人を守っているという自覚
子供の放任は親の責任と言うが、危険な場所と分かっていて踏み込む子供にも責任がある。エルヴァージュが出張ったのはリスティが依頼したからだろうが、軍が動いてしまったことで子供たちとその親たちは周囲からの誹謗中傷に晒されることとなり、その勢いが沈静化するのには約二週間を要した。特にエイラには『金で買った爵位の娘』という元からの反感から来る様々な嫌がらせが横行してしたのだが、彼女の両親の精神面は強く、逆に二週間を家族と共に過ごす貴重な一時と捉えて、貴族領の豪邸で外出を極力減らしての生活を行っていた。
「現在は家への落書きや糞尿類や生卵を投げ付けるような輩はほぼいなくなったそうです。警備兵への連絡と貴族領内での行き過ぎた犯罪ということで徹底的に調査され、嫌がらせをした大半が現在は牢屋の中だそうです。器物損壊の罪に当たりますし、石などを投げ付けられていたらしく、命の危機に瀕していると判断しての名誉棄損、脅迫、恐喝、殺人未遂などの方でも立件されるみたいで、まぁ……周囲の感情に流されて過激なことをやったところで、冷静に対処されれば相応の罪を背負うことになるだけです。貴族を相手取ったのも運の尽きでしょうね。貴族領を穢されたとなれば古くからの貴族側も動きます。更に父親は奉仕活動を行っていたので教会すらも敵に回したとなれば、多分ですけど、二度と真っ当な仕事にありつくことはできないでしょう。因果応報です」
正しい行いをしている者には正しい力が寄り添うということだ。人望、人徳、そのどちらも兼ね備えているからこそ貴族との軋轢があろうとも、それが敵として彼女たちの前に立ちはだかることはない。むしろ今回の騒動で古くからの貴族とのわだかまりが解かれて、結束力が高まったのではないだろうか。
「じゃぁエイラとその両親は?」
「休暇を取ったことでむしろ家族仲が円満になったと聞いています。お子さんも家で仕事をしている父の姿を見て、色々と気付かされることがあったとこちらの報告書にはありますね」
アレウスは安堵の息をつく。
「こちらは、アレウスさん宛ての個人的な手紙となっていますが、ギルド側で検めさせていただきました。私怨――事の発端はともかくとして、娘を危険に晒した冒険者へのささやかな復讐を企てられては困りますから」
「手紙に毒が塗られていたり、内側で起こる摩擦で火が起こったりしました?」
「いいえ、特になにも。一切合切の危険はありません。非常に……ええ、非常に可愛らしい手紙の内容でしたよ。読む読まないは任せますが、一度、家に来るようにと書かれているので正装をして今日中に向かってください」
「正装……」
「そういえば、服装の制限――ドレスコードについては知っていても持ち合わせていないんでしたっけ? ヘイロンの葬式の際に着ていたもので構いません。安物と笑われても気になさらないように。貴族の金銭感覚でドレスコードを合わせては、アレウスさんの財布どころか私の財布ですらスッカラカンになります」
「どうしても今日中じゃないと駄目ですか?」
「読んだらすぐに来るようにと書かれているので、私が手渡した時点でその条件が達成されたものと考えます。なので、今日中に行かなかった場合、ギルドの方に苦情が来てしまいます」
リスティから手紙を受け取り、丁寧に中身を開いて目を通す。
「……手紙でも相変わらず、腹の立つ子供だ」
「アレウスさんは捻くれた子供には好かれそうですから」
「そうですか?」
「マセている子ほど悪に憧れます。アレウスさんは絶妙に悪っぽい雰囲気を出しつつの善人なので」
「僕の基準は大体、そんな感じなんですか……」
クルタニカも言っていたが、もはや共通認識化してしまっているらしい。ここから挽回などできそうにもないため、心の中で嘆くことしかできない。
「なにか今日、ご予定が?」
「ずっと後回しにしていたアベリアの誕生日を祝おうと思いまして」
「ああ、それでしたら尚のこと早めに終わらせるのがよろしいかと……ところで、その誕生日会には」
「会ではないんですけど」
「誕生日会には私も呼ばれるんですよね? なんとか仕事は夕方までには終わらせますし、ギルド長の方にも早く上がれるよう手回しをお願いしておきます」
「いや、だから別に会ではなく」
「ヴェインさんやガラハさんもお戻りになられているんです。どうせならこれまで仲間内で一度も開くことができなかった祝勝会と合わせてしまってはいかがかと」
