離れて遠し
「……此は如何に」
『人狩り』はそう呟き、直後に赤い魔力の爆発によって生じた土煙の中から飛び出してきたルーファスの剣戟を弓で防ぐも、拉ぎ折られた。
「これで魔力を込めても矢は放てなくなったな」
鬼気迫る形相でルーファスは『人狩り』を睨む。反撃に打って出ようとした『人狩り』はその凄まじい睨みによって矢を握っていた腕を止め、足すらも動かなくなる。構わずルーファスは剣戟を放つが、援護に入ってきた『魂喰い』がこれを防ぐ。
「なにが貴様をそうさせる?」
「黙れ」
「一体なにが、貴様をそう駆り立てる?」
「黙れと言ったはずだ」
『魂喰い』の斬撃とルーファスの剣舞。一切の隙も油断もなく、髪の毛一本すら通る余地もないほどの剣戟と斬撃のぶつかり合いに謎の男も思わず見物に回ってしまう。それほどまでにルーファスの剣戟には彼を足を止めさせるほどの“死の気配”があった。
「『魔眼収集家』は」
呟き、謎の男が視線を移す。
「私のロジックにようやく触れてくださいましたね?」
「う、っぐ、くく」
「やっと私のロジックに触れてくださいました」
二度同じことを言うことでアニマートは『魔眼収集家』を煽る。
「どうして矢を受け、魔力の爆発も浴びた私たちが生きているか、お教えしましょうか? 六度の魔法の盾。六度の衝撃に限らず、唱えた魔法の盾を上回る威力の攻撃を受ければ、六度分を一度に消費してしまうことをあなた方は事前に知っていらっしゃった。ええ、一度目の敗北においてもあなた方はそこを突いて私の『蜜眼』を奪いましたね……対策をしていないとでもお思いで?」
「退け、ルーファス!」
砕けた鎧を脱ぎ捨て、動きの軽くなったデルハルトがルーファスの代わりに『魂喰い』の斬撃を鎗で受けに回る。
「そいつの足止めは俺の使命だ」
「貴様も生きているとはな。一体どのようにして生き残ったのか。とても興味がある」
「そう急くな。神官のアニマートによる、ありがたーいお話がこれから始まる」
「六度の衝撃、六度を上回る攻撃。これらによって魔法の盾が剥がされれば、私たちの敗北は必定。であれば、“事前”に唱えておくのは当然ではありませんか?」
アニマートの腹部に『魔眼収集家』の腕が沈み込んでいるが、出血はない。それは『魔眼収集家』の先ほどの攻撃は物理が伴っているのではなく、アーティファクトの強奪を目論んだむしろ魔法寄りの攻撃のためだ。それが来ると分かったからこそ、アニマートはわざと受けに行った。
「つまり、あなた方は六度以上の攻撃によって私たちを仕留めなければならなかったのではなく、十二度以上の攻撃によって私たちを仕留め切る必要があったわけです。それと、先ほどの矢ですが、精確無比であるあなたの実力を信じて正解でした」
『人狩り』は自身の魔力によって炸裂し、今は声を発することさえできなくなった『影踏』の死体を睨む。
「ええ、そうです。『影踏』の魔法による幻影。これもまた、事前に張っておいてもらいました。空蝉の術は御存じですか? 即死の一撃に対してのみ反応する術だそうですが、肝心なところは伏せられているので霊媒師が自身に降ろしている霊体を犠牲にして即死を防ぐようなもの、と考えてもらえればよろしいかと」
「姑息な手を残していたとはな」
「あなたの矢が精確に即死に値する一撃であったからこそ私たちは生き残ったとも言えます。感謝しますよ? 『人狩り』」
「空蝉は『魔眼収集家』ごと発動したわけか。確かにアーティファクトの強奪を狙う『魔眼収集家』の腕が沈んでいるのなら、その一瞬は貴様と『魔眼収集家』は二人で一人にも近しい状態だろうからな」
「事前の詠唱による重ねがけ……ぼくは一度の詠唱で六度の詠唱になるとしか知らされていない」
「そう、この補助魔法の重ねがけはとても繊細。通常なら消耗した盾を元に戻すために唱え直すけれど、これは盾の上に盾を張っています。とはいえ、あなた方の言うところの、自由な発想を持たないしがない神官ごときの所業に驚かれては困ります」
「ぼくの腕をどうするつもりだ?!」
