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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第7章 -四大血統-】
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燻る臭い


「ダムレイが過ぎたあとはよく晴れるって言うけれど、まさかこんなにも雲一つない青空を仰ぐことになるとは思わなかったよ」

 瞼を擦りながらヴェインが言葉通りに空を仰いだが、眩暈でも起こしたのか一瞬だけフラついた。

「ほとんど眠れていないだろ」

「そりゃ、あれだけうるさかったら寝ようにも寝られない。あと、あの状況で眠れるとしたら、それはもう死のうとしていると人なんじゃないかい?」

 アレウスは見上げた先にある太陽の眩しさに小さく呻く。

 辺り一帯はダムレイが過ぎたことで様変わりしている。泥混じりの水溜まり、茎が折れた草、散ってしまった花々、なによりも集落とはもう呼べないほどに昨夜までは建っていた建物が崩れてしまっている。厩舎は物の見事に跡形もなく崩れ去っており、備蓄庫の大半も倒壊している。その他にもなんとか形を残してはいるものの、とてもではないが住める状態にはない建物ばかりだ。

「俺たちが用意したテントも全部吹っ飛んでしまったね。幸い、荷物だけは運べたけどさ」

「さっさと片付けてしまえば良かった」

 片付ける手間よりもダムレイに備える手間を優先した。いや、それは言い訳に過ぎない。アレウスたちにはテントを片付ける時間はあったはずだが、そうはしなかっただけだ。キトリノスの機嫌を損ねるようなことがあれば、せめてもの居場所になるかもしれない。しかし、信じ切れなかったからこそ用意していた居場所は、ダムレイによって綺麗に吹き飛ばされてしまった。つまり、居場所にすらならなかったということだ。そうなるとアレウスたちはキトリノスに命を繋げてもらったことになる。

「取り敢えず、急を要するところの確認だけして……寝よう」

「ああ、俺も立っているだけで限界だよ」

 ダムレイが与えてきたのは、雷雨という轟音、そして地鳴りにも近い震動を起こしながら辺り一帯を駆け抜けていった暴風。それらは建物に籠もっているアレウスたちには圧倒的な脅威で、いつ建物が壊れてもおかしくないほどの自然の力を見せ付けられた。緊迫し、緊張し、切迫した中では気持ちすら安らぐこともできず、ただただ終わりが訪れるのを願い続け、ようやく静かになったことで体中の筋肉は緩み、安全が確立されていることを目で確かめたことで脳は睡眠の必要性を訴えてきた。

「あたし、水浴びしたい」

「まだ駄目だ。川が増水していたら深くもなっているはずだ。土砂でどこかがせき止められていたら、それが崩壊すると鉄砲水が押し寄せてくるかもしれない」

「えぇ、アレウス君はあたしと水浴びしたくないの?」

 もう少し誘い方というものがあるだろう。少なくともヴェインの前でするような話ではない。そもそも、一緒に水浴びをするつもりもない。

「あのダムレイのあとだ。水温だって下がっている。睡眠不足のまま入れば、体の冷えも合わさって気絶だってあり得る」

 話には乗らないという意思表示をすると、クラリエはつまらなそうな顔をしつつも大きな欠伸をする。しかし、その大欠伸を本人は意図して出したものではなかったらしく、珍しいほどに顔を赤らめてうつむいてしまった。

「作業を始めるにしても水浴びをするにしても、それは後回しにしてまずは休もう」

 クラリエはうつむいたまま、同意を表すように体を小刻みに縦に数回振った。さすがの彼女も水浴びの話で場を長引かせるより、睡眠を取る方向で話を切ってこの場から退散してしまいたいようだ。


 彼女が一足早く、集会所へと入ったのち、アレウスも大きな欠伸をする。


「夜の番や見張りをするのとはわけが違ったな」

「魔物や獣なら対抗する術を俺たちは持っている。でも自然の脅威には抗えない。その違いが、どうしても俺たちにとてつもない疲労を与えてきていたんだと思うよ」

 アレウスたちも集会所へと戻る。


「ダムレイをこの少人数で乗り切ったのは人生で初めてだ。私の人生もまだまだ捨てたものではないな」

 集会所の中心に設けた焚き火に薪を足しながらキトリノスがアレウスたちに言う。この場所は数日前までは円卓のように使っていた木のテーブルが中心にあったのだが、緊急性があったために薪に変えて、中心で火を起こせるようにした。これならば簡素ではあっても食材に火を通すことができる。

「ヒューマンの割には、努力してくれたと思おう。だが、」

「奥さんのことは黙っていてほしい。そうですね?」

「そうだ。あまり公にすることじゃない。神域のハイエルフ――エルフを統べる者ならば、また話は違うだろうが、私たちはごく普通の夫婦なのだから」

 キトリノスの顔にも疲労の色が見える。

「僕たちが火の番はしますので、キトリノスさんは奥さんのところへ」

「……いや、余計な詮索はするべきではないな。私たちは種族の差、観念の違いはあれど共に嵐を切り抜けた。そこに私のつまらない思い込みを含めることなど、あってはならない。すまないが、よろしく頼む」

