積年
「どいつもこいつも有象無象だったな」
残党狩りを終えてエルヴァージュは踵を返す。時間にして十分も経っていない。不穏分子が帝国領内に侵入していたことは大問題だが、それよりも『聖痕』を帝都に連れて行く任務を優先しなければならない。連合の聖女が寄越した信者は全て仕留めたつもりだが、取りこぼしていないとも限らない。しかし、取りこぼしていたとしてもたかが数人。その数人がエルヴァージュにとって脅威になるわけがない。
聖女の子羊も始末した。まだ死体を燃やしていないが、甦る素振りはない。一切合切の全ての不安は排除できた。
なのに、毛が逆立つような鋭い視線を感じている。
「異端であるか?」
かすれた声が聞こえた気がして、エルヴァージュは振り返る。
「何者だ?」
神官の外套は帝国の物でも連合の物でも、エルヴァージュがよく知る王国の物でもない。
「それは怖れか? そうして身構えるのは、問いに対して怖れを感じたからか?」
関わってはならない。そして答えてもならない。培ってきた本能が自身にそう訴えかけている。
「……答えられんとなれば、お主は異端であるということか?」
悪意に満ちている。この神官の表情に、悪意以外は張り付いていない。
「睨むか? 武器は構えんようだな……脅迫もしてこないとすれば、お主は異端ではないようだ」
歩いただろうか。移動しただろうか。目で追うことができないどころか、この神官の動きはエルヴァージュの“独特の感知”ですら把握することができなかった。
「だから異界も現れない。だが、異端でなくとも、私は異界を寄越すこともできる。なぜなら!」
白骨のように痩せこけた顔が、肌が、空間の振動に震えている。
「異端でなくとも、異端になり得る者であるのなら、その命は巡らせてはならない。還らせてはならないからだ!!」
「こいつ……僕の気配じゃなく、残り香に……」
即ち、エルヴァージュが今後もなにかと利用しようと考えている人物――アレウリス・ノールードと接触した気配を感じ取っている。
「異端はこの世より消さねばならない。『異端』は、この世にあってはならない」
空間が捻じれ、徐々に身の回りの空気が風となって吸い込まれていくのを感じる。
「待て、こいつを幽世に連れて行けば面倒なことになる」
捻じれが解かれ、渦巻いていた空気にも静けさが訪れる。
「だが、この者は『異端』に関わっているやもしれんのだ!」
「前にも言っただろ。『異端』にはまだ踊ってもらう」
男――もしかすると少年にも近い身長の持ち主が、その身に怪しい黒色と紫を重ね合わせたような外套を纏ったまま痩せこけた男と会話を交わす。
「ここに来た目的を忘れるな」
背後から馬の走る足音が響く。それ以外にも様々な音という音をエルヴァージュの感知が拾い、青褪める。
「『緑角』はどいつもこいつも元冒険者。どんな策を用いたところで集団で行動されては敵わない。となれば、最も簡単な方法を使えばいい」
「いつだ?」
エルヴァージュは訊ねる。
「いつ、僕のロジックを書き換えた?!」
「隊長!!」
複数の馬車を護衛するように騎馬隊がエルヴァージュの元に駆け付ける。
「ご命令通り、隊長が姿を消して以降、潜伏していた者たちの気配が一定数減ったことを確認後、進行を再開しました」
「そんなこと僕は、」
「『命令していない』だろ? だが、命令はしっかりと出していた。ロジックを書き換えられたあとに、しっかりとな」
「……クソ!!」
エルヴァージュの感情は次第と昂ぶり、手元に石を収束させて鈍器を再び作り上げて、男に向かって振り下ろしていた。
「お前と争うつもりはない。“その力”がある限り、幽世に連れて行くのはリスクが大きく、『緑角』の隊長が死ねば帝国の他の軍隊が動きかねない。まだ、そのときではない。だから」
鈍器を短剣で受け流し、男が後退する。痩せこけた男が錫杖で音を奏でた直後、再び大きな“穴”が生じる。
「安心しろ、幽世に繋がる“穴”ではない。一時的な、『賢者』が作ったようなゲートを生成したに過ぎない。他国に飛ばさないことを感謝しろ」
“穴”が膨らみ、体が吸い寄せられる。
