無事であること
【大詠唱】
魔法を扱える職業の冒険者が行う、詠唱のもう一つ先。通常の詠唱と違って、言霊が重要となるため無言での組み立ては出来ない。且つ、魔力が収束するために魔物が脅威を感じて攻撃対象を変更することもあるが、詠唱を邪魔されてはならないため、これを前衛が阻止することが求められる。
下位魔法を中位に、中位魔法を高位に、高位を最上位魔法へと一つ高める。そのため、どのような魔法であれ圧倒的な威力や効力となるのだが消費する魔力と詠唱時間が膨大という点がデメリットとなる。
通常、習得には魔法職への師事が必須。文献や魔術書を読んだだけで使える者は天才ではなく異常とも呼ばれる。アベリアの場合、普段は唱えられないが『栞』のブースト効果で、一時的な大詠唱を可能としている。
外へ出た。その喜びに浸る前に、アレウスはアベリアと共に異界の穴に手を入れる。
「「“開け”」」
アベリアの合図にアレウスが同調する。『栞』の効果で未だ魔力と知力のボーナスを得ているアベリアの流れはかなり複雑ではあったが、しかし、芯の部分は全くブレていないので、感情を合致させるのに時間は掛からない。
広がるのは異界の“概念”。昔のように『有る』を『無い』へと書き換える。
手応えはある。そして感じる。この異界を捨てた主のことを。あの日、消し去ったと思った異界獣は未だ健在で、今もこうして異界を造り続けているということを。
「「“閉じろ”」」
それら一切を感じながらも、二人は本を閉じるように手を動かしてから、穴から引き抜く。空気を一気に吸い込み、小さな球と化し、それから弾ける。強烈な衝撃波が襲うも、いつかの異界に比べたらその風圧も弱く、そして全てが消え去ったのち辺りに静寂が訪れる。
「異界を……閉じた……? それだけでなく、神官でもないのに、アレウスさんまで……ロジックを開ける? それに大詠唱……? 一介の、初級冒険者が?」
困惑するリスティだったが、事情を説明しようとしたアレウスを引き止めるように、村人たちの喜びに満ちた歓声が響き渡る。
「本当に、本当に良かった……! ああ、もう二度とこの温もりを感じることは出来ないのかと」
村娘を抱き締める両親は涙を流しながら、娘が助かったことに感謝をしている。ニィナは両親の元に行き、なにやら沢山怒られている。それでも生きていることに最終的に涙し、彼女を抱き寄せていた。
「大丈夫か?」
「ちょっと、駄目かも」
アベリアは『栞』の効果が切れて、アレウスが肩を貸していてもどうにも立っていられないらしく、ともかく二人してその場に腰を下ろす。使った『栞』は塵となってサラサラと風に乗って消えて行った。
「アレウスさん、アベリアさん、あなたたちには私が知らないことがまだあるようです。ですが、この一件はギルド長へ報告しないでおきます。恐らく、その能力はあまり知られてはならない。そうなのでしょう?」
「……リスティさんにはちゃんと話したいと思っています」
「当たり前です。ですが、それはかなり限られた場所となるでしょうね。注意し、そして監視の入らない安全な場所で全てを話して下さい。そして、私を信じて下さい」
「殿を見事に務め上げた人を、僕は信じたいし信じます。あなたは、リュコスを前にして怖れず、怯えず、強く気高く、そして誰よりも誇りを持って、冒険者でした。あなたが居なければ、『栞』は使えていなかったですし、きっとリュコスにやられていました」
「それは私も同じでしょう。一人で挑んだところで、冒険者の力は高が知れています。あんな凶暴な魔物には一人では挑めません。あなた方が居るから、私は守らなければという意思を抱き、そしてあなた方の言葉を信じたからこそ押し流せた。初級冒険者ながら、その能力と判断は賞賛に値します。異界限定ですが」
