決断は即座に
【狼】
獣型の魔物の種族。猫狼、狩狼、猛猫狼、魔狼――ガルム、ハウンド、ワイルドキャット、リュコスの順で体格も凶暴性も増す。ゴブリンたちのような知性は持ち合わせてはいないのだが、代わりに群れでの行動を重視し、非常に俊敏でしなやかな動きを見せる。牙も爪も鋭く、軽装であれば隙間を狙われると重傷に至る場合もある。更には獣としての本能が備わっているため、脅威と思った者を優先して攻撃する傾向があり、群れ単位で捕捉されると前衛は一人だけが集中攻撃を受けることさえある。しかし、本能に従い過ぎる、知性の薄さが弱点にもなっているため、獣型全般に言えるが罠などに掛かりやすい。ただし、同胞が掛かった罠を見て逃げ帰った一匹が居た場合、次の襲撃においてその群れは絶対に同じ罠には掛からない。
いたずらに時間だけが過ぎるかと思いきや、次の広場にはガルムが一匹しかおらず、さほどの注意もせずにそれを始末する。そして続く通路の途中で、三人は足を止める。
「矢で射抜かれたガルムの死体が一匹、死に掛けが二匹……」
呟きながらリスティは死に掛けているガルムを始末し、血を先ほどと同じ要領でアベリアに浄化してもらう。
「臭いで気付かれ、逃げながら戦った……のでしょう」
「上手い具合にその先に、穴があった」
アベリアが指差した方向に、穴が見えた。
「追われているのなら、迷うことなく飛び込む。空気を吸い込んでいるから、あれは登る穴です」
「では、二人は登ったということで間違いありませんね?」
リスティの問い掛けに二人は肯く。そして三人で界層を登る。
「……痕跡はありませんが」
「穴は移動します」
「ええ、知っています。なので、ここからどれくらい離れた位置で助けを求めているのかが重要となります」
広い広い空間だ。先ほどの狭さが嘘のようである。
「通路、広場……通路、広場……登った先が、洞窟であっても、岩壁に囲まれた場所……?」
アレウスは呟きながらアベリアを見る。
「危ないかも知れない」
「この巣を捨てたのはまさか――」
女性の悲鳴が轟く。会話を中断し、三人が声のした方向へと走り出す。
「迷わずリスティさんの走り出した方向に付いて行っていますけど、ここは洞窟ですから反響して声の位置が分からなくなると思うんですが」
「声の感知に関しては、僅かですが技能があります。声のした方角だけが分かり、距離や位置までは算出できませんが」
「それで充分」
アベリアが更に走る速度を上げる。
「落ち着け」
追い付き、アレウスが声を掛けるとアベリアが下がって行く。ニィナには二日もお世話になった。だからこそ今、アベリアの感情の揺らぎがあった。それを見過ごさず、彼女の焦りを抜き取る。これは別にいつも彼女にやっていることではない。むしろアレウスの方がアベリアによく声を掛けられて諫められる。今回はたまたま逆だったというだけのことだ。
「見つけました。このまま突っ込みます。私が魔物を引き付けますので、アレウスさんは援護をお願いします。アベリアさんは救助者を守るように動いて下さい」
「「はい」」
走り続け、ニィナの姿を捉える。ガルムではない、また別の四足歩行の魔物に対し矢を射掛け、しかしたじろがずに攻め込んで来るために短剣を抜いたその直後、リスティの一直線に駆け抜けながらの一点突破の一撃が魔物を一突きにする。
「まだ、もう一匹!! アレウスさん!!」
リスティの横を駆け抜け、魔物は既に疲弊しているニィナたちへと飛び掛かる。
「“軽やか”!」
走りながらにアベリアが唱えた魔法によって、加速したアレウスがまさに紙一重で間に割って入り、剣でその牙を受け止め、そして振り飛ばす。
「当てる!」
ニィナが矢筒に残る最後の一本の矢を弓につがえ、起き上がった魔物の額を射抜く。勢いはそのままに魔物は転がり、アレウスの足元で止まる。ピクリと動き、そして足に噛み付こうとしたところを油断無く、開いた口に剣を突っ込んで殺す。魔法が切れて、アレウスはまたも膝を折る。
「“癒しの加護を、二つ分”」
ニィナと村娘に掛けられた回復魔法が、アレウスの目に映っていた擦り傷や切り傷を痕を残さず綺麗に縫合して行く。
「冒険者ギルドの者です。ニィナリィ・テイルズワースさんで間違いありませんね? あなたが二日、担当者の感知外であったために異界に堕ちた可能性を踏まえ、緊急としてやって参りました。アレウリス・ノールードとアベリア・アナリーゼは今回は特例として、この緊急依頼に同行しています」
「は…………ははは、や……った。諦めなくて、良かった」
腰が抜けたのか、ニィナはその場に座り込んでしまう。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます」
