あの頃の自分に
「なんなのよ、本当に。本当の本当に、ムカつく」
「あんまり気が滅入ることを言わないでくれるか?」
「だって今でも信じらんないんだもん。なんで私がこんな目に遭わなきゃならないのよ。しかも、助けに来たのがこんな頼りなさそうな冒険者だなんて」
「頼りなさげで悪かったな」
子供の言うことに腹を立てるべきではないのだが、こうも罵られているとやはり胸の中にドンドンと燃えてくるものがある。無論、それは決して外に吐き出してはならない燃焼であるため、耐え忍ぶことが求められている。
通路が二手に分かれている。
「ねぇ、こっちじゃない?」
「勝手に先に行くな」
アレウスは女の子の首根っこを掴んで引き戻す。
「もうちょっと丁寧なやり方はできないわけ?」
「うるさいな」
「で、なんで私が行こうとしたのを止めたのよ? なんの理由もないわけ? だったらただただ私がムカつくだけなんだけど」
暴力で黙らせてやろうか。子供と冒険者の間にある歴然とした力の差が分かれば、この小うるさい口も開くことがないだろう。
「……そっちは、もう地盤がやられていて崩落が起きている。行ったところで行き止まりだ」
「なんで分かるの?」
「昔の地図の時点でバツ印が付いている。通れないし、使えなくなったって意味だ。だから僕たちはこっちに行くしかない」
女の子がアレウスの眺めていた地図を覗き込んでくる。
「なにこれ、ホントに地図なの? 騙されてない?」
「最近の子供は地図すら碌に読めないのか」
「読めるわよ! でもこんな汚いの、読んだことないから!」
「汚くても、これは命懸けで仕事に臨んでいた鉱夫が書き上げた地図だ」
たとえ一般的な地図の書き方と異なっていても、無いのと有るのとでは全然違う。縮尺などに違いが出てしまうのは、教育を受けることができなかった鉱夫も少なくないからだ。なにより、アレウスには解読できる範疇だ。もっと酷い地図なら異界で見てきた。酷い落盤事故も見た。そんな中で自分自身が事故に見舞われなかったのは、地盤、地形といった別の角度から調べて、危険か否かを判断する知恵を付けることができたからだ。
狭いところは安心する。トラウマもあるにはあるが、広いところよりもアレウスは薄暗く狭いところを好む。来た道のどこかで落盤が起こって帰り道が塞がれていたとしても、冷静さが欠けることも焦りが湧いて出ることもない。
「あっちこっちで崩落が起こっているんでしょ? 早く行きましょうよ」
「そうだな」
「もし道が完全に塞がったら、空気が無くなって窒息しちゃうかもしれないんでしょ?」
「いや、これだけ落盤が頻発する状況にあるならむしろその可能性は薄い」
「なんでそんな風に言い切れるのよ」
「落盤が起こればそれだけ地形変動が起こるってことだ。さっき大きな揺れが起こったあとにランタンを点け直したけど、あのときでさえまだ空気の流れができていた。要するに少しだけど風が吹いていた。地形変動で逆に閉ざされていた部分に穴が空いて、外から空気が入る余地が生じたのかもしれない」
「でも何人かは窒息で死ぬんでしょ? 私はそう教わったけど」
「別に起こりにくいわけじゃなくて、むしろ起こりやすい傾向にはある。でも、窒息死の大抵はガスが原因だ。ガス中毒になって呼吸ができなくなっての窒息死。空気の流れが薄い状態で膨大なガス漏れが起きて、空気の量よりガスの量が上回ると、僅かな風の通りがあったって死んでしまうんだ」
「ガスなら臭いで分かるんじゃ」
岩の横に作られた隙間が小さかったためにカナリアを連れてくるのは難しいと思い、リスティには断ったがそれはもしかしたら判断ミスだったかもしれない。
「臭いで分かるガスなのが大抵だが、無味無臭のガスがある。それを僕たちは知らない内に吸って、知らない内に呼吸ができなくなって、知らない内に苦しんで死ぬ場合がある」
