夢を見た理由
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「いやー、ホント手こずったわ」
「あの神藤を飯に誘えたとかマジ奇跡だろ」
「奇跡っつーか夢なんじゃねって思うレベル」
「あれはもう俺に気があるね」
「いやいや、さすがにそりゃないっしょ」
「いーや、女ってのは気のない男の誘いは断らないもんなんだよ。押して押して押し続ければ、大体は観念して一回ぐらいは誘いに乗ってくる」
「それ通報されたら終わりじゃね?」
「問題ねーよ、俺たちって高校生だから。アオハルしてただけですって言えば大体許される」
「あはははははっ、許されねーって」
「大丈夫大丈夫。それで乗り切った先輩いるから」
「っつーか補導されねぇように気を付けないとな」
「お前ら制服で来るんじゃねぇぞ。休むか早退するかバックレて、私服で待ち合わせ場所集合な」
「それ神藤たちには言ってんの?」
「言ってっからお前たちにも教えてんだろ。っつーか当日はトークアプリで上手く辻褄合わせるぞ。でないとウゼェ先生に気取られたら終わりだからな」
「俺たちがグループって知ってんだろうし、揃って休んだりしたらヤバいんじゃね?」
「まぁ気付かれなきゃどうってことねぇよ。教師って学校内で起こることには口うるさいけど、外じゃ関わってこねぇからな。それに、別に俺たちだけが出歩くわけじゃねーし。下校中に買い喰いする連中とかだっているだろうし、ついでに俺たちは他の連中が青春の汗を流している間にもうカラオケの個室に入っているわけ。バレるわけねぇよ」
「文化部は汗流してねぇけどな」
「そう言ってやんなよ。あーっと、店は駅前のじゃなくてちょっと離れたところのカラオケボックスな。あそこ男だろうが女だろうが制服でもガバガバで通してくれっから。さすがに酒は出してくんねぇけどよ」
「んで、酒も飲ませずにどうやってヤリに持っていく予定なんだ?」
「女は神藤だけじゃねぇから、安心しろよ。まぁそんな慌てんなって。まずは神藤を家まで送るところからスタートなんだよ」
「スタートっつーと?」
「家まで送りに行く。そこで手を出さずにそのまま帰る。そうすると神藤は俺のことを『噂よりも紳士的なやつ』ってぐらいに思うわけ。思うだけで、好感度としてはマイナスな。まーマイナスなんて知ったこっちゃねーが。つっても家まで特定は無理だろうから、そこからはまた歩き回って探すって感じだなー」
「やけにゆっくりと攻略していくんだな?」
「俺、神藤にはガチだからな。で、下校時間合わせて、あいつの家と俺の家が真逆でも帰り道を同じってことにすりゃいい。なんならカラオケから帰るときに降りる駅が同じって設定で行っても全然問題ねぇな。あいつマジで押せばなんとかなるわ。他の女と比べて押しまくらないとこれっぽっちも動きゃしねぇから、マジ気合い入れていかなきゃなんねぇけど。なんにしてもキッツイわ」
「俺は一ヶ月前も聞いたぞ。お前のガチって言葉」
「女にかける情熱はガチってだけだって」
「ヤリたいだけだろ」
「そうだよ、悪いか」
「ぎゃっはっはっは!!」
「じゃぁ、あとはトークの方な。上手く行けばスマホで撮影した◯◯◯◯をお前たちにも見せてやっから」
僕は聞き耳を立てたくて立てていたわけじゃない。こんな盗み聞きをしたくて空き教室に来たわけじゃない。
ただ、その日は忘れ物をしただけだ。それがないと数学の宿題ができない。いつもは机の中に放り込んで帰るぐらい勉強なんてテキトーだけど、宿題ぐらいは真面目にやっておかないと親に怒られるし、先生にも怒られる。
だから、偶然に過ぎない。
僕がその話を聞いてしまったのは。
ただ、そのあと彼女に会ってその話をしたことは、偶然じゃない。
なぜなら、彼女に行ってほしくなかったから。あんな男たちの輪の中に入って、酷い目に遭ってほしくなかったから。
だけど、「◯◯君が私とちゃんと話したの、初めてじゃない?」と言われた。
