救いたい
*
「カプリースが『超越者』じゃなくて、継承者――私と同じだった……ってことは、穢れた水は継承者の生み出す魔力の源?」
アベリアは王女の魔力を追いながら呟く。
「違う気がする。多分だけど、『水』の継承者なら……『蝋冠』みたいになにかに収められていたのかも。その入れ物が、悪影響を及ぼした。でも、カプリースは継承者だから、その悪影響を受けることはなかった」
自論を整理するように口にして、それが正しいか間違いかはともかくとして可能性の範囲を広げる。
入れ物――アベリアが見た王女の背中にあった『水瓶』。あれにはカプリースが発していた魔力の残滓に極めて近いものを感じた。それはカプリースが暴走を初めてからより強く確信できるようになった。
つまり、『水瓶』にはカプリースの『水』の力が元々はあったのだ。それがどういった経緯か、『水瓶』の力も混じった状態で移された。
王女の血を求めていたのは『水瓶』で、王女のためにと生きたのはカプリース。もしかするとその感情の変遷にはロジックの書き換えに近いなにかが含まれているかもしれない。
「だけど、抱いている感情が真実かどうかは本人が決めること」
アレウスはアベリアを許してくれた。自身に拘る感情のほとんどがアベリアがアレウスのロジックを書き換えたことによって生じた感情だと知っても尚、守ることを誓ってくれた。アレウスはそこにあった偽物の感情を本物にすることにしたのだ。
そこまでしてくれたのだから、アレウスのためになにかをしたい。王女について任せてくれたのなら、その役目を果たしたい。なりふりは構っていられない。
「絶対に連れて行く……!」
着いたところは、広場と言うにはあまりにもサンゴや建物の残骸が多い。その中心で、『水瓶』から伸びる触手に絡め取られたままの王女が虚ろな視線でアベリアを捉える。すぐに身構えるが、王女はアベリアを一瞥するとなにも言わずにフラフラと歩き出す。
「一体どこに?」
彼女の歩いていく先を見つめ、すぐに理解する。
王女はカプリースの元へと歩いている。同時に嫌な予感がしてアベリアは『原初の劫火』を体内から放出し、上空に跳ぶ。滞空できる間に感じ取れる魔力を可能な限り掴み、落下する速度は噴出させた炎で軽減して着地する。
アイシャが都市を守っている。浮上した『海底街』には、結界によって弾き出されたクラゲが蠢いているのだが、その全てがカプリースの元へと進み出している。
「力の源に向かっている。クラゲの根源は『水瓶』じゃない、ってこと?」
『水瓶』にとって、今一番求めている力はカプリースの力だ。王女の元にクラゲが集わないということは、彼女自身の魔力にはクラゲは興味を抱いていないということ。なによりも、『水瓶』は王女に張り付いているにも関わらず、魔力を吸収していてもまるで肥大化が起きていないどころか、王女のクラゲ化すら始まっていない。あくまで触手が出ているのは『水瓶』の中からだけだ。
「……まさか……! そういうこと、なの?!」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
カプリースの魔力の残滓が限りなく王女からも感じ取れている。ならば、なんらかの方法で王女はカプリースから『力』を受け取ったことになる。もしくは吸い取るかなにかしたのだろう。だが、『冷獄の氷』も『原初の劫火』もそうであったように、“認めた相手以外に力は与えられない”。
『水瓶』を経由した力は、そのまま王女を『超越者』とした。王女に貸し与えられた力は、本人にのみ貸し与えられたものだ。再度の貸与はない。
だから、『水瓶』は今度こそ『水』の力を手に入れようと王女を、そしてクラゲたちを向かわせているのだ。カプリースから吸い取るのではなく、捕食する。継承者自身の肉体ごと取り込めば、力は『水瓶』の手に渡る。