そう、無味無臭のガスを失念していた。坑道に入ったあとは冷静だったが、坑道に入る前はむしろ今よりも冷静さが欠けていた。こんな一番間近にある危険を見過ごしていたなど、「自分の鼻を信じます」とリスティに力強く言っていた自分が恥ずかしくてたまらない。
「そんな……私、まだ死にたくない」
「だろうな」
足を止めてしまった女の子の頭を撫でようとするが、それが果たして正解か分からないために控える。なにを大人振った対応をしようとしているのか。撫でて喜んでくれるのはアベリアだけだ。世の中の全ての異性が、年下であっても頭を撫でる行為で気持ちを落ち着かせるとは限らない。しかも女の子にとって、アレウスはそこで出会ったばかりの男に過ぎず、恐怖の対象にもなり得る。そうなると、折角、冷静であった彼女の心が決壊する。そうなれば、この場から動こうという気持ちは失われてしまう。
「僕だってまだ死にたくない。死ぬか死なないかは日頃の行いが良いかどうかだな」
「……私、絶対に死ぬ」
「そんなに日頃の行いが悪いのか?」
「だって……こんな、冒険……私、お父さんに反抗したかっただけで……喧嘩して」
ボソボソと言葉を零しているが、もしかすると彼女の頭の中では走馬灯のように今日までの出来事が思い返されているのかもしれない。あんまり触れるべきではないし、希望となるような事象が起こっていない中で励ます言葉を投げ掛けたところで、それが空虚なものだと気付かれてしまったときの失望は大きい。
子供のことは気にしないようにするつもりだったが、結局のところ振り回されてしまっている。アレウスはひょっとすると面倒見が良いのかもしれない。
「違うな」
即座に否定する。アレウスはただ単に、依頼を達成したいだけだ。達成するためには女の子を連れ回す以上は足を止めて欲しくない。足を止めさせないためには、この女の子の気持ちを上向きにしなければならない。そのために試行錯誤している。アレウスの中に、この子を思いやる気持ち――それどころか、子供に対して感じる庇護欲めいたものは一切ない。
「歩けるだけ歩け」
「無理」
「歩け」
「無理」
「歩け!!」
叫んで無理やり女の子を歩かせる。ただし、先導するのはあくまでアレウスであり、彼女には前を歩かせない。
「なんでそんな頭ごなしなのよ! ちょっとぐらい優しい言葉を投げてくれたっていいじゃない!」
「優しく接したって、現状がどうにかなるわけじゃない。優しい言葉に甘えさせたら、次に来る辛辣な言葉に精神が耐えられなくなる」
飴と鞭は使いようとはよく言うが、飴の甘さを知ったあとの鞭の痛みは強すぎる。鞭を先に使ったなら、飴を与えるのは全てが終わってからだ。
そんな憎まれてもおかしくない精神論をアレウスは支持したくはなかったのだが、この場では用いざるを得ない。子供たちを救うために、憎まれ役を買って出るしかない。
「もっとまともな冒険者が来てくれたらよかったのに」
「言っておくけど、坑道をよく知っている冒険者なんてシンギングリンにはほぼいないからな。子供からの依頼じゃなかったとしても、僕に回されていた可能性は高い。緊急性がある以上、坑道の構造を知っている冒険者が相応しいから」
「詳しいの?」
「少なくとも、そこらの冒険者以上には」
レールの錆び付き具合を調べつつ、木の棒で目印を付ける。ランタンの火を一瞬だけ外気に晒すと、やはり少しは揺れ動く。まだ酸欠にはならなさそうだが、これも時間の問題だ。いつアレウスの知らないところで坑道内部が密閉空間になってもおかしくない。
「怖くないの?」
「特段、怖くはない。ガス中毒の不安はあるにはあるけど、他はなるようになると思っている」
