再臨する命
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そう、別に。受け入れられたかったわけじゃない。昔のように蝶よ花よとおだてられたかったわけでもない。
クラリエは自身を抱えるエルフの腹部目掛けて、隠し持っていた短刀を突き立て、その血を浴びながら心の中にあった希望を殺す。短刀は魔法で生み出したものではなく、護身用のもの。いわゆる暗器として袖口に潜ませていた。魔法や呪術を使えない状況がもしあったとき、クラリエは丸腰になってしまう。そうならないよう、今回の冒険の旅に出る前に予め用意していた。暗器のように袖口に仕込んでいたのは、弓矢に比べて刃物を振るうエルフは受け入れら辛いと思ってのことだ。
そんな気遣いをしたところで結果はなんにも変わらなかったのだが。
エウカリスを騙ったのは苦肉の策だ。あの場を乗り切るにはどうしてもアレウスの嘘に従わなければならなかった。もしもあんな状況じゃなければ、クラリエは本当の名を口にしたかった。
ただし、エルフの森で勝手に『クラリェット・ナーツェはエウカリス・クローロンに殺された』に結果付けされていた以上、この事実を覆すのは不可能だ。どれだけ声高に叫んだところでクラリエは、クラリェット・ナーツェを騙る何者か、という扱いにしかならない。
だから、エルフの少年に自身の名を口にされたとき、実は僅かだが心が踊った。すぐに敵と分かって、そんな僅かばかりの興奮も無駄だったのだと判明した以上、むざむざとこのままどこかへと連れ去られるわけにはいかない。
「まさに、ナーツェ家は血統至上主義が引き起こす血塗られた歴史の象徴だ」
血に濡れた短刀をエルフの腹部から引き抜き、体勢を整えるクラリエにエルフの少年が自嘲気味に笑う。
「いや、四大血統はどいつもこいつも血塗られているかもしれないな」
「あなたは誰?」
「失礼。我が名はシェス・ジュグリーズ。四大血統のジュグリーズ家の当主である」
こんな少年が。クラリエの第一印象はまさにそれだった。エルフと対峙する場合、年齢と性別、そして容姿に縛られてはならないが、この少年は明らかに若い。いや、若すぎる。
「あなたは、誰かの入れ知恵を受けていたりしていない?」
「……入れ知恵……なるほど、そのように受け取ったりもするのか」
シェスはクラリエの言葉に一つの理解を示すような表情をしたのち、前髪に触れる。
「やはり、物事を見極める際に使われる視力はあらゆる意味であらゆることを前提から外す。五感の中でも我らは特にこの、目というものを頼りすぎている」
呟きながらシェスはその場を歩きつつ、青の瞳を持つ右目を前髪で隠し、左目を露わにする。
「故に、起こり得る“もしも”を想定できない。我の身に起こっている事態すらも、目で見て分かる者はいないのだ」
声が少年のものではなく、低音の大人の声質に変わる。
「目に全てを任せていては、たった一つの重要な真実すらも見失う。常々に感覚を鋭敏に鍛え上げなければ、己に迫る危機にすら気付くことはできないのだ」
「……あなたは誰?」
もう一度、クラリエは問う。
「シェス・ジュグリーズ。その名に間違いはない。ただし、この体には若きシェスと老いたシェスが宿っているがな」
二重人格、それとも多重人格だろうか。そのどちらでもないのなら、シェス・ジュグリーズは魔法や呪術で二つの人格を一つの肉体に宿らせていることになる。だが、どうクラリエが推測しても、それを証明する手立てがない。魔の叡智に僅かだがまだ触れることができているが、高度な魔法の知識はない。そうなるとシェスの演技との判別ができないのだ。
