またやった
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「ヴェインさんの肩慣らしの依頼で、なにか問題はありましたか?」
「全く。ヴェインの慎重さも合わせて、ゴブリンとの知恵比べにも勝ちましたし。休み明けなのかって思ってしまうくらい安定していました」
「それは良かった。では、本題に移ります」
「……思うんですけど、こういったやり取りって家で済ませばいいのでは?」
「公私は分けたいと思っていますし、依頼を受ける受けないをギルドの建物以外ですることは禁じられています。提案ぐらいはしますけど、外で申請を通してしまえば担当者の規約違反に当たってしまうので」
リスティは淡々と説明しつつ、アレウスのロジックの一部を転写した羊皮紙を見せる。
「能力値がアベリアさんの『原初の劫火』から分け与えられた力を獲得してから格段に伸びています。中級冒険者であることが勿体無いぐらいなのですが、まだランク――ギルドへの貢献度が足りていません」
「あれだけやってまだランクが足りていないっていうのも不思議なんですけど」
「最重要や緊急扱いの依頼はこなしているので、あとは数の問題でしょう。アレウスさんは結構、大きなことには関わっていますが、ヴェインさんの肩慣らしに行ったゴブリンの討伐のような軽いものの数が少ないんです。普通、逆になるんですけどね……あと、あまりこう言ったことは言いたくはないのですが、中級よりも中堅冒険者の方が柄の悪い輩は多くいらっしゃいます。上級へ登れず、燻っている者たちが自然と集まってしまうランク……それが『中堅』です。もしかしたらギルド側としては、あなたを『中堅』に早々と上げてしまうことで起こる、中堅冒険者の不平不満やいざこざを避けたいのかもしれません」
「あまりギルドの問題に巻き込まれたくはないですけど、僕もあんまり目立ちたくはないので、しばらくは静観しますよ。数をこなせていないなら、そっちにも重点を置きます」
アレウスがそう言うと、リスティは少しだけホッとしたような顔を見せる。
「それ以外に口を出すとすれば……『師事』なのですが」
「ルーファスさんに師事していますけど」
「ここ最近は行えていませんね? 師匠を持つというのは、弟子に師匠の伸びている能力値の中で二つの項目を成長補正として与えるという意味があります。他にも得意な技能の上昇にも補正が掛かります。ですが、稽古の回数が減るとそういった補正が解消されてしまいます。アレウスさんの場合、ルーファスさんに師事していたので力と敏捷に補正が掛けられていました。技能においては剣術、短剣術、姿勢制御や歩法といった部分にも影響が出ています。解消状態となると、成長補正が掛からないので、伸び悩む可能性があります」
「自立している人で師事している人は少ないのでは?」
「中級ならば大抵は未だ、誰かに師事しています。成長補正は師事している人によって異なるのですが、師事していないよりは能力値は伸びるので、師匠というのはいないよりはいた方が良いというのが現状です。とはいえ、ルーファスさんとの連絡ができていない以上、まだ少し様子を見るべきかと」
「今、ルーファスさんはどこに?」
「ギルドからの依頼で帝都に向かったと聞いています。なかなか、厄介な依頼だそうで……ギルド長に聞いても教えてくださらないんですよ」
リスティにまで依頼の内容が降りてこないのは珍しいことなのだろうか。そこの辺りの上下の連絡事情は分からないので、訊ねるのを控える。
「臨時で誰かに師事するというのもありますが、アレウスさんが今後、能力値を伸ばすにおいて補正を掛けたい項目と異なった場合はその師事が無駄になってしまうこともあるので……ああ、そういえば一時的に異界でエルフに師事を受けていらしたんでしたっけ? そこも一応、能力値に反映されていますね。やはり敏捷と、あとは器用さに」
異界で鍛えてもらったエウカリスは射手や狩人のように弓矢を用いていた。動きも速かったため、必然的に上がった項目はその二つに絞られたのだろう。
「力と防御を上げる場合はどうすれば?」
「騎士や聖殿騎士、戦士や重装戦士の師事すれば……まぁ、師事したところで、どうやって攻撃を受けたり防ぐかといった技能の補正になりますね。それでも防御力と呼ばれる物が項目にあるのは、防御魔法によって攻撃を防ぐ際に上がる項目として用意しておかなければロジックが処理できないからです。装備した防具でも一時的に上がりますね。脱がないなら恒久的ですが、そんな人はこの世にいないでしょう」
そもそも、師事しようにもシンギングリンで騎士や聖殿騎士の職業についている冒険者の知り合いはいない。緊急時でもなく、ルーファスと話をしていないのに稽古をつけてもらう相手を増やすのは筋が通らない。
「ルーファスさんが帰って来てからで構わないんですが、僕に合うような師匠候補がいるなら探してもらえると助かります」
「そんな都合良く見つけられるものでもないですけどね。教える前に教わっている立場であったり、教える技量に達していないと自覚している冒険者もいらっしゃいます。その大半が下のランクにいる冒険者を登らせるに足る能力を持っていらっしゃるのですが……。そうそう、元冒険者や軍人に教わるなんてこともあると聞いて…………唐突に思い出したくもないことを思い出してしまいました」
