気持ちの否定
*
「私が至らぬばかりに、このような面倒事に巻き込んでしまって申し訳ありません」
家の管理確認が終了し、夕方までエイラと遊んでからアレウスはクラリエとヴェインにエイラたちを貴族領まで送り届けることを任せ、アベリアを連れてギルドへと赴いた。そこでヴェインの肩慣らしに最適な依頼を幾つか見繕ってきたリスティには悪いが、ジュリアンの言っていた人物についての話を切り出し、依頼云々の話は明日に流れてしまったが彼女に件の人物の家まで案内してもらえることになった。
「リスティさんが気を許してアレウスのこと話してしまう間柄ってこと?」
「絶対にないです。二度とそのような仮説を立てるのはやめてください。怖気が走ります」
アベリアに即座の否定を入れ、更にその語気は強めだった。
「でも師事されていたと聞いていますけど」
「ええ。私とエルヴァを王国から帝国へと逃がしてくれました。いわゆる、逃がし屋です。あと、当時は冒険者であったこともあったのでまだまだ未熟だった私とエルヴァはあのセクハラ野郎に師事しました。人間としてはクズの中のクズなので、尊敬の念は抱いてはいませんが」
「王国出身だったんですか?」
「言っていませんでしたっけ? コロール・ポートで王国について詳しかったのは王国産まれだったこともあるんですが……そうですか、話していませんでしたか……」
アレウスの質問にリスティは自分自身で、出身について語っていなかったことに驚いているようだった。
「どこの出身であっても、僕は気にしませんけど」
「まぁ、初期の初期は密入国でしたが今は正式に帝国の国民です。それもこれも帝国で冒険者になったから許されただけで、隠れ潜んでいたらきっと捕まって、死んでいたでしょう」
リスティはそこまで言って、大きな溜め息をつく。
「私はあのセクハラ野郎と深い関係にあるわけではありません。ですが、あなた方と出会った初期の初期――まだアレウスさんとアベリアさんとの絆を築けていないときに、一度だけ担当している冒険者について聞かれたので、話してしまいました。私が冒険者を辞めてからはセクハラ野郎の元にこちらから伺うこともなかったのですが、あれもあれで冒険者を辞めてからは後進の育成という名目でギルドに訪れることがあったので……今、思えば偶然にしては出来過ぎているので、きっとアレウスさんの噂を聞いて、ついでに私が担当者になったことを好都合と思い、情報を聞き出そうとしていたのでしょう」
「僕は目を付けられていたんですか?」
「その可能性はありますが、あなたに接触していないことについての説明がつきません」
「わざわざ聞きに来たのにアレウスと話をしないのはおかしいかも」
二人の疑問にはアレウスも同意見だった。リスティにそこまで聞いておいて、アレウスに声をかけもしないのは一体どういった意図があるのか、まるで汲み取ることができない。
「油断はしないでください。こちらの神経を逆撫でするのだけは得意な方なので。私やアベリアさんになにか言うことがあっても、手を出すことはなさらないでください」
家の前に着いて、リスティがアレウスに忠告する。
「機嫌を損ねるとマズいんですか?」
「いいえ、単純に実力の話です。冒険者にして、逃がし屋。そんな経歴の持ち主ですので、伊達に死線を潜り抜けていません」
「気前の良いことを言ってくれるじゃないか。普段は尻すらロクに触らせてくれもしないクセに」
「なっ?!」
気配を感知出来なかった。『影踏』やクラリエのような高度な気配消しとは全く違う。景色に溶け込んで姿が見えなくなるのではなく、見えているのに気配が無い。だから、家の中から突如として現れたことに大きく驚いてしまった。
「なんだ? 今日は娼館で予約の一つも取っちゃいないがな……それでも、新しい娼婦を俺に抱かせに来たってんなら考えてやらなくもない。ビビるほどに綺麗すぎて、どうにも娼婦とは思えないが」
「ギルドに所属している私が性風俗を斡旋するとでも?」
「鞍替えでもしたのかと思ってな。お前は娼婦で五年働けば、慎ましやかに暮らせば老後を心配する必要もないくらいに稼げるだろ。お前の尻は椅子に座らせておくには勿体無い。男の腰の上で振らせてこそ価値がある。これは前にも言ったか?」
