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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第6章 -守りたいもの-】
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意識

 城内は一部を除いて海水が埋め尽くしている。空気の層が残っているこの空間も、いつ海水で満たされても不思議ではない。むしろ、空気の層そのものが残っていることがこの場合、異常なのだ。空気の層を形作っているのも結局はハゥフルである。どのようにして魔法が維持されていても、この混乱によっていずれは陸地の霧の魔法のように解けてしまうものだろう。アベリアはアレウスに守ってもらったのち、先へと進むために再度、海中へと飛び込んだ。


 空気の層――この場では天井と床、そして両側の壁。前後は見えない壁で遮られているかのように海水は阻まれている。それらで構成されている四角形の空間。これがアレウスの活動可能な範囲だ。実際、見えない壁は存在しないため海中に逃げ込むことはできる。幸いなのはこの男がハゥフルでないこと。だが、たったそれだけで海中での戦いを仕掛けるのは自殺行為も甚だしい。


 大体、この鎗の振り回しを凌ぐことで精一杯だ。デルハルトのような遊びのない鎗技は、いついかなる時も隙を作らない。鎗を回していれば隙を作っているのかと言われればきっと作っていないのだが、デルハルトの鎗技にはどことない使い手の心の余裕があった。そういった一切がカプリースからは感じられないため、一撃の次に来る一撃が常に連続に感じ、高速に感じる。動きに緩急があり、振り回しにもそれが適応されているにも関わらず、アレウスはカプリースの速度に徐々に付いていけなくなる。

 極端に構えたところから繰り出される刺突を受け切るも、生じる水の波動で後退する。ここでカプリースは動きを止めた。ある意味で連続攻撃を防いだことになるのだが、すぐに攻めていいものか悩む。これは攻め込ませるためにわざと作り出した“隙”なのではないだろうか。そうやって近付かせつつも鎗による切り払いで寄せ付けないようにする。剣では絶対に鎗には届かない。だからこそアレウスが第一にやることは、カプリースから鎗を奪い取ることか槍の破壊となる。ただし、それは鎗が木製の持ち手で出来ている場合に限る。

 力の限りで剣を振るえば、鎗の持ち手を断ち切ることはできる。『オーガの右腕』であればそれはより確実な物となる。だが、金属であれば非現実的な発想となる。一応、やりようはあるが、まだ全貌の見えないカプリースの戦闘において“とっておき”を出すのは速過ぎる。

 かと言って、いつまでも出さなければ宝の持ち腐れにもなる。絶好の機会と、必勝の機会を見極めなければならない。


 カプリースが魔法主体ではなく武器を持って襲ってくるのも意外だった。もっと魔法を絡めた戦い方をしてくるものだとばかり思っていたのだが――むしろそうなった場合、アレウスは手の出しようがなかったためにありがたいのだが、この男には物理での戦いは似合わない。シンギングリンでは『奇術師』の異名でギルドに登録されていた。そんな男が、純粋に物理だけでアレウスを仕留めに来るとは考えにくい。


 だから、想定できる。攻めあぐねているアレウスに対してカプリースが既に魔法の準備を整えているだろうと。


「“水と踊れ(ウォーター)”」


 左右の後方斜め上、そして前方の左右斜め上の計四ヶ所に水が収束し、それが一直線にアレウスへと迫る。追尾性はない。後ろに跳べばこれは避けられる。想定していたからこそ、詠唱から発動までの時間で回避に余裕はあった。

 あるのだが、カプリースもまた発動までの時間を利用してきた。そもそも、前提としての考えに齟齬があった。アレウスは魔法の詠唱は集中力を必要とするために極端な移動は制限されるものと思っていた。だが、実際は詠唱しながらでもカプリースは動けているし、発動までの時間差でアレウスとの間合いを一気に詰めてきた。

 魔法の難度が低ければ動けるのか、高度であれば動けなくなるのか。アレウスはアベリアの魔法を見過ぎた。そして、魔法を扱う者の戦い方とは後方に立ち、魔物の隙を窺って魔法を撃つものだという先入観があった。