「口に出して言ったんなら、ちゃんと教えてくださいよ?」
思い出したくないことを思い出したのに伏せずにそれを言葉にしたのなら、それは慰めてもらいたかったり、なにかしら同情を惹きたいからだとアレウスは思っている。アレウスが年上のリスティに出来ることは限られているが、愚痴や悩み事を聞くことぐらいはできる。ただ、解決策を探すことはなかなか難しいだろうが。
「あのクズの中のクズも一応は元冒険者ですけど、そして師事する相手としては適任なんですよ。私も師事していましたし、力と敏捷だけでなく知力と魔法抵抗への成長補正がありました。剣術と弓術、体術、格闘術に関わる技能の習得も加速させてくれていたはず」
「いや、万能過ぎません?」
「本人が仰っていたでしょう? 人に物を教えるのではなく人に物を分からせるのが得意だと。あのクズの中のクズは、あらゆる意味で最低ですが、広く浅く冒険者に知識や技術を持ち合わせています。それらを組み合わせることで、狭く深く能力を身に付けた冒険者を圧倒することさえできてしまうのです。でなければ私だって師事していませんでしたよ」
「クズの中のクズと気付くのは師事してからなんですか?」
リスティが表情にかげりを見せる。
「いえ、クズと分かっていても私は師事したんです。あの男は言葉で私にセクハラをしてきましたが、決してそれが本当になることはありませんでした。恐らくですが、あの男はそういう風にしか普通の女性とは関われないんです。娼館では、目的が明確化されているので困ったことはないんでしょうけど」
「女性との距離の測り方が分からない?」
「分かってはいると思います。けれど、女性との接し方を理解していません。貶したり、酷いことを言ったり、それこそ卑猥な言葉の数々をぶつければ反応して返事をしてくれると……嫌がらせでしか異性とのコミュニケーションを図れない。そして、その卑猥な嫌がらせを、あの男はコミュニケーションだと思っている。そんなのは、発信者の勘違いであって、受信者はコミュニケーションとも思っていないというのに……」
どこか、あの男に対しての哀れみにも似た感情を表に出す。口では色々と言っているが、彼女はあの男の師事を受けて冒険者になった。今は辞めてしまっていても、その事実には感謝しているのだろう。
そこにたとえ、深い絆の結び付きがないのだとしても、リスティにとっては大切な過去ということだ。忘れたいと願っても、そこに別の想い出が付随するために忘れることを諦めている。
「……まぁ、あの男を語れば私の昔話になってしまいますから、この辺りにしましょう」
せっかく昔話になったのだから、エルヴァージュについて聞き出したかったが、できないままに終わった。
「エルフの森に行きたいんでしたっけ?」
「はい。言われていたじゃないですか。僕の短剣には『エルフの悪知恵が働いている気がする』って。それを解くか、逆に利用するか。あのあと、ヴェインとのゴブリン退治をする前にシンギングリンの鍛冶屋に行ったんですけど、なにかしらは付与されているらしいんですけどなにが付与されているかまでは分からないと言われたんです」
「エルフの鍛冶屋に行きましたか? ……いえ、アレウスさんなら行かれたのでしょうね」
シンギングリンの鍛冶師はドワーフとヒューマンが大半を占め、エルフの鍛冶師はごく少数となる。そもそも、望んで森を出るようなエルフは少なく、いたとしてもなにかしらの事情を持って森を出た者たちばかりだ。そして、更にそこから鍛冶師を生業としている者はほぼおらず、隙間産業のようにして鍛冶師になった者はハーフエルフである。
つまり、本物のエルフの目では見てもらっていない。かと言って、冒険者のエルフに助けを求めたって鍛冶師としての知識はないので、同様に「なにかしらが付与されている」と言われるのがオチである。
「種族についてとやかくは言いたくないんですけど、ハーフエルフとエルフでは魔力の捉え方がやはり違うというのが通説だそうで……僕が短剣を見せたハーフエルフも、エルフに見せれば或いは、と仰っていました」
「森を出ていないエルフはかなり厄介です。森を訪れて、そうすぐには通してくれないでしょう。アレウスさんの右腕や、あとはロジックに書かれていることも含め、まず不可能かと」
「ですよね……クラリエを連れて行くと、きっと大変なことになると思いますし」
「いえ、クラリエさんは偽名を用いればまずバレないでしょう。エルフの森にいた頃よりも魔力の質は落ちているでしょうし、なによりダークエルフですから。ただ、ダークエルフということで通してくれないという難点があります」
エルフという種族の中から二つに派生したハイエルフとハーフエルフと違って、ダークエルフは“呪われている”。『野蛮なエルフ』とも呼ばれ、大罪を犯したエルフが森を出る際に、あらゆる森からの恩恵を受けられないようになった姿だ。しかしながら、ダークエルフの呪いは個人に掛かっているだけであって、その子供にまでは遺伝しない。
ダークエルフの子供はダークエルフではなく、エルフやハーフエルフの特徴を持って産まれる。
