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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第7章 -四大血統-】
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ジュグリーズ家

「ナーツェは以前から“門”について研究し、その一端を掴んだ。それを大賢者であるイプロシア・ナーツェが完全な物へと変えた」

 アベリアを連行するエルフの一人が道すがらに語る。当初は両腕を縛られたりするものとばかり思っていたのだが、今のアベリアの両手は自由である上に歩くことについても強制されていない。とはいえ、連行に従わなければ自由が奪われることは確定しており、自らの意思で歩くのではなく歩かされるようになってしまうのも確実である。歯向かわず、このまま襲撃してきたエルフたちと共に嵐の中を抜けなければならないらしい。

「ナーツェは血筋において強者だったが、大賢者の誕生と“門”の魔法の確立によってその血筋を随一のものへと押し上げた。だが、“門”の魔法はナーツェだけの物ではない」

 複数人のエルフが聞き取れない速度での詠唱を行う。詠唱加速は無詠唱には劣るものの、魔法発動までの隙がなくなる。また、無詠唱となれば魔法が低難度の物に限られたり、中難度の魔法でも威力の低下が起こるのだが、詠唱加速にはそういったデメリットがない。ただし、詠唱加速はいわば早口言葉にも近い速度で普段の詠唱を一言一句間違えずに唱え切らなければならないため、そもそも詠唱方法としての難易度が高くなっている。それをエルフたちは当たり前のように用いているため、アベリアはこんな状況でありながらも魔の叡智に触れている者としての好奇心の昂ぶりを感じずにはいられない。

「直系ではないが、レウコンもナーツェの血統だ。幾度か見ているのではないか?」

 いつアベリアがナルシェの使いの者ではないとバレるだろうか。そしてバレてしまったなら、どのようにして乗り切ればいいのか。それらを考えに考えても、答えが出て来ない。現実逃避よろしく暢気に興奮している場合ではなかった。


 程なくして詠唱が終了し、エルフたちの魔力によって空間に歪みが生じる。


「通れ。我らが“門”を繋げた。これを大賢者は一人でやり、そして永劫に維持させられるらしいな……もはや、エルフの域を越えているとも言える」

 果たしてエルフが作ったものは“門”なのか、それとも異界へと繋がる“穴”なのか。入らなければ判別不可能だが、アベリアより先にエルフが不安もなく飛び込んでいる様を見て、普段から使い慣れていることを知り、異界へ堕ちることの恐怖心は消えた。それでも入ることに躊躇いはあったが、後ろに構えているエルフの堪忍袋の緒が切れる前に足を踏み入れた。

 揺らぎ、回る世界。たった一歩による中長距離の移動に伴う負荷が脳を襲い、軽い吐き気に見舞われる。


 アベリアがいたのは嵐の中の森だった。暴風に体が浮き上がりそうになり、雷は落ち、雨に打たれていた。しかし、“門”を抜けた先は少なくとも雨風を凌げる屋内だった。

「連れて参りました」

 吐き気が引いたため、辺りを見回す。

「教会……?」

 シンギングリンの教会とは構造こそ違うが、置かれている物や小道具の全てに見覚えがある。石造り、整列されている木製の長椅子、教えを説くための説教壇。パイプオルガンに火の灯った燭台。そして、採光のために作られた鮮やかなステンドグラスの下には十字架が掲げられている。


「我々は神樹などに惑わされはしない」

 教会の奥の扉から神官の外套を羽織ったエルフが現れる。

「真に我らを救うのはこの世の全てに等しく生きる価値を与える神々だ。神樹など、まやかしであり邪悪でしかない」

 エルフの口から、まさか神樹を貶める言葉が飛び出してくるとは思わなかった。それよりも、周囲のエルフを恐らくは束ねている人物が、エルフの中でも“少年”と呼んでも差し支えないほどに幼いことに驚いた。

「さぁ、ナルシェの使いの者よ。我々に伝えてくれ。『異界渡り』は殺せたのか? そして、ナルシェは今、どこにいる?」

 もしもここに『審判女神の眷族』がいるならば、嘘をついても無駄になる。しかし、いないのであれば嘘をつくこと自体は難しくない。なぜならアベリアはヴェラルドとナルシェの最期とも言うべき姿を目に焼き付けているから。


「『異界渡り』は、死にました」

 心にもないことを言っている。しかし、アレウスでも同じ状況なら、心を殺して口走った言葉に苛立ちながらもこう言うだろう。

「ナルシェ様も、『異界渡り』を殺す過程で、命を落としたものと思われます」


「思われる?」

「私は、その最期を、そして死体を見たわけではございません。ただ、『異界渡り』と心中したことは確かだろうと、状況から推測しています」

 異界獣に追い掛けられたまま異界に取り残された。ヴェラルドとナルシェが生きている確率は限りなくゼロに近い。それでも一縷の望みはあるだろう。あって欲しいと思っている。仮に死んでいるとしても、その事実は受け入れられる。だが、確率はゼロに近くともゼロではない。だから生きていることも念頭に置いておきたいのだ。そうすれば、いつかもし再会したときに、適切な喜び方をできるはずだ。