 立ち上がるのにも一苦労といった具合で、疲労と睡眠欲による重い体を動かしてキトリノスは別室に消えた。


「まずどっちが休む?」

「どっちも休んでしまっていいんじゃないかい? 火の番とは言っても、夜は明けたんだし消えてしまってもこの季節はさほど気温も下がらない」

「でも睡眠を取ったあとにはなにかを食べなきゃならない……そのときに火を起こせばいいか」

「ああ。集会所が持ちこたえてくれたから、ダムレイが来る前に集めた薪も枝木はあるし、火口(ほくち)のための乾燥した草も備えている。なんの問題もないよ」

 ともかく、なにか理由をつけてアレウスもヴェインも休みたかった。どちらが先に、ではなくどちらも先に休みたいのが本音で、そこで言い争いになることを彼は避ける案を提示してきたのだ。それに乗らない手はない。


 焚き火を中央に、アレウスとヴェインは毛布を被って横になる。程なくして、アレウスは瞼を閉じ、そして驚くほど素直に深い眠りへと落ちた。


 次に目を覚ましたときにはクラリエが消えかかっていた焚き火に薪をくべている最中だった。


「……僕が一番最後?」

「そうだけど、みんなが起きたのはおんなじぐらいだから」

 朝は相当に疲れの色が見えていたクラリエだったが、睡眠を取っただけで顔色が良くなっている。アレウスもこうして目を覚ましてみると、朝にヴェインやクラリエと話をした一連の時間が、むしろ夢だったのではと思うほどにおぼろげだ。

「はい、アレウス君」

 差し出された白湯をアレウスはゆっくりと飲み、喉を潤す。

「本当はスープにしたかったんだけど、今後のことを考えると備蓄は使わない方が良いかなと思って」

「助かる」

 別に今日一日分のスープぐらいなら大した備蓄の消費にはならないのだが、キトリノスの許可を得ていないのならば白湯に留めておくのがいいだろう。

「ヴェインは?」

「先に飲んで、外の片付けを始めてるよ。キトリノスさんも一緒。ついさっきのことだから、寝坊でもなんでもないよ」

 とはいえ、起きるのが一番最後になってしまったことに申し訳なさを感じてしまう。しかし、その感情をいつまでも抱え込んでいるわけにもいかないので白湯をやや急ぎ気味に飲み干して、立ち上がった。


 燻った灰の臭いが鼻をつく。焚き火からではなく、外から送り込まれた風に乗ってきたものだ。


 クラリエもそれに気付いたらしく、二人揃って急いで外に出る。まさか集落のどこかで火事が起こるとは。そう思いながら、臭いの場所を特定することを試みるが、どこを見ても火は見えない。やはり焚き火の臭いであって、外からの臭いだと思ったのはただの勘違いだろうか。そうなると二人揃って未だに疲れは取れていないことになる。


「いいや、勘違いじゃない」

 キトリノスが焦りながらエルフの森を差す。

「燃えている」

「ここからじゃ見えませんけど……」

「私には分かる。森の中で、確実に火の手が上がっている」

 しかしアレウスには煙の一つも見えはしない。

「認識阻害の魔法が起こす弊害だ。中で起こるほとんどが外側からは見えない。灰や臭いは魔法の範囲外に出ることで私たちの鼻に届いた」

「それじゃ今すぐにでも森へ行かれてはどうですか?」

 彼の焦りを抑えるために、アレウスは敢えて冷静さを強調するように発言する。内心では大声で「早く森へ行ってください」と叫んでいるが、自身の動揺を彼にまで与えてしまっては、もしものときの判断を誤らせてしまいかねない。

「……いや、私は行くわけにはいかない」

 それでもキトリノスはこの場に留まる選択を取る。

「妻を、一人にはしておけない」

「それなら俺が残りますよ? 俺じゃ、アレウスやエウカリスさんの足には追い付けない」

「いいや、そうじゃない。妻の世話は、夫である私の役目だ。誰にもその役目を奪わせはしない。妻を一人置いてなど行けるものか」


 人間的に、道徳的に、なにより感情的に、最もキトリノスが大事にしている存在。それをアレウスたちは失念していた。いや、失念していたのではない。夫婦の絆を甘く考えていただけだ。どのような状況であっても、誓いを立てたのであればなににおいても優先される。対岸の火事ではない。エルフの森が燃えているのなら、火の粉が集落まで至っても不思議ではない。ダムレイのあとの水浸しのこの集落を、火が包むとは到底思えないのだが、ダムレイはエルフの森だって通過したはずだ。そこが燃えているのなら、あり得る可能性として頭に入れておかなければならない。


