足掛かり
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「姉上、このようなお手間をかけてしまって申し訳ございません」
「セレナが生きているんだ。なんにも怒っちゃいない。それより、闇を渡れなかったみてぇだな」
「腕を拘束されていましたので」
未だに腕に何重も巻き付いている包帯のような拘束具をセレナが時間を掛けながら丁寧に外していく。
「難儀なもんだ」
「はい、完全にジブンの驕りです。よもや、腕から先に拘束してくるとは思いもしませんでした」
「拉致するんなら視界を塞ぎにかかったり、背後を取っていつでも殺せる状況で支配するっつー先入観があったか」
「あれは拉致と言うよりも、不意討ちからの完全制圧。腕が切り落とされていないことが未だに不思議で仕方がありません」
「どうあれ、五体満足で生きているなら父上からはお叱りを受けるだけで済むんだ」
ノックスはセレナを手伝い、拘束具を全て外してから、そこに書かれている文字をジッと眺める。
「なにか?」
「巻物? ってやつを帯状にして、セレナの腕力で引き千切れないように強化されていたみたいだな」
「わざわざジブンを拘束するためだけにそこまでするとは」
「逆に考えればいい。そこまでしなければ、ヒューマンにはお前を拘束することができない」
手元に残った効力を失った拘束具を力任せに引き千切って、辺りに放り出す。
前方から歩兵と騎兵混じりの軍団が迫りつつある中で二人はひどく冷静だった。
「しかしながら、ヒューマンに恩を売るようなことになってしまい」
「いいや、構わない。あのヒューマンなら多少は融通が利く」
「……? 面白いことを仰いますね。ジブンたちにとって、兄弟姉妹以外は全て敵。常に王の座を奪い取ろうと目を血走らせている者たちばかりだと教えられませんでしたか?」
「ワタシたちは常に命を狙われ、常に利用される」
「きっとヒューマンも同様に、姉上を誑かそうとしているに過ぎませんよ」
「……く、くくくくく。だったら面白い」
「面白い?」
「誑かされてみようではないか。このワタシの信念を捻じ曲げるだけの甘い言葉をあのヒューマンが囁けるとも思わねぇけどなぁ」
「ご機嫌ですね」
「ああ、セレナを見つけられて死ぬほど安心している。離ればなれだったときは常に心臓を握られているような気分だった。それが晴れたのだから、気分が明るくなるのも当然ってもんだ」
「それだけではありませんね? ……ああ、なるほど。ヒューマンとは、“あのヒューマン”なのですね? いまいち姉上の言葉がジブンの中に入ってはこなかったのですが、そこを理解すれば一気に納得できてしまいます」
「お前が気にしていたヒューマンも無事だったぞ」
獣耳をピクッと動かしてからセレナはノックスの顔を見る。
「冒険者っつー例に漏れず、ちゃんと甦っていた。精神状態も不安定な部分はまだ残っているようだが、ほぼほぼ無事と言っていいはずだ」
「そう……ですか。そう、なんですか……」
セレナが肩の荷が下りたかのように、大きな大きな安堵の息を吐く。
「彼女が身を挺してくれていなければジブンはここにはおらず、なによりこの世にもいません。酷い目に遭ったとは思っていましたが、無様に死んだり奴隷のように服従してしまっては命を救ってくれた彼女に顔向けできないと、姉上と再び会うためだけでなく彼女にお礼を言うことだけを魂に強く強く刻み、耐えておりました」
「恐怖で泣くのは早いぞ」
「分かっております。では、姉上と同様に少しばかりヒューマンに肩入れしましょう。後方に見える都市を守るのが、彼女たちの願いなのですね?」
「ちょっとぐらいは手を貸してやろうじゃないか。あのヒューマンが守りたがっているんならな」
「別に都市を守りたいのではなく、お気に入りのヒューマンが喜んでくれるからでしょう?」
「お前だってそうだろ?」
「ええ、姉上と同じで間違いありません」
兵団の先頭がノックスとセレナを捉え、全体に停止を促す。
「そこを退け」
「どのような理由があって、あの都市へ向かうんだ?」
「あの国を取れば、連合のお偉いさんからたんまりと金を貰うことができるんだよ」
「馬に轢き殺されたくなければ、さっさと退け。たった二人で、しかも女が俺たちに敵うと思うな」
「断ると言ったら?」
「殺すとしか言えない」
「まぁ待て」
騎馬に乗った男は、見下すようにしてノックスとセレナを眺める。
「極上の女だな。殺すには惜しい、腕か足を使いもんにならなくして飼い殺した方がいいな。慰めものになりたくねぇんなら、さっさと逃げることだ。まぁ逃げたって、もう俺の中ではお前たちを犯すことは決まっていることなんだがな」
