立つべき者と支える者
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「国を救ったのは女王です」
「でもそれは結果論でしかありません。もっと早くに国のために立つことができていたならば、悪意ある者たちに利用されることもなく、更には国の乗っ取りさえ行おうとは思わなかったでしょう」
「『服従の紋章』が刻まれていたのにですか?」
「それはアレウスさんたちしか知ることのできていない事実です。一国の王女が『服従の紋章』を刻まれていた……誰もそんな話、信じるわけがありません。それに、仮に刻まれていたからといって、国を放り出して毎日のように嘆き悲しみ、国民すらも悲しみへと引きずり込んでいたのはやり過ぎでしょう」
「精神が壊れていたのは周知の事実のはずです」
「土壇場になって持ち直した……聞こえは良いですが、なんでもっと早くに持ち直すことができなかったんだ。そのように考えることだってできてしまいます」
「でも……それじゃ、女王は……国によって殺されるために、国を救ったことになってしまいます」
「ええ。きっと、クニア・コロル様も承知の上で決めたことです。国が滅んだあと、奴隷商人に利用されて死ぬか、国を救って裁かれて死ぬか。『服従の紋章』から解き放たれたときに後者を選択した。いえ、カプリース・カプリッチオを想うがゆえに、後者を選ぶほかなかった。とはいえ、前者を選んでも明るい未来はないでしょう」
ハゥフルの小国の都市、コロール・ポートに訪れた脅威はひとまず去った。陸から進軍していた集団はノックスとセレナが一人を残して全滅させ、その一人も撤退。できる限り殺さない方向で頼んだのだが、「女の尊厳を踏みにじることしか考えていない連中は死んで当然のことだ」と言っていた。たとえ穏便に事を済ませられていても、疲弊したコロール・ポートに再度の進軍など行われれば占領どころか蹂躙されていたに違いないため、結論としては彼女たちの選択は正しかった。
海側から来ていたのは王国の船団だった。しかし、こちらは当初は敵と思われていたがアクエリアスの復活後は海上に発生したクラゲ退治とハゥフルの保護を行っていたため、進軍してきたのではなく救援に来ていたことが分かった。そして、カプリースとクニアがお礼を言う前に船団は港で食料などを調達後、帰っていった。
奴隷商人はハゥフルが『ファスティトカロン』全域を捜索したが見つけることができず、代わりに身元不明の焼け焦げた死体が発見された。ハゥフルの医師が総出で遺されていた歯型や治療痕、焼け爛れた指紋などから身元を特定しようとしたが結局は分からずじまいだった。そもそも奴隷商人であったならハゥフルの病院に訪れていることは考えにくい。では残留している魔力から見極めることができるのではとアベリアが挑戦してみたが、これも掴み取ることは不可能だった。
娼館は多大なる被害――建物の崩壊と逃げ遅れた娼婦や役員たち、更には大量の魔物の死体が瓦礫の下に転がっていた。こちらは身元の確認が取れ次第、埋葬されるという。恐らくはこの国を出る前にアベリアとクルタニカが最後の仕事として『御霊送り』を行うことになるだろう。
アイシャはアクエリアス討伐直後に意識を失い、三日ほど眠りはしたが無事に目を覚まし、病院で健康診断を受けてから退院することになる。彼女の大詠唱による結界がなければコロール・ポートの都市部はクラゲによって侵略されていたに違いなく、この戦いにおける最大の功労者である。
「『鬼哭』の足取りは?」
「掴めていません。彼自身、シンギングリンのギルドに所属していても滅多なことで顔を出すことをしませんでしたから……ルーファスさんに異様な執着を見せていたので、きっと逃げ延びているのではないかと」
「足取りを追えない奴隷商人と共に、ですか?」
「そうです。利害の一致があったに違いありませんが優秀な冒険者が一人、敵になってしまいました。元々、冒険者の中でも『影踏』のように優れた気配消しや痕跡消し、更には素早い移動を行える者はスパイや偵察、密偵といった様々な役割を与えられやすいんです。それってつまり、他国に侵入偵察している際に捕縛され、金銭の授受といった交渉で裏切ることも容易なのです。勿論、裏切れば国に帰ることはできませんが、帰るつもりなど毛頭ないからこそ裏切れるわけです。そのように“裏”では密偵による情報収集と更には奪い合いが行われています。国の全てのギルドが一枚岩になれない要因でもありますね。抱えている冒険者から別のギルドにスパイを送ることなんて、当然の戦略として取られているんですから」
「カプリースはスパイだった」