どうにも善悪を飛び越えて、アレウスの感情が男を許さない。だが、武器は使えない。使ってしまえば、まかり間違って刺すようなことになればただの殺人者になってしまう。だからこそ、培ってきた力での制圧を試みるべく、アレウスは男へと一気に接近する。
「そういう手前勝手な基準で人の発言の良し悪しを決める権利はない。俺の言ったことに腹を立てるのはお前じゃなくリスティであり、そっちの別嬪さんだ。それとも、そいつらが怒らないから代わりに怒っているとでも? 何歳だ? いい加減に、その的外れな正義感を振りかざすな」
信じられないが、アレウスの接近に対して男は既に動いていて、取り押さえようとするアレウスが逆に拘束されてしまう。
「ほぅら、どれだけ頭が良くても、傍にいる仲間や友人を馬鹿にすれば簡単に釣れる。群れる魔物と一緒だな。他者が傷付いたからと、そうすぐに自分の怒りと同調させて動いてしまえば、後悔ばかりが残ることになる。怒りの感情を制御できないから、こうやって俺に捕まってしまう。馬鹿が! 俺がお前に捕まるわけがないんだよ!」
腕を拉ぎ折られるのではないかと思うほどに関節とは逆方向に引っ張られ、歯向かう気力を奪われたのち、アレウスは家の中へと投げ飛ばされる。
「クソッ!」
室内は荒れていて、所々の傷みも激しい。床板も剥げているところがあり、蜘蛛の巣もあちらこちらにある。なによりもアレウスが注目したのは、部屋の至るところにある石像の数々だ。
「この石像は……」
「俺は芸術家だからな」
そう言いながら男がアレウスに迫る。起き上がろうとするが、両腕を先ほどの拘束で痛めてしまい力を入れることができない。
「そうだ、そのまま這い蹲っていろ。そうすると、お前が見ようとして見ていなかった事実を見ることになる」
男はアレウスを踏み付ける。それだけで一切の動きを封じられてしまい、抗おうとしても絶妙な力加減で押さえ込まれてしまっている。
「地べたや床に這い蹲ったところから、世界を見た人間なんてそうはいないだろうよ。ああでも、お前は地獄を見たことがあったんだったか。そうであっても、お前はまだこの地獄を見たことはない」
男の手が動き、それに呼応して部屋に明かりが灯される。先ほどまでただの石像だったそれぞれが、男の手と腕の動き一つで自在に動き、姿勢や体勢を変える。
「や……めろ」
「これはただの作り物だけの景色だが、それでも嫌がるんだから、きっと分かっていながら見ないようにしていただけの事実ってことか」
石像はどれもこれもが不快な体勢ばかりを取っている。なによりも表情も体格も、どれもこれも、脳が勝手に残りの足りない部分を補完してしまうほどに精巧に出来過ぎている。
「お前たち冒険者が死んだあとの村は大抵、こうなる。魔物に滅ぼされたあとに保護されたら別だがな、人間に滅ぼされた街や村はこんな景色がどこにでもある。略奪、虐殺、強姦、放火、誘拐、なんでもありだ。そんな中でも男の大半は、そうやって地べたで這い蹲って、流れ出る血だまりの中で訪れる死を感じながら、女子供に酷いことがされる様を見届ける。地べたじゃないこともある。木に吊り下げられたり、丸太に括り付けられて、異端者狩りのように火で焼かれながらって場合もある。なんにしても、抵抗し、筋力のある男どもはどいつもこいつも殺される。となれば、歯向かわないのが正解か? そんなワケがない。歯向かわなかったら、奴らは余興とばかりにお前の眼前でお前が大切にしていた女子供を弄び始める。それで済めばいいが、そのあとは犬や豚に生きたまま餌にされたり、どれだけ傷付けたら死んでしまうのかっていう拷問も始まる」
男は滔々と続ける。
「いいか? 悪意ある人間は複数人で集まると、ただの狂った集団になる。狂った集団にはありとあらゆる言葉が届かない。国家も法も通じない、ただの無法と違法に染まった景色だけがそこにある。それがたとえ火花のように一瞬であって、鎮圧されても、奴らの特に狂った輩は決して後悔はしない。命乞いする輩はまだ良いさ、まだ殺す価値がある。だが、後悔するどころか“やり切ったこと”に満足して、命を捨てている輩は手に負えない。こいつらは殺したところで、呪うどころか感謝してきやがるからな」
「……だから、なんなんだ?」
「ちっとも分かんねぇのか。だったら、ここにリスティと別嬪さん――アベリア・アナリーゼも混ぜようか?」