「半分、ヒューマンの血が流れているダークエルフとなれば絶対に入れてくれないでしょう。森の外にある集落周りを探ってはどうですか? 森の周辺には離れようにも離れられず、森の傍で生きることを決めた者たちが集っているそうです。エルフ側も森に入らないのであれば、とやかくは言わないようで、その辺りは哀れみの感情で森に住めなくなった者たちの生活を許していると、『影踏』や他のエルフの冒険者から聞いています」
「その集落がどこにあるかはハッキリしていない、ですよね?」
「なにせエルフはあらゆることを秘匿しています。生活、習慣、祭事などといったことは滅多に語りません。秘匿主義……というよりは、環境がそもそも秘匿を是としているのでしょう。秘密を持つことは良いことだ。隠し通すことは正しいことだ。そういった宗教的な……森の教えがあるのでしょう」
確かにクラリエも生き様を語ってはいない。ロジックを開いた際にチラッと見た程度で、彼女の半生について深く知っているわけではない。エウカリスに至っても、彼女がどうしてクラリエのお側付きになり、どのような思いで裏切ったのかを語りはしなかった。生活だって、異界で暮らしていたときの様式がそのままエルフの生活様式とは限らない。
分かっているのは葡萄酒よりも蜂蜜酒を好むという程度だ。
「目指すところもないまま、森の周辺を散策するのは重労働です」
「ただ単に森と言っても、ほぼ国ですからね。帝国にとっては緩衝材ではあるのですが」
「緩衝材?」
「帝国とエルフの森が接しているところからは、他国の侵攻を受けにくいんです。わざわざエルフの森を抜けてまで攻める理由がない。森を抜ける負担が大き過ぎます」
「他国に侵攻するのを見逃さないんですか?」
「あり得ませんね。彼らは森と共に生きています。森を荒らす可能性があったり、他国への侵攻という言葉で惑わして、実は森を攻めに来るのではと考える。だったら、森に来るあらゆる軍隊をエルフ総出で捻じ伏せるのが手っ取り早い。今までも森を抜けての侵攻を画策して大隊を組んだ例があるのですが、抜け出た頃には退却を余儀なくされる人数まで減ってしまったという逸話すらあります」
その逸話通りならば、森に住まうエルフは誰もが冒険者と同等の森の戦士としての訓練を受けていることになる。
「それはそれで帝国を脅かす存在では?」
「こちらから動かない限り、彼らは動きません。エルフは長命なので、森で暮らしている間にヒューマン同士による国家間の争いによって絶滅の危機が訪れるのを待っています。エルフの技術で生み出した物を売り付けに来るのは、交易による情報収集と通貨の獲得にあります」
「通貨さえあれば備蓄だけでなく武器の購入も難しくない」
「その通りです。お金が全てを解決するという言葉は嫌いですが、戦争時においてはそれは全てを上回ります」
大昔、エルフがすべからく大陸を支配していたという話もある。そうやって長命というメリットによって、ヒューマンの衰退の機会を狙っている。その衰退時に戦争を起こそうというのは随分と気長な考え方だなとアレウスは思う。
「それで、結局はどうされますか?」
「……短剣を見てもらいたいのが本音なんですが、実はエルフにはもう一つ確認を取りたいことがあって……『身代わりの人形』の品質が落ちているのではという話がありまして」
「テストでも正しく発動しなかったという報告を何名からか受けています。杞憂……にはならないでしょうね。あれらは現状のエルフの森から生成された物を購入した、いわば新品です。ギルドで埃を被っている古い物ではないので」
「そんな古い物も置いていらっしゃるんですか?」
「担当者の身を守るためです。在庫から使っていくんですが、担当者を狙った犯罪なんて、ヘイロンの事件以外では無かったんですよ。ヘイロンは……持ち歩いてはいませんでしたが、いや、持ち歩いていても効果は一度切り……二度目に確実に殺されたのであれば……でも、周りには『身代わりの人形』の残滓は残っていなかったそうで……でも、もしかすると――」
やはりまだ引きずっている。ほぼ毎日のように、なんとかして真相に辿り着こうと彼女はあらゆる証拠から推測や推理を立てているに違いない。
「御免なさい」
「どうして謝るんですか?」
「思い出させてしまったので」
「……アレウスさん? 謝罪されてもそれはそれで腹が立ちます」
「え……」
「今のは『気を使える良い自分』を夢見て、謝りましたよね? 私がヘイロンのことを思い出すことなんて、これから日常茶飯事となります。それに一々反応して、謝罪したところで、そんなものは優しさではなく『他人を慮れる自分』に酔っているだけ。私、アレウスさんと話していてこんなにムカッと来たのは、初めて話をしたとき以来です」
またやった。“優しいフリをして、優しくした対価を求めてしまった”。
産まれ直したって、この部分は残ったままだというのか。
アレウスは額に手を当て、うつむく。
「優しくされるのはありがたいです。けれど、自分本位な優しさはやめてください。ええ……そうやって気遣われるのは、本当に嬉しいのですが……場面を選んでください」
その後、相談が終わるまでリスティがアレウスに対して笑顔を見せることはなかった。