「……はい」
押し切られてしまった。
「皆さんには私から連絡をしておきます。時間は夕方過ぎからでよろしいですか?」
そして勝手に予定が取り決められる。
「でも、ヘイロンさんの葬式のあとになってしまったのは申し訳ないと思っています」
「悼み、偲び、弔ったのであれば私たち担当者も前へ進まなければなりません。忘れはしませんが、いつまでも湿っぽく居続けるわけにもまいりません。無論、彼女を殺した犯人には必ず報いを受けさせますよ」
熱の込められた言葉だった。ヘイロンを殺した者への復讐心。それを彼女は上手く活力に変えている。冒険者を待つ心構えがそうさせているのか、担当者たちの胆力は強くて驚かされる。
「そう言えば、アイシャを知りませんか? ここ最近、姿を見ていないので」
「彼女は一度、故郷に戻るそうです」
「……冒険者を辞める、んですか?」
「いいえ、神職として相応しい精神力を得るために、父に教えを請いに行くと仰っていましたよ。私は嫌われても構わない所存で冒険者を辞めるように言いましたが、それ以上にクルタニカさんの言葉が胸に刺さって抜けていないようです。一時的な帰郷ですので、ニィナさん以外への別れの挨拶はしないそうです」
「はぁ……」
「なんです今の露骨な溜め息は? あーなるほど、アレウスさんも綺麗な子との縁は残しておきたかったと」
「そういうことじゃ……いえ、あります。なんなんですかね? なんかこう、特に彼女を意識しているわけではないのに、離れてほしくないという気持ちがあります」
「男性は綺麗で可愛い子を、女性は顔が美しく金銭的に余裕のある男を傍に置いておきたいものなんですよ。付き合う付き合わない、結婚するしないに関わらず……ああ、これは私が過去に師事していたセクハラ野郎が言っていたことであって、決して私自身が思っていることではありませんから。ええ、決して、そのようには思っていませんとも」
深い言葉と受け取ったのだが、この“深い”は言葉の重みや意味ではなく、心の闇の深さだ。
「なので、シエラ先輩からも提案されたのですが、アイシャさんが戻るまではニィナさんをアレウスさんのパーティに組ませてもらっても構いませんか?」
「パーティを組むのは僕側としてはなんの文句もありませんけど、彼女の文句を代弁するのなら異界以外の依頼だけにしてやってください」
「ニィナさんはアレウスさんが気を遣ってくれるだろうと仰っていましたが、まさにその通りになりましたね」
アレウスのパーティは遠距離魔法はあっても、遠距離での物理は限られている。飛刃やクラリエの短刀の投擲も一応は遠距離の物理となるが、やや命中精度が悪い。狙った箇所を的確に狙い撃てる『射手』のニィナはパーティの隙間を埋めてくれるのだから、拒む理由がない。なにより、アレウスにとって気兼ねなく話すことのできる相手でもある。
ヘイロンを殺した犯人は未だに特定も確保もできていない。容疑者として挙げられているのは『鬼哭』やコロール・ポートにいた奴隷商人、そして奴隷商人に付き従っていた謎の存在。しかし、『鬼哭』はコロール・ポートの娼館で裏切ったのち行方知れずとなり、奴隷商人は瀕死の重傷を負っていたにも関わらず姿をくらました。焼け焦げた死体があったが、あれは恐らく奴隷商人ではないとアレウスは踏んでいる。
この間に、ヘイロンが飼い慣らしていたと『千雨』の称号を持つ冒険者は廃人と化した。それもこれも『衰弱』状態で二度目の死亡を経験したためだ。一度目はヘイロンが死ぬ以前のガルダ戦の最中に拷問を受け死亡し、その後にどこかで二度目の死亡を果たしたとリスティから説明を受けた。
『鬼哭』も『千雨』。シンギングリンは『至高』の冒険者を二人失ったことになる。これだけでギルドの戦力は一気に落ちた。受けられる依頼、受けられない依頼、そして魔物の“波”への対抗策も変化を求められている。
ギルドでもはや定例となったリスティとの話し合いを終えて、アレウスは家へと戻って、正装に着替える。普段から手軽で気軽、更に軽量な物を着ているのでこういった正装はどうにも落ち着かない。鎖帷子を脱ぐかで迷ったが、貴族領で刺される場合を考慮して着たままとする。
「僕は貴族領をなんだと思っているんだろうな」