「では、教会から渡した短剣は?」

「諸共に、失われたものと思われます」

「そうか……あの短剣が失われたのであれば、我々の足が付くこともないだろう」

 足が付く。その言葉に疑問を感じる。

「私は、あれにどのような力が付与されているかナルシェ様から聞くことは叶いませんでした。一体どのような代物だったのでしょうか?」

「語るべき代物ではない。ナルシェがそう判断したのであれば、我もまた語らずにいた方がよいだろう」

 それほどまでにあの短剣はエルフにとって都合が悪く、そして語ってはならないような力が付与されている。それを持ち続けているアレウスに、悪影響はないのか少しばかり不安になる。


「ところで、ヒューマンの使いの者よ? 我のことはナルシェから聞いているか?」

「……いいえ。秘密を貫き通す御方でしたので、外で私を使いの者として連れ回すと決めても、エルフの森についてはなに一つとして聞くことはありませんでした」

「だろうな。レウコンの血統、そしてナルシェの性格ならばそうする」

 エルフの少年は外套のフードを脱ぐ。

「我が名はシェス・ジュグリーズ。ジュグリーズ家当主である」

 エルフの少年は金糸のように細く美しい髪を首を軽く振ることで揺らめかせつつ、高らかに名乗りを挙げる。右目は青く、左目は前髪に隠れて見えない。フードを被っていたことで髪型が乱れているようにも見えたが、本人が左目を隠したままで居続けているため、少年は普段から左目を隠していることが窺える。


 ただ名乗りを挙げただけで、エルフたちはその場にひざまずき、少年を崇める。


「ジュグリーズ……」

 クラリエの話ではジュグリーズ家は四大血統のはずだ。その当主が、こんなにも幼い少年だとでも言うのだろうか。

 しかし、エルフの容姿や年齢をヒューマンの容姿や年齢で換算してはならない。まだ幼いように見えて、少年は既にアベリアよりも長い年月を生きているはずだ。

 それでもナルシェのことを知っているような口振りには疑問が残る。本当に、こんな少年にナルシェはヴェラルドを監視、そしてあわよくば殺害するように命じられていたとでも言うのだろうか。

「驚くことも無理はない。世間ではジュグリーズは行方知れずと言われていたからな」

 アベリアがジュグリーズ家の名を聞いて呆然としていると勘違いしているらしい。

「見つからずに過ごせていたのですか?」

「神樹を信仰するエルフたちにとって我々は異教徒だ。であれば、隠れて生きる以外に術はない……そうさせたのは、神域に群がるハイエルフどものせいだが……」

 後半の言葉には恨みの念が込められている。

「ジュグリーズの血が未だ途絶えておらず、森の中で密かに生き、この隠された教会の元で神々に祈りを捧げていることなど奴らは知るよしもないだろう」

 言い方からして、ここはまだエルフの森ではあるようだ。しかし、“門”を通ったことで先ほどまでいたところからどれくらい距離が離れているかまでは分からない。暴風雨の音が聞こえないが、もしかすると勢力の強いダムレイが通過しない地帯なのかもしれない。

 この場所には連行された。外を見たいと言って、見せてくれるわけもない。では、どうやって元の場所に帰るか。それが重要になる。


 絶対にアレウスの元へと帰らなければならない。


「一つ、よろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「ナルシェ様が『異界渡り』を殺さねばならなかった理由についてお聞かせください」

「以前より『異界渡り』は神域のハイエルフどもに目を付けられていた。我々にとって良い意味ではなく、悪い意味でな。奴はハイエルフに近付き、媚び(へつら)い、その智慧を借りようとした。ならば我らにとっては『異界渡り』は敵も同然。ナルシェに密命を与え、達成させることで神域のハイエルフどもに一泡吹かせたかった」