「…………すっごい暴論だし、メチャクチャだけど……とにかくクラゲが向かっている先にはアレウスとカプリースがいるのは確かなことだから」
本能的に強力な魔力を求めて蠢いている可能性もある。ただ、アベリアは自身が立てた仮説を八割程度は信じた上で行動する。外れれば安堵できる。当たっても阻止できたことに安堵できる。どちらにしたって悪いことにはならない。
悪いことになるとすれば、ここで王女を止めることができなかった場合だ。
「なんとしても止める!」
王女を止める方法は単純明快だ。彼女が『超越者』でないのなら、ロジックを開けばいい。それぐらいロジックは万能だ。“開く”ことさえできれば、彼女は意識を失うのだから。
後ろから近付くアベリアに『水瓶』の触手が反応し、鞭のようにしならせて辺り一面を叩く。その破壊力は凄まじく、この都市のギルドに走り込んだ際に見たクラゲと同様になにもかもを簡単に打ち壊すことができるだけの力が込められている。
ただし、それが水であることに変わりはない。『原初の劫火』を発現させているアベリアに当たる前に触手は蒸発する。もしも当たるようなことがあっても、炎の障壁がアベリアを守ってくれる。
「ひら、」
「人生とは、色褪せていくものだと思っていたが、今このときだけは輝いてみえる」
あと少し手を伸ばせば。
そう思っていたアベリアの勢いは完全に止まる。
「あのとき、指の隙間から滑り落ちていったものが、数年の時を経てワシの前に現れるとは。神はいるのやもとしれんと、ワシに疑わせてくれる」
「あ……あ……」
「水蒸気爆発で吹き飛んだときは死を見たが、生き延びてみるものだな」
体が動かない。
娼館で聞いたときの声はまだ、“似せている”だけだった。それでも本物のような気がして動けなくなった。似せていると分かったのも、この瞬間だ。“本物”の声を耳にすれば、なにもかもがハッキリとした。
「まったく、物事は思い通りに進まぬものだな。よもや国王が娘にではなく、どこの馬の骨とも知らぬ少年に『水瓶』の中身を与えていようとは」
「……ぁ、う」
「アクエリアスを討ち、ハゥフルは霧の魔法を手に入れた。しかしそれは、血を捧げることで起こす神の御業がごとき所業。『水瓶』の中にあった力は血によって徐々に徐々に澱み、穢れていった。このままではアクエリアスが再び復活を果たしてしまう。それを阻止するべく、国王は少年に『水瓶』の中にあった力を与えたのだ。少年はただの“ろ過装置”だったのだ。少年の未来を案じたわけではない。澱み、穢れた力を娘に与えることを案じたのだ。そうして『水瓶』は空っぽとなった。一滴を残して、な。その所業をワシは知らなんだ。だから、王女からカプリースが無理やりにでも奪ったのだろうと思い、それを返還するように求めた。その結果、アクエリアスは不完全な状態で復活し、辺りを彷徨うクラゲのように、カプリースの力を求めて蠢くのみに留まっておる。とはいえ、まだ展望はある。アクエリアスは周囲のクラゲを取り込み、魔力を回収する。それがカプリースも飲み込めば、もはやこの国でアクエリアスを止められるものなどいまい」
奴隷商人はアベリアの間際に迫る。
「アーティファクトとは、人が未来に絶望した景色、人が未来を勝ち取るために力を欲したとき、神という傲慢な存在が戯れに寄越す奇跡の御業だとワシは思っておる。思えば、カプリース・カプリッチオには確固たる決意も、死すら凌駕する絶望も、当時に持ち合わせてなどいなかった。アーティファクトであるはずがなかったのだ。そう、奴の操る穢れた水の奔流の中に垣間見えた女性像も、ただ“先代の女王”を象っていただけに過ぎず、そうなったのも国王と合わせて女王の血が捧げられた『中身』を与えられたからだ。奴は与えられた力だけで強がり、のし上がっただけのつまらん存在というわけだな。元々、“ろ過”させるために使われていた時点で人として見られてすらいなかったのだろうな」