「ですから、カプリースさんも帝国に戻ることはできません。かと言って、クニア・コロル様のいないこの国で生きる意味など見出せないでしょうから……共に死を選ぶのではないかと」
リスティはギルドへの報告書類を書きながらアレウスとの会話を続ける。
「僕たちがとやかく言っても、止められることでもないということですね」
「むしろアレウスさんは冒険者なのに内政干渉したと判断されれば、場合によっては帝国では投獄となります。それをどうにか阻止したいので、私はどのように報告書類に嘘を織り交ぜようかと悩んでいます」
「僕もアベリアもカプリースやクニア様にああしろこうしろと命じていませんし、アクエリアスの討伐に至っても、あれは異界獣でしたから冒険者なら戦わないわけにはいきません」
「『注ぎ殺す者』の討伐。全盛期のアクエリアスであればこの国は滅んでいておかしくないので、かなり弱体化していたようですね。復活したばかりで不完全、更には異界ではない世界で発生したとなれば、可能と言えば可能でしょう。王国側がかなりの数のクラゲを討伐していたのも大きいはず。そのせいで、アクエリアスは再利用できる死体の数が減ったんですから」
「蒸発させる以外で死体の再利用を防ぐ方法があったと?」
「王国――正確には王国に反旗を翻した新王国ですが、そこには『火』に近い力を持った人がいらっしゃいました。それに、対策が水の蒸発だと分かれば魔法で対処できる範囲でもあります。ただ、その魔力は通常よりも強くなければなりませんが」
考えてみれば、あのアクエリアスとの戦いの中で火属性の魔法を唱えられるのはアベリアだけでなくクルタニカもいた。だが、クルタニカが唱える火属性の魔法とアベリアの唱える火属性の魔法では威力が違う。特に『原初の劫火』が低難度の魔法であっても威力を底上げするのだ。だからアレウスとアベリア以外が蒸発させる方法を持っていなかっただけに過ぎない。つまり、高度の火属性魔法を唱えられる魔法使いや術士、魔導士がいれば対策は難しくなかったのだ。
「その新王国もある意味で内政干渉なのでは?」
「それを言えば、恐らくは『呼ばれて救援に来ただけに過ぎない』と言うでしょう。現に、カプリースさんが救援を申し入れたからこそ来たようですから。それは恐らく、奴隷商人が暗躍したとほぼ同時期で、カプリースさんが行かなければ新王国は奴隷商人の口車に乗せられてこの都市を侵略し、手中に収めていたやもしれません」
「カプリースの功績は大きいはずなのに」
「感情で人を裁いてはなりません。心は常に平等に。それこそ天秤のように」
「けれど、この世に無感覚で、無感情で生きている人なんていません。思考とは、感情なんですから」
「ええ。真に平等と言えるのは天秤の支柱ぐらいでしょうね。秤に乗せる物の重さ、その受け取り方は人それぞれなのですから」
報告書類を書く作業を一時中断し、リスティは紅茶を飲む。
「ただ、この国の人々はクニア様のことが大好きなようなので……変革を強く求めていた強硬派が他国と通じていた点を追及すれば、もしかするとそれほどの罪にはならないかもしれません。結局、感情が全てを凌駕する……のでしょうか。それが公平な裁きとは思えないと言えば、その通りなのですが」
裁く裁かれるの話をここで終える。シンギングリンでもそうだったが、当事者になれない以上はどれだけ語ったところで答えは見つからない。
「この国はどうなるんでしょう」
「霧の魔法が解けた今、この国を守るものはありません。更には内部での分裂に合わせて、異界獣や連合からの襲撃。それらによって疲弊しているところを突かれれば、コロール・ポートも例外なく滅ぶでしょう」
「けれどそこに冒険者は関わることができない」
「はい。国のために戦うことのなにが悪いのか……そう思うのも無理はありません。ですが、向こうは死んでも甦らず、冒険者は甦る。戦争に不死の軍隊が出ることは許されないのです。とはいえ、見過ごすわけにも行きませんので、軍隊と軍隊のぶつかり合いをしている中で人々を安全なところまで逃がすぐらいは認められていますよ。そもそも戦争で無意味な虐殺、無価値な強奪はあってはならないとされています。無抵抗かつ武器を持たない人々を無益に殺すことも禁じられています」
「末端の兵士までその倫理観が届きますか?」
「届きません。だから、戦争は悲惨で聞くにたえない悲劇ばかりが起こるのです。だからと言って、一介の人間が帝王や国王に戦争をやめろなんて口が裂けても言えませんよ」
「ですよね」
アレウスは分かり切っていたことをリスティに改めて言われ、世界の歪みを感じながら項垂れた。
「いつ国を出られると思います?」
「まだギルドから戻ってこいという連絡は来ていません」
