悪しく動く者
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「行方不明となっていたヘイロンが従えていた『至高』の冒険者の『千雨』ですが」
「見つかったのか?」
「はい……一応は」
「なぜ、そんな浮かない顔をしている?」
「宿屋の、どこにでもありそうな一部屋にて発見されたのですが」
「思い出すだけでも怖ろしいことに……殺されていました」
「甦ったとしても『衰弱』か」
「もし回復できたとしても、二度と冒険者にはならないでしょう。守るべきヘイロンも喪ったわけですから」
「あまりにも死体が残酷な状態にありました。生きている間に拷問を受けた形跡がありました。その後、眼球を潰され、耳を破壊され、口はミシン針と麻糸で縫われていました。そのまま放置され、死ぬ間際までその状態が続いたために……甦って五体満足であっても、後遺症が残っている可能性が非常に高く……」
「『千雨』は『至高』の冒険者だぞ? 『掃除屋』と同格で、ヘイロンが長らく重用していた護衛だ。それがどうしてそんな無惨なことになる?」
「我々にも分かりかねます」
「なにかとてつもない不幸に見舞われたとしか言いようがありません。それも、我々の手ではどうすることもできない不幸との接触です」
「これは推測になりますが、『千雨』はヘイロンを殺した犯人に、ヘイロンがその者と殺される以前に接触していたのではないかと」
「そこでヘイロンのことを聞き出し、用済みになったために口を縫って喋ることをできなくさせ、部屋に放置した」
「ただ一つ、我々にはどうにも理解できないことがあります」
「その部屋では勿論、『千雨』を拷問しているはずなのですが、同時に“日常生活”を送った形跡があるのです。しかも、放置して死んだあとも数日間は泊まっていた形跡が……」
「そこまで分かっているのに、我々は足取りを追うことができません。宿屋の主人は証言ではあの部屋を借りていたのは『千雨』だけだと」
「……ロジックの書き換えか。その宿屋の主人どころか宿屋を取り巻く全ての者がロジックを書き換えらえてしまっている。神官の手でどうにかなるか?」
「それが、我々が呼んだ神官が行おうと試みたのですが」
「何度、試みてもロジックを元通りにすることは叶いませんでした。即ち、書き換えた犯人の魔力が凄まじく強いために、“ロジックを開く力”が足りないのです。対抗できるだけの力を持った者でないと、こればかりは」
「魔力の残滓を追い掛けたのですが、必ず街の門を潜り抜けたところで消えるのです。そこで痕跡消しの技能を用いたか、それとも別のなにかに乗ったのか」
「『掃除屋』は?」
「『影踏』以外の密偵は信じないように努めて参りましたが、ここのところ行方知れずです。恐らくは、本国に戻ったかと」
「あの者は『魔剣』に拘りを見せていたので、もうしばらくはこの街に留まるかと思っていたのですが、最優先にしなければならないことが起こったのではないかと」
「……『異端』を呼び戻すか」
「未だ連絡が乏しいですね」
「場合によっては、面倒なことに巻き込まれているのでは?」
「ただでさえ情勢が不安定な国に行ったからな。しかし、私はずっと不思議に思っていることがある。なぜ、エルヴァージュ・セルストーは『異端』から話を聞いてすぐに『海を渡った』と思ったんだ? 奴の言葉がなければ『異端』も、その担当者も海を渡ろうとは思わなかったはずだ」
「全てはエルヴァージュ・セルストーの発言から始まっている、と?」
「確かに発言については怪しいのですが、この一件に関わっているとはとても思えません。呼び出したところで、まともに受け答えするとも考えにくいでしょう」
「それよりも、ヘイロン・カスピアーナの身辺調査を行いました」
「内容は書類の通りです」
「…………これは本当にヘイロンの略歴か?」
「はい」
