」
失意の先で自らの決意を見つめ直す。
“異界”で怒られ、決めたではないか。
人に生き様を委ねるのはやめよう、と。
ここで命を投げ捨てるな。
エリスがクラリエのために燃やした生き様は無駄になってしまう。
そうはさせない。
生き続けることがエリスの生き様の意味を、クラリエの生き様に刻むことになる。
だから抗う。
今はただ、己が信じた親友のために、立ち上がらなければならない。




