代わりではない
*
このままどこまで行けるのか。
火で押し退け、どうにかしてアクエリアスに接近しようと試みるのだが、触手が常に道を塞いでくる。当たれば死ぬも同然の攻撃が何度も何度も降りかかるのだが、そのたびにアベリアの張る炎の膜に助けられ、凌いだのちに海へと引き戻される触手を炎の短剣で断ち切る。切ったところですぐに再生してしまうのだが、その再生に魔力を消費するのなら断ち切らないよりも断ち切った方がアクエリアスが弱化していくことになる。ただし、どれだけの回数切ったところでアクエリアスには生物としての喜怒哀楽どころか表情を表す部分が一つとしてないので、弱っているかどうかは魔力を持たないアレウスには感覚でしか分からない。
では、アベリアならば弱っていると判断できるかと言われれば、それもまた微妙なところだ。既にアクエリアスの魔力量は計り知れない。計測不能な状態から計測可能な状態になったところで、それがそのまま“弱っている”と断言できる状態になるわけではない。
そんなことを考えながら、またもアベリアの炎の膜で救われる。防御に関しては彼女に任せ切りなのだが、負担を強いているとは思わない。なぜなら、アレウスでは触手を防ぐことは絶対にできないからだ。必然的に役割は定められ、その枠を超えるようなことはさせられない。安全策を取りたい。思い付きで取った行動で二人揃って味方の足を引っ張った挙げ句、死ぬというのが最低であり最悪なのだ。
「アレウス!」
「分かっている」
触手を避けられない。炎の膜も張り切れない。手を繋いで、短剣の炎を炸裂させて爆発で無理やり離脱する。こういった回避は、炎の膜による防御を取るアベリアにはできないことだからアレウスが担う。受けるならアベリアが、避けるならアレウスが役割を全うする。そうすることで、立ち向かう形は一応ながら取ることができる。相手に有効な攻撃を繰り出せない点だけを除けばの話だが。
「どうすりゃいい?」
隙を見て傍に寄ってきたノックスが助言を求めてくる。
「まだなんとも言えない」
「面倒だな」
「厄介事に巻き込まれるのは慣れているんだろ?」
「言ってろ」
振り回される触手に分断され、ノックスはセレナの『闇』を渡って後退する。アレウスはアベリアと再度、炎の炸裂で加速して難を逃れる。
「物凄く言い辛いことなんだけど」
「なんだ?」
「アベリアちゃんとカプリース……まぁ『さん』付けにしようか。まぁ、とにかく魔力が互いに干渉してしまっているよね」
「問題なのか?」
「いいえ、むしろ都合がいいんでしてよ」
クルタニカを捉えようと何本もの触手が振り回されるが、華麗に避けながらクルタニカがアレウスの元に着地した。
「“暴風よ、鎗になりなさい”」
彼女の杖から放たれた光の粒が収束して鎗となる。激しく風を巻き起こすそれを翻りながら投擲し、迫っていた触手を一網打尽にする。
「カプリースはまだ『水』の力を操り切れていない状態。それをアベリアの『原初の劫火』が抑えていますわ。わたくしの『冷獄の氷』も、暴走同然の状態から自己防衛のために抑制状態に移ったことから見ても、カプリースとアベリアはできる限り近場で行動を取らせるべきですわ」
「アレウス君もクニアちゃ――クニアさんを抑えないと、彼女は多分だけど『超越者』として未熟だから安定が難しくなる」
「それって、僕とカプリース、アベリアとクニアじゃ駄目なのか?」
「火力と水力に差がありすぎましてよ。『超越者』は『超越者』同士の方が、恐らくは安定するはず」
「『冷獄の氷』では?」
「カーネリアンがいない今、貸し与える力をそのままわたくしが魔力として使うことになりますわ。そうなると、カプリースとクニアが氷漬けになりましてよ」
アベリアと目配せをして、苦渋の選択とばかりに手を離す。充填は終えている。しばらくは彼女と離れていても炎が消えることはない。
「カプリースにアベリアを任せるのが物凄く嫌なんだが」
「それは僕だって同じだ」
クルタニカとクラリエがアクエリアスを惹き付けるようにして駆け出し、カプリースとクニアが入れ替わりにやって来る。
「君たちより先にその話は聞いた。君なんかにクニア様を任せられるとは到底思えないが、抑止がなければ僕がまた制御が利かないのなら、その選択を取るしかない」
「アクエリアスを倒す道筋が見えるかもしれないなら、仕方がない」
不完全ながらもアクエリアスは異界獣だ。それは即ち、いつか討つべき『掘り進める者』と同列の存在と言える。ここで本当に倒せる存在であるのかどうかを学んでおきたい。
「クニア様を誑かすような真似をしたら許さない」
「どの口が言っているんだ」
言い合いをしているうちにアベリアがカプリースに、クニアがアレウスの元へ行く。
「アレウスが危なくなったら勝手に動くから」
「僕が言いたいことを言ってくれてありがとう。クニア様に危機が迫ったら君を見捨てる」