「でも、国の行く末に巻き込まれたくはないのはリスティさんも同じでしょう?」
獣人の姫君を連れて帰らなければならない。政治の材料にも利用されると分かった以上、そんな爆弾を守る仕事は早々と済ませてしまいたいものだ。
「……アイシャさんの体調に問題がなければ今日中に出国と言いたいところですが、ゴタゴタが片付いてからでなければ港も機能しないでしょう。奇しくも、私たちはこの国の結末を見届けてから立ち去ることになります」
霧の魔法が解け、庇護下に置かれなくなった木造の建物はあちらこちらで腐食が進み始める。止まっていた時が動き出したかのような腐食の速度は、それだけ国を覆っていた魔力が強大であったことを意味している。
「守りたい者を守るために……ちゃんと、後先は考えているんだろうな……?」
アレウスはその場にいない者に対し、小さく呟いた。
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「わらわは罪を償わなければならない」
謁見の間――現在は断罪の間とも呼ぶべき様相を呈し、クニアを中心にしてハゥフルたちが輪を作るようにして囲んでいる。一般的なハゥフルではなく、戦いにおいてどうにか生き延びた相応の地位を持った者たちを前に、彼女は平然と自らの罪を受け入れようとしていた。
「国が救われたのは結果論じゃ。こうならないように、先に手を打つことぐらいはいつだってできたはずなのじゃ。それをわらわは怠った」
「そんなことを仰らないでください」「我々は皆、クニア様の苦悩を知っています」
「もしも国が滅んでいたらどうしていたつもりですか?」「確かにクニア様が悲劇に見舞われたことは知っております。ですが、先日に起きたことは我々にとっても同等にも近い悲劇なのです」
「罪を償うと仰るだけで我らは充分です」「再興しましょう。ここから、亡き国王と女王が夢見た国を作るのです」
「多くの友人を喪った。沢山の者たちが死んでいった」「それを無視して、我らはクニア様を女王と崇めなければならないのだろうか」
「正しさを見せた。クニア様は国のために命を賭した」「我々に未来を見せてくれたのであれば、その未来を共に作っていきたいと願うのが道理です」
「国家という形式において、地位によって罪が免除されてはならないのです」「政から逃げた以上、クニア様に国を立て直す技術も知識もありはしないのではないか」
クニアを擁護する側と排除する側の意見が真っ向から対立する。
「心配せずともよい。わらわはもう、罪を償うと決めておる。誰がなんと言おうと、わらわは処されるべきじゃ。でなければ、お母様にもお父様にも顔向けできん」
「それが本当に国にとって有益となる死になりますか?」
人々の輪を押し退け、カプリースがクニアの前に立つ。
「確かに罪を償わせるならば処刑するのが一番速い。ですが、それで自身が犯してきた罪と同等になるとでも?」
「わらわの命だけで足りんのならば、拷問にでもかけてくれれば、」
「そのようなことを求めているのではない!」
カプリースは剣を抜いてクニアの首筋に当てる。
「処刑する前に聞かなければなりません。国の未来をどう考えておられるか! これからどうすれば国は立て直せるか! 国のためにどのような政策が必要か! 求められる方法はなにか! 亡くなった者たちをどのようにして葬るのか! あなたに未来が見えているのかを教えていただきたい!」
「わらわは」
「死ねば全ての悩みから解放される! だから処刑されたいのですか?! つまりあなたは、未来など考えることができないから死にたいと? それでは国を捨てることと同義ではありませんか! 死して尚、国を混沌へと陥れるおつもりですか!!」
刃がクニアの首の皮を切り、血が流れる。
「さぁ! お聞かせ願おう! クニア・コロル女王陛下!! あなたは、人の上に立つ器の持ち主か否か!!」
「…………この土地を捨てる」
「捨てるとは?」
「『ファスティトカロン』を――『海底街』を移す。目覚めたのは偶然となったが、眠りに落ちる前にわらわが命じて移動させる。もはやこの土地を奪い取りに来るのは時間の問題じゃ。可能な限り破壊を行い、再利用できない状態にして『ファスティトカロン』に全ての国民を乗せて海に出る」
「出てどうされる? 陸棲のハゥフルをお見捨てになられると? ハゥフルではない他人種の者たちも国民の中にはいるのですよ?」
「無人島を探す。できれば、帝国や王国、連合といった諸外国が触れにくい大陸から遠いところにある島を探すのじゃ。地続きであるから奪われる。海を必ず渡らなければならない状況にすれば、そう容易く奪いに来るのは不可能じゃ」
「この土地で死んで行った者たちにどのような葬り方をお考えか?」
