狙われた理由
【大いなる至高の冒険者】
ギルドが設定している『至高』の域に達した最初の数名を示す単語。その誰もがギルドの設立以前、設立後に冒険者として大きく貢献したために語り継がれている。寿命から考えても生きているのであるが、その誰もが教会の祝福を受けているかも怪しく、そしてギルド側の感知の巻物による追跡をロジックから消しているため所在については分からない。死んでいるかも知れないし、生きているかも知れない。
『イプロシア・ナーツェ』はギルド設立以前より魔物退治などを行っていたエルフ。特に魔法の生成を得意とし、魔法で作った転移のゲートを99ヶ所に用意し、それらを全て無償でギルドに提供した。次元に関わる能力を持っているとされ、作ったゲートも生成場所から移動させることすら容易にこなしていた。
あらゆる土地のギルドの基礎に関わったのち、「100ヶ所目のゲートを作る」と言った切り、消息を絶っている。
アレウスは急いで借家に戻り、肩で息をしつつ、リビングでくつろいでいたアベリアに視線を向ける。その様子から大体を把握したアベリアが支度を始め、アレウスも装備を整えると共に、新たに用意していた保存食を鞄に詰め込んで、支度を終えた彼女と共にギルドへと戻る。その間にリスティも冒険者としての支度を済ませていた。
「転移魔法は“大いなる至高の冒険者”の一人である『イプロシア・ナーツェ』より賜った物です。世界の九十九ヶ所に飛ぶために、九十九のゲートが用意されています」
「今、その人はなにを?」
「さぁ? なにせ“大いなる至高の冒険者”はその誰もが常人の域を越えています。『イプロシア・ナーツェ』が全盛期であった頃、まだギルドは設立すらされていなかったものですから、担当者がおりません。他の“大いなる至高の冒険者”にも担当者はおりましたが誰もが巻物による感知を嫌って、自らのロジックを削ったのかどうか知りませんが、現在は居場所が特定出来ておりません」
「それってどれくらい前になるんですか?」
「百五十年前ぐらいでしょうか。ああ、彼女はエルフだと聞いております。ですので、天寿は未だ全うしてはいないでしょう。教会の祝福などあったかどうかも怪しいので、生きていればの話となりますが」
九十九ヶ所の転移の穴を開けて、どうして百ヶ所を前にして消息を絶ってしまったのか。アレウスには想像することすら出来そうもない。
「ゲートはギルド関係者のみ利用できるようになっていますが、決してあなた方が使えないというわけではありません。ただし、酔います。それも嘔吐するかも知れないほどに。しばらくは立って歩くこともままならないでしょう」
「馬車に乗って行くよりは早いんでしょう?」
「ええ。そして、酔いの回復を含めても圧倒的に」
リスティに連れられてギルドの奥へと二人は案内され、石造りの階段を降りて、地下へ。そこには光を放つ空間に出来た穴が幾つも見える。なにより地下室自体が異様に広く、そして枝葉のように道が分かれている。一つ一つに用意された小さな空間にはどこもかしこも光を放つ穴ばかりがあった。どうやらここは転移魔法専用の地下室らしい。
これらの穴は異界へ堕ちる穴を彷彿とさせるが、空気や空間を吸い込んでいるような様子は無く、そもそも異界の穴は暗く淀んでいるのだが、これは光を持っている。似ていても、中身は全然違うのだ。
「ニィナリィ・テイルズワースが居住地としている村への転移はこちらとなります。村にもギルドがありますので、その都合で用意していました。運が良いとも言います。ただし、本当に運が良ければ彼女は穴に堕ちることは無かったでしょう。躊躇わず、付いて来て下さい」
リスティがまず穴に飛び込み、アレウスとアベリアは手を繋いでそれに続く。
縦も横も、上下左右も、なにもかもが乱されたところで視界は恐るべき速度で回転を続け、抜け出た頃にはそれらは重度の眩暈という症状として残り、二人に容赦無く襲い掛かる。アレウスはたまらず吐いてしまい、アベリアは堪えてはいるがやはり耐え切れず、リスティが作った陰で同じように嘔吐していた。
「行きましょう」
一切の暇を与えることなく、リスティは二人に告げて地下を進む。二人はなんとか立ち上がり、彼女のあとを追って、石造りの階段を今度は登り、ギルドの外へ出る。