まぁ、確かに初めてだった。僕はあんまり、女子とは仲良くなれる性格じゃなかったから。
そして彼女は、次の日に誘いを断るだけでなく、それ以降は一切合切、その男からのあらゆる誘いを断り続けていた。あまりにもしつこかったので、彼女を慕う女の子のグループからは嫌われるだけでなく危険視され、その高校の女子は誰もかれもが彼の誘いに乗らなくなった。
僕はその男の悪い話を耳にするたびに、彼女から感謝されるようになった。
彼女はしどろもどろになっている僕を見て、まるで子供でもあやすかのように微笑みながら「これから、たまに話をしてもいい?」と言ってきた。
断る理由はなかった。
なかったけれど。
僕はそこで期待してしまった。
いつまで経っても、その話を引き合いに出して感謝を求めた。
それが多分、彼女にひどいことを言われる一つの理由だったに違いない。
だってそのとき、僕は確かに邪な感情を抱いていた。優しくした対価を、求めていたのだから。
*
産まれ直す前の記憶が織り成す酷い夢を見た。どうして産まれ直す前の名前は思い出せないのに、こういった胸の中で不完全燃焼を起こすばかりか不快感ばかりが残るような記憶ばかりが不意に脳裏をよぎるのか。今回は夢として出て来たせいで妙に現実味があった。現実味があったことで、様々なことを思い出したのだが、肝心な部分は一つも思い出せなかった。
なぜ、死んだのか。それさえ分かればアレウスも産まれ直す前の記憶には拘らない。ただ、死んだ理由ぐらいは知っておきたいのだ。そこには産まれ直した理由なんてものがないんだとしても。
「……アベリアのことで悩んでいたから、よけいに気分が悪いな……」
夢で見たのは産まれ直す前に好意なのか、それとも片想いか。とにかく、それなりに意識していた女の子が押しに押されて男たちと遊びに行く約束した話を偶然にも聞いてしまったときのものだった。その男のことをアレウスはかなり嫌っていた。良い噂を聞かないどころか女の子のことで何度か問題になっていたはずだ。男の方が、ではなく女の子の方が妊娠して退学したことだってあった。どこぞの資産家の息子だなんだと自慢して回っていたが、それが事実だったかどうかまでは知らない。そこまでの深みに入れるほどその男のことをアレウスは知っていたわけではなかったから。
嫌う相手の情報なんて、耳に入る噂話程度だ。それ以上に知る理由がない上に、知ったところで接点もないのだから記憶に残るのは悪行だけだった。それだけのことだろう。
「夢見が悪すぎる……」
やっていられないが、アレウスは体を起こして寝間着から私服に着替えて部屋を出て、昨日の夜に井戸で汲んでおいた水を使って洗顔と歯磨きを済ませる。
「押す……押す……か」
それは果たして正解なのだろうか。それをしたら、夢で出て来た男と自分は同列になってしまわないだろうか。
寝る前に考えた様々なアベリアの気を惹く方法が、どれもこれも下賤な方法に思えてきてしまう。せめてもっと違うタイミングであんな悪夢は見ておきたかった。
「連想で記憶が呼び起こされたと考えるしかないか」
そういうことがあるのか不明だが、アレウスがアベリアを他の男に取られるのでは不安に思いながら眠りについたことで、それに近しい記憶が夢の中で再生された。
夢を分析していても、なんにも気持ち良いことはない。早く忘れるように努めることにして、アレウスはリビングに顔を出す。
今日の朝食の当番はリスティだ。と言っても、彼女は既にギルドへと出勤しているため、朝食は作り置きされている。野菜スープの香りと隣には食パンとチーズがある。食パンを焼いてチーズや塩をかけて食べてほしいということだろう。
リスティが作ったスープについて、特に違和感を覚えることはない。それでも感想を言えと言われれば、美味しいとアレウスは答えるだろう。アベリアに聞けば、それに同意するに違いない。貧乏舌のせいでもあるが、美味い不味いという違いはあってもそれで食べる手を止めるということがないのだ。不味くても食べられるなら食べる。