「水葬しか考えておらぬ。海神はわらわたちにとっては地上に生きる者たちの地母神と同義じゃ。であるならば、魂の抜けた肉体は神の元に還すのがよいじゃろう。この場に留まりし魂は『御霊送り』にて天へと送る」
「その後、国をどのように復興させるのですか?」
「まずは全ての者たちに食料が供給できる状態を作らねばならぬ。じゃが、全ての者が平等な食事にありつけるような環境になるにはかなりの歳月がかかるはずじゃ。となれば、子供にまず栄養のある食事が渡るようにせねばなるまい。わらわは余り物で構わぬから、復興において人手の必要な仕事に就く者には充分な食事を行き渡らせたい。じゃが、取り合いとなれば誰かが飢え死にしてしまうかもしれん。それを見捨てはせんように努めるが、どのような方針においても犠牲は出てしまう。そのたびに、わらわは復興の方針が正しいか否かを皆と話し合いたい」
「全く足りない!! 島を国とするならば、今までのような輸出入はほぼ成立しなくなります。商船の受け入れ体制を整えるのも簡単ではありません。港を作ったとして、そこに商船と称した軍船がやって来るかもしれません。そうすれば先日の二の舞になりますよ!」
「そうじゃ、わらわの考えていることなど児戯にも等しいことばかりじゃ! 絶対に現実にすることなど難しいと分かっておる!」
クニアは涙を流す。動揺したカプリースの一瞬の隙を突いて剣を振り払い、彼女は這いつくばり、床に頭をこすり付ける。
「じゃが、そのくらいしかわらわには考えつかんのじゃ……頼む……この通りじゃ。わらわに知識を与えてくれ……なんにもできんわらわに、力を貸してくれ。わらわは無知蒙昧じゃ。それでも、国を放り出したくはないのじゃ。お母様が愛し、お父様が信じたこの国を、なんとかして……なんとかして残したい。なんでもする! 下っ端のような仕事でも構わん! じゃから、頼む……死にとうない。放り出して死にとうない。皆が笑い、皆が色彩溢れる国で無事に生きていけることが分かってから、死にたい」
「……この場に集う全ての者たちに問う!!」
カプリースは剣を周囲の者の一端に届くところに投げる。
「国の未来を考えながらも自らを無知だからと、知恵を貸してほしいと願うクニア・コロル女王陛下は間違っているだろうか?! 床に頭をこすり付けてまで力を貸してほしいと頼み込む女王陛下に間違いはあるだろうか?! 僕はそうは思わない。この姿を見て僕は確信した! この国には、まだ女王陛下が必要だと!! なればこそ、クニア・コロル女王陛下が今、この場で死ぬべきだと思う者がいるのであれば!!」
水を収束させて鎗を携える。
「女王陛下のお側付き、その最後の生き残りのこの僕を! カプリース・カプリッチオを殺してからにしろ!!」
カプリースは鎗で地面を打つ。罪どころか死すらも乗り越えて、絶対に守り通すという強い意志は、見つめれば殺されるのではないかと思うほどの鋭い眼光となって辺りを睨む。
「私たちはなにをしているのだ?」「なぜ、ハゥフルではなくヒューマンが一番最初にクニア様を守っている?」「そうだ。我々がお守りしなければならなかった」「クニア様のために、命を捨てる覚悟はできていたというのに」「その最初の一歩が踏み出せずに、立ち上がることができなかった」
カプリースの投げた剣を手にした一人は、それを謁見の間から勢いよく海へと投げ捨てる。
「顔を上げてください、女王陛下!」「戴冠式を行いましょう! 小さな催しでも、略式的であれ形は必要です」「私たちはあなたを、女王として認めます」
――この国のハゥフルは、全ての国民はクニア・コロル女王陛下と共に!!
「ようやくこのときが来た」
カプリースはクニアに手を差し伸べる。
「僕があなたを女王として立たせる、このときをずっと願い、ずっと待っていた」
「……なんじゃ、カプリ? 泣いておるのか?」
「いいえ、泣いてなどおりませんよ。さぁ、立ってください。あなたはまだまだなにも知らない。けれどいつかきっと、相応しい女王になるでしょう。僕の次の夢は、あなたが女王としてご立派になられた姿を、この目で見ることです」
「ふん、言っておれ。あっと言う間じゃ、あっと言う間。死でもって償おうなど、もっての他じゃった。わらわは逃げぬ。自身がしでかしたこと全てを、片付けるまで。見ておれ、カプリ。わらわはお主に、もう心配などさせんほどに成長して、一人で立てることをこのサインに乗せて、見せ付けてやるんじゃからな」
クニアはカプリースの手を掴み、ボロボロと涙を零しながら、力など全く入らない足でどうにか立つ。
そのときに作ったピースサインを、カプリースは訝しむこともなく、静かに返すのであった。