「……! イェネオスからの連絡が来た」

 キトリノスは顔を上げ、自身に繋がった『森の声』に耳を傾けている。

「どうしてダムレイが過ぎてからの連絡になった? そこで一体、なにが起きている?」

 『森の声』は言葉にしなくとも相手に伝えることのできるエルフ間でのみ行われる交流方法だ。なのに声に出している時点でキトリノスは通常の冷静な判断能力を失っている状態と言える。

「…………私たちが無事かどうかはこの際、話すことではない! そこで起きていることを単刀直入に伝えてほしい!」

 なにやら『森の声』での言い争いが起こっているようだが、介入できないため親子間でなんとか落ち着いた話し合いを行ってもらいたい。でないとアレウスもクラリエも、そしてヴェインですらもうろたえてしまう。


 しばしの沈黙ののち、キトリノスが「分かった。だが、私の要求も飲んでもらう。それで構わないな?」と言ったのち、苛立ちながらアレウスたちへと視線を向ける。

「退避したエルフは無事だが、イェネオスとアベリア・アナリーゼに襲撃が遭った。エルフの手によるものだ」

 アレウスは思わず彼を殴りたい衝動に駆られたが、なんとか(こら)える。アベリアだけでなく、キトリノスの娘であるイェネオスも襲撃に遭ったのだ。殴るべき相手はその襲撃してきたエルフである。

「ロジックを書き換えられた。イェネオスはアベリア・アナリーゼが連行された一部始終を忘れ、アベリア・アナリーゼは連行された先での一部始終を忘れている」

「でも、エルフはロジックの抵抗力が高いはず」

 クラリエが落ち着かない様子で言う。

「ああ、だからイェネオスの書き換えは時間稼ぎで、もう連行されたときのことを思い出せている。だが、アベリア・アナリーゼのそれは、すぐには思い出せるものではないだろう。だが、互いに体を確認したところ性暴力を受けた様子はどこにもないらしい」

 キトリノスがアレウスに頭を下げる。

「嫌われ者だからと言わず、私が行くべきだった。私のミスだ」

「……頭を上げてください。僕はあなたに怒るのではなく、アベリアのロジックを書き換えたエルフに怒るべきで、こんなところでどうこう言っている場合じゃありません」

「すまない。だからせめてもの償いとして、お前たちを森の中へと送ることを承認させた。エリュトロン家のエレスィが手引きしてくれるらしい。イェネオスの古くからの知り合いだ。彼のことは信じて問題ない。娘がエレスィにこれから伝えるとすれば、エリュトロンの領地からこの付近まで急いでも半刻は掛かる。気を揉むだろうが、私が行っていいと言うまではここで待機していてほしい」

 緊急事態の中でアレウスたちを森の中へと入れる約束を無理やり取り付けたようだ。

「僕もエウカリスも嫌われる臭いを発しています。それでも大丈夫ですか?」

「大丈夫ではないが、私がここから離れられない以上は、こうするしかない。情報が足りない上に、私がヒューマンの娘を連れて行かせることを独断で決めた。その娘に危害が加えられたとなれば、黙って我慢してほしいと言うのは無理な話ではないか?」

 アレウスはキトリノスの言い分に首を縦に振る。

「支度を始めてくれ。エレスィの手引きで森に入ったあとは仲間だけでなくイェネオスの様子も……いや、イェネオスのことも守ってほしい。エレスィだけで守れるのなら、それが一番良いのだが」


 決まったことならば、もはやなにも言うことはない。アレウスたちは急いで集会所へと戻り、森へ向かう準備を始めた。


「神樹がそなたたちになにをもたらした? なにももたらしてなどいないだろう? 神域に入ることを禁じられ、神域で起こる全てを秘匿され、なにも語られず、何百年の長きに渡って、疑問が解決することもない」

 修道女が瞼を開く。

「そう、あれは神の樹などではない。神を真似た、悪しき樹なのだ。あんなものがあるから神域がある。神域のハイエルフは傲慢に、高慢になる。あれさえ失われれば全てのエルフは平等となる」

 口元に引き攣った笑みを浮かべる。

「じゃから、全てを灰に還せ。灰に還してしまえば、そこがエルフにとっての谷底。谷底からは、ただ這い上がるのみ。エルフは再び、種の頂点に君臨することができるであろう」


「怖れるな! 我らが(おそ)れるのは、神々のみ! そしてその神々は、我らの後ろについている!」

 修道女に導かれるままに幼きエルフが、自身の元に集ったエルフと、神の使徒たちに号令をかける。

「進め! 神々のために!」


――神の御心のままに!


「進め進め! 我がジュグリーズ家再興の道もまたここにあるのだから!」


――ジュグリーズのために!


 エルフと神の使徒たちは一斉に森の中を進んでいく。

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