「お気楽」
「言うだけ言っていろ。世の中は案外、どうとでもなることの方が多い」
そのことを知ったのはつい最近のことだと言うのに、さながら昔から知っていたかのように言う自分自身にアレウスは寒気を感じた。
「……エイラ」
「なにが?」
「私の名前、エイラ」
「ああ、そう」
「普通、名乗ってきたら名乗り返すでしょ?」
「アレウリス・ノールード。『アレウス』って呼んでくれ」
「『アリス』?」
「そうは呼ぶな」
「でもみんな『アリス』って呼びそう」
「呼ばれないように、釘を刺している」
「なんで?」
「その愛称は嫌だからだ。これ以外に理由があるか?」
『アリス』は女性っぽいだけでなく、アレウスの知っている世界では童話の少女の名前として有名だった。そのイメージが、どうしても自分自身とそぐわない。
それにしても、どうして急に名乗り出したのか。死期を悟って、せめて名前でも覚えていてほしいという欲望の表れにも見える。
「簡単に死ねると思うなよ」
「なにそれ、まるであなたが私を殺すみたい」
「生殺与奪は確かに握っているけどな」
「私が諦めるときは、あなたが諦めるとき。それで文句ない? アレウス」
後ろを向いて、アレウスはエイラに肯いて前に向き直った。
どこからともなく、子供の声が聞こえる。ああだこうだと騒がしい言葉のぶつけ合いだ。お前のせいでこうなったとか、それ言うならお前だって、とか。責任と責任の押し付け合い。更には責任を感じているからこその後悔の言葉に、後悔の言葉を重ねた絶望のやり取り。
「騒がしいったらありゃしない」
「エイラには言われたくないな。あれだけ話せるなら、ともかくは元気そうで良かった」
そう思ってアレウスはエイラを連れて声のする方向に、マッピングをしつつ歩いていき、やがて見えてきた子供たちの顔を見てホッと一息をつく。
が、それも束の間だった。二人の子供のすぐ近くで一人の子供が横たわっている。言い争いをしている二人を押し退け、アレウスはまず横たわっている子供の息を確認する。呼吸はしているが、か細い。なにより異音が混じっている。肋骨が折れて肺に刺さっていそうだ。リュックの中からポーションの小瓶を取り出し、子供に飲ませる。続いて、辛うじて意識のある子供の腕や足に触れ、薄いながらも反応する部位を詳しく調べ、骨折と脱臼を確認する。
「なんでこうなった?」
「俺たち、エイラを探していて」「大きな揺れがさっきあって」「そしたら、岩が崩れて」「上から一気に、じゃなくて、横からドシャッみたいな」「そいつが俺たちを庇って、岩の下敷きになって」「岩自体はそんなに大きくなかったけど」「だから岩は退かせたけど」「し、死んじゃいそうで」
助ける時にまず足に岩が直撃し、続いて岩混じりの土砂が横から崩れて半生き埋めに。胸部圧迫が続いて、肋骨の一部が折れ、土砂を掻き出して無理やり二人で引っ張ったために片腕が脱臼した。なんにしても、胸部圧迫の状態が続けば死んでいたため脱臼しようがしまいが引っ張り出せたことで命が繋がったことになる。
「頭に直撃していなくて良かった」
頭蓋骨の損傷は、脳への損傷に繋がりやすい。更には岩となれば、即死すらあった。
「ポーションを飲ませたけど、回復には時間がかかる」
回復とはいえ体力を消耗させつつ傷の縫合、骨の接合などを行う。今、残されている子供の体力を削りながらの回復となれば即効性がなくなる。だが、ポーションを飲ませたことで通常では絶対安静が求められる重傷であっても、背負うぐらいの無茶が通るようになる。子供の顔色は依然として悪く、体温の低下も感じ取ったためにアレウスは着ていた服の一枚を子供に被せる。
「しばらくここで休息して、この子の顔色が良くなってから動く。よく三人で行動できていたな」
