付け上がる
≠
「気に入った相手を試したくなっちゃうのはどうしてなんだろ」
それをやって、産まれ直す前に物凄く後悔したことを憶えている。この世界に産まれ直してから経験したトラウマよりも強いというわけではないが、時折、思い出すたびに胸が苦しくなる。
ああ、二度と会うことはないんだ、と。
あのとき、あの場所、あの瞬間にリゾラは確かに彼と一緒にいた。なのに今は、どれだけ頑張っても、彼と同じところには行けない。
「そもそも……死んじゃった、し……」
だからこそ、考えてしまう。
彼を試すように、キツめの言葉を浴びせたりしていなければ、彼と今頃はこんな世界に産まれ直すこともなく手を取り合って、勉学に勤しむこともできていたのではないか、と。そして、ひょっとしたらその先の関係にだってなっていたかもしれない。
「なにもかも、遠く遠くに行っちゃって……どうしようもないのに何度も考えて、苦しんで……馬鹿みたい」
そう何度も自身を罵るが、それで気持ちが晴れやかになったことは一度もない。
むしろ、会いたいという気持ちばかりが膨れ上がる。
「お互いに死んだのに、私だけが産まれ直すって……これが、私の罪ってことなのかな」
弱音を吐き終えて、リゾラは「よしっ」と意気込む。
「このワイルドキャットは個体としてはかなり体格が良いし、かなりの魔力を備えている。終末個体化する前にもらっちゃうね?」
誰に言うわけでもないのだが、リゾラは問い掛けるように言葉を紡ぐ。
「それに、個体として優秀でもワイルドキャットをテストの対象にするなんてつまらない」
リゾラは前方の空間に手を滑らせて、手の平から魔力の塊を地面に落とす。
「まぁ、沢山死ぬだろうけど……これに生き残れないんじゃ冒険者じゃないでしょ? 真に冒険者を目指すなら、これくらいの困難は乗り越えてみせてよ。アレウスを試して、アベリアに意地悪をする。この二つを達成できるんだから、私には良いこと尽くめだし」
魔力の塊は次第に膨れ上がり、魔物を形成する。
「でも、まぁ……可愛い見た目に油断しないようにして? これで死んじゃったら、幻滅どころの話じゃないし……アベリアが死んだら、嬉しいけど」
リゾラはワイルドキャットを魔力に変えて体内に蓄え、そのまま周囲の魔物や冒険者の技能に干渉しないまま、その場から姿を消した。
*
仲間が前衛であるのなら、こちらに気付いている見習いは後衛。前衛の戦いぶりを見て、わざわざ援護する必要がないと判断して、辺りの気配を探っていたらアレウスたちを感知した。そのように推測は立てられるが、それでどうしてアレウスだけが引き寄せられる魔力の糸に引っ掛けられなければならないのかまでの理由が立てられない。敵意がある人物や魔物を手当たり次第に魔力の糸で引っ張るのであれば、彼らが戦っているガルムにも同様の異変がなければ説明がつかない。しかも、見習いに攻撃するような敵意や悪意などアレウスには毛頭ない。
自身のロジックを魔力の糸は絡め取っている。そうアベリアは言っていた。ならばアレウスのロジックの中に書かれているテキストのなにかが、あの見習いの魔力の糸が反応する原因となっている。
技能の中にある『窃盗』か、それとも称号としてある『スカベンジャー』や『死者への冒涜』か。なんにせよ、ヒューマンに限らずありとあらゆる種族に嫌われそうなものならいくらでも刻まれているのがアレウスのロジックだ。それらが条件として設定されていて敵意判定を受けている可能性がある。さすがに見習いに「解いてほしい」と交渉するのはなにかが違うような気もするが、魔力の糸に何度も引っ張られてしまって見守る側としての行動に制限が出てしまうのならば致し方ないことだろう。
問題は無意識に魔力を溢れさせて生み出している魔力の糸であるため、解除できない状態にあるかもしれないことだ。そうなってしまえばアレウスだけが現在の配置から離れるか、パーティ単位で他のパーティとの配置換えを願い出るかの二択となる。
「ガルム退治は上手く行っているみたいよ。前衛が良い動きをしているわ。中衛も無理に前に出ず、維持ができているみたい」
ニィナが移動しつつも見習いの戦いぶりを解説してくれる。
「奇襲気味になっていたからな。ガルムがあの距離まで見習いに気付かないのも珍しいけど」
「それは多分、アレウスの血の臭いのせいだねぇ。近くの気配よりもそれに気を取られすぎたんだよ」
