『水』を継承する者
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カプリースの鎗が木製でも金属製でもない以上、突破方法としての破壊は難しいことが分かり、それならば鎗の振り切ることのできないくらいに詰め寄っての攻撃であれば、恐らくは攻勢を続けることができる。剣にヒビが入ってしまったため、託された短剣での戦いとなってしまうが、距離を詰めるのであればむしろ好都合だ。
そう思って、カプリースの鎗に怖れずに突撃しようとしたとき、凄まじいまでの地鳴りに身動きを取ることができず、足を止めるしかなかった。それはカプリースも同様であったらしく、例の怖ろしいまでの低い体勢を維持しつつも震動に耐えている。
ゴゴゴゴゴッと、あまりにも恐怖心を煽る不協和音とともに魔法で維持されていたはずの空気の層が決壊する。見えない壁――魔力で阻まれた海水は一気に押し寄せ、二人まとめて押し流される。
城内の一体どこまで流されてしまうのか分かりはしなかったが、護符の効果で呼吸はできていたために窒息死する不安はないのだが、なにかに捕まる余裕はない。流れが強すぎて、壁という壁に体をぶつけそうになりながらも、どうにか流れに乗っている。なににもぶつからず、なににも引っ掛からない。それが助かる唯一の方法である。この速度で障害物に体を打ち付ければ間違いなく全身の骨は砕け、曲がり角に引っ掛かれば猛烈な水流がそのまま圧力になり、押し潰される。もはや運を味方に付ける以外の手立てはなく、微かな抵抗としては目に見える物体から避けるように身をねじるくらいだ。
城内からあっと言う間に城外へと押し出される。グルグルと回る視界の中で、城の上部が吹き飛んでいるのが見えた。水流から解放されたことで体にかかる回転は弱まるが、地鳴りは未だにやんでいないことに気付く。こうなってしまえば海上に出てしまうのが得策かと真上に向かって泳ぎ出すが、どういうわけか海底――地面がアレウスに近付いてくる。それはアレウスの泳ぐ速度をゆうに凌駕しており、押し上がってくる地面に体が密着し、へばり付いてしまう。
海底だった場所は島のごとく海上へと飛び出す。
「なにが起こった……?」
首にかけていた護符が千切れて海水に溶けていった。時間切れの合図だろう。つまり、この天変地異のような海底の隆起が起こらなければアレウスは溺れ死んでいた。
「アレウス!」
頭上――空高くからアベリアが炎の衣を纏い、地面に向かって炎を放って落下の勢いを殺して着地する。
「『原初の劫火』を使ったのか?」
「さっきだけ。でないと、死んじゃっていたから」
あの高さから落ちればまともには着地できないどころかまず命はなかった。助かるために用いたのなら、文句はない。
「王女がなにかしたのか?」
「えっと」
「なんだ?」
「謁見の間が、吹き飛んだの」
「……は?」
「王女様が水の精霊の力を借りようとしたから、私は火の精霊の力を借りたんだけど……そうしたら謁見の間が丸ごと吹き飛んで……物凄い蒸気だったんだけど、私は炎で守られていたから大丈夫だったけど」
「水の中で炎を出した?」
「うん。悪かった?」
「水蒸気爆発だよ」
「水蒸気?」
「液体と気体だと、気体の方が体積が大きいから密閉されていたら脆い部分が吹き飛ぶんだ」
液体がアベリアの放出した炎に熱せられて蒸発し、水蒸気となって謁見の間という密閉空間を圧迫。耐え切れなくなった謁見の間は上部から崩壊し、解放された水蒸気が一挙に城の上部を突き抜けていったことで吹き飛んだのだ。その衝撃で城内のあらゆる場所に水のうねりが生じ、空気の層すらも突き破り、アレウスたちは水流に呑まれることになったのだ。
「……そんなこと起こるの?」
「僕もまさか海中で火が起きて、しかも水蒸気にできるなんて思わなかったよ。それで、まだなにかやったか?」
「え、ううん。それ以外にはやってない」
「本当か?」
「本当。火の精霊があそこまで力を貸してくれるとは思わなかったけど……『原初の劫火』に引き寄せられたのかな……?」
アベリアと王女が起こしたことは水蒸気爆発までだとして、『海底街』が隆起した原因は他にありそうだ。
「『ファスティトカロン』」
手で水を圧縮して鎗を作り出し、どこからか現れたカプリースが呟いた。
「別名は『大洋の流れに浮かぶ者』。『海底街』の真の名前だよ」
意識を取り戻したのかと思ったが、鎗が雨のように降り注いだのでアベリアと共に一気に後退する。
「不思議だと思ったことはないかい? コラール・ポートが滅びる前に、どうしてコロール・ポートに城があったのか。王族が事前に準備をしていたにしても、あの城と城下町はなにもかもが整い過ぎている」
「……『海底街』は滅んだコラール・ポートごとコロール・ポートに運ばれた?」
「正解だよ。末恐ろしいね、君の頭脳は。その頭脳が僕にあれば、僕に備わっていたら……と思ってしまって仕方がない」