「そうです、僕たちは異界だからあんな大きなことが出来たんです。いくら一界層が広いとはいえ、結局は異界であり、洞窟。だからリュコスを押し流すことが出来た」
「あなたは分析もしっかりとしていますね……そう、あの時も、もっと私は冒険者と語り合うべきだった……語り合い、力量をしっかりと推し測ることが出来ていたのなら……ええ、悔やむばかりです。それでも、一つ前に進めたような、そんな気もしないでもありません。小さな一歩で、かなりぎこちない一歩……でも、一歩は一歩」
リスティは堅苦しい表情を解いて、微笑みを見せたのち村人たちに事情を説明するためその場をあとにした。
「今日はこの村で休ませてもらおう」
「うん、その方が良い」
「大詠唱なんて、魔術書に載っていてもすぐに使えるわけじゃないだろ」
「『栞』を使えば、出来るかなって」
「なんで出来ると思ったんだよ」
「それなら、なんで私に任せてくれたの?」
「なんとなく。アベリアの魔法ならって思った」
「じゃぁ私も、なんとなく使えるかなって」
アベリアの頭を撫でようとしたが、それは果たしてやって良いことなのかどうかで悩み、躊躇する。しかし彼女は顔を上げて、既に構えているのでアレウスは手を彼女の頭に乗せ、ゆっくりと撫でた。
「アレウス!」
「な、んだ?」
見られては行けないところを見られたような感じを覚えて、アレウスは戸惑う。
「あなたに助けられたのはこれで二度目ね。アベリアも、ありがとう。あなたたちの話を聞いていなかったら、あの子も私もガルムに喰い殺されていたし、リュコスをあそこまで翻弄することも出来なかった」
「リュコスに見つかったあとはずっと隠れて移動していたのか?」
「臭いを辿るって分かったから、自分の血が付いた布を千切って、ばら撒いていたのよ。それでかなり翻弄は出来ていたみたい。洞窟暮らしで、目があんまり良くはなかったみたいね」
「さすが射手。狩人みたいなこともお手の物か……冒険者は、もう辞めるのか?」
「なに言ってんの? 異界はもう完全にトラウマだけど、私はここで冒険を終わらせる気は無いわ。ま、しばらくは身の丈に合ったクエストを探すけれど」
「そうか……それが良い。僕たちも当分は、そうなるだろうから」
「私ね、冒険者を続けたいのはまだ理由があるのよ? あなたたちは凄く危ない橋を小さな頃から渡って来たんだろうなと思う。だからこそ、私はあなたたちを助けたい。でも、冒険者をここで辞めてしまったら、あなたたちを助ける力も無くしてしまう。それだけは嫌なのよ。守りたい者を守る。私はこの村を守りたいし、今度は私があなたたちを助ける。ああでも、異界だけは勘弁よ?」
「そうやって、気に掛けてくれるだけでもありがたい。それと、これは別に催促するわけじゃないんだが」
「食料でしょ? 明後日にでも馬車で街に送るわよ。また食べ物が台無しになって、大変でしょうから」
アベリアがユラリと立ち上がり、ニィナに抱き留められながら、その手を握ってブンブンと振る。食べ物に関しては素直に感謝がそのまま形となって現れる彼女を見て、アレウスは「『栞』を使ったあとでも、元気そうでなによりだ」と安堵の息を漏らした。
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「神の判断を拒むか……故に、異端なのだ」
「異端なる命は全て、巡らせてはならないし還らせてはならない。ここで皆殺しにするか」
「村が一つ滅んだとなれば、冒険者共が大挙して押し寄せて来てしまう。それでも構わないならお好きにどうぞ」
「正義を果たさなければ、価値など無い」
「『蛇の目』……非常に興味があります。ぼくのコレクションに加えたいくらいですよ。ですが、どうやらまだオアズケのようだ」
「異端であるぞ、異端で、異端であるぞ」
神官の外套を纏った三つの陰は各々、好き勝手に言葉を零しつつ、やがて舞う土煙と共にその場から消え去った。




