付近で起こっていること
拘束は解かれたのだが、来訪者としてもてなされそうにはない。荷馬車で待っていたアベリアたちとも合流して、テラー家当主からの正式なお達しが来るまでは自由に集落を歩き回ることもできないだろう。
「どうにも引っ掛かるんだよな」
「またなにか不要な喧嘩の売り方をして疑問を抱いたのか?」
ガラハがアレウスに対して、呆れ果てたように言い放つ。
「いや、発言云々で引っ掛かっているところはあるんだけど、それ以上に……エルフの寿命に違和感がある」
「それは今、考えなきゃならないことかい? 俺は今にも矢でも射掛けられるんじゃないかとヒヤヒヤしているんだけど」
ヴェインは周囲から向けられる視線に怯えている。むしろ彼の反応こそが正常なのだが、さっきまでの緊迫感からアレウスの感覚が麻痺してしまっている。
「最初から私の発言からボロが出るのを待っていたのですか?」
跡取り娘がアレウスから距離を置いたまま訊ねてくる。
「あの状況で、私に隙があると考えて……それで笑っていたと?」
「人は厳粛な雰囲気が漂う中での笑みを許しません。神聖、静粛を求められる場での不適切な態度も苛立ちを加速させます。そういったことを、正しい生き方をしている人ほど受け入れられず、拒否感を示します。エルフは特に厳正な生き方をしていると考えるなら、笑みを零していた方が注目を向けてもらえる」
笑っていたことが実は作戦の内だった。そのように思わせる説明をアレウスはしているが、実際は取り繕っているだけだ。笑っていたのは悪人の気持ちを理解してしまったことで引き起こされた場面の滑稽さと自虐的な物が合わさったものであって、狙ってそうしていたわけではない。
「そして、発言を許されていないのなら発言を許すようなことを言われる瞬間を黙して待つだけでした」
黙っていることで相手に不快感を与え、発言を促す言葉を引き出す。この部分だけがアレウスの作戦であって、他は全て場当たり的に起こった追い風に過ぎない。
「……昔から、父上にはよく言われるんです。お前は先走り過ぎる、と。私からしてみれば、父上の方が先走り過ぎるように見えるんですが……そうではないようで」
そんな身の上話を聞きたいわけじゃない。そもそも、身の上話をする相手を間違えている。アレウスとは距離を維持したままの上、先ほどまで拘束していた相手に、一体どうして語り出すのは筋違いにもほどがあるだろう。
距離感を測り間違えている。もしかすると跡取り娘への第一印象として感じた『しっかり者』は間違いなのかもしれない。だが、これは逆に利用できるのではないだろうか。向こうが話す気になっているのなら、友好関係を築くのは難しくとも情報は聞くことができるはずだ。
「集落付近でなにが起こっているんですか?」
「……話したところで、どうせあなたたちには……」
口外するのを躊躇っている。これでは聞き出せない。まだアレウスたちの扱いをどうするかが決められていない間に話すことではないのだろう。それこそ話してしまえば、彼女は父親に叱られてしまう。
「あたしたちは『身代わりの人形』の作成状況について調べているの。森の外で暮らすあなたには分からないかもだけど、なにか知らない?」
それに比べ、クラリエはスラスラと目的を話してしまった。テラー家の当主が集落の家長たちと共に姿を消したことで気を緩めてしまったのだろう。
「『森の声』では製紙状況の把握をすることはできませんが、どうしてエルフの御業について調べなければならないのですか?」
「新品として入荷した『身代わりの人形』の一部が機能しないことがあるの」
「どうにもおかしな話ですね。私も詳しいことは知りませんが、完璧を重んじるはずのエルフの御業に不備が生じるなど、ただ事ではないはずですが」
「これ、調べてくれる? あなたじゃなくても、集落の誰かに見てもらいたいの」
クラリエがリスティから預かった『身代わりの人形』を差し出す。テストの際に見習い冒険者に持たせていたにも関わらず、ヴォーパルバニーの一撃を防がなかったため、証拠品としてギルドが回収した。他の冒険者も同様に機能しなかった『身代わりの人形』を持ち歩き、エルフとの交渉を行おうと試行錯誤している最中だろう。
恐る恐る、跡取り娘がクラリエから『身代わりの人形』を受け取り、ジッと見つめる。
「……魔力に乱れがあります」
「乱れ?」
「『身代わりの人形』とは、僅かな紙の原料に対して莫大な量の魔力を注ぎ込むことで、どうにかそれを紙の形として維持させています。通常の製紙とは大きく作成手順が異なり、決して外に漏れ伝わることはありません。私も、あなた方にこれ以上のことを伝える気もありませんし、なにより製紙技術は一族の領分。要は、製造する一族以外には伝わらない一家相伝のものなので、これ以上を伝える方法もありません」
跡取り娘は『身代わりの人形』を懐に収める。
「ですが、頼まれたのであれば一通り、聞いて回ることにします」
「ありがとう」
「……ギブアンドテイクという言葉を知っていますか?」
跡取り娘が今度はこちらの番とばかりに訊ねてくる。