村娘が感謝の言葉を向けて来るが、それをそのまますぐには受け取れない。
「水と、あと保存食だけど食べ物を持って来た。それで、どうして一界から抜け出せていない?」
保存食を詰め込めるだけ詰め込んだ鞄をニィナに渡し、革袋も預ける。それらを待ってましたと言わんばかりの速度で飲み、食べて、彼女たちの中で一心地が付く。二日もまともな物を食べていなかったのだから、もっとゆっくりと食べるか、白湯から始めた方が良かったのだが、まずは気力を回復してもらわなければならないのと、二人に言ったところで止められそうにはなかった。
「捨てられた異界にオーガが居たように、ここにも居るのよ。自分の縄張りにしているのが。色々、痕跡を残してはみたけれど……全部、潰されて」
やがてニィナは状況を語り出す。
「もっと早くに来られたら良かったのですが」
「いいえ、助けられたのであればどのような形であれ感謝しています。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「お気になさらないで下さい。ギルドとは集団。集団とは、個を守るために造られた物。だからこそ、こんなことは仕事の範疇に過ぎないのです。それで……一体、どのような魔物が?」
「ガルムじゃなくハウンドが出て来て、あとは、」
「ハウンド……こいつが狩狼か」
「だからその呼び方、よく分からないし。私の話を最後まで聞きなさい」
ガルムよりもやや大きく、猟犬のようにしなやかに、しかし凶暴性は増して牙や爪は更に鋭くなっている。
「それだけでも手一杯で、隠れていたんだけど……」
アベリアがアレウスの服の袖をクイクイと引っ張る。
「最終感知エリア」
「捨てられた巣を、我が物顔で使っているってことか? いずれ消え去る異界でのさばったところで、なんになるんだ?」
「もう来ている、かも」
地響きにも似た鋭い足音。いつかの記憶が危険信号を送って来る。しかし、あの頃ほどの足音の大きさではない。
「やっぱり、臭いで追い掛けて来ているんだわ」
「見た限りの情報を下さい」
「見た目は完全に狼だけど、大型。私たちなんて軽く噛んだだけで殺されるくらいに鋭い牙と、鉄すら裂きそうな鋭い爪」
「……リュコス」
リスティが魔物を断定した刹那、咆哮が木霊する。
「脱出するための穴は見つけています。だから、私たちはそこに逃げ込めば良いだけだったんです。でも、どうやって行こうにも、あいつが邪魔をして、逃げ回るしかなかった」
「入った物を必ず逃さない、異界獣の習性に似てはいますが、リュコスは異界獣ではありません。ただ、狼型の魔物の上位種ではあります。これより大型の種は異界獣以外には見つかっておりません」
大地を滑り、自身の疾走によって起きた勢いを殺し、魔狼――リュコスが尻尾を振り乱しながら行き先を変え、こちらを捉える。
「逃げましょう」
「あなたのことだから戦うのではと一瞬、思いましたが」
「あれに挑むのはただの愚行です」
村娘の手をニィナは掴み、駆け出す。彼女たちはもう戦う術を持っていない。つまり、狙われたら命は無いと思って良い。だからこそ最優先で逃走させる。次にアベリア、そしてアレウス、殿はリスティが務める。
「穴の位置は分かっているんだな!?」
「分かっているわ! あなたの言っていた通り、空気を吸い込んでいる穴だった! それと、異界について色々と教えてくれてありがとう。一界に登るのに随分と助かったわ。あと、堕ちたあとで良かったと思ったのは八匹のガルムより先のところに堕ちたことぐらいかしら!」
八匹のガルムには接触せずに済んだのは、その先の通路に堕ちたかららしい。
「登る穴を見つけたのは賭けだったか?」
「そうね。でないと私たちは左右の広場を闊歩するガルムに囲まれながら助けを求め続けることになっていたわ。まぁ、そっちの方が良かったのかも知れないけれど、この子が耐えられそうになかったから、一日は静観して、二日目から移動したのよ」
だからアレウスたちが見た矢を射掛けられたガルムたちはまだ息をしていたのだ。
「喋る余裕は無いと思って下さい」
リスティが二人にそう叱咤し、一瞬だけ翻ってリュコスの動向を探る。アレウスがニィナに渡し、その後、回収できずに放置した保存食の入った鞄をリュコスは漁っている。
「どうやら、アレウスさんはまた食料難に陥りそうですね」
「その時は私が責任を持って、食材を送ります」