浮浪者や夜中の酒場での喧騒といったものとは程遠いところで、常に警備が整っているため治安は良いに違いないのだが、どうして服装の防御力を考えているのだろう。刺されるようなことをした憶えはないのだ。
しかし、いざという時をいつも考えてしまう。貴族領で問題が起こらないとしても、その外では問題が起こるかもしれない。そのとき、すぐに現場に駆け付けられるようにやはり防御力は欲しくなる。ただし、攻撃の要となる武器は取り上げられるに決まっているので、家に置いていかざるを得ない。ここだけが不満だった。
家で静かに読書をしているアベリアに事情を説明してから家を出た。エイラから貰った手紙には貴族領への一回限りの通行手形があったため、通用口でそれを見せて、入念な身体検査を経たのち、あらゆる意味で整備されている貴族領に足を踏み入れた。
住んでいるところはそう違わないのに、漂う空気からして違うのではないかと思うほど清潔感があり、上品な格好をした者たちが悠々と歩いている様を見れば見るほど、自分にとって場違いなところだと思わされる。
エイラの家はリスティから地図で教えられていたが、やはり事前に聞いた通りの豪邸だった。そのせいで門の前で警備に止められてここでも身体検査を受けることになった。不釣り合いなところに来ていることは分かっているため、成すがままである。こういうときに無駄に歯向かったり、睨んだりすればそれだけで捕まってしまう。身分の低い者には身分の低い者なりの処世術がある。アレウスが知識として持っているそれは、クルタニカやリスティに言わせてみれば下の下で、いつ反感を買ってもおかしくないらしいのだが、どうにか通用したらしく通ることを許される。だが、監視のために二人が後ろに付いてきている。これは言われた通り、処世術が下の下であったせいで怪しさを拭い去ることができなかった結果だろう。
こうまでしてエイラの家に行かなければならない理由は一体どこにあるのだろう。貴族を怒らせるわけにはいかないからと僕はただただ生贄にされたのではないだろうか。
豪邸の扉をアレウスが触れようとするが、警備がそれを止めて、アレウスの代わりに扉を開いた。毒物を手に塗っているとでも思っているのだろうか。そこまで怪しまれているのに通すのも理解できない。
執事がアレウスに今日の用事について訊ねてきたため、アレウスはエイラの手紙を差し出す。中身を確認した執事がアレウスをロビーに案内して、ソファに座るよう促した。だが、全く居心地は良くない。周囲に監視の目があるせいで、このどこまでも沈むのではないかと思うくらい豪勢でクッション性の高いソファに体の全てを預けられない。できることならもっと堪能したいというのに。
「アレウスー!!」
階段を物凄い勢いで降りてきたエイラがアレウスに問答無用で飛び付いてくる。上手く抱き止めることができたが、失敗していたらエイラは怪我をしている。その場合、怪我の責任はアレウスになるのだろうか。
「そんな感じだったか――でしたっけ?」
ハッと正気にでも返ったかのような表情を取って、アレウスから離れてエイラは品性のある所作でお辞儀をしてくる。それで体裁を保てていると思っているところが実に子供らしい。
「勘違いしないで! 今のはただの気の迷いだから! あと私には敬語禁止! 分かった?!」
「え、あ、うん」
この勢いは子供ながらにアレウスの周囲にいる女性陣を彷彿とさせる。教会には行きたくないが、女難の相があるのなら祓ってもらいたい。ヴェインやクルタニカはそういったことを生業にはしていないのだろうか。
「手紙読んでくれたから来てくれたってこと? まさか読んでないなんて言わないわよね?」
「読んでなきゃ僕みたいな平民が貴族領に入れるわけないだろ」
「じゃ、ほら早く。こっちこっち!」
エイラに手を引かれ、アレウスは抗う気も起きずにロビーから広い廊下を歩かされる。
「お父さん、入ってもよろしいですか?」
扉――装飾の凝った高そうな扉をノックして、返事があったのでエイラが雑にその扉を開けアレウスを連れて中に入る。
「君がアレウリス・ノールード君か」
「え、あ……はい。お初にお目にかかります」
形式的なお辞儀をしてから、アレウスは背筋を真っ直ぐに伸ばす。
「そう堅苦しくしなくていい。私も元は平民上がりだ。こういったところだと気疲れを起こすのはよく知っている」
「お心遣い、感謝いたします」