「可能な限りの情報を集めさせました」
「読んでいて、どうにも頭がおかしくなりそうだ。俺にはこんな人生は送れない。どう考えても、二人分かそれ以上の人物の生き様だ。ヘイロンの名をよそで騙り、悪評を振り撒くことでシンギングリンに務めていたヘイロンに悪意が向くように仕向けた奴がいる」
「それが殺人犯だと?」
「ならば、その書類の通りであれば……その者は今、コロール・ポートに……」
*
「ここで王女様は血を捧げていた?」
「多分それで合っているけど、こんな簡易的な祭壇で大掛かりなことができるわけないだろ?」
「それはそう」
「だから、こういう簡易祭壇が他のところにもあるんだと思う。王女様はその日の気分、或いは状況で祭壇を使い分ける。本当の祭壇はきっと海底街だ」
「海の底にある魔力を外にまで及ぼすのなら陸地に祭壇を作るのは分かるけど、なんで複数? 状況で使い分ける、っていうのが分からない」
「カプリースが言っていただろ? 王女様は血を捧げるために外出するが、それを城を抜け出しているだけを装っている」
「行く場所がいつも同じだったら、カプリース以外が探しに来たときに怪しまれる?」
「ああ。外から見破られないために水魔法での誤魔化しているのは、よそからやって来た観光客や商人に見つからないようにしている」
「もし見つけたとしても、その目撃者は闇に葬っているかも」
「だろうな」
しかしその理論だと、アレウスとアベリアが見逃されたのは謎でしかない。カプリースが手を下してくるかと思ったが、そうでもなかった。そして王女自身が直接、手を汚すこともなかった。
通常それはあることなのだろうか。もし今回が異例であるのなら、カプリースはあれだけアレウスを咎めておきながらアレウスが行動することを望んでいる。一体、なにをすることを望んでいるのかがハッキリしないため、行動に移そうにも移せず、なによりあの男が言っていたように『冒険者』であり続ける限り、介入は不可能だ。そもそも冒険者という肩書きを置いてしまえばアレウスたちはこの国の国民ですらないのだから介入する権限も権利も、それどころか訴えるための力すら持ち合わせていない。
「分かることはこの祭壇と海底街は繋がっていることぐらいか?」
「うん。多分だけどこの下が海と繋がっていて、祭壇という媒介を通して水魔法の効力を陸上にもたらしている」
「壊したらどうなる?」
「壊しても、別のところに祭壇があるんだから効力が失われることはない、かな。効率は落ちるかもしれないけど……海底街にある、水魔法を常に放出し続けている魔力の源を断たない限りは大丈夫」
クーデターが起きたとしても、この国を包み込んでいる霧が晴れることはない。逆に言えば、強硬派が他国に増援を呼び掛けていても、霧がそれを阻止するということだ。
「……いや、そうじゃない」
不安を安心に変えようとして楽観的に考えてしまったことをアレウスは言葉にして訂正する。
「きっとカプリースは気付いているんだ。でも、僕たちは海中では活動ができない」
「どういうこと?」
「多分だけど、海底街に魔力源があって、それが置かれている場所はきっと王女様かそれに近しい人だけが知るようなところに祀られている。そうすると国民は誰もこれに手を出すことはできない」
「だったら安全なんじゃ?」
「“近しい人”が強硬派だったとしたら?」
「王女様の目を盗んで、魔力源を壊せる?」
「壊されたら、水魔法が解ける」
「解けたら霧がなくなって……攻められやすくなる」
アベリアがアレウスの望んでいた答えに至る。
「でも、ハゥフルの人たちは以前に酷い目に遭っているから、外から誰かの手を借りることなんてしないんじゃ」