「……近付かれないようにしたことが逆に見習いに手助けする形になってしまったのか」
クラリエの指摘にアレウスは反省気味に呟く。
「テストを受ける側はまだしも、テストを見守る側が安全を確保できていないんじゃ身も蓋もないんだから、そんなことで一々反省することじゃなくない?」
「ま、今回はクラリエに賛成。アレウスはいっつも反省と責任を感じすぎなのよ。見習いが有利な状況を判断できているんなら良いことじゃない」
見習いが状況が有利と判断してガルムに攻撃を仕掛けたのか、それとも無我夢中で魔物の群れに飛び込んだのかまでは分からないため、ニィナの励ましには強く同調することができなかった。そしてニィナもアレウスのノリを良くすることができなかったことに小さな舌打ちをする。アレウスを面倒臭いと捉えたのか、それとも励まし方を間違えたことに対する自身への苛立ちか。どちらにしても彼女にしては珍しい感情表現だった。
「またか……」
魔力の糸がアレウスの胸部に繋がり、引っ張られる。すかさずクラリエが短刀で断ち切り、魔力の糸は霧散する。
「ありがとう」
この工程を何度も重ねるのはクラリエの負担になる。
「別に負担とか思ってないよ。仲間は助け合うものでしょ? 私はそれ以上にアレウスに助けてもらっていることの方が多いんだから、後ろめたさも感じなくていいから」
手慣れた様子で納刀し、クラリエは朗らかに笑う。
「スティンガーに補佐させるか?」
妖精の粉をまぶせば、魔力の糸をアレウスやニィナ、ガラハも視認できる。そのための提案だった。
「ガラハの魔法対策になっているスティンガーに僕を優先して守ってもらうわけにはいかないよ。手間は掛かっても、命に直接関わるわけじゃないんだ。それほど気にすることじゃないはずだ」
もしこれが、魔力の糸に絡め取られた回数だけ体への負担、負傷などが起これば別の話だが、今のところアレウスの体には引っ張られる以外の不快感はない。
そんな手間の掛かる魔力の糸の断ち切りを繰り返しながらの移動を続けて、アレウスたちは見習いのパーティの傍に身を隠す。
「前衛は体幹がしっかりしているねぇ。動き回るよりも立ち塞がる強さってところかな」
ガルムの群れを見習いのパーティは未だに倒し切れてはいなかったが、それでも崩壊する様子はなく、確実に魔物の数を減らしていた。後衛に被害が出ている様子もなく、向かってくるガルムの数に合わせての前進と後退の見極めができている。
「元々、捕捉していたガルムの群れは大きめだったから寄ったけど、これだったら必要なかったか」
「念には念を入れるのは大切なことさ」
ヴェインはアレウスの肩を軽く叩きながら言う。
「魔法も節約していると思う。回復魔法をひたすら唱えているようには見えないし」
「ニィナとアレウスが気にしていた後衛の子も、今はちゃんとガルムとの戦闘に集中しているみたいだし」
アベリアとクラリエは中衛から後衛の見習いに注目しつつ、戦闘の行方を見守っている。
「前衛三人、中衛二人、後衛二人か。僕たちより大所帯だな。あれでまとまるのか?」
「まとまっているのではなく、各々が臨機応変に動いて、まとまっているように見えるだけだ。それだけでも凄いことだが」
ガラハがそう指摘する。
「あれは即席のパーティだ。互いに信用などしていない。冒険者になるために、このテストで大きく目立つためだけにパーティ人数を多くしたのだろう。ガルムを倒した数でテストの結果が良くなると決め付けているのだろうな」
「おおむね正しいけどな。ガルムやハウンドを倒せば倒すほど、優秀ってことだから」
アレウスは、自身やアベリア、ニィナが合格したのはオーガに立ち向かい、生き残っていた見習いを安全な場所まで下がらせたことが評価されたためだと思っている。もし、あのテストでオーガが現れていなかったなら、テストの結果には必ず討伐数が絡んでいたはずだ。その場合、アレウスとアベリアが合格できていたかは怪しくなる。
「問題なさそうだねぇ。見習いだけどよくやってる。合格したら伸びると思うよ」
「伸びるのと僕たちが協力を求めやすいかどうかは別の話だ」
「まぁ、アレウス君ほどじゃないけどあたしたちってどちらかと言うと協調性は低い方だからねぇ」