「エイラを助けてくれたことについて、面と向かってお礼をまだ言えていなかったと思ってね。娘を救ってくれてどうもありがとう」
「僕は救っていません。救ったのは鉱夫の方々です。僕は彼女と、彼女の友達を勇気付けていただけに過ぎません」
「いや、君でなければきっと娘たちは途中で諦めてしまっていただろう。君が、子供の依頼を受けてくれたからこそ救い出された」
「それは僕の担当者が見逃さなかっただけのことです。本来であれば、あれほど怖い思いをさせずに脱出させられるはずだったのですが、最後の最後で気を抜いてしまいました」
「報告は聞いている。だが、あの落盤については誰も予測を立てることなどできはしない。それに、娘からは何度も聞かされている。天井が崩れる瞬間、君は娘を抱き締め、身を盾にしようとした。その勇気には感服することしかできない、私は不動産で名を挙げはしたが、そのような勇気ある行動ばかりはどうしても腰が引けてしまって経験してこなかったことだ」
随分と話しやすい相手だ。もっとアレウスが嫌いな話し方や態度を取るものとばかり思っていた。
「貴族は金にがめつく、平民を下に見ている。そのように思っていたのだろう?」
「……ええ。あなたに嘘はつけそうにありません」
「その正直さは私以外の貴族の前では隠しなさい。でなければあらぬ理由で君は不当に逮捕され、裁かれてしまいかねない」
「気を付けさせていただきます」
「娘から聞いて知っているように、私は平民から成り上がった身だ。貴族の薄汚いところ、血統主義という名の選民思考。そのどれもが醜いと思っている」
「ではなぜ、爵位を?」
「変えなければならないからだ。貴族の悪いところをずっと引きずり続けていては将来、絶対に平民との間にある亀裂が広がり、大きな渦となって排斥の流れが生じる。放っておけばいい、見過ごしておけばいい、そのようにも考えたが、持っている者が持たざる者に未来を委ねてはならんのだ」
「それが貧しい子供たちに金を配っていると外で罵られても?」
「構わない。食べ物や飲み水は分かりやすい支援もしてはいるが、子供たちには金の使い方を学んでもらわなければならない。それを知らないままでは物の価値も分からない」
「貴族という地位そのものが必要ないのでは? 貴族じゃなくともできることではありませんか?」
「ああ、恐らくはそうなのだろう。しかし、いるかいらないかを決めるのは私たちの世代ではなく、エイラの世代――もしくはそれよりもずっとあとの世代の者が決めることだと私は思っている。少なくとも私の世代においては、貴族がまだ力を持ってしまっている。となれば、私の世代での積み重ねによって『身分が高い者には、相応の社会的責任と義務がある』ことを伝えられるかもしれない」
エイラの父親は貴族という地位を残したいと思ってはいるが、同時にそれが未来において必要なくなった場合に元貴族だった者が平民から酷い扱いを受けないように現状で見えている亀裂を少しでも修復したいという気持ちを持っている。
「この時代では、お金を持った世帯持ちはなにかと物騒なことに巻き込まれやすい。私も不動産でこの地位を買うまでに何度か死にかけた。なにも悪いことはしていないのに、悪道に手を染めているなどという噂まで立ったことがある。それらから妻子を守るために爵位を買った……という一面もあるにはあるが」
貴族なんて、どうせ内部から変えようとしたってどうにもならない。そうやって諦観することは誰にでもできることだったが、エイラの父親は身を守ることと合わせて自身の新たなやりたいことを見つけ出しただけだ。
こういう人だけが爵位を持っていればいいのに、とまでは思わない。エイラの父親も結局、貴族の生活に憧れて爵位を買った。自分自身と妻子を守る力を持ち合わせていないから、守ってもらえるところに逃げた。だが、それを“悪いこと”としてしまえば、お金を持っている者は襲われて当然などというワケの分からない理論が押し通ることになってしまう。
「教会への支援、貧しい子供たちへの支援、あとは様々なことに着手していらっしゃると聞いています。素晴らしいことだと思います。ですので、その素晴らしい行いをエイラにもしっかりと伝え、受け継がせていっていただきたい」
「そうだな。私だけが大層なことを抱いていたところで、受け継がれなければ灯火のように消えてしまう」