「僕もそれには同感。だから、他国が攻めてくるとか他国の力を借りるというのは最悪の想定だ。僕たちが危惧しなきゃいけないのは、強硬派にとって“この霧は必要とされているか否か”ってところだ。クルタニカが言っていたじゃないか。劇的な変化と緩慢な停滞。強硬派はつまり、劇的な変化を求めている。霧が緩慢な停滞の象徴だというのなら、彼らにとってこれは必要と思われていない可能性がある。場合によっては、陸上での生活すら……求めていないのかも」
ハゥフルは海中でも生きられるのだから、不便な陸上を捨てようとするのは実のところ、おかしな話ではない。
「もしそうなんだとしても、今すぐ起こることじゃないでしょ?」
「違う、もう起こっているんだ。カプリースが言っていたように、僕たちにとってこの国での生活は数日だけど彼らにとっては長年の生活だ。その中で少しずつ起こっていたことが一気に形になり始めている。今すぐでなくとも、もうすぐ起こることなんだ。よそ者でしかない僕たちには、前触れを知ることなんできやしない」
予兆だとか前触れだとか、そんなものは内部に居続けなければ分からない。外部から分かることは、起こってしまったことが大きいか小さいかだけだ。
そしてこれは、外部の人間に限ったことではない。恐らくはこの国の国民の大多数がカプリースの言っていたことを知らない。
「他国の事情に口を出すのは駄目だよ」
この国の事情に口出しをして、それがもしも他国にバレでもすれば外交問題に発展する。一国民の一冒険者に過ぎなくても帝国に住んでいることは紛れもない事実であるため、帝国国民としての振る舞い方を間違えれば国そのものが動かざるを得なくなるのは世の中の道理だ。それがこの国を良くする方向ならばまだ良いが、どう考えても悪い方向に進んでしまう。
「セレナを見つけて、さっさと退散することもできなくなって……僕たちは無力だ」
冒険者だから、という理由で許されることはあっても許されなかったことは今までなかった。そのせいか冒険者であれば大体のことには干渉できるなどと思い上がっていたところもある。
「情報は集めることができるよ?」
「……そうだな。もう一度、方向性を考え直そう。場合によっては僕たちはギルドの庇護の下、ここを出なきゃならなくなる」
争いが起こる前に国を出る。出入国の制限が始まっているとしてもギルドの権力が有効であれば、アレウスたちが国を出ることは難しくない。だが、争いが始まってからでも可能なことだ。出てしまえばそれこそなにもかもに関われなくなる。セレナがコロール・ポートにいるのか、それとも既に別のところへ運ばれているのか、それさえも調べられなくなってしまう。
「カプリースも王女様も、奴隷商人が潜んでいるのは海底街のどこかだと思っている」
「なら、みんな海中で活動できるような魔法を受けている……ってこと? それ、何度も思うんだけどおかしいな、って」
「おかしい?」
「だって商品価値を下げないために行うあらゆることにはお金を払うだろうけど、海中だと魔力を消費して生命活動を維持させないといけない。これってお金を払うこと以上に大変だと思う。セレナだけならまだしも、他に奴隷もいるとしたら、そんな膨大な魔力を一体どこで掻き集めているのかも分からないから……」
アベリアは簡易祭壇の装飾に触れながら続ける。
「もしもまだこの国にいるのなら私はやっぱり、陸地のどこかだと思う。魔力を使わなくて済むし、奴隷の管理だって海中よりはしやすい。奴隷商人だって海中で生活できるような肉体を持っているならまだしも、いつまでも魔力を消費しながら生活するのは限界があるよ。ほんの数時間を凌ぐためならそれぐらいはするかもだけど……」
「……アベリアの言う通りだけど」
「私は娼館が怪しいと思う」
「いや、あそこは、」
「向き合えているかどうかも分からないけど、私だっていつまでもアレウスに見ないように、向き合わないようにしてもらってばかりじゃいられない。私はきっと、そういうところに売られるために連れ去られた奴隷だったけど……今もまだ奴隷ってわけじゃないから」