「若きシェスには無理ばかりをさせているが、若さは全てを凌駕する。経験が必要なことは我がするが、若ければ若いほどにジュグリーズ家再興の御旗になることができる。分かるだろう? 貫禄があっても先細りの老人よりも、先行きに不安があろうと未来を生きることのできる若者。どちらを旗印に相応しいか……若ければ子孫繁栄も難しくなく、血統至上主義のエルフの娘が次から次へと寄ってくるやもしれない。そして、使いの者は若き当主を上手く丸め込めば傀儡としてジュグリーズ家を裏で牛耳ることができるやもしれない。そういった邪悪な思惑すらも、手玉に取ることができる」
シェスが指を振っただけで、空間に亀裂が生じる。
「だが、それらは全て今後に起こる結末。それも、成るかどうかすらも分からない。であれば、先に成った者の勝ちとなる」
亀裂が裂けて、円状に広がって“門”を成す。クラリエは咄嗟に走り出すが、“門”は彼女の知っているように留まっておらず、高速で直進し彼女の体を一気に覆い尽くした。
「だからこそ、我は神樹を燃やすのだ」
頭の中にシェスの声が響き、同時に強い眩暈から逃れるように強く目を見開くと景色は既に一変していた。
「…………ここ、は」
見覚えがある景色だった。かつてクラリエが暮らしていた神域と呼ばれるところだ。だが、あの頃とは様変わりしてしまっている。
変わり果てた、と表現した方がいいかもしれない。
昔に見た神域はもっと緑豊かだった。クラリエはそこでハイエルフではなくハーフエルフとして過ごしていたが、それでも感じ取れる神秘性があったはずだ。
緑は枯れ、川の水はどす黒く、木々のどれもに生気がない。それどころか、“門”を潜る前に肌で感じていた熱を、ここでは更に強く感じる。
神域が燃えている。それがこの見るも無残な光景を生み出している。
「これは驚いた。もう既に神樹が燃えているではないか」
そんな馬鹿な、とクラリエは視線を動かす。
クラリエが見た大樹――神が宿りし樹は、エルフの森全てを包み込むほどの広く広く枝葉を伸ばし続けていると信じられている。どんな大樹よりも大樹で、根は大地をも持ち上げ、地面から浮き出しており、どのようなことがあっても神樹は枯れることがない。
しかし、その神樹は今、クラリエの目の前で音を立てて燃えている。
「こんなことをして」
怒りに身を震えさせる。
「こんなことをして!! エルフをどうしたいって言うの?!」
「そのエルフこそが問題なのだ。現実が露わになった今だからこそ、この神樹がまやかしであることが分かる。見えるものしか見えない者よ。よく見ろ、この神樹の禍々しさを」
言われたところでクラリエの怒りが消えることはない。必ずシェスを殺す。そう心に決めつつも、隙を窺うために言葉に従っているフリをする。しかし、言われた通りに神樹をよく見て、怖気が走るほどの狂気が目に焼き付いた。
「それが神を宿す樹に見えるか?」
神樹の表皮が焼け落ちたことで、その内部が露わになっている。そこには、数えることもできないほどのエルフの屍が“樹のように連なっている”。それどころか、神樹の周辺にはおぞましいほどにエルフの骸が転がっている。この樹は、“エルフの骸を土壌にし”、“エルフの屍を取り込んで”、“エルフが崇め奉る神樹”となっている。
「こんなの、あなたが見せているまやかし……」
「見えるものしか見えない者はいつだって、そう言って現実を直視した瞬間に逃避しようとする。呆れて物も言えないな。盲目に信じ続けた神樹が、どのような代物であるかすら分からないままに生きてきたとは」
シェスは低音の笑い声を響かせる。
「この樹は、エルフの命を喰い物にして生きる“異界”より持ち込まれた化け物だ」
「そんな……そんなの、って、ない」
もしそれが事実なら、
それが本当であるのなら、
クラリエはなんのために神域で生き、
なんのために呪いを浴び、
なんのために未だに生き続けているというのか。
こんなもののために、ハーフエルフという事実を隠したままハイエルフによって育てられ、その後、ダークエルフになった。それら全ては、こんなもののためにあったとでも言うのだろうか。
「ハイエルフは、どこに……」