エイラの父親はそこで一旦、話を区切る。
「すまないね。私は君に、私の無駄に大層なことを語りたかったわけではない」
「いえ、お気になさらないでください」
「君は冒険者として支援者はいるのかね?」
「いませんが」
「君さえ良ければ私が支援者になっても構わないのだが」
「嬉しいお誘いですが、お言葉に甘えるわけにはいきません」
「なんで? とっても良い話じゃない!」
「資金面では、どうにかやりくりできています。どれだけの大金を積んでも、強さを買うことはできません。確かに身の安全のために防具や武器にお金をかけるのは必要なことですが、高い防具、高い武器は買ってしまえば修繕するたびにやはり高くついてしまいます。自分の身の丈にあった武器や防具であることと、身の丈にあった依頼をこなすこと。この二つを守っていれば、ランクが上がる過程で使う武器や防具の品質も上げられるようになります」
「身の丈に合わない物では、身を守る以上に物の価値に囚われやすい、か」
「はい。僕は貧乏性なので、恐らくは雑に扱えなくなってしまいます」
「……では、家はどうだ?」
「家、ですか」
「私の仕事として、君に良い物件を紹介することができる。そこの家賃や諸々を、大幅に割引しても構わない。自分の身の丈にあった武器や防具を求めるのなら、君も身の丈にあった家に住むべきではないかね?」
「確かに、そうなのですが……」
「君の住んでいる借家についてはもう調べてある。あそこは随分と古びてしまっているが、決して住めないわけでもなく、住み心地が悪いわけでもない。だが、君があの借家にずっと住み続けていては、新人の冒険者たちは身の丈に合わない物件を探すことにならないか?」
そう言われて、新たな冒険者の募集と選考という名の試験が始まることをアレウスは思い出す。
アレウスはもう中級まで駆け上がった。後輩の冒険者にあの借家で住んでいては、示しがつかない。別に後輩と仲良くする気など更々ないのだが、『至高』を目指せば住める家も変わるのだと思わせることが、もしかするとやる気に繋がるかもしれない。
「すぐに承諾することはできませんが、そこまで仰るのであれば」
「良いとも。住み続けたことで愛着もあるだろう」
エイラの父親が紙になにやら書き始める。
「色々と話が纏まったら、これを手紙として送ってもらえるかな? 宛先はエイラが出した手紙に書かれているものだ」
「ありがとうございます」
書き終えた書面をアレウスは受け取り、頭を下げる。
「難しい話はおしまい?」
「ああ、終わったよ」
「じゃぁアレウス! 私が屋敷を案内してあげる!」
父親の返事をしっかりと聞いて、エイラはアレウスの手を掴んだ。
「いいでしょ? お父さん」
「あまり連れ回さないようにしなさい」
「はい」
「屋敷内を見せることを許すのは君に信頼を置くと決めたからだ。裏切ることのないようにしてほしい」
冒険者のマッピング技能があれば屋敷の見取り図は簡単に書き記すことができてしまう。それをアレウスが闇に流通させてしまえば、警備の穴を突いた強盗や窃盗が行われることとなる。
「誓約書を書きましょうか?」
「いや、そこまで君を縛り付ける必要はない」
「お父さん? アレウスとなら蒸し風呂に入ってもいいでしょう?」
「エイラ一人なら危なっかしいが、彼と一緒なら許そう。焼き石には決して触れてはいけないよ。湯をかける際は必ずアレウリス君に頼みなさい」
「ありがとう、お父さん」
エイラに引っ張られて、アレウスはちゃんとした挨拶もできないままに彼女の父親の書斎をあとにする。
「蒸し風呂って?」
「そっか、アレウスは知らないんだ。貴族の間では結構、主流で『サウナ』って呼んだりもしているわ。光栄に思いなさい。敷地内にサウナを備えているのなんて、シンギングリンじゃ貴族領ぐらいなんだから」
「なんで屋敷を案内されるついでに蒸し風呂に?」
「だってお父さんもお母さんも私には危ないからって入らせてくれないんだもの。アレウスが来る前に、アレウスと一緒って条件なら入ってもいいって言質を取ったの」
『言質』などという言葉が出る辺りが不動産を生業とする親の娘らしい。
「その蒸し風呂っていうのは、沐浴と違って服を着たまま入るのか?」
「着たままだと熱くて死んじゃうかもしれない」
「……僕、男なんだけど」
「それがどうかした? それとも私と蒸し風呂には入りたくないとか言わないでしょうね?」