兵団の中で笑いが起こる。
「……魔物より知能が低い」
「どのヒューマンもジブンたちが知るヒューマンと同程度の価値観を持っていたならば、などと思ってしまいますね」
「同列に語るな。こいつらとあいつらを比べるのは、あいつらに失礼だ」
「それもそうですね」
「どうした? ビビッて動けもしねぇのか? だったらここで裸に剥くしかねぇなぁ」
一歩、ノックスとセレナが足を踏み出す。
騎馬が暴れ出し、話していた男を振り落として彼方へと逃げ出す。それを始まりとして、後方に待機していた全ての騎馬が悲鳴にも近い嘶きを上げて、乗っていた者を振り落として逃げ出していく。
「獣は勘が良い」
「気付いて逃げてくれて良かったです。向かってくるようでしたら殺さなければなりませんでしたから」
セレナが腕で空間を叩く。叩いた箇所から波紋が生じ、渦を巻いて“闇”が彼女の体を包み込んでいく。ノックスが彼女のもう一方の手を掴み、獣の咆哮を上げる。続けてセレナも獣の咆哮を上げる。
獣人の『本性化』による能力の底上げ。更には“闇”によって生じる深い深い魔力の渦が彼女たちを包み込む。
「ビビッてんじゃねぇぞ! 相手は二人だ」
「親分に続け!!」
兵団が一斉に剣を抜き、攻め寄せる。だが、放出される魔力には抗えずに弾き飛ばされる。
その最中、何者かに見られているような感覚に兵士たちは次々と襲われて、その視線の主を探すようにして首を動かす。
視線が一点に集中し、数秒の沈黙。
「「覗いたな?」」
獣人の姉妹たちの声と共に視線が集まった地点から“闇”が開く。
「「善悪の彼岸より語れ」」
“闇”は膨らみ、重力のような吸引力で兵士たちを呑み込んでいく。
「「『深淵』」」
*
「ロジックの一時強化もギルドで話を終えてからにしてください。アイシャさんの魔法があのクラゲたちに干渉することになります。あれを軍などと言い張られれば、内政干渉になってしまいますから」
アイシャの願い通りに、すぐその場で始めようとしていたのだがリスティに止められたため、やはりギルドへの到着を最優先として走る。道のりは遠いわけではないのだが、水溜まりだけに限らずクラゲの行動範囲まで気にする必要があり、場合によっては水滴すらも危険であるために歩みは慎重にならざるを得ず、遅々として進まない。
「クルタニカさんに頼むと思っていたよ」
「……それも考えました。でも、負担の軽減は一人より二人でロジックを開く方が良いんです」
「確かにそこは同意しましてよ。わたくし一人に任せるよりは、アレウスとアベリアが共同で強化を図った方がその後が安定しますわ。一人に対して一人がロジックを開く。その常識を破ることができているのはわたくしの知る限りでは二人だけでしてよ」
「でもロジックを開いている最中、手数が減っちゃう」
「そんなのは問題になりませんのよ。わたくしが死ぬ気で三人を守るだけでしてよ」
そう自信満々に言ってはいるが、やはり不安になる。
「わたくしは『冷獄の氷』をずっと避けて、受け入れずに生きてきました。ですが、その力を人を救うために使うことができるのかもと思わせてくれたのはアレウスとアベリアでしてよ。不安なんて捨ててしまって問題ないですわ。わたくし、これでも『上級』の冒険者なんですのよ?」
クルタニカも思うところはあるに違いない。だが、彼女は『上級』というランクを背負っている。この場では彼女の言葉が励みになり、なによりも頼りになる。
「見えてきましたね。一気に駆け込みましょう」
リスティがそう言って剣を柄に納め、視線を動かす。前方と左右にクラゲは見えない。続いて水溜まりの位置をアレウスも確認する。
「私とアレウスさんの進んだ道から逸れずに付いて来てください。計算では、アベリアさんやアイシャさんでもギリギリ間に合います」
アベリアが必要最低限の道具を小さな鞄一つに移し替えて、大きな鞄はその場に落とした。
「“軽やか”、二つ分」
更に自身とアイシャに重量軽減の魔法をかけ、準備を万全なものとする。
クラゲの動きは不規則だが、移動している方向に視界があるとして、それらがアレウスたちとは逆を向き、加えてギルドの方角へと蠢いていない瞬間を狙ってアレウスが先陣を切り、リスティが続く。
足音に反応するかと思えばそうではなく、一体のクラゲだけが急な振り返りを行い、アレウスたちの存在を認識してそれらが体内で起こる発光によって周囲のクラゲたちに伝わる。
一斉にしなる触手。だが、その伸びには限界がある。クラゲがクラゲという形を保ち、更に核にしているハゥフルを包んだ状態で維持できる水分量。それを越えた先までクラゲは触手を伸ばせない。
