『聖痕』を求める者たち
♭
「我が聖女様のお導きによれば、帝国の『聖痕』持ちがこの道を通るはずだ」
「帝国の『聖痕』と言えば、かねてより絶大な魔力を有しておられる『神愛』のアニマート・ハルモニア様でしょうか?」
「いや、彼女は既に『聖痕』の力の半分以上を喪失しておられる。聖女様は失われつつある力よりも、これより伸びる『聖痕』をお求めなのだろう」
「帝国に『聖痕』持ちはアニマート・ハルモニア様だけだったはず。であれば、新たに『聖痕』持ちが生じたと?」
「以前よりきな臭い話がある。帝国は我らが聖女に対抗すべく、『聖痕』が現れた者を集め、アニマート・ハルモニアのような強力な冒険者へと鍛え上げようとしていると」
「人工的に『勇者』を作り出そうとした頃より変わっておりませんね……なんたる神への無礼か」
「その通りだ。だから我々が聖女様の元へと導かなければならない」
男たちの視線の先に馬車が映る。
「この世の全ての『聖痕』を、我らが連合の聖女の元へ!!」
指令を飛ばす男の一言で神官の外套を纏った者たちが一斉に草木より飛び出す。
――我らが聖女の導きによる絶対なる救済を!!
総勢40を越える神官たちが各々の手に武器という武器を握り締めて、馬車を急襲する。
「『聖痕』持ちは帝国軍によって守られている! 奴らは全て神の御許へと送り届けよ!!」
攻め立てる神官が打ち鳴らすドラによって馬が驚き、暴れ回って馬車を置いて逃げ去っていく。動きが完全に停止した馬車の中へと神官たちが雪崩れ込む。
「なんと呆気ない」
「我らが待ち伏せていることすら気付かないとは」
「帝国軍はいつの間にここまでたるんでしまったのだ……」
誰もが呆気ない終わりに嘆息し、幌の中を確認していく。
「これは一体、どういうことだ?!」
その驚きの声を聞き、リーダーの神官が幌へと近付く。
「中にいたのは人ではありません。ただの土塊です!」
「……偽装して、馬に走らせたと? では馭者は?」
神官が馬を操っていた馭者を探すが、どの馬車にも馭者の形をした土の塊しか見当たらない。それどころか、先ほどまで辺りを走り回っていた馬すらも今やただの土の塊と化している。
「お前たちは潜伏が下手だな」
「誰だ?!」
振り返ると、帝国の旗印を刻んだ衣服を身に纏った男が立っている。そして、胸元には『緑角』の意匠が見えた。
「『緑角』……元冒険者の、軍隊」
「なにを驚く? お前も、どちらかと言えばこちら側だろう? いや、ヒューマンではないようだから、決してこちら側とも呼べないのかもしれないが」
男はほくそ笑みながら歩き、近付いて来る。
「信者はどいつもこいつもまともだが、リーダー格のお前だけは別物だ。そうだろう?」
「我らが隠れ潜んでいたことにいつ気付いた?」
「正確には言えないが、ついさっき。ここからでは見えないくらいの遠く……まぁ、この辺りは起伏が激しい分、地平線の彼方と言えるほどの遠さじゃないさ」
「我々の潜伏は完璧だったはず」
「息を潜めて、通る瞬間を待っていた」
「お前たちが冒険者で言うところの気配消しに近い代物を持っていたとしても、僕はお前たちが地面に接触している限り、捕捉できる。地面、地中、地下、そのどれもが俺の感知に掛かる。その原理まで、わざわざ語る気もないが。なぜかって? お前が」
帝国軍人が男を指差す。
「お前だけが、恐らくは冒険者に近しい甦る力を持っているからだ。ここで僕の秘密を語れば、連合に情報が伝わってしまう」
「ふ、ふふふふふ、ふはははははっ! そうか、貴様は我の存在を知っているのか!」
男は表情を一変させ、傍にいた神官の頭を掴んで帝国軍人へと投げ付ける。
「名を聞かせてもらおう!」
「僕は幅広く色んな国々で嫌われているはずだから名乗る必要もないと思ったのに……そうか、『聖痕』のシスターとやらの子羊どもはどいつもこいつも無知なのか」
軽く罵り、投げ付けられた神官を片手で打ち飛ばして、帝国軍人は身に纏っていた外套を脱ぎ捨てる。
「エルヴァージュ・セルストー」
「ならばエルヴァージュ! 我と戦うは運が悪かったな! 一斉にかかれ! 一人でやって来た馬鹿なヒューマンに制裁を与えよ!!」
神官が次から次へとエルヴァージュへと押し寄せる。
「お前はどうやって生き返る?」
剣を抜き、エルヴァージュは一切の迷いもなく神官を一人、また一人と切り殺していく。
「この神官たち――信者たちは、甦らないんだな?」
「そうだ! 人殺しの罪によって、貴様は永遠に呪われ続ける!」
「馬鹿か? どんな場所でも争いの火種は尽きないこの世界で、人を殺せなきゃ軍人になんてならない。人殺しの罪? 死んだ者からの呪い? そんなものはとうの昔から背負い続けてきている」