エイラは男女の性差について知っていてもそれ以上は知らない微妙な年頃だ。下半身にそれが有るか無いか程度で、その先の原理には至っていない。マセてはいても、原理を知ろうとすれば友達から変人や変態呼ばわりされるから調べない。
「外でもそんな感じだったりするのか?」
「外? ああ、大衆浴場とかその辺り? お母さんとお父さんに連れられて旅行もしたことがあるけど、知らない人に見られるのはちょっと落ち着かなかったわ。でも、家の敷地内なら誰かに見られるわけでもないし、全然平気」
ギリギリ、男の子の視線に嫌悪感を抱くか抱かないか。
予防線を張ってしまったが、そんな年頃のエイラに対してアレウスがなにかを思うわけもない。そもそも、大衆浴場と川での沐浴ですら男女で分けるという明確な規定はない。冒険者の中では割と当たり前だが、街の人々はそこまで気にしていない。
今では考えられないことだが、アベリアの沐浴を覗かれていないか監視するために同行したこともある。クルタニカの裸体を直視したこともある。アレウスと同齢や年上であれば別だが、エイラに邪な感情を抱くのは絶対にないと断言できる。若干、浮ついた感情があるのは否定しないが、これはエイラが人前では体裁を保ってもアレウスと話す際には態度が柔和になっていることを純粋に喜んでしまっているからだ。
庇護欲など自分には存在しないと思っていたが、案外、悪くない。そのように思うのだが、きっと子供の人数が増えればそんな気持ちを投げ捨てたくなるほどに苛立つのだろう。
両極端な自分自身の感情に呆れながらも、決してそれは表情に出さず、エイラに屋敷内を案内され、そこで様々な知識をひけらかされる。大抵はアレウスも知っていることだが、意外とエイラは博識でアレウスの知らないこともあった。
「焼き石はこうやって専用の入れ物に入っているんだけど、そこに水やお湯をかけると蒸気が出るの。焼き石の熱と蒸気の熱で小屋の室温と湿度を上げて、体の奥から老廃物を汗と共に流す。そして、限界ギリギリまで温まったら、外に出て水風呂やぬるめのお湯に浸かる。これが蒸し風呂の醍醐味よ」
慌てる感じで服を脱いで、途中で引っ掛かっているのを手伝ってやりながらアレウスも脱衣を済ませた。さすがになにも隠さないのは「はしたない」と給仕が言っていたのでタオルを巻かせ、アレウスも局部をタオルで巻いて隠す。これこそ親しき中にも礼儀ありだろう。そもそも、なんで会って二回目でエイラと蒸し風呂に入ることになったのか。恐らくは貴族しか知らないことを教えている彼女の善意なのだが、その善意になにもかもを委ねるのは良くない。
大体、娘を今日知った男と一緒の蒸し風呂に入れさせるのを許可するの父親の神経も疑ってしまう。相変わらず、この世界の観念はアレウスの産まれ直す前の世界よりも緩いらしい。秤にかけられている可能性もある。ここでエイラに手を出すなら首を刎ね、出さないなら信用に足る冒険者とする。娘を道具としてしか見ていないわけではないだろうと思っているが、もしもの場合を考えると不安にもなる。
「私、すっごくワガママだし嫌われやすいけど、アレウスもそうでしょ?」
サウナで汗を流している最中にエイラは独白のように発する。
「いつも余計な一言を言いそうで言わない。そうやって我慢していると、言いたことがあるなら言えって言われて、売り言葉に買い言葉になりやすいの」
「そんなのは年月を経れば落ち着く。心の中で叫ぶだけで、声に出さなくなる。顔には出してしまって、たまに注意されるけど」
「ふぅん、そうなんだ」
「あんまり大人を困らせると、我慢強くない大人が刃物を出してくるかもしれないから気を付けろ」
「ないでしょ」
「刃傷沙汰って言って、ちょっとした夫婦の間でも痴話喧嘩で切ったり切られたりが平気で起こる。命の価値が安いんだ。その分、助かりやすくもあるんだけど」
神官の回復魔法や医者による治療、あとはポーション。ただし、それらで救えるのは重傷までであって重体や即死には効果がない。なので、夫婦間での刃傷沙汰は命が助かった場合、絆がより深まったとのたまって惚気る夫婦が出てくることがある。それだけは唯一、アレウスにも理解が及ばない絆である。
「夜中に一人で外を出歩くのはやめろ。坑道で体験したこと以上に怖ろしいことが起こるから」