「っ!!」
「これは別にお前たちには関係のないことでもないんだぜ? 冒険者だから死ねば甦る。ああ、気前の良いことだ。『教会の祝福』に感謝すればいい。だが、逆に言えば“死ななければ甦れない”。両手両足を拘束するか、それとも切り落とすか。抵抗できなくなった女の冒険者も、奴らは平気で対象にする。特に扱いが酷い。なにせ、連中を苦しめ続けている存在だ。略奪した女子供すら同情するほどの扱いを受ける」
男の腕に合わせ、石像が元の位置へと戻っていく。
「俺が分からせたいのは、人を殺すような冒険者にはなるな。お前は向いていない。その道を生業にすると、女だけに限らず、お前は連れている仲間を危険に晒す。コロール・ポートでは人を殺さずに上手くやれたかもしれないが、今度も上手く行くとは限らない」
「コロール・ポートの一件にアレウスさんが関わっていることは秘匿されているはず」
「俺は元逃がし屋だぞ? 世界情勢を知らずして、逃がし屋なんて仕事はできやしないんだよ。そして、仕事を辞めてからも無意識にそういった情報は集めてしまう。それもこれも、俺を恨んでいる連中がいつ寝首を掻きに来るか分からないままでは、安心して芸術活動に勤しむことができないからだ」
リスティの呟きに男はそう答え、アレウスを蹴り飛ばして満足したのか、作りかけの石像へと足を向けた。
室内に入ったアベリアがアレウスの上半身を起こし、床に座らせる。腕にはまだ力が入らない。
「僕に忠告したいがために、ジュリアン・カインドを利用したと?」
「俺が利用したのは弟子の方だ。お前のことは一年前から耳に入れていた。情報についても、その弟子が勝手に口走ってくれたおかげで色々と助かった」
石像掘りを始め、男はアレウスの方を一切見なくなる。
「一年前はただの生き急いでいるガキの冒険者だった。ほっときゃ痛い目を見て勝手に辞めていくかどっかで野垂れ死んで、廃人になっちまうか。まぁ、冒険者によくある末路を歩いて行くんだろうなと思っていたが、どうにも今は放っておいても死にゃしねぇぐらいに強くなってしまっているようだ」
「ジュリアン・カインドを寄越した理由を教えてください」
「人に物を頼むときは……いや、弟子に物を頼まれたんなら、答えてやる。ジュリアン・カインドは面白い潜在能力を持っていた。あの魔力の糸に目を付けたのは、俺自身が石像を動かす方法について悩みあぐねていたときだ」
「石像を動かす……? じゃぁ、これもジュリアン・カインドの魔力の糸のような」
「やっぱり頭が良いな、お前は。そうだ、さっきのはジュリアン・カインドの魔力の糸の応用だ。ついでに俺は土属性の魔法で、石像の関節を自在に動かせる。固着させているもんは、その形のまま動かすことはできねぇが、動かす用に置いているもんは人形と同等くらいには動いてくれる」
アベリアに過度な心配を与えるわけにもいかないため、アレウスは視線で大丈夫だと伝え、彼女をリスティの傍まで戻らせる。
「目を付けたまでは良い。潜在能力の盗用もまだ良かった。だが、性格の悪さまでは考えちゃいなかったな。この俺から、ありとあらゆる技術を盗もうと毎日のように通い詰め、時には俺が気付いていないと思って身を隠しながら俺のことをずっと観察していた。止めりゃ良かったが、どうせこいつもいつか飽きるんだろうと高を括っていたのが裏目に出た。年齢を偽って冒険者のテストに出るなんざ、思いもしなかった。そういう小汚いところまで学ばれちゃ、もう二度とここにあいつを近付かせるわけにもいかなくなっちまった」
「ジュリアン・カインドはあなたからアレウスさんの情報を聞き出したと仰っていたようですが」
「俺もクズだからな。たまには酒を飲みたくなることがある。あいつは俺が酔い潰れたときを狙われた。頭じゃ分かっていても、気付いたらお前が話していたことを全て吐いてしまっていた。喰ったもんと一緒にな」
「それを悪いとは?」
「は? 思うわけねぇだろ。俺から言わせてみれば、聞く方が悪い。これがもしお前の胸や腰や尻のサイズについて聞かれていても、俺は同じように暴露していただろう。人の秘密を都合良く聞き出せるからと聞き出す奴は総じて性格が悪い」
「酔っていたことを棚に上げるんですね」
リスティの言葉には怒りが混じっているが、男はまるで気にしていない。