そうこう言っている間にアクエリアスが更に触手を振るってくるため、二人一組で離れる。
「よろしく頼むぞ?」
「カプリースと国民に恨まれることだけは避けますよ」
その返事に気を良くしたらしく、クニアは戦っていながら余裕を見せるような笑みを浮かべる。一国を統べる女王ではあるのだが、状況を分かっているのだろうか。アレウスたちはまず、アクエリアスを攻撃できるところまで向かわなければならない。『海底街』――『ファスティトカロン』の端に辿り着いてようやく本体へ攻撃できるかどうかなのだ。そして、あまりにも巨大であるがためにアクエリアスは触手以外での攻撃を行っていないが、近付けばそれ以外の攻撃も行ってくるだろう。ただでさえ触手は苛烈に襲ってくるのだ。近付くことさえ困難を極める。
「お遊びじゃないんですよ?」
「分かっておる。じゃから、わらわが力に囚われんよう頼むと言ったのじゃ」
クニアが踏み抜いた地面から波紋が生じ、吹き上がる魔力の水を浴びて彼女の肌に張り付き、雅なドレスを纏う。アレウスは炎を纏うだけに留めているが、彼女は形から入るタイプなのだろう。やや短めのスカートの下は水着だと分かっていても女王の衣服はやや過激だったのだが、纏ったドレスで多少はマシとなり、垂れる魚の尾ヒレのような――フィッシュテールが波のように揺らめく。
手元に水を収束させて鎗を握り、静かな闘志を燃やして構えを取る。カプリースの低すぎる姿勢を真似るように彼女もまた姿勢を低く取る。どうやらこの構えはハゥフルの特有の鎗術を習得する際に初めに習うもののようだ。
「ふむ、いつもより魔力の行使に集中力を要するのう」
「喋っている余裕は、」
間髪入れずに触手が振られる。あとでカプリースに殺されるリスクと今ここで死ぬリスクを天秤に掛けた結果、前者を選び取ってクニアの手を掴んで逃げる。逃げた先ですぐに手を離し、「失礼」と謝ってから火を灯した短剣を勢いよく振って、向かってくる触手にぶつけて弾き返す。
接近。それが最重要課題なのだが、なにを考えたのかアクエリアスは複数の触手の使い方を変えてくる。鞭のように振り回すのではなく、先端での打撃。さながら格闘家の拳のような乱れ打ってくる。なぜこれを凌げているのか自分自身でも理解できないほどにアレウスは無意識のままに体を動かし、必死に直撃するであろう触手だけを短剣で打ち返し、全力で振るう炎で追い払う。触手が頬や脇腹、腕や足を掠めたのだが、その部位が異様なほどに腫れ上がり、変色している。
「毒手……」
意識が持っていかれそうになり、膝を折る。心拍が高まり、全身が燃えるように熱くなる。火属性の魔法に耐性を持っているアレウスが、これほどの熱を寒冷期が終わっていない中で感じるのはどう考えても毒の影響だ。
掠めただけで毒が及ぶのは計算外だ。そもそもアレウスの考えていた細い触手の突き刺しての毒の注入ではなかった。つまり、アクエリアスが乱打してきた触手にはどれも毒を含まれていたのだ。
「“毒素を除け”」
幸いにもクニアが“解毒”の魔法を習得してくれていた。そのおかげで全身の熱は静まり、傷こそ治らなかったが変色して腫れ上がっていた部位は元通りになる。
「助かります」
「気にするでない」
「……どれくらいの魔法が扱えますか?」
「わらわはカプリースほど勤勉ではなかったし、幼き頃に学んだ魔法しか使えん。“解毒”と“癒やし”、あとは」
再びアクエリアスが触手の乱打を構える。
「話す暇もないとはの」
それはさっきからずっと続いていることなのだが、クニアは感じ取れていなかったのだろうか。そんな苛立ちにも似たものをぶつけたくてたまらなかったが、アレウスを押し退けて彼女は鎗を杖のように用いて地面を叩く。
吹き上げる水が壁となり、触手の乱打を押し退ける。
これは不可解だ。水で構成されているアクエリアスが、クニアの作り出した水の壁を貫けないはずがない。なにせ元々が水なのだ。水が水を貫通することは造作もないはずなのだ。
カプリースと同様に水の基準が異なるのかもしれないとも考えた。だがあれは鎗の穂先などの限られた部分を液体、固体に切り替えるような魔力の扱い方だ。アクエリアスは異界獣なのだから、この世界の海水を取り込んでいたとしても全身はやはり魔力でできている。異界獣の膨大な魔力がクニアの放った魔力を破れないはずもない。
「……考え方が違うのか?」
「なにをブツブツと言っておる?」
「クニアさん、以前の水の魔法と今の水の魔法。なにかご自身の中で気付いたことはありませんか?」
アレウスでは見ても分からない。あとは当事者にしか分からない使用感もある。そこに不可解さの正体があるはずだ。仮にアクエリアスの水がクニアの水を破れないのなら
それが突破口になる。
「よくは分からんのう」
「そうですか……」
期待するだけ無駄だったのかもしれない。たまたま、クニアの魔法は攻撃を防げた。その程度のことだったのだろうか。