「私のロジックに腕を伸ばしてきたのはあなたの方ですよ? あなたは私に残っている『蜜眼』を強奪しようと思ったのでしょうが、そんなことを簡単に許すと思いますか? アーティファクトの所有権は、常に生み出した側に存在する。あなたが一つしか眼を奪わなかったことで、『蜜眼』と接触を試みたあなたに対し、私自身もまたあなたのロジックに接触できています。だからこの場合、なにが起こるかと申しますと」
『魔眼収集家』の腕、その皮膚の下を球体が流れていきアニマートの腹部へと送り込まれる。
「私の元に『蜜眼』が戻ってくるということです」
即座に『魔眼収集家』の腕を引き抜いて、アニマートは眼帯を外し、閉ざしていた瞼を開く。奪われ、失ったはずの眼球をアーティファクトである『蜜眼』が担い、再生を果たす。
「アレウリスさんと同様の理論です。時にアーティファクトは喪失した部位の代替物として形となって表面化する」
「ああ、もう……クソクソクソ。ぼくの大事なコレクションが……!」
引き離された『魔眼収集家』は腹立たし気に呟きながら、アニマートに突き刺していた腕をいたわるように撫でる。
「貴様を駆り立てていたのは、『蜜眼』の奪還の算段が整ったがために、私たちに気取られないようにしていたためか」
デルハルトの相手をしながらルーファスの突撃の意味を知り、満足そうに『魂喰い』は言う。
「テメェの相手は俺だぜ?」
「……童が。私を退屈させないとでも言うか? 貴様の鎗術は既に見飽きている」
『魂喰い』の斬撃の緩急に加えて体術が混じる。それも通常の人間ではあり得ない角度からの間合いを詰めてくる。体幹の良さではなく、肉体に起こる損傷の数々とまるで気にしていないことで可能となる動きだ。
「デルハルト! 狙うのは屍霊術を行使している神官の方だ!」
「こいつを動かしている張本人を叩くってわけだな!」
体術が混じったとしてもデルハルトに気負うものはない。先ほどは確かに遅れを取った。魔法の盾も重ねがけを合わせて全て吹き飛んだ。だとしても、デルハルトは己自身の幸運を信じている。
幸運は時に死の恐怖すらも圧倒する。それは死の間際に立っていながらも、死ぬことを怖れない勇気によって肉体に起こり得るありとあらゆる不利を覆す力を持っている。
鎗が『魂喰い』の斬撃を上回ることはない。ならばそれはそれでいい。そこで競うからムキになる。そこで挑むから術中にハマる。大事なことは、デルハルト自身が決めた“すべきこと”である。
「童め……!」
一瞬の隙を突いて、デルハルトは『魂喰い』の横を擦り抜ける。鎧を脱いで身軽になったことが功を奏し、追い打ちの斬撃がデルハルトに届くこともない。そして、間合いを広げたことで『魂喰い』が生み出す飛刃を後ろを見ずに振るった鎗で弾き飛ばす。
「俺の鎗は特別製だ。その飛刃に魔力が込められていたって弾くことができる」
エルフに仕立ててもらった鎗は霊的、魔力、気力の全てを物理的に受けられる。投擲鎗として雑に扱っても曲がらず、折れない。魔の叡智にほぼ触れられないデルハルトにとっては、この鎗こそが霊的な存在を感知するために必要なものであり、同時にそれらに対抗する術でもある。
「港町で見た代物だ。今更、説明を受けてもどうとも思わない」
負け犬の遠吠えにも聞こえる『魂喰い』の言葉を受け取りながら、デルハルトは凄まじい速度で痩せこけた神官へにじり寄る。
「攻めるぞ、アニマート」
「分かっています。今こそ、あのときの屈辱を払うとき!」
杖を振って練り上げた魔力を矢のようにしてアニマートは撃ち出し、謎の男と再びの交戦を始めたルーファスの援護に入る。『蜜眼』を取り戻したアニマートにとって、無詠唱による魔法での攻撃はもはや造作もない。狙いも精密になり、ルーファスと築き上げた長年の信頼関係も加わって、ありとあらゆる場面においてルーファスの剣戟をアシストし続ける。
「押され気味に見えるが?」
「そう思うなら手を貸してくれてもいいんだがな」
「弓が折れた私に頼るか」
「正義とは程遠いか」
「そうだな、貴様の正義も見定めさせてもらいたいところだ」
ルーファスから離れた謎の男は傍にいた『人狩り』と軽い会話を交わす。しかし、長引かせない。ルーファスは突撃して二人の会話を強制的に中断させる。