「お母さんにも小言みたいにずっと言われていて嫌になりかけていたのよ」
「笑い話じゃないし、怖がらせたいわけじゃない。君のことが心配だから言われているんだ。多分、そういうのも面倒臭いんだろうけどな」
エイラがサウナの熱で限界そうなので、二人して外に出て水風呂に浸かる。
この蒸し風呂は、汗を流した分だけこの水風呂が心地良い。気持ちが引き締められる上に、サウナで蒸された分だけ精神面で鍛えられたような感覚にもなる。
「これを何度か繰り返すのよ」
「外で見つけたら、今度から入ってみようかな」
「私の家には入りにこないって言いたいの?」
「貴族領に易々と入れる平民はいないんだよ」
「そっか」
「自分の立場を理解して、平民と仲良くするのは控えるんだな」
「でも別に平民と仲良くしちゃいけないって決まりはないじゃない?」
「……確かに」
盲点だったわけではないが、それを貴族側から言ってくる人とは出会ったことがない。とはいえ、エイラはまだ子供だ。しがらみを知らないだけだろう。
その後、サウナと水風呂を往復して堪能するだけしたのち、衣服を着直してアレウスは帰り支度を整える。
「これからもよろしく、アレウス」
「なにが?」
「冒険者は街の最終防衛なんでしょ? どんなことがあっても、アレウスが守ってくれるって信じるから」
アレウスはさほど街の人と仲良くしたことがない。あったとしても、それはいわゆる見知った間柄程度。人付き合いにおける最低限のコミュニケーションであって、それ以上のものはなかった。
だから、エイラの存在はアレウスに自身の役割を再認識させた。
自らが守るべきは街であり、そして人なのだ、と。
「あと、私が成人しても結婚していなかったらお婿さんにしてあげてもいいわよ? なんなら、愛人にしてあげてもいいくらい」
マセている。その言葉の意味を理解してはいても、その内奥までは知らないから軽率に発言できる。あとで様々なことを知ったとき、顔から火でも噴くんだろうなと思いつつ、アレウスは冗談半分で聞き流す。
「君の両親に、今日はありがとうございましたって伝えておいてくれ。そういや、母親の顔を見ていないけど……挨拶もせずに帰っていいのかな」
今更ながらに、この屋敷では技能封印の魔法陣が敷かれていることに気付く。やはり犯罪者が冒険者だった場合の対策も万全のようだ。
「お母さんはお父さんと違って人付き合いが苦手な方だから。多分、遠目から私たちを見ているわよ」
彼女は父親の威風と、母親の人付き合いの下手さを見事に受け継いでいる。両親に似るのは良いことだ。アレウスは自分自身が両親に似ているかどうかすらも、分からないのだから。
エイラの屋敷を出て、変な寄り道はせずに通用口で身体検査を受けて、通行手形を回収されたのち貴族領の外へと解放される。
「アベリアの誕生日……なにかあげた方がいいよな」
シンギングリンで物を贈るのは一般的なことだが、欲しい物をあげるのではなく、花束や手紙などといった想い出になるような一品を贈ることの方が多い。
なにを贈るべきか。それを考えながらアレウスは帰路についた。
♭
「本当に別れは告げないままでいいのか?」
「はい」
「僕は説明することを禁じていない。強制しているのはあくまで帝都への連行だ」
「こんなことを伝えたら、絶対にアレウスさんは納得しません」
「だが、伝えなければならないこともあるはずだ」
「エルヴァージュさんは思っていた以上に人情深いんですね」
「……そうじゃない。僕はただ、恩を押し付けたいだけだ。押し付けた恩は、押し付けて返される。僕はアレウリス・ノールードにそうしてくれることを望んでいる。だから数週間前のリスティからの頼みも二つ返事で受けた」
「でもそれは、私のためじゃなくエルヴァージュさん自身のため。違いませんか?」
「その通りだな」
「だったら、そんな誘いには乗りません。誘いに乗れば、エルヴァージュさんはまたアレウスさんを利用する。私はそうさせたくありませんから」
「…………そうか」
エルヴァージュはアイシャの言葉にやや時間を置いてから返事をする。アイシャは兵士に導かれるままに馬車に乗り、エルヴァージュが幌を閉じる。
「忠を尽くせ、アイシャ・シーイング」
「国にですか?」
「いいや、己が信じる神様と、己が信じる生き様に」
それだけ伝えるとエルヴァージュもまた、別の馬車へと乗り込んだ。