食べることに執着のあるアベリアが料理に拘りを持たないのも不思議な話だ。肝心の彼女が味音痴なのが悪いのか、はたまた料理の腕が良くないせいなのか。ひょっとしたらちゃんと調理を教えれば、誰にも負けないぐらいの料理の腕前を手に入れることもあるのかもしれない。
ただ、絶賛食事中のアベリアの様子からして、まず学ぼうという気がないので、きっとそんな日はやって来ない。
「おはよう、アレウス」
視線に気付いたらしく、アベリアが朝の挨拶をしてくる。
「どうしたの? いつもならアレウスから『おはよう』って言ってくるのに」
「……いや、なんか、いや……あー、なんでもない。おはよう、アベリア」
気の利いたことでも言えないものかと思案したが、朝の挨拶もしていない状態では早計だろう。思い付いた気の利いた言葉がどれもこれもアレウスらしくないせいでやめた事実については、決して顔に出してはならない。
「変なの。私よりあとに起きてくるのも珍しいのに」
「熟睡できているんだよ」
「本当に?」
「疑うなよ」
鍋の野菜スープを皿に取り分け、食パンにチーズを乗せて石窯に放り込む。アベリアが使ったあとなので、余熱で焼き切れる。
「今日は夜、いつもより遅くなるから」
テーブルに皿を置いたところでアベリアがアレウスに告げる。
「昨日言っていたから知っているよ」
「でも日頃の予定って前日と当日に言わないと忘れがちにならない?」
「それは分かる。前日に言ったか言ってないか不安になって当日に確認する感じだろ」
「そう」
「伝言ボードと予定表を買うか作るかした方がいいな。あと役割分担表も」
アベリアには料理の役割は振れないが、それ以外は嫌がらない。そもそも嫌がっていたら、アレウスとの共同生活も危うかったわけだが。
「街に売ってないかな」
「同じような悩みを持っている人はいるんだから、探せばあると思うぞ」
雑貨屋にでも赴いて欲しいものについて質問すれば、それがそこになくとも売っているお店を紹介してくれるだろう。
石窯からチーズ焼きパンをトングで回収し、アベリアの正面の席に――と思ったが、しばし逡巡してからスープの入った皿を彼女の隣の位置に移し、アレウスも彼女の隣の席に着く。
「どうしたの?」
「いや……たまには、違うところで食べたいなと」
「……なんかアレウス、変」
「別に変ではない……はず」
「……そうかな?」
「そうだよ」
物凄く不思議がられている。アレウスは主に外食以外ではアベリアの隣に座らないため、よけいに変に思うのだろう。
「私はアレウスの顔を見て食事をしたいけど」
距離的には隣の方が近いという安直さに従ったのは不正解だったかもしれない。
近くなるからといって、心の距離まで縮まるわけじゃない。
その真意に唐突に至り、アレウスは思わずテーブルに頭をぶつけるほどの勢いで突っ伏したくなったのだが強い精神力でもってこれを抑え込む。
「え、なに……なに?」
「なんでもないから」
「そ、っか」
若干、引き気味になったアベリアは食事を終えて、そそくさと使った皿などを片付けて席を立った。
「あー……あのさ、アベリア」
片付けて自室に行きそうだったので呼び止める。
「今日の、夕食って何人で?」
「六人かな」
「男女比は?」
「私を含めて女の子は三人」
なぜ、男女比が1:1なのか。それでは男女が二人一組になりやすいではないか。むしろ二人一組になるのが狙いに違いない。そんな風にアレウスはそう邪推してしまう。
「お酒は飲むなよ?」
「飲めない年齢だから飲まない」
「あーえーと……まぁ、うん。じゃぁ、問題ないか」
引き止めたのに話が終わってしまった。アベリアはアレウスの反応を不思議そうに見てから、自室へと戻った。
会話の制御が下手くそなのは分かっていたが、ここまで下手くそだと実感させらることもそうないだろう。
