黄色い『衣』
【-エルフの森-】
『神樹』を中心にする大森林地帯。大陸の東西南北に至るまで生い茂り。国と国の行き来を阻害する。しかし、これらはヒューマンとの合意の上で伐採、開拓された街道があるため、エルフの森を通らなければならないという状況はほとんどない。
だからこそ、なんの承諾も無しに森へと入る者をエルフは警告し、その警告を拒む場合は容赦無く襲う。場合によっては殺害もやむなしという考えがある。
森そのものが『神樹』の影響を受けているためか、木々の成長がとても速く、また頑丈である。巨木に至っては大量の水分を含んでいるため火による延焼も防ぐ。
森の奥地には『神域』と呼ばれる場所だけでなくエルフとそれに連なる者たちが住まう街があるとされているが、それを語るのはほぼエルフのみであり、空想上の街のような扱いとなっている。そのため、「エルフは木の上で生活する」、「木と木を飛び越えて移動する」、「生まれたままの姿で衣服を着ることを拒む」などといった間違った認識が他種族において広がっており、森から出たエルフは度々、その認識を正すことに辟易する。
「私たちの魔法を掴み取れたのはドワーフの妖精のおかげか」
ガラハの肩に止まっている妖精を睨むようにしながらエルフの男が近付く。
「キャラバンの魔力量は集落に比べれば薄いが、それでも掴める者など同胞以外にはいないと思っていたが、なるほど、妖精か……想定外だな。山に暮らしていないドワーフというのも、想定外だ」
男が近付いてくるため、アレウスは自然と臨戦態勢に移ろうと体を動かす。
「それ以上動くな。この言葉は侵入した全ての者が対象だ。特に、そこの少年、お前は絶対に動くな。なんだその腐敗したような臭いを漂わせているロジックは。鼻が曲がりそうになる」
武器を持っているわけではない。忠告に従わずに動いても、アレウスの方が武器を抜いて制圧することも可能なのではないか。
そう思わせているだけだ。アレウスは蛮勇にもなりかねない自信を無理やり心の深奥に押しやる。
「会話は許されるか?」
「……ああ、許そう。だが、私たちを侮るような言葉は控えろ。死ぬぞ?」
明らかにアレウスへの殺意が一番に強い。ロジックに刻まれている称号や生き様に警戒心を抱いているだけでなく、右腕から漂う臭いも嫌っている。
「キャラバンということは、森から交易に出ていたってこと?」
なので、恐らくは一番警戒心を抱かれていないクラリエが発言する。
「はっ……『野蛮なエルフ』ならば分かるだろう? 私たちは外を知りたくて森を出た。交易は外貨の獲得に限らず、外で作られた物を手に入れる機会にもなる。森の中でしか生きていないエルフどもは、ただただ戦争に向けての長期的な準備としか考えていなくともな。そうやって相容れないのだから、森の外で暮らすことを強制されるのは当然のことだろう?」
「つまり、あたしは呪われたけど、あなたたちは追い出された?」
「私たちの集落にも少なからず貴様と同様に禁忌を犯したと認定され、呪われたエルフはいるが……貴様に掛けられている呪いはなんだ? 私が見ても、貴様のそれはあまりにも禍々しい。一体どれほどの大罪や禁忌を犯せば、そんな呪いを身に浴びる?」
クラリエは自身に向けられている殺意が高まったことを感じ取ったらしく、返事が思い付かなくなる。
「私たちの警告を聞く素直さは認めるが、私たちのキャラバンに掛けた認識阻害を破られたのも事実。殺すのが定石だが、どうやら冒険者……殺したところで、甦るのではここで見た記憶を消し去ることも難しい。ロジックを書き換えることも考えはしたが、書き換えへの抵抗力を考えても、ただの一時しのぎ。貴様たちの処遇は集落に帰還してから考えた方が良さそうだ」
刃が蛇のようにうねっている短剣――クリスナイフを抜いて、エルフの男はこちらを牽制しつつ周囲の者に目で合図を送り、アレウスからまず縄で拘束される。
「名を聞いておこう、『野蛮なエルフ』。場合によっては貴様への対応は変えなければならない」
「……シオン」
「っ、その名前は!」
アレウスが声を荒げたことでクラリエも、いつものように用いていた偽名の意味を思い出して青褪める。
「笑わせるな。そんな名のエルフは『森の声』を聞き届けていた頃の私でも耳にしたことはない。いいや、それどころか」
クリスナイフを持った男はクラリエに一足飛びで近付き、その喉元に切っ先を触れさせる。
「私たちが暮らしていた森の一部を焼き払った獣人の一人――キングス・ファングの息子の名前じゃないか」
「それは偽名だ! 普段から彼女は本名を隠している!」
「ヒューマンの言葉に耳を貸すつもりはない」
男の瞳は激情に揺れている。
「確かにあの頃、奴は未だ群れの長に君臨しておらず、息子もまだこしらえてはいなかった。だが当時、森を焼いたのは群れを率いていたのはキングス・ファングであることは分かっている。怨敵とも呼ぶべき者を私たちは生涯、忘れることなどない。その一族の名もまた、私たちは胸に刻み、いつ宿命を果たせないかと願い続けている」
「さっき森の中から出た人たちばかりだって言っていたのに」
「森の外に出たからと言って、森への恩義を捨てたわけではない。故郷を捨てても故郷を想う気持ちを持ってはならないか? 故郷に戻れないとしても、故郷の平穏を願う気持ちを抱くことは間違いか?」
激情に揺れている男の体を魔力が纏い、『衣』を形成していく。