 後方に立つ魔法使いは前衛が守るもので、身を守る術以上に難しい立ち回り――歩き回ったり走り回るような魔力や精神力どころか体力まで消耗するようなことはしなくていい。だからこそ、詠唱しながら前に詰めてくるカプリースの対応に遅れが生じる。後手には回らないが、徐々に徐々に遅れが致命的なものになっているような感覚が確かにあり、そしてそれはいずれ現実化する。連続攻撃と合わせれば、数分と経たずに訪れるだろう。アレウスにできることは、そのいずれを危惧して備えることだけだ。


 更に無詠唱にも警戒しなければならない。カプリースはノックスを黙らせた際に魔法を使っていたが、そこで詠唱は行っていなかった。威力は下がる代わりに取り回しがきくようになる無詠唱すらも会得している。これらを含めて、この男は『上級』の冒険者なのだ。


「これだけの力がありながら」

 呟きながら刺突を擦れ擦れでかわし、詰め寄る。鎗の範囲から剣の範囲へ。この距離感ではカプリースは鎗を充分には振り切れない。

「どうしてお前が立ち塞がるんだ……」


 カプリースに思う気持ちはない。それほどの接点はない上に、ここで言葉を交わしたときだって一切の容赦はなかった上に意味深なことを言うだけ言って、なに一つとして協力しようともしなかったし協力を持ち掛けてくることもなかった。同情するどころか身から出た錆とすら思う。しかし、国に忠を尽くし、王女に忠を尽くし続けていることだけがアレウスの知っていることだ。

 王女に『服従の紋章』が刻まれているから手も足も出せずに王女の言葉に従っているというのだろうか。それはさながら人質を取られているようなもので、歯向かうこともできずに苦しんでいるのだろうか。

「それはあり得ないな」

 王女が苦しんでいるのなら、この男はそれをなんとしてでも取り除こうとするはずだ。それができないのだから、恐らくは本人の意思ではない。


 カプリースと辛うじて繋がっている共通点は、自分自身を心の底から認めてくれている女性のためならば命すら容易く捨てようとする姿勢だ。信念すらも捻じ曲げて、想いに想い続ける相手のためならば、と自己犠牲に身を投じる。そこに重なる物があるからこそ、この男が遺した言葉を叶えてやりたいと思うのかもしれない。


 深くに詰め寄ったが、カプリースは剣戟を一つ二つと軽く避け、すぐさま距離を取りながらの鎗撃を繰り出してくる。打開の仕方が手慣れている。剣との戦いは既に想定済みな上に考察を重ねているようだ。こんな男を相手に戦わなければならないことを不運に思いつつも、これもまた強くなるための経験だと自身に言い聞かせることで奮い立たせて、過度な追撃はせずに引き下がる。


「なんだ……その体勢」


 姿勢は低く――アレウスの取る低い姿勢よりも更に低い。鎗を持った手は後ろに引き、体は極限までに前傾姿勢でもう一方の手は床に付け、片足は曲げたままでもう一方は伸ばし、両方のつま先しかもはや接地していない。筋肉を鍛えるための腕立て伏せの姿勢が一番近い。


 その体勢で一体なにができると言うのか。そんな疑問は一瞬の内に消し飛ぶ。なぜなら、カプリースはそこから驚異的な加速でアレウスへと肉薄した。床を蹴ったまでは分かった。しかし、それだけでこの加速力は得られない。更には床に限りなく近いところから繰り出される薙ぎ払いは跳躍以外に避けようがない。迫った瞬間から薙ぐことを考えて身をねじっていたのだろうが、そうだとしてもあの体勢から鎗を薙ぐのは無理がある。まず穂先が地面に引っ掛かって、振り切れない。なのにカプリースは振り切ってみせた。