「バラバラだったんだけど」「この辺り、どこもかしこも繋がっているみたいで」「どこを通っても、この先をちょっと進んだところに戻ってきちゃうんだ」
「そうか……」
ならば、坑道の採掘地点という名の行き止まりか、或いは迷路に入った。採掘が上手く進まず、あちらこちらに坑道を伸ばしたことで迷路のようになってしまうことがある。この坑道は採掘量が元々少なかったこともあって、早い段階であちこちを掘り始めたのだろう。
ただ、そこを抜けた先にも休憩所はある。壊れていても送風管を頼りにすれば、辿り着くのは難しくないはずだ。
「僕は君たちを助けにきた冒険者だ。でも、ワケあってすぐに助け出すことはできない。この子の傷も心配だし、あとは」
リュックを降ろして、地図を見る。
「来た道を素直に引き返すだけでどうにかなる状況じゃなくなった」
暗にエイラへどういった意味であるかを伝える形になってしまったが、彼女は事実に気付いたようではあっても体の震えどころか表情の変化もさほどなかった。
「そんな」「なんでだよ」「すぐに助けてくれよ」「こんなところもう沢山なんだよ」
「アレウスが決めたんだから、アレウスに従って」
「なんだよ、エイラ」「お前は冒険者の肩を持つのかよ?」「お前だって早くここから出たいだろ?」「出たくないわけないだろ?」
「そうだけど、私たちよりずっとアレウスの方が坑道のことはよく知っているから」
「知っているからなんなんだよ?」「出られなきゃ意味ないだろ!」
「……アレウス」
「僕は君たちの間柄には干渉できるほどの関係性を築けていないから、横から言いたくない。君たちの意図的な判断で起こったことでなかったとしても、三人が一ヶ所に集まっていたのは運が良かったし」
「どこがどう運が良いって言うんだよ」「こんなの最悪じゃんか!」「こんなことになるなら冒険なんて」「考えなきゃ良かった」「お前のせいだ」「いいやお前だ!」「エイラだって悪い!」「エイラが一番悪い!」
「責任は押し付けるものじゃなくて、引き受けて背負うものだ。そうやって言い争ったって、全員が責任を背負う状況なんだから答えは出ないぞ」
さっきまでは誰の責任だと言いながらも、自分にも非があるような主張が聞こえていたが、アレウスが子供の治療に当たってから急に調子づいた。大人でも上手く隠せないのだから純粋な子供となれば簡単に見破れてしまう。
「すぐに助けられないクセに」「なんで一人で来たんだよ」
「でも、アレウスが来なかったら私たちは助かる見込みもないまま、ずっと坑道の中だった」
エイラは語気を強めに言う。
「なんでも良いから、助けてほしい。そう思っていたのに、助けが来た途端に私も同じで欲張った。ちゃんと、頑張ろ? 私たちだけじゃ、絶対に死んでいたんだから。アレウスが来てくれたから、絶対じゃなくなった。それだけでも、きっとありがたいはずだから」
彼女の中にも燻る思いはあるものの、今はアレウスに命を託す。そういった意味合いが込められた言葉に、二人の子供が段々と静かになっていく。
子供たちだけで一つにまとまってしまった。昔のアレウスに、そこまでの物分かりはなかった。
もし、その物分かりがあのときのアレウスとアベリアにあったのなら、と考えてしまう。ヴェラルドとナルシェはひょっとしたら共に異界から脱出していたかもしれない。
彼らのように、自己を犠牲にして子供たちを助けられるだろうか。異界とただの坑道では緊張感も、救出のリスクも天と地ほどの差があるものの、あの日に見た背中を追い掛けて、この子たちにそれと似た背中を見せられるように尽力したい。
依頼を達成するためだけ。そのはずだったが、アレウスはいつの間にか過去の自分を彼女たちに重ね合わせ始めていた。




