事態は思った以上に深刻
「秘匿しようと試みても、いつの世もそれを暴く者は現れるものじゃな」
濡れた体から落ちる水滴を一点に手元に収束させて、王女は水の塊を作る。
「下がれ、アベリア。あれに触れたら駄目だ」
アレウスはアベリアを背中に隠すようにしつつ、ゆっくりと後退する。
水の収束。それはカプリースがノックスを黙らせるために行使した魔法だ。片手に集められた水に触れれば、水圧で弾け飛ぶ。もしくは水の中に閉じ込められてしまう。
「水魔法を無詠唱で、それも一瞬で手元に集め切った?」
「自分自身を包んでいたのが元々、魔力で出来た水だったんだ。それを再利用したんだ」
「ほう? やはり水のカーテンを見抜いたとなると、相応の理解を持つ者となるようじゃ」
なにを怯える必要があるのだろうか。目の前の王女にアレウスは身長でも体格でも勝っている。ヒューマンと違って見た目と年齢が一致しないとはいえ、その筋肉量においてもアレウスが負けているとは思えない。
なのに、凄まじいまでの圧を感じている。そのままひれ伏してしまいそうなほどの強い圧力だ。水の魔法以外になにかを用いられているとも考えたが、視界のどこを探っても圧力の原因を突き止められない。
「わらわではない」
王女は気にせず歩みを止めない。
「お主が怯えているのはわらわの背後にある“国”じゃ。“国”の象徴たる者を目にして、子供のように無邪気に粋がれる者などおらんじゃろう?」
これまでにない経験だ。アレウスは帝国に過ごしてはいたが、帝王にもそれに連なる者たちにも会ったことはない。
だからこそ怖ろしい。なにを考えるでもない。言葉次第でアレウスとアベリアの命を易々と手折ることのできる“王女”という存在が、たまらなく怖ろしくて仕方がない。
「……ふっ、戯れもこのくらいじゃな」
王女は手元に収束させていた水魔法を解き、その手を降ろす。
「別に見られたところでなにが変わるわけでもない」
アレウスに掛けられていた圧は一気に薄まり、それと同時にアレウスの額に汗が噴き出す。
「帝国の軍人がなにようじゃ? カプリースの店でも一波乱起こしたのはお主じゃったな?」
「え……あ、いえ」
アベリアに手で促しながら、揃ってひざまずいた。
「一緒じゃのう。どいつもこいつも、そうやって頭を下げる。名ばかりの王女であってもそれは変わらんのじゃな」
つまらない、と最後に付け足して王女はアレウスの前で足を止めた。
「先ほども申したが、なにようじゃ?」
「……帝国より不法な手段によってさらわれた獣人を救出しに参りました」
嘘をつこうにもつけない。カプリースに裏を取られればすぐにバレてしまう上に、王女を前にして嘘をつくなど不敬以外のなにものでもない。
「カプリースは王女を前にして平気で嘘をつく輩じゃ。奴とお主が内通しておらんという証拠もないのじゃが、まぁ……全方位に敵を作っておるような奴じゃから、通じておるなどありえんわ」
なにかとカプリースの名を挙げるところからみるに、噂通りに重用されているようだ。
「さて、わらわを前にしてお主たちは嘘をつかんかった。じゃが、わらわたちはお主たちに嘘をついた。それが一体なんであるかは……語らずとも知っておるといったようなところじゃの」
「獣人の姫君を保護しているのは嘘であるということですか?」
「保護したいとは本気で思っておる。お主たちが訪れる前からカプリースに捜索させておるくらいじゃからな。だというのに、未だ尻尾すら掴めておらん。確証を持って、お主たちはこの国に獣人の姫君がおると申すのか?」
「推測の域を出てはいませんが、恐らくはこの国に滞在か、それとも通過はしているかと」
「ねぇアレウス? そこまで話していいの?」
アベリアに咎められるものの、口を滑らしたとは思っていない。王女の言うことに従順になっているつもりもない。
王女は内情を語り過ぎている。アレウスが語ったことの倍かそれ以上の情報を口にしてくれている。だから、口を滑らせているのはアレウスではなく王女である。
「すまないが、獣人の姫君についてはわらわたちに任せてもらおうぞ」
「元はと言えば、問題の始まりは帝国側です。できればこちら側が波風立てずに解決したいと思っています」
「いいや、それはならんのじゃ」
「なぜですか?」
「獣人の姫君を早急に見つけ出し、わらわたちの手柄とする。獣人にも話の出来る者がいるはずじゃ。その者に恩を売れば、この国の危機に馳せ参じてくれると信じておる」
「つまり、政治利用する……と?」
「それが最も穏便に事を済ませる方法じゃ。カプリースは獣人の姫君を殺し、その首を連合に運び込み、責任を擦り付けて獣人に襲わせる案を推しておった」
「だから僕たちに嘘をついたと?」
「お主たちより先に見つけ出さなければ、この国は――」
「お喋りが過ぎますよ、クニア様」
カプリースの声がしたので思わず顔を上げると、王女の後ろにいつの間にか立っていた。
「そうやって突然、わらわの前や後ろに現れるでないわ!」
彼が現れた直後に王女は小さく可愛らしい悲鳴を上げて驚いていたため、それについての抗議が入る。
「僕が止めに入らなければクニア様はこの国の内情全てを語り尽くしていたではありませんか」
「う……ぬぅ」
「いい加減に俗世に興味を持つのはおやめください。王女として産まれた以上、あなた様がどれだけ望んでも交わることのできない世界でございます」
「しかし!」
「こうして抜け出して、その度に内政や城のことを語り出すようなことを繰り返せば、いずれ強硬派の耳にも入りましょう。それこそクニア様だとバレるようなことがあれば、強硬派はあなた様を拉致して大きく事を動かすやもしれません」