 それどころか、跳躍したアレウスを狙うように低い体勢から一気に立ち上がるような――拳を打ち上げるような動きで下から上への振り払いがアレウスを追撃する。

 剣で受け止めるが、接地していないために空中では力を逃がせない。受けた力はそのままアレウスに伝わり、後方の壁に激突する。


「ぐ……」

 呻きつつも、なんとか立った姿勢を維持する。剣は今のでヒビが入っている。これはもう使えない。肝心なときに折れてしまいかねない状態で命を預けられるものか。

「ただの鎗じゃなくて、水で作り出した鎗……なのか?」

 穂先はなぜ床に引っ掛からなかったのか。そこで引っ掛かりさえすれば薙ぐことさえできず、追撃も来なかったはずだ。

 考えるならば、答えには至らなければならない。思考したままアレウスは戦えるが、それは勝利への算段を練るための思考だ。「なぜ」、「なんで」、「どうして」と考えながらの戦闘で事態が好転したことは一度だってない。ない以上は、答えに至っておいた方がいい。それが仮説や仮定に過ぎないのだとしても、結論を出しておかなければ思考のせいで動作が鈍ってしまう。


 鎗が金属製でなく、水の魔法で練り上げられたものだとするのなら、本質は『水』である。『水』がいかなる方法で武器になるのかまでは考えなくていい。とにかくあれは、そういう魔法で成り立っている。


 だとすれば、いつでもあれは固体のような状態から液体のような状態へと切り替えられるのではないだろうか。床に引っ掛からなかったのは、穂先が固体から液体になり鎗そのものの長さが変容した。だが、それは一時のもので穂先は再び固体に戻ってカプリースの薙ぎは成立し、更なる追撃を可能とした。


「……魔法は万能じゃないけど、僕からしてみたら万能にしか思えないな」

 仮定も行き過ぎると妄想に至る。だが、この仮定はほぼほぼ確実を見ていい。もっと観察しなければならないが、カプリースの鎗は伸縮――穂先に限ってのみ自在となっているか、または床や壁に刺さるなどしないようになっている。

「正直、僕はまだお前が嘘をついているんじゃないかと思っていて仕方がない。さながら死んでいるような目付きで、僕の声が聞こえていないように見えるけど、実はまだ生きているんじゃないかと疑っている」


 でなければ、あんな『技』の体勢には移れないように思う。意識の介在があるからこそ『技』の体勢を取り、そしてそれを形に成すことができている。


「確かめる方法はあるけど、失敗したら死ぬからな……」

 『盗歩』は意識を持った者の“間”を盗む。つまり、カプリースに意識さえあればアレウスは“間”を盗んで一気に詰め寄ることができるのだ。だが、もし意識がないのであれば、『盗歩』のつもりでの接近は自ら鎗に刺されに行くことになる。

「僕は今、生かされている状況……か」

 冷静に考えれば、アレウスがカプリースと戦えているのはおかしい。『上級』の冒険者に敵うはずがないのだ。それでまだアレウスが死んでいないのなら、カプリースに遊ばれていることになる。

 意識のないカプリースが、手を抜くことがあるのだろうか。


 この戦闘は、あまりにも疑問が多すぎる。


「誰かいた気がするけど……」

 アレウスに言われて城内を突き進んだアベリアは俗に言うところの謁見の間に着いた。ガルダとの戦いでもこの謁見の間に似たところで戦闘だったが、今回はれっきとした本物である。荘厳なる雰囲気と装飾、なによりもハゥフルの歴史を物語るような独特な建築技法も相まって、記憶にある真似て作られた謁見の間とはまた違った目新したがある。ここに着くのにそう時間がかからなかったのは、王族と謁見する場所は大抵、迷うような場所には設けられないためだ。王族の寝室などになれば複雑な通路を利用してひた隠しにする場合もあるが、王が国民と言葉を交わす場となれば複雑怪奇な場所には設置しない。だからアベリアでさえ迷わなかった。


 守衛がいないのは運が良いからではない。元より守らせる気がないのだ。ここに行き着くまでの通路でも多くの死体を見てきたが、謁見の間の周辺は特に酷かった。しかし、クーデターの主軸となっているであろう強硬派の集団は一人として見つけることができていないのだから、これらの死体はカプリースか王女、そしてこの国の崩壊を企む何者かによって築き上げられたことになる。


 その気配が、アベリアが謁見の間への扉を開いたときには一瞬だけ感じられた。なのに、開き切って中を見たときにはもう感じられなくなってしまった。アレウスならば気付けるのかもしれないが、アベリアにはその技能はない。