アベリアに真実を語っているのか、それとも嘘を語っているのか。どちらにせよ饒舌であるのは、もう奴隷商人は自身を所有物にできると信じ込んでいるからだ。ここから反抗することができないままに、その手によってこの場から連れ去られる。その余裕も、そしてそうなる未来があるのだと、奴隷商人は決め込んでいる。
抗いたい。
だが、抗いがたい。それほどまでにアベリアの記憶に刻まれているトラウマが大きい。抗えば、酷いことをされる。だが、抗わなくとも酷い目に遭う。どちらにも絶望しかないのだが、しかしどちらかを選択しなければならない。どちらも絶望であるのなら、抗うべきだ。
抗って訪れる絶望は抗わずに訪れる絶望より速く訪れる。ここで拒絶すれば、すぐにでも奴隷商人は『服従の紋章』をアベリアに刻み込むだろう。しかし、抗わなければ、すぐに刻み込むような動きは取らない。
どちらがより緩慢に絶望が訪れるか。判断力が一瞬で奪われる。
「ちが……う」
思い出す、何度も、思い出す。嫌なことも、苦しいことも、悲しいことも、辛いことも。
「私は、あなたの物じゃない」
思考力も判断力も奪われたが、それでもこの場ですぐに抗う方を無理やり選択する。
アレウスは一人で頑張った。一人で立ち向かった。一人で戦った。一人で死に立ち向かった。それを見てアベリアは、もう一度と願って彼の力になりたいと、強く強く力を求めた。
その強さの傍に、これからも立つのであれば、立ち向かわなければならない。アレウスの心の強さに追い付きたい。
「私の体も心も、私自身の物だ。誰の物でもない、私だけの物」
アベリアが杖を振って、自身の傍に幾つもの火球を生み出す。
「抗うか、このワシに」
奴隷商人はほくそ笑み、杖を振って火球を生み出す。
「お前には恐怖しか叩き込んではおらんからな。それ以外のありとあらゆることを学ばせる前に逃げられた。その逃げた先で培っただけの魔法で、ワシに勝つつもりか?」
「“火の球、踊れ”」
「“火球よ、出でよ”」
両者は向かい合って、火球を一斉に放つ。
「自分自身が所有者に歯向かって、」
アベリアの火球は奴隷商人の火球を呑み込んで、その魔力で更に大きくなり奴隷商人の周辺を焼き尽くす。
「なんだ……と?」
「集中力が、落ちてた」
当てるつもりが、全ての火球がバラけてしまった。相手の火球を吸収したまでは良かったが、そこから軌道も乱れてしまった。
「次は、大丈夫。“火の球、踊れ”」
「……“火球よ、出でよ”」
奴隷商人は起こったことに対し納得できないような様子で、アベリアの火球に再度、火球をぶつけて来る。結果は変わらずアベリアの火球が勝り、そして奴隷商人は直撃を避けるために一気に距離を放す。
「ワシに勝ると言うのか? この、ワシに?」
「私は、過去に打ち克つ」
勝つのではなく克服する。そのための決意に、アベリアを包む炎は呼応して激しく燃え上がる。
無詠唱による爆発の連鎖が起こる。奴隷商人が複数の魔法を唱えることで凌ぎ切ろうとしているが、一切の許しを与えることもなくアベリアが杖を振るたびに火球が、炎の渦が、爆炎が、奴隷商人を追い立てる。
「手を抜いているつもりはないぞ。ワシは全力を出しておる。出しておるが……ワシの熟成され、高められた魔力を……こんな小娘が、上回る、だと?!」
「喋っている余裕、ある?」
炎を握り込んで収束させ、手元から放し、杖を発射台とする。
「“魔泥”……ううん、“魔炎の弓箭”」