「どういうこと?」
「王女がコロール・ポートをコラール・ポートと言い張っていたのはあながち間違ってもいなかったんだ。だって、街並みごと――“城ごとここに運ばれたんだから”」
「『海底街』は超巨大な亀――『ファスティトカロン』の甲羅の上に作られた都市だ。コラール・ポートで大虐殺が起きたとき、『ファスティトカロン』は海底に沈んで移動し、城ごと王女を落ち延びさせた。そこから新たに陸地に都市を作り、コロール・ポートとなった」
アベリアの疑問はカプリースが全て答える。
「普通は休眠し続けていて、よっぽどの大事がなければ目覚めない。だが、さすがにさっきの水蒸気爆発は目覚めるに足る轟音だったということだよ」
「……生きているのか?」
「『ファスティトカロン』は生きているよ」
「違う、お前が生きているのかどうかだ」
「生きているように見えるかい? 僕は自分で自分の心臓を貫いた。生きていたら、それはもはや不死じゃないか」
鎗を一本、そしてもう一本と拾う。
「『愛する人のためなら死ねる』。僕は本気で死んだんだ。自殺なんてしたくないという信念を捻じ曲げて、愛する人のためにね」
「さっきまで話すことさえできていなかったのに」
「そうだよ、さっきまで話すことさえできていなかった」
カプリースは嘆き悲しむように言う。
「彼女は嘘をついていたらしい。僕の中にあったのは、彼女の力の悪い部分なんかじゃない。あれは全て僕の力だったんだ」
「なにを言っている……?」
「こういうことだよ」
両手の鎗を左右に振った直後、生じた水の波動がカプリースの体に纏わり付き、羽衣を作り上げる。
「僕じゃない。彼女が『超越者』だったんだ。僕たちは大きな勘違いをしていた。“産まれ直した者だけが超越するわけじゃなかったんだ”。『超越者』というのはつまり――」
そこまで言い掛けたところでカプリースは苦しみ出し、絶叫する。
「『冷獄の氷』と同じだ」
「同じ?」
あの場にはアベリアはいなかった。
「クルタニカは氷の殻から出て来るときに『冷獄の氷』として暴走したんだ。ガルダはミーディアム問わず、命に危険が迫っているほどの重傷を負ったときに魔力で作り出した殻に閉じこもって、回復する。だから、半分死んでいた状態からの覚醒で暴走した」
「カプリースは、自殺した」
「自分自身を殺して死んだはずなのに、生きている。カプリースは『原初の劫火』や『冷獄の氷』と等しい力を持った継承者だから死をその力が遮ったんだ。だから、ほんの一瞬だけ意識を取り戻しても、もう継承者としての力に呑まれている」
「力ずくで黙らせるしかない……?」
「そんなことが僕たちにできれば苦労はしないけど」
海中から出たことで、少なくとも水の脅威からは脱している。だが、目の前のカプリースは先ほど以上の殺意と死の恐怖を強くぶつけてくる。
「さっきと一緒だけど、アベリアは王女を探してほしい」
「謁見の間が吹き飛んでからどこに行ったか分かんない」
「でも、アベリアなら水の精霊の気配は追えるだろ?」
「ああそっか、精霊の戯曲を使えたくらいだし、王女様じゃなくて水の精霊を追いかければ、もしかしたら」
「ここに連れて来る以外にカプリースの力を抑える手段はない……んじゃないかな」
或いは、クルタニカの『蝋冠』のように力を封印できるような道具を探す。だがそれは現実的な話ではない。
謁見の間を吹き飛ばしたのはアベリアとの精霊の戯曲のぶつけ合いから来るものだが、ひょっとするとそれは王女の求めていたことだったのではないだろうか。
「違うよ」
アレウスの想像を先読みしてアベリアは否定する。
「王女様は二つの意識に邪魔されて、表面には絶対に出られていなかった。あの精霊の戯曲を唱えさせたのは王女様を『服従の紋章』で操った人。でも、私も精霊の戯曲を唱えるとまでは想像してないと思う」
「つまり、あの水蒸気爆発で『服従の紋章』を扱う奴は生きていても予想外のところまで吹き飛んでいる可能性がある」
「もしそうなら、連れて来ることができるかも」
「頼む」
アベリアが駆け出した。ついさっきも似た光景を見た気もしないでもないが、結局のところやることはさっきと変わっていないのだから当然の話なのだ。水蒸気爆発がなければ、あのまま海底で戦い続けていた。
そう思うと、本当にアベリアはとんでもないことをしでかした。軽い感じで「謁見の間が吹き飛んだ」と言っていたが、通常であれば処刑されておかしくない。クーデターが起きていて良かったなどと不謹慎にも思ってしまう。
「場所を変えての二回戦か……あんまり良い想い出はないな」
一回死に掛けて、二回目でガルダとは辛勝した。だがそれはアベリアの力を借りたからだ。
今、アレウスは継承者を前に、一人で立っている。自信はないが、負ける確証もない。だから、カプリースの身に起きていることがどうであろうとやはりさっきとやることはなんにも変わらない。
あとは、どこまでやれるか。そこだけの話だ。