「ただ、わらわの力はカプリースによる“ろ過”の過程を経ておる。ならば、不純物が取り除かれておるのではないか?」
「不純物……不純物?」
「ただの水ではなく、聖水に似ておる」
「……ああ、なるほど」
即ち、カプリースから貸し与えられた力によって水の性質がアクエリアスと異なるのだ。そしてその水の性質は異界獣が最も嫌う清められた力を持っている。だから触手は水の壁を打ち破れなかった。触れた先から彼女の水に浄化されてしまっていたのだ。
「水の壁を張りつつ前進できますか?」
「造作もない」
「ならお願いします」
鎗を杖として用い、クニアが移動と同時にあちらこちらに水の防壁を出現させる。その傍を可能な限り通り、触手の接近を察知すれば間近で水の防壁を張ってもらう。アベリアの炎の膜の応用だ。そして、アベリア以上にクニアの水の防壁はアクエリアスの触手には確実な壁として立ち塞がってくれる分、接近が安定する。
この力をすぐに理解したのか、カプリースもまたアベリアを守りながらクニアと同様に水の防壁を張る。ただし彼の張るそれはクニアの物より広大であり、クラリエとクルタニカ、ノックスとセレナが隠れ潜んでいる付近にも適度に出現させて彼女たちの移動の援助を行っている。やはり、継承者の方が魔法の射程が長い。ならばこの際、アレウスはクニアを守ることだけに専念した方がいい。
向かう先は同一。無事に辿り着けば、そこで合流ができる。その無事に辿り着くための方法がクニアとカプリースの水の防壁にかかっているのなら、その二人に全力で守ってもらい、こちらも全力で守るだけだ。
「止まれ!」
反射的にアレウスはその言葉に従う。半円状に生じた魔法の水がアレウスと彼女を覆う。アイシャの大詠唱のような結界を更に更に小さくした防御層だが、こうされると移動が制限されてしまう。
だが、それとほぼ同時期にカプリースもまた水の膜を張り、クルタニカは局所的な風の渦を作り、その中心にクラリエと居座り、ノックスはセレナの『闇』を渡って姿を消す。
「あれを見よ」
アクエリアスは自身の胴体――その頭上から水飛沫を噴き出し、瞬く間に辺り一帯が霧に包まれる。
「霧の魔法」
「わらわが血を授けていた頃はハゥフルを守っておったんじゃがな……あれには毒が混じっておる。毒手のように傷口から侵入するのではなく、呼吸や眼球からでも毒は体内に伝わる。この霧は一呼吸で動けなくなるほどの猛毒じゃ」
「ノックスは距離を取ったのか。すぐに戻れるとはいえ、『闇』を渡れる回数は限られているはず」
ならこの毒の霧が完全に無力化できたときじゃなければセレナもノックスに『闇』を渡らせる気は起こさないだろう。
「このまま持久戦というわけにはいきませんよ? 触手に攻撃されれば、僕やアベリアたちはともかく、クラリエとクルタニカが持ちません」
「分かっておる。じゃが……ええい! 一体どうすれば! 決起したハゥフルたちは皆、自らを守る水の膜ぐらいは張れる。海中に逃げ込めば毒の霧も及ばん。しかし、お主たちはそうは行かん……」
アレウスは見誤っていたかもしれない。上流階級――ましてや女王ともなれば、自身が優秀でなくても周囲が持ち上げれば国は成り立つだろうと勝手に思い込んでいた。だが、今この場で悩み、苦しみ、方法を模索する姿は自分となにも変わらない。たとえ人種が異なろうとも、彼女もまた一人の人間であるのだ。
なぜこうも、自身の思考が偏るのか。ノックスとセレナに対しても似たような思考を向けていたことがある。
『僕という存在に感謝しろ』
いつの間にか現れ出でた水の分身がアレウスたちに告げる。
『いや、クニア様に感謝するべきだ』
毒の霧は重く、どこか濁りを秘めていたが、それを全く別の霧が押し退けて辺り一帯を満たす。
『これが本来の『清められし水圏』の“範囲”だ』
浄化の霧をクルタニカが悟り、風を操って停滞していた残りの毒の霧を払い飛ばし誰よりも速く、クラリエと共に移動を再開した。
「もっと冷静に立ち回りましょう」
すぐに続こうとするクニアをアレウスは呼び止める。
「少し、僕の中でも思い直すことがありました。もっとあなたを尊重し、相乗効果の出るよう動きましょう」
クニアはアベリアの代わりではない。そもそもアベリアに代わりはいない。ならばクニアもまた、誰の代わりにもならない。アベリアと同様の動きを求めるのは当初のカプリースの作戦に反する。
もっと柔軟でいい。クニアは鎗術も習得しており、アベリアより前に出られる。水の防壁だけでなく、鎗でも触手を打ち払うのは造作もないはずだ。彼女を防御面に回すのではなく攻撃の方面に回せば、アレウスもまた前に出やすくなる。
「ここから先、女王だからという理由で守りの動きは取らせません。最前線まで突き進みます」
「それでよい。わらわはそういう扱いを求めておった」