「そうだよな……普段から疑問形式だもんな……」
相手から情報を引き出そうとするときも、仲間から有効な手立てを知ろうとするときも、合間に挟む言葉の大半に疑問符を付けてきた。そうすることでアレウスは会話をしているつもりなのだが、どうやら会話というのはもっと高尚なものらしい。もしかしたら気にしすぎなだけかもしれないが、なんにでも疑ってかかる性格のせいにして交流を一部以外、断ってしまったのも響いている。
「今から部屋に……は、行けないよなぁ」
あれだけ不思議がられたのだ。部屋の扉をノックしようものなら、相当に怪しまれる。別になにも企んでもいないのだが、アベリアに拒絶されるような反応を取られたらアレウスは一週間は部屋に引きこもる自信がある。
「…………どうしよう、本当に」
頭を抱える。ヴェインの言っていた「押す」とは一体どのような方法なのだろう。恋の駆け引きなどしたこともなければ、学んだことすらない。読書でも手を伸ばすのは歴史書や植物や動物についての本で、恋愛小説など読んだこともない。
恋愛の作法なんて知らなくてもいいと思っていた。なぜなら、アレウスはそんなものとは縁遠い存在になると思っていたから。冒険者になったあとは、ただひたすらに闘争に身を寄せるのだと思っていた。だったら恋愛なんて程遠い上に、世知辛い世の中で誰かを好きになったところでそれが叶うわけがない。叶わないのなら、考える必要もない。
しかし、実際は考える考えないを飛び越して、あらゆる感情を踏み倒して、勝手にアレウスの心はアベリアに惹かれてしまった。
「今の僕は最高に頭が悪い」
そう自身を罵りつつ、野菜スープとチーズ乗せパンを元気なく食べ終えて、皿を片付ける。テーブルも拭いて、深呼吸してから部屋に戻る。かと言って、部屋に居続けるのもなんとも落ち着かないので、いっそのこと先ほどアベリアと話したように予定表や伝言ボードを買ってきてしまおうと決める。外に出て体を動かした方が悩みはなくならずとも気は晴れるはずだ。
財布を手に取って髪と身なりを整えてから部屋を出て、扉越しにアベリアに出掛けることを伝えて、外出する。
別に男性と食事に行くのはよくあることだ。そこまで縛る気はアレウスにはない。それに、アレウスだって異性と接する機会が多い。自分のことは棚に上げ、アベリアの交友関係に待ったを掛けるのは筋が通らない。
「だからって、放っておいたら絶対に後悔する……そんな気がする」
昨日から独り言を呟く量が格段に増えた。もし悩みが解消されることがあっても、この独り言が鎮まらなかったらそれはそれで問題だ。いやそもそも、悩みが解消されなければ更に問題だ。
延々と悩み続けながらアレウスは街の大通りに出て、雑貨屋を目指す。
擦れ違った瞬間に奇妙な気配があった。
アレウスは振り返り、気配の主を辿る。
「神藤リゾラ?」
その背中にそう声を投げかけていた。どうしてその名前を口にして呼び止めてしまったのか。言った本人ですら分からない。だが、心から湧き起こった衝動をそのまま言葉にしてしまっていた。
なにもかもに説明を付けることができない。それでも説明するならば、まるで、そうやって呼び止めることが運命付けられていたかのようだった。
「……誰?」
明らかに敵意を剥き出しにした、語気を強めた言葉を発しつつ女性が振り返り、アレウスを見る。
「え、いや、すいません……人違いです」
どうかしている。この世界に“彼女”がいるはずがない。
「……さっきの名前についてはさっぱり分からないけれど、あながち間違っていないわよ」
「え、どういう意味ですか?」
「だって私はリゾラベート・シンストウ。私をよく知る人は『リゾラ』って呼んでいるから」
そのような偶然があるのか。そんな、あり得ない偶然があるのだろうか。
だとしても、アレウスは今、混乱している。
彼女の気配は、コロール・ポートのどこかで感じ取ったものに違いなかったからだ。