炎の矢が奴隷商人の展開した複数の魔法による障壁を全て貫く。
「小娘、風情が」
その言葉がアベリアの耳に届いたときには奴隷商人の体を炎の矢が貫いていた。
「……王女様は……?」
呼吸や精神状態を整えている場合ではない。炎の矢を受けて奴隷商人はもう追ってくる余力は残していないはずだ。アベリアの圧倒的な力に抗ったことで魔力も消耗しており、まともに動くことはきっとできない。つまり、あとからでも捕まえることはできる。
それよりも、間に合わなくなる前に王女を止めなければならない。幸い、まだ見える範囲に彼女はいる。
「ロジックを開いてどうする?」
奴隷商人はまだ喋ることができるらしい。トドメを刺したいが、この奴隷商人は自身の手で裁くのではなく、この国の手で裁かれるべきだ。
「開いたところで、ワシが刻んだ『服従の紋章』が消え去ることはない。幾度となく神官たちの手によって『服従の紋章』を消そうとした奴隷たちがいたが、一時的に消え去ろうとも再びワシに出会えば書き直される。だからこそ呪いなどと言われるのだ。呪いは消し去れるものでも、祓えるものでもない。それを受け、浴びた時点で一生逃れることはできない。ましてや神の代行者が悪魔憑きでもない者の力を祓えるなど、あるわけがないだろう?」
もしそうなのだとしても、気休めにはなる。少なくとも王女を止めることはできる。後味の悪い言葉を聞きながらアベリアは一気に駆け抜けて、王女のロジックを開く。
「己自身の善意と安心のために、王女を犠牲にするか?」
「犠牲になんかさせるもんか!」
不意に景色から現れ出でたクラリエがアベリアの開いたロジックを覗き見る。
「御免ね、アベリアちゃん。アイシャちゃんの結界が出来上がったときから、あたしはこっちをずっと見張ってた」
「クラリエ」
「『海底街』が浮上してからはあなたよりも早くに王女様を見つけて、ずっと監視してたんだ。なんで王女様って分かったって? 国を背負っている人が放つ雰囲気かな。あとは着ている衣服が普通の人よりもずっと豪華だし。でも、明らかに様子はおかしいし、そこにいる奴隷商人が付かず離れずだったから、限界ギリギリまでは手を出さないように思っていたんだけど、アベリアちゃんが来てくれて、ついでにあの奴隷商人が饒舌に説明までしてくれたから救うことができそう」
「救える、の?」
「呪いならあたしの方がよく知っている。呪いを真似た呪いなんて、本当の呪いに比べたら軽いものだよ。本物の呪いを浴びているあたしが言うんだから信じて。いい? あたしにはロジックを開く力も、特定の記述を消す力も、書き直す力もない。でもね、あたしは“生き様を燃やすことができる”。」
「そっか」
「うん、あたしがあたしの力を王女様のロジックに送り込んで、『服従の紋章』の記述を燃やす。あたしの力をあなたのロジックに干渉する力で導けば、奴隷商人に関わる全てを燃やすことはできなくても、『服従の紋章』だけは焼き切ることができる」
「難しいんじゃ」
「あたしはあたしの中で『緑衣』と『白衣』を使い分けられる。燃やし方をあたし自身で決められる。導きさえあれば、あたしじゃない別の誰かのロジックにだってあたしの魔力による燃焼が届くはず」
こういうときにしか使わないけどね、と付け足して、炎をものともせずにアベリアの手に触れる。
「できるよ、アベリアちゃん。神聖な炎なら闇を払い飛ばせることを見せ付けてやろうよ」
アベリアはなにも言わず肯いて、王女のロジックを開く。抗うように『水瓶』から触手が伸びたが、それらは炎によって阻止して蒸発し、無視できる。
「呪いを浴びた者が、呪いを祓う? つまらん夢物語を見させられているようだ」
後ろから聞こえる言葉は無視して、アベリアはクラリエの手を握り返すのだった。