そう言っている内にリュコスは鞄の中身を漁り終えたようで、改めてこちらに狙いを定め、駆け出した。足音は鋭く、そして後ろから漂う気配はあまりにも巨大で、そして迫っていることが伝わって来る。エルフやドワーフならまだしも、ヒューマンの足では到底、リュコスには敵わない。
「一発、防ぎます」
「それは駄目です」
「駄目!」
リスティが決死の防御を進言したが、アレウスとアベリアは過去の記憶に囚われ、即座に却下する。
「ですがこのままでは、誰かが止めなければ全員が死んでしまう」
「全員が助かる方法を考えて下さい」
「そんな生温い世界がこの異界にあるとでも?」
この言い分、そして様子からアレウスはいつかの男のことを思い出す。そう、あの時もこんな覚悟を決めたような顔付きをしていた。
「アベリア……『栞』は持っているか?」
「持っているけど、アレウスが使うの?」
「違う、お前が使え。僕がテキストを書き換える」
鞄から『栞』を取り出したアベリアがアレウスに言われ、しばらく手に握るそれを見つめたのち、コクリと肯いた。
「ニィナ、十五秒だ。僕はアベリアより速い」
矢筒を走るニィナに投げる。村娘を先に行かせ、ニィナはそれを受け止める。その言葉の真意をすぐに理解した彼女は「了解」と言って、迎撃の準備に移る。
「リスティさんも十五秒稼いで下さい。死なずに十五秒です!」
「それならば、可能です。リュコスは異界獣のように、手も足も出ない魔物では決してありません。ただ、私を含めた現状のパーティでは倒し切れないだけで」
「このまま逃げ切ることも出来るかも知れません。ですが、そうなるとリュコスが穴を通って、世界に出て来てしまう。その前にリュコスを喰い止め、そしてこの世界を閉じます」
「閉じる?」
「はい」
「そんなことが、出来ると?」
「出来る。私たちは、この“異界の主”をよく知っている。この異界の構造だって、手に取るように分かる、から」
いつにないアベリアの強い言葉にリスティは可能性を感じ、ニィナと共に翻ってリュコスと対峙する。アレウスは急いでアベリアの傍まで行き、右の手の平を彼女の体の上で滑らせる。
アレウスに『“開け”』という口上は必要無い。ロジックを開こうと思い、対象の近くで手を滑らせればそれが合図となる。
リスティがリュコスの爪撃を避け、剣で左前脚を切り裂く。僅かにたじろいだリュコスの開いた口、その舌にニィナの放った矢が幾つも突き刺さる。
「フレーバーテキスト最後尾に書き加える!」
アベリアから溢れ出す大量の文字が静止し、続いて文章を構成し出す中で、一つだけテキストを急速に完成させる。
呼吸を整える。心音を、彼女の鼓動を感じ取る。
昔と変わらない。
そう、昔と変わらないのだ。
なにも怖れる必要はどこにもない。
何故ならあの時、二人の恐怖は同一の物で、そしてその恐怖を消し去るために共鳴したのだから。
「「『エルフが如き知力を、ドワーフが如き聡明さを、精霊に愛される才覚を、その者は持っている』!」」
感情と感覚を合致させ、共鳴させ、素早くテキストの最後尾に文章を書き加え、アレウスはアベリアのロジックを閉じる。
「任せるぞ」
肩を叩き、彼女の表情を確かめてからアレウスはリュコスへと駆けて行く。
「流れるは水、奏でるは音色」
ニィナに向かって来たリュコスの爪撃を彼女に飛び付いて共に避ける。リスティがリュコスの横を取り、再びその前脚を切り裂いて注意を引く。
「されど清らかさは遠く、彼方へ」
リスティにリュコスが向いたところにニィナが弓矢を引き絞る。アレウスは短剣を抜いて、身軽に飛び掛かり、数度、後ろ脚を切り裂いた。
「廻るは命、還るは穢れ。されど交わり、世界を乱す悪意とならん」
「下がります。アベリアのところまで!」
そう叫び、アレウスはリュコスの攻撃をギリギリのところでかわして、先に後退したニィナを追う。リスティは未だ殿を務める。
「故に巡れ、故に流せ、故に命じる。害なす悉くを屠れ」
アベリアの前方、その中空に複数の魔法陣が出現し、五芒星を描く。その中の特に水と土を司る部分が強く輝く。
リスティはリュコスの一撃を凌いで、アベリアの後ろへと下がり切る。
「大詠唱、“泥よ、濁流となれ”」
魔法陣から止め処ない濁流が迸り、リュコスを襲う。その流れにリュコスは抗っているが、徐々にその体に纏わり付くのが水ではなく泥であることに気付く。しかし、気付き暴れようが既に遅く、泥によって動きを封じられたリュコスはそのまま濁流に呑まれて彼方へと流されて行く。
「動けるか? まだ魔力は?」
「……うん、かなり持って行かれたけど、最後の分は残しているから」
アベリアに肩を貸し、アレウスは穴へと走り出す。
村娘が最初に、続いてニィナ、そしてアレウスとアベリアが続き、リスティが最後に穴へと飛び込んだ。