「ハイエルフ。ふっ、ハイエルフ、か。それは、生き続けることに飽いた者が勝手に名乗り出した俗称に過ぎない。エルフとしての人生を、生き様を、連綿と続く日常を耐え切れなくなった者が、救いを求めて神樹に群がり、その命を捧げることで長き命を終わらせる。『高貴なるエルフ』ではない。『“廃”人となった“エルフ”』だ。もしくは、『灰銀』であることに疲れた『灰エルフ』か」
愕然とするクラリエを尻目にシェスが燃える神樹へと向かう。
「しかし、化け物も使いようだ。この神樹には、莫大なる命という名のエネルギーが蓄えられている。燃やし、弱らせることで、そのエネルギーの全てを我が手にする。そうすれば、エルフを束ねるのはこのシェス・ジュグリーズだ。そう、この力を得れば我は超越者になることさえ可能なのだ! さぁ、神樹よ! 我の力となれ!!」
高らかに、力を前に目を爛々と輝かせるシェス。
その胸部を神樹の太く鋭利な枝が貫いた。
「“何十回”も聞かされたけど、ずっと同じ。相変わらずの喋り方。だからあなたはつまらない。つまらない上に、くだらない」
なにが起こったのか分からず、自身を貫いた枝をシェスは見つめる。勿論、クラリエですらなにが起こったのか分からない。
燃え落ちていく神樹の中心部から、さながら炎の熱で目覚めたかのように痩せこけ、もはや骨と皮しかない産まれたままの姿で一人の女性が現れる。不思議なことに、女性が一歩ずつ歩めば炎は避けて、足元から植物が生え、そしてまた一歩踏み出せば、今度はその体に栄養が与えられたかのように枯れた体に筋肉と潤いが満ちていく。
「な、ぜ……だ?」
「ありがとう、シェス・ジュグリーズ。あなたはとってもくだらなくても、どれだけの回数をこなしてもちゃんと私を神樹の中から目覚めさせてくれる。いつもいつもいつも、毎度毎度毎度、おんなじことを言っておんなじように驚いて、おんなじ感じで死ぬんだけど」
「ぁ……あ、あぁ……」
「だって、あなたに私は貸し与えていた『神樹』の力を返してもらわなきゃならないから。老いたシェスはそこから生じた揺らぎでしかない。消えて、さっさと私の物になりなさい」
なにを言っているのか。シェスは最期まで分からないまま、どうやら息を引き取ったらしい。そのときにはもう生きる屍のような体付きから極めて魅力的な体へと変貌を遂げ、女性は近場に落ちていたエルフの骸が着ていたボロを拾って、それを羽織る。
「……ようやく、理想のルートに辿り着いたのかもしれない」
「るー、と?」
「御免ね。このルートに至るまでに結構、私も色々と経験してきているのよ。今まではどんなルートを通っても、シェスが私を目覚めさせるのが確定しているんだけど、そこに同伴する人は不安定だったの。しかも、最悪な方への振れ幅ね。あなた以外にキトリノス・テラーが来ることもあったし、全てのエルフが総出で私の敵に回ることもあった。なんだったらアレウリス・ノールードとアベリア・アナリーゼが二人で立っていることもあったし、デストラ・ナーツェがいたり、一人ならまだしもゴーシュ・ナーツェを伴っていたり、あなた以外のアレウリスのパーティが勢揃いしているルートもあった。一番最悪なのはクリュプトン・ロゼね。あの子が立っている場合、大体、誰かが一緒にいる。どれもこれも手に負えなかったのよ。やっていられないわ、私はただ目覚めたいだけなのに、なんで目覚めた直後に殺されなきゃならないのよ。ねぇ? クラリエ」
自身を知っている。ならばこの女性はクラリエにとっての、なんなのか。
「でも、あなた一人だけってパターンは今回が初めてなのよ。だから、期待させてよ。私が生存できるルートを。だって、私は大賢者なのよ? こんなところで殺されるなんて……こんな、どうでもいい連中に殺されるなんて、あってはならないことなんだから」
「だ、い……けん?」
呟きながら、クラリエの頭の中で点と線が繋がる。いや、繋げるまでもない。なぜなら、そう呼ばれている人物をクラリエは一人しか知らない。
「イプロシア…………ナーツェ!!」
女性は不敵に笑い、小さく肯いた。