 たったそれだけの理由か。アベリアの中に沸々とした怒りが湧き上がる。


「果たせたのであれば、上々だ。ナルシェライラ・レウコンは使命を全うしたと言えよう。次は貴殿の番だな」

 アベリアの背後から突如として殺気立った気配が噴出し、無意識に振り返っていた。

「お任せください」

 黒い外套を纏い、さながら『影』のごとく現れ出でた男は忠誠を誓うようにシェスにひざまずく。

「使命を果たせ、ゴーシュ・ナーツェ」

「ナー……ツェ? え、嘘……ナーツェ?」

 アベリアの呟きを聞き取って、男が鋭利な刃物のような眼光でこちらを睨む。

「そんなに我が名が滑稽か?」

「ちが……」

 ナーツェの名が本当であるのなら、この人物はクラリエのことを知っているかもしれない。それどころか、クラリエの親戚の可能性が極めて高い。

 彼女が生きていることを伝えたい。しかし、伝えればシェスがどのような対応を取るだろうか。ナーツェの血統は四大血統でも最上位だと聞いている。なのにジュグリーズ家に(かしず)いているのには理由があるに違いない。その理由が、アベリアの想像もつかない大きな大きな事態に関わっているとするなら、ここでクラリエの生存を伝えるのは悪手となってしまう。


 つまり、アベリアにはどうすることもできない。


「ナーツェの血統だ。思うこともあるのだろう。そうやって誰も彼もと睨むものではない」

「申し訳ありません。では、私は使命を果たしに参ります」

 ゴーシュは立ち上がり、アベリアを睨んだまま景色に溶け込んで消える。認識阻害の魔法ではなく、れっきとした練度の高い気配消し。景色からの消え方からして、クラリエよりも高く、『影踏』の域に達している。


「私はこれからどうすれば?」

 連れて来られたが、このまま解放されるわけがない。とはいえ、用が済んだとなればまた別の命令を与えられるかもしれない。そんな命令には従う気などないが、そのまま元の場所に戻ることを許される可能性に賭ける。

「そうだな、未だ果たさなければならないことは沢山あるが……ヒューマンの使いの者にしては実に美しい」

 嫌な予感がした。


「使いの者よ、神々が神樹を焼き滅ぼしたのち、我と婚姻を結ぶ気はないか?」

「ありません」

 焼き滅ぼす。そちらの言葉が強力であったが、その先のよくある話については即座に断る。

「シェス様の御言葉に逆らうのか?」

 周囲のエルフが一斉に敵意を剥き出しにする。

「よい、そう殺気立つな。『森の声』に繋がって、我々は気付かれてしまうぞ」

 シェスがその場を諫める。

「我もジュグリーズ家の当主。血を絶やさないためには多くの女性と関わりを持たなければならない。使いの者はその中でも一番でなければ納得できない。そういうことなのであろう?」

「そういうわけでもありませんが」

 このように否定をするのは良くないとリスティからは教わっている。もっと相手を褒めちぎるようにし、へりくだりながら、満更でもないと思わせつつもやんわりと断ることが男性の神経を逆撫でしないらしい……のだが、シェス・ジュグリーズの求婚を強く拒んでいた。そもそも、年下にしか見えない幼い少年に対し、愛情を抱くわけがない。アベリアはずっと、自分より少し年上の背中を追い掛け続けているのだから。

「面白い。我をここまで拒む女性は初めてだ」

 笑ってはいるが、心からの笑いではない。


「いつかの未来、我のベッドの上で必死に腰を振る使いの者の姿が目に浮かぶ。それまでは、まだ使いの者にはヒューマンやハイエルフどもの動向を探らせるとしよう」


 アベリアは無意識にシェスの顔を見なくなった。そして、雨に濡れた肌が寒さとは違う形で鳥肌を立てていることに気付く。

 これが、俗に言う生理的に受け付けないというものらしい。これまで何度か男性に言い寄られたことはあったが、これほどまでに身も心もなにもかもが拒否反応を示すのは目の前の少年が初めてだ。


「そんな未来が来る前に舌を噛んで死にますが? どのような命令でも女性がなにもかも従うと思わないでください。無意味な言葉にほだされることは永遠にありません。舌を噛んで死ねないなら首を吊って死にます。首を吊れないなら高所から落ちて死にましょう。私があなたに見せる未来は、死以外にございません」


 シェスは笑うことすらしなくなった。願ってはいないが、ここで殺されるのも一つの手だ。『衰弱』状態は苦しいが、いつかは復帰できる。こんなどこかも分からないところにいるよりは、死んでシンギングリンに戻った方が幾分か気は休まるのではとすら思う。アレウスにも余計な心配をかけてはしまうが、どこにいるか分からないよりは心配をかけなくて済むはずだ。


「下がれ、興醒めだ。使いの者は帰せ。ただし、ロジックは書き換えさせてもらう。感謝しろ、ヒューマン。我に『永劫従い続けろ』とロジックに書き込まないことをな」


 なんだろうか、今の声は。先ほどまでの少年の姿に似合った高い声ではない。むしろその逆、果てしなく長い時を生き続けた男性の低い声だった。

 その違和感を確かめる間もなく、アベリアの意識は一瞬にして飛んだ。

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