だからアレウスたちの体に触手がぶつかることはない。触手が奔ったことで起こる風圧を肌に感じ、一応ながらの恐怖も抱きつつ、アレウスがギルドの建物に到着した数秒後には全員が同様の建物に辿り着いていた。特にアイシャの努力は凄まじく、リスティの当初の予定を越える速度での到達だったらしいく、彼女は思わず感無量になって抱き締めていた。
ギルドに入ると、中ではハゥフルたちの怒号が飛んでいる。冒険者に見えるハゥフルもなにをどうすればいいのか分からず、担当者からの返答を待っているように見えた。
「皆さん、ご無事でしたか」
この国に来て、ギルドで世話になったハゥフルの女性に声をかけられる。
「今すぐに馬車を用意しますので皆さんは国外へと逃げてください」
「この国で起こっていることはクーデターですか?」
「クーデター……かもしれません。ですが、魔力を帯びた水が生物のように蠢くところを私たちは見たことがありません」
「なら魔物なのでは?」
「だとしても、クニア・コロル様があれをハゥフルの武器として語るのであれば、私たちは従うしかありません。ですが、あなた方は違う。あなた方までこの国の混乱に巻き込まれる必要はありません」
「そこまでクニア・コロルの言葉を絶対とする理由は一体どこにあるんですか?」
リスティとハゥフルの女性のやり取りにアレウスが疑問を投げかける。
「王女であれば、なにを言っても許されるのですか? なにをやっても許してもらえるのですか?」
「私たちは王女様に今まで助けてもらった恩義があります。それに報いなければなりません」
「民が命を奪われていることが、報いることだと言うんですか?」
語気を強めてアレウスは言う。
「魔力を帯びた水がハゥフルを取り込み、クラゲのようにして蔓延っています。中にいるハゥフルは恐らく、その多くが助かることはないでしょう。民の命を犠牲にして得る力が、国力が! 本当に国のためだと思うんですか?!」
あれを軍事力とアレウスは絶対に認めたくない。志願して国のために命を捧げているのではなく、強制的にその命を燃やされている。それも自己意識は奪われ、クラゲ化という魔物染みた状態になって。
それが本当に国のあるべき姿だとはアレウスにはどうしても思えない。
「クニア・コロル様の霧によって私たちは守られてきました」
「それが全てだと?」
「クニア・コロル様の言うことは絶対なのです」
「民が国の頂点に立つ者の言うことに従うこと正しいことです。でも、正しい道に諭して導くのも民の役目だと思います」
大体、海底街への避難もハゥフルに限られてしまう。この都市には一応ながらもハゥフル以外の人種も生活しているはずだ。王女の発言は彼らを見捨てることになる。
「……だとしても、私たちはクニア・コロル様を頼るほか、ないのです」
アレウスの前で崩れるようにして床に座り込み、女性は言う。
「クニア・コロル様は国王陛下と女王陛下を同時に喪い、心を壊されてしまいました。それでもこの都市を包む霧の魔法は、王族の血を捧げなければ維持することが叶いません。だから私たちはクニア・コロル様を騙して、血を捧げさせ続けてきたのです」
「周知の事実だった、ということですか?」
「私たちにとっての安寧は、霧がなければ続かないのです。それが解かれた今、私たちはクニア・コロル様にしてきたことの跳ね返りを受けている。それがたとえ、不義理なことであったとしても、そもそも不義理を働き続けてきたのは私たち国民が先なのです」
「だからって国を滅亡させるのは良くない」
アベリアが言いつつ、女性の顔を覗き込むようにして座り込む。
「ここからまだ変えられる未来があるのなら、全てが終わってからでも不義理や義理の話をすればいい。私たちは過去に囚われちゃ、駄目。未来は今じゃないと変えられない。だって、私たちはこの瞬間にしか生きてはいないから」
「……どうすれば、良いんですか?」
「外部からの攻撃に強い、頑丈な部屋を借りられますか」
「こちらへ」
ハゥフルの女性がアレウスたちをギルドの奥へと案内する。廊下ではハゥフルたちの言い合いが続いていたが、それを無視して女性は進み、アレウスたちを一室に招き入れた。
「ここは半地下となっており、他の部屋より頑丈です。牢屋や牢獄のような扱われ方はしていませんし、ここで尋問を行うわけでもありません。あくまでも一時的にギルド所属の冒険者が捕らえた犯罪者を収容する部屋です。湿気や水気の侵入を防ぐ処置もされているので、安全だと思います」
リスティと一緒にアレウスは壁や床、天井を調べて問題ないことを視線だけで伝え合い、アイシャが部屋の中央に立つ。