さり気なく馬鹿にされたが、協調性がないのは事実なので腹が立つという感情が起こりにくい。いつものことだが、アレウスは自身の短所について正しく批判されると、素直に受け入れてしまうところがある。美徳のようだが、場合によっては損をしてしまう。未だ見極めるに至っていないが怒るべきところで怒ることができなければ、図に乗られてしまったり付け上がられてしまう。クラリエ――彼女に限らず仲間からはそのような傾向はないのだが、問題は内部ではなく外部である。要は行うべき反論を行わないために、ナメられやすい。
「あちらにどなたかが隠れています」
アレウスの頭を悩ませていた魔力の糸の張本人――ニィナやクラリエが捕捉していた、遠方からでもこちらを向いていた後衛の見習いの一人がアレウスたちが隠れている場所を指差しながら言う。
問答無用といった具合で前衛の見習いが一斉に走り出し、各々が手に握り締めている武器による攻勢を仕掛けてくる。
「人と魔物の区別も付かないのか……!」
呟きから徐々にハッキリとした声量に変えつつ、アレウスは短剣を抜き、ガラハとヴェインに加わって前衛の見習い三人の攻撃を受け止める。
「あ、もしかして、テストの見守り役ですか?」
アレウスが肯かずとも雰囲気で察したらしく、見習いは武器を下ろして、後ろに下がる。
「本当にすみません。近付く気配は全部、敵だと思おうと決めていまして」
「あの……テストに評価に影響が出たりはしませんよね?」
速やかに謝罪をされるが、心の底から謝ってもらっているようには思えない。だが、そんなのはアレウスの心象に過ぎないため、一言や二言で相手の態度を決め付けるのは早計である。
「僕たちは君たちが死ぬ立ち回りをしないかどうかを見守るだけだ」
それ以外にも一応は進言の権限もあるのだが、その発言力は弱い。そのため、見習いに伝えたことはほぼほぼ真実である。
「それよりもさっきの俺の戦いぶりを見ました?」
「あ、ズルいぞ。俺、ガルムを三匹倒しました」
「俺は五匹。数なら俺の方が上だ」
「私たちのサポートがあってこそでしょ!」
中衛と後衛の見習いも加わってくる。そして、誰もが自身の成果や手柄を語り出す。語っていないのはただ一人――アレウスたちをジッと見つめていた少年だけだ。
「ここで主張しても、あたしたちが君たちを優遇するってことはないかなぁ」
「いやいや、見習いでガルムを五匹も倒したんだ。俺の才能に気付いてくださいよ。冒険者になれば飛び級で中級冒険者相当のことをしているはずだって」
クラリエに喰ってかかるようにそう主張する。
ガルム退治は新米冒険者や初級冒険者の依頼である。場所によってガルムの強弱はあるものの、冒険者としては倒せて当然の部類に入る。そのガルムの群れにゴブリンが混じるようならば依頼の難度は上がって、初級冒険者でもパーティとしての人数を求められるようになる。
あまりにも自信過剰な発言だ。ガルムを五匹倒したところで、物凄い評価が出るわけではない。
「ガルムを倒すことはそう難しいことじゃない」
「いやいや、さっきの群れを見ましたか?」
「確かに数は多かった。それでも、魔物としての脅威度は低い」
「だったらこのガルムの群れを倒す前にハウンドも二匹、俺たちは倒したんです。どうですか?」
「群れとして形成され切っていないハウンドを二匹倒しても、そこまで凄いことじゃない」
魔物に対する知識が乏しい。アレウスがテストを受ける前は、相対するだろう魔物であるガルムやゴブリンの生態については詳細に調べ尽くした。だからこその短弓の利用や鏑矢、アベリアが魔法を唱える位置指定のための装飾の付いた矢などを用意した。
この見習いたちからはそういった事前の準備というものが見えない。確かに能力としては冒険者として適性がある。だとしても、それに知識が追い付いていないように感じてならない。
「いや、でも!」
「待て、落ち着けって」
アレウスにも見習いは主張を続けつつも、冷静さを欠いている言動を控えるようにパーティメンバーが諭すように制止する。
「考えてみろって。俺たちは凄いことをやってのけている。なのに、この人たちはそれを凄いとは言わない……ってことは、これはいわゆる妬みだ」
あらぬ方向に話が行く。
「ああ、なるほど」
「私たちと違って、冒険者の中でも底辺ってこと?」
「じゃなきゃ見守りなんて依頼を引き受けたりしないだろ」
「つまり、自分たちにできないことを俺たちがやっていることに僻んでいるわけか」
アベリアとニィナが動き出しそうだったが、アレウスが腕をスッと動かして、制止を掛ける。