だから行こうよ、とアベリアが続けた。その顔は普段よりもずっと感情が読みやすく、そして決意に満ちていた。
「分かった。ここを出て二人と合流して、リスティさんと話をしてから娼館に向かおう」
もう起こっているとしても、ジッとはしていられない。手探りであっても掴めるものを掴みたい。これを焦燥感と言うのなら、今はそれに従うだけだ。
アレウスとアベリアは祭壇をあとにして岩礁地帯をゆっくりと通ったのち港の方へと駆け出した。
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「たとえば、ここに一冊の本があるとしよう。長年に渡って書き綴られた歴史書だ。戦禍を逃れ、人々の手を渡り継いで、俺たちの前に置かれたとしよう。それをお前たちはどのように捉える?」
「古い物ならば売れば金になります」
「好事家に売れば、相応の資金を得られる」
「国に渡せば、その歴史を知ることができるかもしれません」
「読めば先達者の知恵を得られるでしょう」
「それがたとえ、殺人鬼の日記だとしてもか?」
「前提が違いますよ」
「それは先に言ってくれないと困る」
「俺たちを惑わせたいんですか?」
「お前たちはそうやって喚くがな、実際に殺人鬼の日記だとしてもそれを読むことで国の歴史が三十年近く分かるような内容であったなら、俺はともかく好事家も歴史家も、喜んでそれを手にする。俺たちヒューマンは歴史を振り返らないはずだが、魔物がこの世からいなくなったあとに墳墓や遺跡を調べて、過去を知ろうという未来志向のワケの分からん歴史研究家もいたりする。始まりなんざ関係ねぇんだ。それが殺人鬼の日記だろうと救国の英雄の日誌だろうと、『長年』という価値が本や物体には付く。それが付加価値っつーもんにも繋がっている」
「オイラたちには関係のねぇことじゃないですか」
「そりゃそうだ、関係ねぇことを喋ってんだからな。でもな? なんで物体には『長年』を過ごしただけで価値が付くのに、人間には付かないんだろうな? どんなに真面目に生きても、どんなに真っ当に生きても、どれだけ純粋な人生を送っても、老いさらばえちまえば誰も耳を貸さねぇし、逆に鬱陶しいとも思っちまう。老人がなにかぬかしていやがる、耄碌したジジイはさっさと死ねって、小言を言われるたびに思っちゃいねぇか? だからな、俺たち人間ってぇのは、歴史のあるような本とは真逆なんだ。若ければ若いほどに価値が付く。男も若ければ若いほどモテて、老いれば老いるほどその道に通じている輩しか寄り付かない。頭の良し悪しなんて関係ねぇんだ。学びなんて若けりゃ大体なんとでもなるしな。女だってそうだろ? どうせ抱くなら若い女だ。熟れた女も最高だが、青い果実を齧っている背徳感に勝るもんはない」
「でも俺たちがこれから行くところには人外しかいないって聞いていますけど?」
「人外を抱くのも面白いじゃねぇか。俺たちは産まれながらに戦争屋だ。だったら、その戦争屋しか味わえない味を堪能するのも悪かねぇ。それに、人外の国にも数人ぐれぇヒューマンぐらいいるだろ。男は殺せ、女子供は金品の場所を吐かせてから、どいつもこいつも捕縛して一ヶ所に集めろ。俺たちで値踏みをして、俺たちでそれを味わう。そんな狂気、誰も分かっちゃくれねぇだろうが、俺たちだって誰にも分かってもらおうとも思っちゃいねぇ。娼館があるなら、高級娼婦に最大限の汚らしいことをやらせるのも悪くない。そう……俺たちは元来、悪くない。悪いのは戦争だ。戦争がなければ俺たちは、奪いもしねぇし奪われもしなかった。だから、戦争ってもんを人間が求めたから俺たちが悪くなる。そういうことにして、愉しもうや。まぁ、俺もテメェらも殺し合いで生き抜いてからだけどな。褒美ってのはいつだって、死線を潜った者だけが手にできる理不尽な代物なんだからなぁ。ま、若い内に無茶ができるんだから命ぐらい賭けたってどうってことないだろ? テメェらは」