街から村へ。それもこの村はつい先日訪れた景色そのものだ。だが、違っていることもある。村の外へと続く道の中央付近に人だかりが出来ており、やけに騒々しい。
「退いて下さい。ギルドの者です」
リスティは群衆を掻き分けて、人だかりの中心を目指し、二人はそこにある物をハッキリと捉える。間違いなく異界の穴だ。先ほど通った穴とは違って、こちらは禍々しく、空気を吸い込んでいる。
「以前からここに穴はありましたか?」
「ありませんよ。僕たちがやって来た時には、穴なんてどこにもありませんでした」
「本当に?」
「信じないってことですか?」
「……いえ、それならば少しだけ、朗報となることをお伝え出来ます。この穴は捨てられています」
「テストで使われた異界のように?」
「通常、異界の穴はこのように唐突に現れはしません。それが発生する場所はもっと人目に付きにくく、そして分かりにくい場所。何故ならば、人種の手によって早々に見つかってしまっては困るから。異界獣にとっては巣穴なのです。そこを侵し、調査する人種を心底、嫌っている異界獣がわざわざこのような場所に新たな異界を作り出すはずがありません」
「アリジゴクのように、人を呼び込むために作ったのでは?」
「そういったケースもありますが、極稀です。そして、異界獣が住まう穴は傾向としては数年単位で作り始めた場所付近を漂います。ですがこれは、あなたたちが来た時には発見されず、あなたたちが立ち去ってから現れた。漂うにしても異常です。なにより、ニィナリィ・テイルズワースがこの村の異変をガルム以外で察知出来ないはずがありません」
では、どうしてここに捨てられた異界の穴が突如として現れたのか。
「あの、」
「その話は異界の中でしましょう。語れば語るほどに、救助者の命の灯火が弱まってしまいます」
切り出そうとした話題を、遮られてしまった。なにかしらの意図があるのだと思い、アレウスは口を閉ざす。
「どうか、どうか冒険者様。娘を……娘を!」
「私たちにとっては掛け替えのない娘なんです。娘のためなら農場も牧場もいらんのです。だからどうか、どうか助けて下さい」
アベリアに目線で疑問をぶつけたが、首を横に振った。どうやらニィナの両親ではないらしい。そして彼女が指差した方向ではリスティが村人と話し込んでいる。どうやら、そっちがニィナの両親のようだ。
ないらしい、で片付けそうになったがアレウスがその意味を遅れて悟る。ニィナだけでなく、もう一人、穴に堕ちているのだと。
「分かりました。必ず助け出します」
そう答えるとリスティがアレウスの首根っこを掴み、乱暴に穴へと放り込んだ。世界は暗転し、空気は濁り、呼吸が安定した頃、自身の体は洞窟へと投げ出されていた。
「果たせるかも分からない約束をするのは、これ以降、やめて頂きたいものです」
堕ちて来たリスティが綺麗に着地し、続いてアベリアがフワリと外套を広げながらも足からの着地には至らず、地面を転がる。
「何故?」
「助けられなかった場合を考慮して下さい」
「考慮していますよ」
「どのように?」
「助けられなかった時はつまり、僕が守れなかった時です。そうすれば全ての責任は僕に行く。娘を早朝に出歩かせたのが悪いといった、あの両親に対する誹謗中傷は僕だけに集まる。それなら、僕は一向に構わない」
「さながら、自分が良いことをしているように言うのはやめてもらいたいですね。考えているように言ってはいますが、ただの自己中心的な物の捉え方です」
ランタンに火を灯し、リスティは文句を続ける。
「それで気が済んだところで、もしも娘さんを助けられなかったとすれば、あの方たちの喪失感は誰にも埋めることは出来ないのです。約束などそうそうしてはなりません。助けられるという決定的な条件がそこに整っているのなら構いません。私はギルドでよく耳にしていますよ? 『約束します』という言葉を。けれど、大概がその言葉を口にする覚悟を持ち合わせてはいませんでした。クエストの内容だけを見て、容易であると判断し痛い目を見る。初級冒険者に限らず、どの冒険者においても自分で自分の力に驕ったが故のミスは起こります。努々、忘れないで下さい」
「……分かりました」
そう答えてはいたが、耳に入れてそのまま外に流すといった具合で、アレウスは洞窟内をかなり注意しながら眺める。