「喰らえ!」
デルハルトは痩せこけた神官めがけて刺突を繰り出す。その鋭い一撃を神官は真正面から受ける。しかし、その肉体を覆うようにして張られていた魔法の盾によって貫くには至らず、弾き飛ばすだけに留まる。
「こいつ」
「“魔法の盾”は『神愛』の専売特許ではない」
「だが、テメェのはアニマートのと違って一度切りだろ?!」
「一度切りで充分だ」
魔力の鎖が辺りを漂う。
「はっ、そんなもんを見せられても全く怖くもなんともねぇなぁ!」
再度の刺突を与えるためにデルハルトが地面を蹴った。
「異端ごときに屠られはせん!」
「油断した、手加減もした、気も抜いた。それら全てを認めよう」
ルーファスの猛攻に後退しつつ謎の男は呟く。
「距離を取ったところで、お前はもう逃がさない」
剣の構えに独特なものを見せ、更に気力が剣身へと流れる。
「妖剣技!」
「『魔』ではなく『妖』……お前、俺に手を抜くつもりか?」
殺意を感じ取りながらも謎の男は、本気を見せようとしないルーファスに一種の怒りにも似た表情を作る。
「さぁ、審判のときです!」
ルーファスの後方で魔力を溜めに溜めたアニマートが杖の先端で魔法の目標を指定する。
「“一つの軽罪”!!」
「“罪滅星”!!」
「妖剣技に祓魔の魔法。どちらを受けてもどちらも致命傷だな」
体勢を整え、呼吸を整え、謎の男は目をうつむき、迫る剣技と魔法を見据えながら――笑う。
「魔の叡智に触れたことを後悔しなよ」
『魔眼収集家』が眼帯を外し、狂気の笑みを浮かべながら斜め上空、そして前方から迫る二つの力を目を見開いて睨む。
ルーファスとアニマートの繰り出した技と魔法は、雲散霧消する。
「がっ!」
刺突を繰り出したデルハルトは、忍び寄っていた『人狩り』の矢を直接背中に突き立てられて体勢を崩す。そして漂っていた鎖に絡まり、身動きが取れなくなる。
「なんだ……なにが起こった?」
「私の練った魔法が、ほどけた……」
「とっておきは最後まで取っておく。そういうものだろ?」
「ぼくがいる限り、君たちには万に一つも勝機はなかったんだよ。どういう意味か分かる? さっきまでの攻防の全ては、お遊びだったんだよ」
「その眼……は」
「アーティファクト収集――魔眼を集めているのは別に趣味だからじゃないんだよ。言っただろ、同じだって?」
『魔眼収集家』はケラケラと笑う。
「ぼくだって、君と同じく『聖痕』持ちだよ。『魔眼』はむしろ『聖痕』を持つ神官に現れやすい。現れやすいってだけで、世の中には『聖痕』を持っていない『魔眼』持ちもいるにはいるけど……面白いよね、前線に出る誰よりも、後ろで戦いを見守っているだけの神官に強い力が宿るだなんて」
笑うだけ笑って、気が済んだのか唐突に静かになる。
「ぼくの眼が君たちの放った全ての魔力も気力も、打ち消した。練り上げたものを紐解いた。ぼくの眼にはそれが許されているんだ」
「……ざけるなよ。そんなの、どんな奴だって」
「そう、そうさ。その通りだよ、デルハルト君。どんな奴がぼくたちの前に立ちはだかったって、この眼がある限り、絶対にそいつらの魔力と気力はぼくには届かないんだよ。絶望だね、ショックだね、悲しいね。君たちにとって絶対に信じている技の全てが、無意味になるんだから」
「何度も言おう、ルーファス・アームルダッド。酒に溺れている時間を鍛錬に費やしていたならば、貴様の剣は俺に届いていた。魔法はともかく、貴様の剣技だけは『魔眼収集家』の介入がきっと間に合ってはいなかっただろう。ただし、そのときでも魔剣技を出し渋っていたなら、届かなかっただろうな」
短剣を振りつつ、謎の男が構えを取る。
「少し面白い技を見せてやろう」
短剣に気力が渦巻く。
「冥剣技、“異界渡り”」
「なっ……!?」
「せめてもの餞別だ。この俺――アリスがお前たちに縁のある称号で送ってやろう。今度こそさよならだ」
「案ずるな、貴様も送ってやる。秘剣、“菖蒲八橋”」
その日に見たことを生涯忘れない。
そう胸に刻むも、目の前に見える絶望にルーファスの手から剣は滑り落ちた。