「軍事力の介入になると思いますか?」
「……私の判断では、あれは魔物と思っています。もしも、そのように言われることがあったとしても責任は私が全て負います。極刑になるとしても、あなた方のことは決して明かさず、死んでみせます」
「覚悟だけにしておいてください。死にそうになったら平気で僕たちを売ることがあなたにとっての一番の道のはずです」
女性は頭を下げ、部屋をあとにする。リスティが扉を閉じ、アベリアがアイシャの後ろに立つ。
「……私は、皆さんを救えるでしょうか?」
「救えるかどうかはやってみないと分からない」
アベリアがアイシャのやる気を削ぐようなことを言う。
「でも、私はあなたならやれると信じている、から」
落ち込んだアイシャに対しての建前ではなく、二言目も合わせてアベリアの心境である。それを聞いて、緊張が僅かに緩んでいる。
「「“開け”」」
アレウスはアベリアの手に乗せて、『栞』を使ってアイシャのロジックを開く。
「信仰の値を最大まで伸ばす」
「意識が飛ばないか?」
「アイシャなら大丈夫」
「精神力は?」
「それも出来るだけギリギリまで」
「そうなると維持のために体力が必要になるぞ」
「上げた精神力の半分ぐらい上げて」
「他には?」
「魔力。これも目一杯」
「さすがに無茶苦茶じゃないか?」
「やれる、私の目が確かならアイシャの限界はまだ越えてない。あとは祓魔の値も上げて」
「ああ」
ここまではアベリアの言葉を借りなくともアレウスの想定でも書き換えられる。問題は次だ。強化の肝となる『フレーバーテキスト』の一時的な書き換え。アベリアはどう文章で纏めるだろうか。
見守る中でアベリアの指は滞りなく滑り続け、やがて一つの文章を完成させる。
「「『この者は“救世主”が如き正しさと、“巡礼者”が如き誇りと心を抱き、祈りを捧ぐ!!」」
アベリアがアイシャのロジックを閉じる。瞼を開いたアイシャの耳元で「あなたは強い」と囁く。
「捧げるは祈り、導くは鐘の音」
詠唱に伴い、アイシャの足元に魔法陣が描かれる。
が――
「なにが起こった?」
強い力に反発を受けたようにしてアイシャの詠唱は中断され、地面に描かれた魔法陣も消し飛ぶ。
「反発……アイシャの“昇天”の大詠唱を反転の大詠唱で打ち消された」
「つまり?」
「先読みで対応されているの」
「……くっ!!」
アイシャが杖を強く固く、握り締める。
《そうはさせんよ、聖職者。悪魔や幽霊に特攻を持ち、魔物にも一定の効果を及ぼす“昇天”の魔法は厄介極まりない。それを防がないほどワシも馬鹿ではない》
王女の“念話”のはずが、別の男の声が脳内に響く。
《指をくわえて見ていることだ。貴様たちがなにをやろうとも、ワシの計画にズレは決して起こらない》
「これは、予め用意されていた“音痕”ですね」
リスティが状況を整理する。
「聖職者――つまりは神官が、この事態に動き出すことを踏んでいたのです。大詠唱の反応があれば大詠唱で返す。ですが、そうすぐに“念話”には切り替えられない。それでもあちら側にはまだ余力があることを示すために、自身の大詠唱によって神官たちの大詠唱を阻止した際に、“音痕”を再生するように予め要所となるところに仕掛けていたのでしょう。なので、この部屋に仕掛けられていたのではなくギルドという建物全体を魔法陣が覆っていたことになります」
「私……気付かなかった」
「僕もだ」
「誰もが気付けていないのです。アベリアさんやアレウスさんが見落としていたわけではありません。そして、私でさえも気付くことができなかった」
海底街へ突入するにはクラゲをどうにかしなければならない。その動きを止めるにはアイシャの大詠唱は必須となる。それが防がれてしまっては、足掛かりを失ってしまう。
「……まだ! 諦めない!」
アイシャが杖を半回転させる。
「まだです!!」
再びアイシャの足元に魔法陣が浮かぶ。
「アベリア」
「……さっきと魔法陣が違う」
「漂うは命、響くは心!」
「これは、結界の大詠唱……まさか」
「されど無辜なる命は奪われ、悲しくも眠る!」
魔法陣が輝きを増す。
「歳月は巡り、衰えるは世の常。されど一瞬、世界を救う真なる輝きとならん!」
「確かにその方法なら」
詠唱の中、アベリアだけがアイシャの意図を理解して呟いている。
「故に築け、故に固まれ、故に命じる。害なす悉くを拒め」
複数の魔法陣が中空に出現し、五芒星を描く。その中でも五芒星の中心よりやや外れた位置にある光属性を表す一点の星が一際強く煌めく。
「悪意ある魔の物よ、吹き飛べ!! 大詠唱、“光よ、守護の神となれ”!!」