「そんなものに、」
「『吸い込まれるものか』か? 悪いな、エルヴァージュ・セルストー。お前の言いそうなことは大体分かる」
足元を軽く蹴飛ばされただけでエルヴァージュの体は浮いて、“穴”の中へと吸い込まれてしまう。
「隊長!」
「死にたくなければ、『聖痕』の冒険者を――アイシャ・シーイングを渡せ」
騎馬隊の一人の背後に飛び乗って、景色から現れ出でた銀色の髪を持つエルフが矢の鏃を首元に向けながら要求する。
「なぜ……こんなことを」
「これが“正義”だからだ」
エルフが強く言って、更に鋭い眼差しを周囲に向けて、突き刺さるような視線によって兵士たちが怯えすくみ、身動きが取れなくなる。
「こんなことが“正義”だと?」
飛び乗っていたハイエルフを『影踏』が蹴飛ばし、続いて投げられた矢を左手で掴み、中空で投げ返しながら着地する。
「『賢者』の弟か。右手どころか右肘ほどまで失ったらしいな?」
投げ返された矢を避けてエルフも着地し、『影踏』に問いかける。
「それがどうかしたのか?」
「悲しいな。利き手を使えないとなれば、以前のような実力を見ることは永遠に叶わないわけだ」
「『人狩り』に全力を見せたことはないが?」
「忘れていないか、『影踏』? 私には“舞楽禁制”がある」
「あったとしても、その呪術的な力は発動に制限があるだろう? 無制限の力とは到底思えないからな」
「井戸端会議をしているわけではない、『人狩り』」
「分かっている」
男に言われ、エルフ――『人狩り』のクリュプトン・ロゼは矢を弓につがえる。
「やっとだ……やっと見つけた」
声が聞こえた刹那、男は短剣で防御の体勢を取った。風を巻き起こしながら突撃してきた人物の剣戟を防ぎはしたが、凄まじいまでの力によって後ろに吹き飛ばされる。
「『異端審問会』!! アニマートの眼を奪った者たち!!」
自身にかかる力を殺し切って両足で着地後、男は土煙を短剣で払う。
「ルーファス・アームルダッド……まさかお前がいるとはな」
「『聖痕』を貴様たちは連合と同様に狙っている。ならば、アイシャ・シーイングを狙うことは想像ができた」
「別に狙っているわけではない。『聖痕』の持ち主は、必然的に『異端審問会』の価値観に共感しやすい」
「異端者狩りに彼女が共感するとでも?」
「眼を『魔眼収集家』に奪われるまで、アニマート・ハルモニアもどちらかと言えば異端審問は正しい行いだと考えていたはずだ」
「奪われるまでは、でしょう?」
ルーファスの傍にアニマートが付く。
「奪われてからは一度たりとも、あなたたちの考えに共感したことはありませんよ!」
「こんなことならあのとき、両目を奪っておくべきだったな? 『魔眼収集家』」
「……いやいや、だったら今、もう一方の眼を奪えばいいだけのことだよ」
痩せこけた男の後ろに隠れていた眼帯と包帯まみれの『魔眼収集家』と呼ばれる男が姿を見せる。
「むしろ楽しみを後回しにした分、ぼくは物凄く興奮しているよ。やっと奪える。やっと両目を揃えることができるんだ、って。ぼくのコレクションになった『蜜眼』も喜んでいるよ。やっと一対になれる、って。やっぱり眼の美しさは揃ってこそ、備わってこそだよ。一つではなく、一対として残すのが大切なんだ」
「『魔剣』、『神愛』、『影踏』とくれば……『風巫女』はいないが、やはりいるのだろう? 『礼讃』」
「ちっ、俺ばっかりは見つけられないと思っていたが、やっぱり幸運の女神に愛されている俺を見つけられないわけがないか」
鎗を振るいながら飛び込んできたデルハルトの鎗を痩せこけた男の錫杖が受け止める。
「異端に連なる者は全て、この手で裁きを与える」
「今度はこちらの番だ、『異端審問会』。俺たちが貴様たちを倒し、洗いざらい吐いてもらう」
「…………笑わせようとするな、ルーファス・アームルダッド。飲んだくれに落ちぶれて碌に高みを目指そうとしなかった時期を忘れるな」
「どういう意味だ?」
「その無駄な時期を全て鍛錬に注ぎ込んでいたならば、俺は貴様たちとの遭遇に怯えて『聖痕』の冒険者を奪いには来なかっただろうということだ」