剣の切っ先が地面を削るようにして走り、石つぶてが男へ迫る。
「無駄だ!」
両手で石つぶてを弾き飛ばし、腕の皮が千切れるほどに肥大化した剛腕がエルヴァージュへと叩き込まれる。
「なるほど、『変異生物』か」
剛腕を紙一重でかわし、距離を詰めたエルヴァージュが剣を振るうも男は距離を取って、この剣戟を逃れる。
「そのような下等な名称で我らを呼ぶな!」
着地と同時に剛腕が地面を叩き、隆起した岩を砕いて石つぶてとしてエルヴァージュへ送り込む。
「我らは『不死者』!! 永遠の命を生きる者よ!!」
「帝国で『不死者』認定されているのは連合で聖女と謳われている連合のシスター。お前たちが言うところの『聖痕』持ちだけだ」
石つぶては全てエルヴァージュの眼前で停止しており、逆に彼の指先一つの動きで一斉に男へと射出される。
「その聖女が送り込んできた貴様は、ただの『変異生物』。コロール・ポートを襲おうとした『変異生物』と肉体も性格も異なるが、根源は同じ。そうだろう?」
「違う!」
男は剛腕を振るい、エルヴァージュを打ち抜こうとするが、どれだけ虚を突くような動きを取っても全てを避ける。
「我の動きを、読んでいるのか……?!」
「それだけ発達した筋肉の動きは逆に読み取りやすい。あとは足運びだが、そこは僕の感知が必ず捕捉する」
剣で剛腕の一部を切り抜こうとしたエルヴァージュだが、あまりの硬度に剣先が折れてしまう。
「そんな貧弱な剣では俺の体を切り裂くことなどできない」
「そりゃそうだ」
男の剛腕を避けながら切っ先を拾い、エルヴァージュはそれを投擲して近場の神官の首を射抜く。
「ついさっき十人近くは殺したが、お前の変容振りに怯えて動けなくなっているぞ? ついでに剛腕に巻き込んで十人は死んだな。あと二十人か。別に生かしておいてもいいが、どうせ食べ物にありつけずに死ぬだろうな」
「そのように人の心配をしている場合か?」
「ああ、だって僕は人だからな。お前と違って、『変異生物』なんかじゃないから」
「貴様!」
気に障ることを言われ、男が更に剛腕に力を込めて地面を粉砕する。隆起して生じた岩石をエルヴァージュ目掛けて腕で打ち飛ばす。
「お前を始末してから考えた方がよさそうだな」
岩石を正面から片手で受け止め、指先で小突いて男への打ち出される。
「なんだお前の力は?!」
自身に向かってくる岩石を剛腕で受け止め、放り投げる。
「僕は土の精霊に愛されているから、そういった地面に関する攻撃の全ては止められるよ。勿論、魔力を伴っているのは気付いているだろう? それとも、気付いていなかったのかな?」
「うぉぁああああ!!」
男がエルヴァージュへと突撃する。
「“落上”」
男が踏み締めた地面が反動を起こし、バネ仕掛けのように男を上空へと打ち飛ばす。しかし、ただのバネによって飛ばされたにしては男の体にかかった力は凄まじく強く、さながら地面から殴り飛ばされたかのようだ。
「“落底”」
頭上から強烈な力を全身に浴びて、男を今度は地上へと叩き付ける。
「一瞬、なにも考えられなくなったんじゃないか?」
エルヴァージュの手元には石のつぶてを幾層にも重ね合わせた鈍器が握られている。それを認識したのも束の間、一気に振り抜かれた鈍器によって男の片腕が骨ごと潰される。
「『変異生物』の骨は容易く復活するのか?」
そう訊ねながらもエルヴァージュの攻勢は止まらない。男が剛腕を動かそうとすれば問答無用で鈍器を振るい、何度も何度も何度も叩き潰す。
「貴様……貴様……」
「“落上”」
エルヴァージュは男を地面から打ち上げ、思考させない。
「“落底”」
地面に叩き付けられた男は、身を起こそうとするが頭上より掛かっている力が全身を圧迫しており、とてもではないが立つことができない。
「お前程度なら、念には念を入れる必要もなかったかもしれないな。聖女が従えている子羊の中でも下の方だろう、お前は?」
もはや男には話す力すら残されていない。
「甦った先で伝えてくれ。いや、どのようにして甦るのかも分からないからお前の死体はここで燃やしてから帝都に向かうが、とにかく甦るんなら伝えてくれ。『聖痕』が欲しいなら、自分自身で取りに来い」
頭上からの圧迫が不意に解け、男が起き上がろうとした刹那、その頭部をエルヴァージュの鈍器が粉砕した。血飛沫を浴びながらも表情の一つも崩すことはなく、男の肉体が完全に動かなくなったことを確認してから手元の鈍器を石のつぶてとして解放する。
「帝国がナメられているのか、帝国軍人がナメられているのか、どっちだろうな。どっちにしたって、『緑角』を相手にするのは分が悪いと思ってくれればいいけど」
そう呟いてからエルヴァージュは残った神官――自身を襲撃しようとした残党狩りに乗り出した。