「当たり前だろ。酔うことは悪いことじゃない。酔ったことを利用している連中が悪い」
「結局、さっきのは忠告なのかただの嫌がらせなのか……」
「物事ってのは覚えさせるんじゃなく、分からせなきゃならない。お前はどう考えても、こっち側――人を殺せる冒険者になりつつある。ガルダの件はシンギングリンを守るためには必要なことだったが、悪魔憑きの一件と合わせて二回目だ。お前の中での“必要なこと”の箍が弱りつつある。一度覚えちまったことは、二度と忘れることはできねぇよ。だからお前は、これから徐々に徐々に“簡単に人を殺せるようになる”。そうならないように努めても、そうなってしまう。これから、世界でデカいことが起こる。この流れはもう止められねぇ。覚悟を決めろ」
「もう覚悟は決めている」
未だ起き上がれないアレウスは反論の声すらたどたどしい。
「そういう輩は逃がし屋をやっていたときに何人もいた。だが、そいつらは仲間や友人が死んだとき、足を止めて一緒に死んじまっていたよ。総じて搦め手に弱い。自分への数々の暴力や暴言は耐えられても、仲間や友人への暴力や暴言には耐えられないってのがほとんどだ。精神力ってのは鍛えられるものじゃない。精神力が強いなんて言葉があるが、あれは異常事態を目にしたときや言われたときに、それをそのまま脳内に取り入れるんじゃなく、情報を多く迂回させられる方法を知っているか否かだ。その方法を先に掴んで、使えなくしてしまえばどんなに体を鍛えている奴も一撃で精神がやられる。お前が見たくない景色を石像で再現した瞬間、体中から抵抗の意思が消え失せたのと同じだ。お前は力だけ強くなっている段階で、精神に来る攻撃の迂回路を知らない。さっさと学ぶべきだな。それが自信になり、人に褒めらても動揺せず、自分への評価を受け入れる足掛かりになる」
教えているつもりなのかもしれないが、初見が最悪であったために素直に教訓にはできない。
「今後もジュリアン・カインドと交流を持つつもりですか?」
「だから、俺にその気はねぇんだよ。あのガキが勝手に俺の弟子みたいな顔をしていやがる。俺は女以外の弟子は取ったことがねぇってのに。好きにしてくれ。あのガキになにがあったって、俺は文句の一つも言わねぇよ。むしろ感謝するね。ありがとうございます、ってな」
右腕だけ動かせるようになり、アレウスはその片腕に力を込めてなんとか起き上がる。
「その右腕についても陽気に振り回しているだけじゃなく、なんでそうなってんのかを調べてみたらどうだ? それが嫌だってんなら、まずはその短剣からだな。そんなもんを平気で振り回せるお前の感性が、俺には一番分からない」
「この短剣は、貰い物で」
「どうにもエルフの悪知恵が働いている気がする。さっさと解いてもらうか、逆に利用できるように改善してもらうか。どっちにしたってエルフの森に行かざるを得ないな。そうやってお前は、渦中に身を投じるんだろうがな。もう運命がお前をそうさせている。そういう風に、お前の“命”は“運”ばれていく。生き残ることで抗ってみせろ」
そこで男は一呼吸置く。
「説教臭くなっちまった。三日も女を抱いていないと、頭が冴えちまって困る。リスティを弟子にしていた頃はいつだって女の体を拝めたが、エルヴァに制裁を加えられることも常だったからな。どこかに俺の言うことだけを聞いてくれる素晴らしい女の助手はいないものか……」
不意の昔話と欲望の吐露にリスティが深い溜め息をつく。
「逃がし屋として出会ったときはまともでしたのに」
「いいや、俺はあの頃からまともじゃなかった。まともだったのはお前だけだ。エルヴァと畏れ多きあの御方も、まともなフリをしていただけでまともじゃなかった」
「畏れ多きあの御方……?」
「あなた方は知らなくて良いことです」
アベリアが質問のように男へと言葉を紡いだが、それをピシャリとリスティが止めてしまった。
「もう聞きたいことはないはずです。行きましょう」
かなり急かされる形でアレウスは男の家から外へと出る。
「人生ってのはなにがあるか分かったもんじゃねぇな、リスティ? 王国で逃がし屋としてお前たちと出会ったとき、俺はまだ未来は捨てたもんじゃねぇなと思ったもんだ。結局、ただの勘違いだったけどなぁ」
その言葉にリスティが答えることはなく、玄関の扉を力強く閉じた。