「私の話をちゃんと聞いて下さい」
「聞いています。ですが、それ以上に場の把握をさせて下さい」
堕ちた場所は安全か否か。アベリアも衣服に魔力を巡らせたのち、同じようにアレウスと周囲を探る。数分後、安全と判断してリスティに向き直る。
「それでなにか?」
「……いえ、同じことは二回言いません。なので、帰ったら耳にタコが出来るほどにあなたの無鉄砲振りを語るとしましょう」
そう言って、リスティは岩陰に身を隠す。魔物の気配はないが、いつ発生するかも分からない。ならば先に身を隠しておくのは得策である。アレウスとアベリアもそれに続いた。
「外で話していたことの続きなんですけど」
「ああ、そう言えば話すと言っていましたね。まずはあなたの予想を聞きましょう」
「捨てられた異界限定で、穴を無理やり作り出せる者が居る? もしくは、捨てられた異界に繋がる穴を作れる者が……?」
僅かな驚きがあってから、リスティはすぐに表情をいつもの堅苦しいものへと戻す。
「……さて、このようなケースは――異界獣が住まう異界の出現のケースを除いて、実を言うと数十件単位で存在しています。分かりますか? あなたが予想したことは、私もあり得る範囲として、考え、ギルド長へと進言しているということです。では一体何者が? 答えは非常に簡単です。“異端審問会”。そのまま『いたんしんもんかい』と呼ぶ者も居れば、『エグリゴリ』と呼ぶ者も居ます」
「異端審問会?」
記憶を辿ってみるが、あまり耳にしたことのない単語である。しかし、どこかでは目にしたような、耳にしたような響きがある。つまり、この世界では初めて聞いたが以前の世界では初めて聞いたわけではない。
「種の多様性を認めず、純血のみを求める狂信者の集団です。非情にタチが悪く、なにより冒険者が冒険者としての生き方を、生き様を否定し殺そうとする。あらゆる教会が信用問題に関わるということで、執念深く情報を掻き集め、その本拠地を突き止めようとして未だ果たせずにいます。『ゴースト』と呼ばれる者たちの中に一名、捨てられた異界の穴を意図的に生み出す者が居るという証言と目撃情報を冒険者の方から頂いております。事務仕事をしていて正解でした。でなければ私の耳には届かなかったことでしょうから」
リスティは腰に差している剣を引き抜き、刃毀れしていないかを見ている。
「どうしてニィナが狙われたの……狙われた、んですか?」
アベリアは丁寧口調で言い直し、訊ねる。
「異端を、拒むのです。彼らは自身を正義と信じています。彼らに属さぬ者は全てが異端。分かりますか、アレウスさん? あなたの称号は『異端』。『異端のアリス』」
「僕のせいで、ニィナが……狙われた、と?」
「接触したことを、ゴーストは認められなかったのでしょう。そしてあなたの冒険者志望テストにおいても、異端審問会は関わった。あなたは目を付けられているのです。ただし、一部のゴーストしかあなたを見つけてはいない。異端審問会全体が、血眼になってあなたを見つけているわけではなく、そして追い掛けているわけではない。彼らは情報共有を行いません、と言うよりも、ままならないのです。全員が発狂、そして狂人となっていますから会話がほとんど成立しないのです。何故、知っているかと申しますと何人かのゴーストは捕縛したのち尋問しているからです。私も一度、立ち合いました。あれはもう、悪人の域を越えたなにかでしたね……」
そこまで言って、リスティは剣を鞘に納める。
「これを異界でする意味、分かりますね?」
「外でこのようなことを大きな声で話していれば、僕に関わる全ての者に危険が迫る。下手をすれば、村全体にまでこれと同等の被害が出る可能性もある」
「大正解です。では、これより救助を開始しましょう。隊列については私が前衛。あなたが前衛と中衛を兼任、アベリアさんが後衛でよろしいですか?」
「……いえ、アベリアを中心にして僕とリスティさんの二人で前後を守ります」
「何故?」
「バックアタック――背後からの急襲に、アベリアでは間に合わない」
「杖で殴っても、決定打にはなり得ないから、私だけを集中的に狙われたら、危ない」
「なるほど、その意見を採用しましょう」
リスティは立ち上がり、洞窟内を進み始める。