「……何者じゃ?」


 声が増幅し、反響して聞こえる。謁見の間に立っていたのは以前に見た王女だ。だが、その背中には『水瓶』がくっ付いており、そこから伸びる何本もの触手が彼女の体を守っている。ガルダは翼を折り畳んで身を守るが、この触手もまたそれに近しい動きを見せている。

「王女様、都市に混乱が起きています」

「混乱? わらわの知ったことではない」

 反響する声は確かに王女の物だが、アベリアにはどうにも別の意識が混じっているように感じられて仕方がない。

「あなたの国です」

「わらわの? 違う」

 水の波動がアベリアの体を打つ。最悪なことに謁見の間は水で満たされている。護符の効果が切れれば、アベリアには成す術がない。

「なにが違うと言うんですか?」

 慣れない敬語を用いて問い掛ける。

「わらわの国ではない。父様と母様の国じゃ」

「……でも」

「この『水』はわらわたちにとって、希望の力。蔑まれ続けて来た過去を覆し、未来へ転じる力」

「違う! みんな、みんな苦しみながら水に取り込まれて行った。それが本当に未来へ転じる力なら、みんなを犠牲にして成り立つわけがない」

「背負う者がないからこそ言える」

 王女はアベリアの言葉を一蹴する。

「国を背負えば、民の犠牲にも目を瞑らねば前進はない」

「その犠牲が多すぎるんです。少ない犠牲で済む前進が、正しいのではないのですか?」


「正しいかどうかはわらわが決める。わらわが決めたことが国の意思じゃ」


 一つは王女の意識、もう一つは『水瓶』の意識。どちらも希薄ではあるが拮抗している状態にある。つまり、王女の意識は常々に抗っている。

 それらを踏みにじって、三つ目の意識が混じっているのを感じる。非常に強力な魔力によって二つの意識を無理やり従わせている。これは魔力を感じ取れる中でも、経験がなければ分からない。


 アベリアのように奴隷になりかけた者でなければ分からない。


「……く」

 嫌な記憶がアベリアを襲う。『衰弱』状態から復帰しても、アベリアは未だ“そこ”を乗り越えていない。だからこそ、身に迫るような感覚があれば、それはそのままアベリアのトラウマに近しい力の持ち主がいることに他ならない。どうやらカプリースの言っていたように、王女に『服従の紋章』があるのは事実らしい。

「あなたにとって、この道が本当に正解なのかどうか、ちゃんと考えて……」

 言ってはみたが、踏みにじられている意識が打ち勝てるものではない。抗って尚、この状態であるのなら『水瓶』を取り除かなければアベリアの声は王女の意識に届かない。

「やるしか、ない……“満ちて”」

 全身の魔力を衣服にも流す。海水に覆われている中で火の精霊に呼びかけるのは非常に難しいが、『原初の劫火』を頼れば多少はなんとかなる。


「“抜けろ、抜けろ、抜けろ。此度(こたび)の水を得るために、走り抜けろ”」

 王女が歌劇のように大胆に謁見の間を用いて独特な足運びを取る。空間を大きく用いながらの動きにはアベリアですら見惚れてしまいそうになるほどの鮮やかさがあった。

「“どうか、この体を満たしてはくれないか?”」


「“燃えろ、燃えろ、燃えろ。今宵は熱く燃え上がれ”」

 アベリアが言霊を紡ぎながら、王女とは異なる足運びを取る。

「“とても素敵な夜になりそうね?”」


「“ええ、こんな濡れた体でよいならばお付き合いしますわ”」

 謁見の間を満たす海水に揺らぎが生じる。

「“あなたの肌に触れることができるのなら、命の水すら差し出しましょう”」


「“ああ、今日の華麗なステップには猫も驚いて足を止めるだろうさ”」

 アベリアの周囲から海水が蒸発を始めていく。

「“このまま見惚れさせて、今宵は熱に酔わせてしまいましょう”」


「“満たされた水の(コリエンテ・)追復曲(カノン)”」

「“情熱なる(カリエンテ・)炎の円舞(ワルツ)”」


 王女が精霊の戯曲によって生み出す海水の揺らぎによる波動を防ぐために、アベリアもまた精霊の戯曲によって対抗する。

 だが、火の精霊の戯曲がもたらす力は、この状況では限りなく絶望的である。

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