「分かっておる……分かっておるが、のう……そんな大事になるようなことか?」
「酒場でも強硬派の意見と穏健派の意見、両方が飛び交っていました。それはこの者――アレウリスも知っているはず」
「なんでそれを……」
いや、もはやなにも言うまい。カプリースはコロール・ポートで起こっている全てを知っている。
「酒の席で政治の話はしないのが通例。なぜならば立場が違えば酒がマズくなるどころか騒動の起因になりかねない。同様に宗教観の語らいも控えるべきとされています。考え方が違う者が飲みの席において前後左右にいるかもしれない。それを意識せずして、美味い酒は飲めないわけです」
「それこれと、なにか関係があるのかのう?」
「まだ分かりませんか? 酒の席で強硬派と穏健派が飲み交わしている様は異常としか言いようがありません。つまりは、どちらの派閥もシラフではなく酔っ払ってなら話すことができるくらいに“準備が進んでいる”のです。口では安っぽく言ってはみても、その実は強硬派と穏健派の牽制です」
「準備とはなんじゃ?」
「強硬派はクニア様を国の主から下ろす準備を、穏健派はクニア様をその騒動から守るための準備を整えているでしょう。笑い話にもできない、本当の意味でのクーデターが起ころうとしています。成功か失敗か、それを見通せるほど僕の魔法は万能じゃありません。ですので、もうあなた様が城を抜け出すことは許されません」
カプリースはアレウスを一瞥する。
「またタイミングの悪いときに訪れたものだよ」
「そんなに邪魔者扱いするのなら、物事が落ち着いてからでも構わない」
「もう遅い。航路が封鎖されている」
「封鎖?」
「他国の船は港に停泊することが許されず、海上での輸出入に限られたということだよ、アベリア・アナリーゼ。同時に人の出入国も規制が始まった。全て、国の与り知らぬところで行われている。だが、それを突き付けたところで強硬派も穏健派も言うことを利いてはくれない。この国はクニア・コロル様という象徴を奪うか、それとも守るかという段階に入っていて、いくら国側がやめるように命じたところでやめる状態にはもうなっていないということだ」
アレウスたちの入国まではまだ規制が始まっていなかったが、それが数日の内に規制されて出られなくなっているらしい。
「陸路は?」
「門番が見張っている。分かるだろう、アレウリス? 商人以外がもはやまともには通れない。その商人も、僕の方で奴隷を扱っているような気配があればどれもこれも出ることを禁じているが……奴らは決して商品を見せない。僕にできるのは止めるまでで、商品を調べるまでの権利はない上に、奴らは一つ二つとブラフを張る。馬車に奴隷を乗せているのではなく、真っ当な商品を乗せている状態で門番の過剰な検査が起こる時を待っている。それを不当な行いだと声を荒げて騒ぎ、門番の気を削がせ、その実行力を低下させるのが狙いさ。門番がそれを失敗と受け取ってしまえば、次からは怪しいと思っても商人を引き止めることも、馬車の中を探ることもできなくなってしまうからね」
瀬戸際でのやり取りについては知らない。だが、カプリースは全力で奴隷商人が外に出ることを阻止している。それも全て、ノックスの妹を政治利用するのが目的だ。そうじゃなければ利害の一致で協力できたかもしれないが、その部分があるからこそアレウスたちは手を取り合うことができない。
「アレウリス? 君は帝国のギルドに所属している冒険者だ。冒険者は国のゴタゴタには手を出せない。僕たちに協力を求めたって無駄さ。だって、僕たちは君たちと協力したって戦力を得るわけじゃないんだから」
冒険者を軍隊として投入してはならない。それを行ってしまえば暗黙の了解を破り、禁忌戦役の二の舞となる。リスティに聞いて過去の惨状を知っているからこそ、カプリースの言葉はアレウスを縛る。
「……もうよい。わらわは城に戻る。わらわが城に戻れば、そうやって外から来た者をないがしろにすることもないんじゃろ?」
「そう、それで良いのです」
王女はアレウスたちが入って来た通路を歩き去る。
「クニア様がここでなにをしているか知っているかい?」
「いや、なにも」
「いつも抜け出しているだけ、と言い訳するが実際は別さ。王女様はここに来なければならない理由がある。この国を守るための霧は、クニア様がここで血を捧げなければ成り立たない」
「なんだって?」
「口を滑らしているつもりはないさ。ただ、言っておいた方が君を更に縛れると思ってね。クニア・コロル様に流れる血がこの国の霧の魔法を成立させるために必要な犠牲というだけだよ。その量は微量ではあるけれど、あの方にとっては大いなる負担だ。だからこそ、国の大事をあの方だけに任せるわけにはいかないんだ」
カプリースは言うだけ言って、アレウスの前から立ち去ろうとする。
「待て、まだ聞いていないことがある」
「答える義理があるとでも?」
「この都市は『コロール・ポート』だ。でも、僕は聞き間違えじゃなければ、あの店でお前と出会ったとき、王女様はこう言っていた。『コラール・ポート』、と」
「…………『コラール・ポート』はここに逃げる前のハゥフルたちが作った最初の国の首都だよ。深い意味はない……ただの言い間違いさ。王女は未だに『コロール・ポート』ではなく『コラール・ポート』での暮らしが恋しくて仕方がない。それだけのことさ」
それだけのことで、言い間違えるわけがない。
王女は未だにこの都市を『コラール・ポート』だと“思い込んでいる”のではないのか。
訊ねる勇気はなく、カプリースもアレウスがなにも言ってはこなくなったために話を切り上げて、祭壇前からいなくなった。