「もしそれが間違いであると断言できる信念があるのなら、聞かせてもらいたいものだ」
『衣』は色を成し、黄色に燃える。
「なにをなさっているのですか、父上」
女性の声が聞こえ、男から殺気が失せ『衣』が解ける。
「このようなところで足踏みなどしている暇はないでしょうに」
「出て来るな」
「いいえ、出られずにはいられません。こんなところで無駄な殺生をなさっても、なにを得るわけでもありません。拘束するなら拘束し、さっさと連れ帰ればよいだけです。『衣』まで見せては、森の中に気取られますよ?」
「……脅すだけのつもりだった」
「それを母上の前で仰ることができますか?」
そう女性が訊ねると、男はみるみると狼狽し始める。
「あいつには黙っていてくれ」
「いいえ、ありのままをお伝えします」
「それは困る」
「粗暴さは捨てると仰って結婚したのでしょう? 母上はきっと呆れることでしょう」
男はクラリエからクリスナイフを降ろして、それから肩をガクリと落としながらトボトボと歩き、キャラバンの荷馬車へと消えていく。そのあっと言う間の威厳の失われ速度にアレウスたちも順応できない。
「さて、いかようにもすることはできますが……しばし拘束することをお許しください」
男のように有無を言わさない拘束ではなくなったが、いずれにしろ集落まで連行されることは変わらないようだ。
だが、集落へと連れて行かれるのであれば、なんとかして誤解――もしくは協力を得られるような状況にさえなれば逆にありがたくもなる。足掛かりを探すのではなく、自ら赴いてきてくれたようなものなのだから。それでも現状は不利である。アレウスのロジック、クラリエの偽名。その二つがあまりにも重すぎる。
「ところで、本名をお聞きしてもよろしいですか?」
女性がクラリエに問う。
「いえ……言わずとも分かっているのですが、『シオン』という偽名は使ってはなりません。全てのエルフの反感を買う。というよりも、分かっていて使われていたのではないのですか?」
「本名は明かせません。明かすわけには、いきません」
「なりません。私はともかくとして父上や他のエルフは『森の声』を聞き、エルフの名を全て記憶しています。先ほどのような偽名を使われても、怪しさを払拭することは叶いません」
クラリエが一瞬、アレウスの方を見る。本名を明かすか否かを求められている。勿論、首を横に振る。そして同時に、発声しないで口の形だけで彼女に助け舟を出す。
「……エウカリス」
「エウカリス? それがあなたの名前だと?」
「獣人たちに森を焼かせ神域への入り方を教え、その罰で呪いを受けた……」
「もし仮に貴様がエウカリス・クローロンだと言うのなら、『衣』を見せろ」
荷馬車に消えたはずの男がどこからともなく舞い戻る。クラリエを庇う素振りを見せた女性の腕を掴んで放り投げ、苛烈な黄色い『衣』が爛々と輝く。
「父上! 『衣』を見せるなど!」
「今更だ。私たちは常に監視されている。気取られようと気取られまいと、森の外から中に入らない限りは奴らも手を出しては来ない」
それよりも、と男は話を続ける。
「貴様がまことにエウカリス・クローロンであることの証明をしろ。『緑衣』の持ち主にして薬学家。森を焼いた獣人を手招きした反逆者だと分かった上で、その名を使いたいのなら」
男に言われるがままにクラリエは自身のロジックに刻まれている『衣』を放つ。
「…………どこまで真実なのかはしらないが、しばし許してやろう。だが、森を焼いた獣人と同罪のエルフなど、どうせ殺すのが決まっているが」
クラリエの放った『緑衣』を見て、男は黄色の『衣』を解き、満足したように荷馬車へと去る。
「まったく……父上はどこまでも身勝手が過ぎます。やはり私ではなく母上が傍にいないとどうにも……」
放り投げられた女性は自身の衣服に付着した土の汚れを払いながら、何事もなかったかのように戻ってくる。アレウスが見た限りでは、そんな軽い土の汚れ程度で済むような投げられ方ではなかったため、平然としていることに一種の怖れにも似たものを感じる。
「エウカリス・クローロンとその一行。今はそう呼ばせていただきます。あちらに空の荷馬車があるのでそちらに乗っていただきます。手狭とはなりますが、集落への到着までしばし我慢を」
女性がそう言うと、頑丈な拘束を施されたアレウスから荷馬車へと歩かされる。
「黄色い『衣』だった」
「分かってる」
後ろでアベリアとクラリエがボソボソと喋っている。
「もしあれが本当の『衣』なのだとしたら――」
「一体なにをボソボソと話して、」
「なぁヴェイン?! 僕たちはこれから一体どうなるんだ?!」
アレウスは緊迫した状況に耐え切れなくなったかのように演じつつ、大声を発する。
「分からないよ!! 僕だってどうしたらいいのか困っているんだ!! 大体、パーティリーダーは君じゃないか!! 俺たちは君に付いて来ただけなのに!!」
その意図をヴェインがすぐに汲み取って、同様に大声を発した。
「仲間割れは荷馬車に入ってからしてください」
アベリアとクラリエに『衣』の話をさせるべきではない。そしてそれを聞き取られるわけにもいかない。どうやらヴェインとアレウスの素っ頓狂すぎる大声によって女性は二人の言葉を完全に聞き取ることはできなかったようだ。それだけでなく、ヒソヒソ話をよくある仲間割れの一事象として受け取って、彼女たちの会話に詮索することはなかった。