「最近、集落付近に関わらず、この地方のエルフの森全体に邪悪な気配が漂っています。足跡、残滓、活動の痕跡……どれもこれも、エルフの物ではありません」
「それは話していいことなのか?」
ガラハがすかさず彼女に問う。
「まだオレたちをどうするか、上は決めかねている最中だろう? 話せば、なにかしらの罰を受けるのではないか?」
「中はともかく、外はそこまで厳しく律されてはいませんよ。父上共々、自由を求めて外へ出た者たちがどうして厳しく律する生き方を続けなければならないのですか? まぁ……私は父上に怒られるでしょうけど……でも、手掛かりかなにかを拾えるのなら、我慢します」
肝は据わっている、のだろうか。やや曖昧だが、クラリエの質問に答えてもらった以上はアレウスたちも彼女に協力的である必要が出てくる。
「僕たちはその痕跡とやらを見ていない。エルフにしか分からないぐらいに微細なものだったら、感知することすらできないかもしれません」
「微細とはいえ、妖精を連れたドワーフもいるのなら気付かないはずがないのですが……ということは、あなた方は私たちが通過したところを通過していないということですか?」
「恐らくは」
アレウスたちがエルフの森に近付くために通ってきた道筋と、彼女たちがキャラバンとして往来していた道筋が違う。この場合、痕跡は発見のしようがない。ただし、本当に痕跡に気付かないまま素通りした可能性も否めない。
「大きくは信用しないでください。僕たち冒険者も、主目的を優先するあまり見落としはします」
「冒険者……?」
そう呟きながら首を傾げ、続いてすぐにハッとして跡取り娘は表情を取り繕う。
「あなた方が冒険者とは気付きませんでした」
「まず最初に言っていませんでしたから、それも仕方無いと思いますが……冒険者だとなにか問題でも?」
「その逆です。今までキャラバンによって交易を続けてきましたが、その時々において冒険者にはお力添えをいただいているのです……が、そのようなロジックを持っている者とは話したことがなかったもので……父上もきっと、冒険者とは気付いていません」
「アレウスも私も、ちょっと一般的な冒険者とズレているから」
アベリアはきっとアレウスのためを思って、補足してくれたのだろう。
最近、アベリアはこうして外部と関わろうとしてくれている。閉じていた関係を外へ開く努力をしている最中だが、そこには必ずアレウスが伴う。そして、大体が余計な一言になる。思わず溜め息が出そうになるが、それ以上に彼女の成長への喜びが大きくて意識的にこらえることができた。
「具体的に、どんな痕跡が?」
「蹄鉄を付けた馬の足跡だが、その通り道の草木は枯れ、大地は黒く変色。僅かに留まった地点は円形に漆黒の大地が広がる。腐臭や異臭の類ではなく、それそのものが黒く、死の臭いを漂わせている」
いつの間にかいたテラー家当主がアレウスたちに説明する。この男の気配は感知できるときとできないときがある。高度な気配消しによるものだとしても、アレウスはともかく、あの『影踏』の気配消しすらも掴むことのできるクラリエでさえ接近に気付けていない。
ひょっとすると、『盗歩』や『闇歩』のように隙を盗んでいるのかもしれない。しかし、それらはあくまでも単体の隙を突くものであって、複数にまで効果があるものではない。もし、テラー家当主に限らずほぼ全てのエルフがこの手の意識外からの接近を行えるならと考えると震えずにはいられない。
「ここではまだ被害が出ていないが、『森の声』を辿ってみれば他方で被害が出ているようだ。死人も出ている」
「……風貌は?」
「黒い甲冑鎧に黒い外套、馬にも同様に黒い鎧を纏わせている。亡者や亡霊、悪霊の上位種であるデュラハンの可能性もあったが、目撃証言によると首は有る上に死の臭いを漂わせているのは怪しい。そうなると、辺りへの影響から『悪魔』のペイルライダーとも考えられるが、ペイルライダーは青白い馬に乗っている。両者に該当しないなら、もはやこいつは『黒騎士』と呼ぶほかない」
心底、頭を悩ませているようにテラー家当主は頭を掻く。
「一体なにを目的としてエルフの森周辺を動き回っているのか、そしてエルフを殺したのはどういった理由か。その理由は、私たち集落も該当するのか否か。分からないのなら、私たちは常々に認識阻害の魔法で集落の維持を行い続けなければならない。キャラバンにまで認識阻害の魔法を掛けなければならないのは前代未聞の事態だ」
「いつもは魔法を使っていないの?」
「使うときと使わないときがある。その時々だ。情勢によって交易路が危険と判断すれば使い、安定しているなら使わない。だが最近はずっと情勢など関係なく使い続けている」
アベリアの質問に一切の躊躇いを持たずに答える。
「問題は、この『黒騎士』がどこに所属しているかだ。別に私たちは危害が及ばない術を見つけ出せるのならそれで穏便に済むならそれで済ませてしまいたいが、森の中はそうはいかない。どこの国が、エルフに危害を及ぼしたかを判断できる材料を得たなら……報復を行う可能性がある」