「意地悪なことはしないでくださいよ、先輩」
「自分たちよりも上に行かれるかもしれないからって焦られても困るのは私たちですから」
「もしかしてガルムを倒すのを見守っていたんじゃなくて、怯えて姿を現すこともできていなかったんですか?」
これがアレウスの短所が織り成す影響だ。自身に対しての罵りならば、ある程度は聞き入れてしまう。アベリアやニィナを止めたのは、自分への誹謗中傷に留めるためだ。彼女たちにまで心無い言葉が飛ばないようにした。しかし、怒るべきときに怒らなかったために付け上がる。だからこうしてナメられる。分かっていたはずだが、やはり一連の流れを止めることはできなかった。
とはいえ、彼らは魔物との戦いで一種の興奮状態にある。冷静さを取り戻せば、ひょっとしたら自身の発言を撤回するかもしれない。そして、興奮状態にあり調子に乗っているのは彼らにとっては好調であることを示す。実力以上の能力を発揮できていると本人たちが感じるのなら、きっとそれは本当のことだ。その調子を崩すような発言をして、彼らが死ぬようなことがあればアレウスは責任を感じざるを得ない。だが、調子に乗って死なれるのも後味が悪い。
「この先は群れが複数に増えるかもしれない」
「分かっていますよ、そんなこと」
「一々、指摘されなくても私たち、準備はできていますから」
「妬みや僻みなんかに惑わされずに、ちゃんと評価してくださいね」
準備はできていても覚悟ができているかは別の話だ。そう伝えるべきか悩んだが、やはり先輩冒険者からのイヤミと取られるのであれば、言わない方が彼らの胸中にシコリが残らない。
「本当に、我慢強いよ君は」
ヴェインが横でボソリと呟いた。
アレウスは深い溜め息をつき、陣を張った場所まで戻るように仲間たちに目配せして踵を返す。
「待ってください」
そう呼び止めたのは、アレウスを魔力の糸で何度も引っ張ってきた少年だった。彼だけは先ほどまでのやり取りに参加することはなかった。むしろ、自身の仲間が発言する様々なことに慌てふためいていた印象がある。
「君の魔力の糸は一体、なにを条件にしているんだ? 無意識だとしても、なんで僕ばかりが引っ張られた?」
「あ……え……? ああ、そっか、そうですね…………やっぱり、この条件なら引っ掛けることができていたんですね」
「どういう意味だ?」
「いえ……ちょっと、色々と僕自身が調べていることがありまして」
「調べていること?」
「あー、あー……! 聞かなかったことにしてください!」
思わず口走ってしまったことに気付いたかのように過剰に反応しつつ、少年がペコリと頭を下げる。
その少年が仲間のあとを追おうとしたとき、どうにも捉えたことのない気配を感じ取ってアレウスとクラリエが同時に臨戦態勢を取り、ニィナが矢をつがえる。それを見てガラハやヴェイン、アベリアも態勢を整え始めるが、驚くことに少年もまた同様の対応を取り――自身の実力を良く分かっているようで、大きく大きく気配の方向から離れるように距離を取って行った。
「見習いとは思えない反応だな」
「魔力の糸がアレウスを引っ掛けたけど、もしかしたらアレウス以外も事前に引っ掛けることができていたのかも。その中で、アレウスだけを手繰り寄せていただけで」
なら、本来はあの魔力の糸は魔物を捕捉するためのものなのだろうか。それこそ、蜘蛛の巣のように張ることであらゆる魔物の動向を遠方からでも確実に捉えることができるような、そんな強力な無意識的な魔力の放出を彼が行っているのであれば、見習いの域を越えている。
それどころか、人か魔物かの区別を付けての引き寄せであるのなら、精度も高い。魔物のロジックか人間のロジックかの判断ができている証拠だ。
「なにか物凄く嫌な感じがする。悪魔憑きと戦ったときぐらいの不気味さだよ」
クラリエがなにやら震えている。話を聞いた限りでは武者震いでは決して無さそうだ。
「君たち! こっちまで下がってくれないかい?!」
ヴェインが先を行く見習いに大声で指示を出す。だがそんなヴェインを彼らは笑ってから、無視をする。
その直後である。彼らが闇雲に近付いた“それ”が、見習いの首を一つ刎ね飛ばした。
血飛沫を浴びながら、“それ”はアレウスたちがようやく見える位置に姿を現す。
「『首刈り兎』」
「ヴォーパルバニー」
アレウスとアベリアがほぼ同時に、その魔物の名を口にした。