「それはどれほどの規模になると思いますか?」
「反逆者によって導かれた獣人が森を焼いた話はしたな?」
アレウスの問いに確認するかのように問い返されたので、肯く。
「その報復で一時、獣人とは小規模ながら争いが起こった。戦争ではない。エルフ側としてはあくまでも報復だ。その報復によって、森を焼いた当時の獣人の長は討った。今はキングス・ファングが継いでいるようだが、奴の命もいつか奪いに行くだろう」
報復によって獣人を根絶やしにするような戦争を起こしたのではなく、あくまで一番上に立つ者だけを討つ。それだけで群れ全体が弱体化する。未だに根強く暗殺が支持される理由である。
「このままエルフの森にまで黒騎士が侵入した場合、その黒騎士の出身国は間違いなくエルフによる報復を受ける。獣人との争いならそこで止まったが、今回それが行われた場合は国への攻撃――宣言抜きで攻撃されたことに対し、反撃に移るはずだ。今までどうにか均衡し、小規模な駆け引きで終わっていたものが、終わらなくなる。一つの国が動けば他の国も動く」
「戦争の火種が落ちる……」
アレウスはテラー家当主が最終的に言いたかったことを先んじて言う。
「話し合いをした結果、貴様たちを私たちはしばらくの間、集落内に置いておくことになった。集落の外に出る自由はないものと考えることだ。だが、異物として扱うことはない。ただし、貴様とエウカリス・クローロンには常に監視が付く」
「それで気が済むのなら」
「新たな黒騎士の痕跡を発見した時間や場所の情報は伏せさせてもらう。そういった証拠から、在留している貴様たちの潔白が証明できたなら、お望み通り集落の外へと解放しよう」
わざわざ娘の話に被せてきたのは、集落側の事情を説明するためだ。アレウスたちを留めることで常に監視下に置く。更に黒騎士の被害を受けないよう集落に置いて保護する。そして、事情を知った冒険者への高望みしない仄かな期待。これら全てを集落への在留を認めるだけで得られるのだから、アレウスだってそういう結論を出しただろう。
「歓迎はしないが、エルフの誇りにかけて死なせはしない。私はキトリノス・テラー。娘はイェネオスと言う。貴様たちの管理を任された……いや、そこのヒューマンのせいで任される以外に威厳を保つ手段はなかったと言っておこう」
目の敵にされている。だが、目の敵にされようと嫌われようと、あのように立ち回らなければ助かっていたとは思えない。
「仲良くは……なるべくしないようにしましょう」
跡取り娘――イェネオスは握手を求めようとしたが、スッとその手を下げた。
「もう一つ、聞いてもいいですか?」
「また私たちに不利な質問か?」
「いえ、そういうわけでは……むしろ、エルフ全体の問題として気になる点があります」
「構わない、言ってみろ」
「ハイエルフは三千年、エルフは二千年、ハーフエルフは千年生きると言いますが、その話は真実ですか?」
「……ほぅ、どうしてそう思った?」
「森の外に出るエルフは少ない。そのエルフがヒューマンと子孫を残すこともそう多くはない。そして産まれたハーフエルフは惚れればただ一人を追い掛け続け、子供を一人産むと第二子の妊娠率が限りなく低くなる。この理論で行くとハーフエルフより産まれるクォーターエルフは限りなく少なくなるのでは?」
「現実的ではないと?」
「獣人はミディアムビーストとも呼ばれます。彼らが繁栄を続けていられるのはハーレムという環境によって第二子以上の妊娠率が低下するミーディアムの体質を乗り越えているためです。ですが、ハーフエルフの間にそのような爛れた関係が起こるのは絶対に無いと僕は思っています。そうなると、千年単位で寿命が異なるエルフだけが、ハーフエルフの抱える体質を乗り越えるのは難しいのではないでしょうか」
ヒューマンの血はどの種族にも混じる。そのせいで他種族にミーディアムが生じ、第一子以上の妊娠率の低下を引き起こす。獣人に関しては魔物からの派生だが、やはりミーディアムの体質を持っているとされている。
エルフの森にもハゥフルの国のように娼館があれば別だが、どう考えたってそんなものがあるわけがない。そしてガルダのように混血は認めず、血統至上主義。ここまで来ると長寿であればあるほど、年配の数が増えて若輩の数が減る。
「とても面白い推測だ。だが、それが真実とは限らない。確かにハーフエルフより先の子供たちの数は少ないが……ハーフが産む子供の数が少ないのは、どの種族でもほとんど変わらない。どの種族のクォーターの子供を、私が生きている限りでもそう多く見たことはない」
「ならばエルフは一生の間に沢山の子供を産む文化がある、と?」
「無い。しかし、貴様はとても面白いところに目を付けた。あとは『神樹』との関連性を掴むことができたなら、貴様に話せることも出て来るだろう。だが、分からないままにそのような推論を所構わず論じるようなことがあれば……エルフに害を成すと判断されてもおかしくないと思うことだ。私や私の娘の前だから許されるが、他のエルフの前では許されない。気を付けることだ」




