誰も悪くはないが
「結局のところ、誰が悪いとも言い切れないことです」
落ち込んでいるアレウスにリスティが慰めるように言う。
「慰められたいわけじゃないんです」
アレウスはアイシャに責められてやっと自身の犯した罪の大きさを実感した。だからと言って、償いのしようがないのでこのままアイシャとは分かり合えないまま疎遠になるだろう。ひょっとしたらニィナとの関係にもヒビが入るかもしれない。
それをどうしてか残念と思う。良好な関係が崩れたことによる悲しみからか、それとも単純に異性に嫌われたことで落ち込んでいるのか。恐らくは両方だ。
別に異性を惹きたくて生きているわけではないが、それがそのままモテたくないという理由にはならない。結局のところ、アレウスもまた俗物であった。ただそれだけのことだ。
「生きるために食べられる物を食べる。死肉を生食してお腹を壊さなかったのは不思議でしかありませんが、アレウスさんが手を伸ばして食べられそうな物がそれしかなかったのなら……咎めなければならないのかもしれませんが、仕方がないとも思います」
「それをまさか異界を出てからも続けてはいませんわよね?」
「誓って、この世では人の姿をした肉を食べたことはない」
クルタニカの恐る恐るといった問いにアレウスは即答する。
「わたくし自身はアレウスの言い分を許容しますわ。けれど、神官のわたくしは許容できませんわ。だから、アイシャには裏も表もないんでしてよ」
神官であり、真っ当に生きてきたアイシャはクルタニカと異なって身も心も神職の精神を宿している。アレウスの告白は許容を軽く越えてしまったのだ。
「全てを明かすようにあなたに問い掛けたクラリエのせいでもありましてよ。彼女があなたに話を振りさえしなければ、そのような過去の罪を語ることもなかったんでしてよ」
「でも、それだといつまでもアレウスは抱えた物を吐き出せない」
クルタニカなりにアレウスの心の傷を拭えないかと思案しているようだが、アベリアがそれを止める。
「いつかは言わなきゃならないことが今日に早まっただけ。もしも言わないままだったら、アレウスはノックスにずっと嘘をつき続けることになっていた。クラリエも、ノックスに黙ったまま全てを済ませるとは思っていなかったから、今日を最後にノックスへの後ろめたさを吐き出したかった。アイシャだけが、この世界の理不尽さを知らないのが問題だっただけで」
「それだとアイシャが悪いみたいになる。理不尽な世の中なんて知らないままの方がいいんだ」
全体的にこの場を去ったアイシャを責めるような雰囲気になっているが、そうじゃない。受け入れられないのが正常で、受け入れているのが異常なのだ。ただし、異常な思考を持っている側が多数であったために正常な精神を持っている側への圧が強くなってしまった。
そのため、アイシャがいなくならなかったらこの場で一体なにが行われていたか。異常を正常と思っている以上、正常を異常へと落とすためにきっと、洗脳にも近い精神的な侵犯が始まっていただろう。考えただけでも怖ろしい。だからこそ彼女の逃避は正常な判断力によってもたらされた自己防衛だったのだと理解できる。
なにもかも彼女が正しいわけではないけれど、一般的な判断は絶対に彼女の方が正しい。そこだけは歪ませてはならない。
「あのエルフが傍にいるなら安心なんじゃないのか?」
「一人でいるよりはずっと安全だと思う。通貨は僕が全部預かっていたわけじゃないから、二人とも数日間は平気だろうし、足りなくなればギルドに行けばいい。なんならクラリエを通して僕やリスティからお金を工面するって手もある」
「だったら、起こってしまったことをとやかく言っても仕方がない。ここで話を続けても、明確な答えが出るべきことでもないんだろう?」
「お前は僕がお兄さんを喰ったと言ったのに、立ち直りが早いな」
「ワタシも異常なだけだ。獣人たちの中では弱肉強食は当たり前だ。なんなら争って殺した相手の肉を喰らうことだって起こる。兄貴がお前に食べろと提案したのは、そういった獣人の思想を押し付けたかっただけかもしれない。いずれにしても、死に際を知れてワタシは良かった。あとで沸々と怒りが湧いて来て、お前を襲うかもしれないが……そのときは付き合ってくれるだろう?」
「そうだな。生死を賭けた戦いはしたくはないけど、お前の感情がそれを抑えられないのなら僕は従うだけだ」
謎の信頼感をアレウスはノックスに抱いているが、きっと彼女は激情に駆られれば自身を生かさずに殺す。それをアレウスは全力で阻止する。決して死は受け入れない。もし敵わないとしても、生きるために足掻くだけ足掻く。そのことが分かっているからかノックスの視線にも同様の信頼感が乗せられている気がした。
「今日はもう夜も遅いので明日から解決方法を模索して私は動きます。獣人の姫君の捜索はアレウスさん主導で続行してください」
「クニア・コロル様が保護していると仰っていましたわよ?」
「では、なぜ門番に奴隷商人の往来が無かったか聞き込みをなさったのですか?」
「正しい情報かの精査ですわ。もしものことは常に頭に入れておかなければならないんでしてよ。ノックスも、一応ながらにわたくしたちに付いて来たのは、そのもしもを不安視してのことで間違いないですわね?」
「無事と聞いて、一日しっかりと眠ってから頭の中を整理したんだ。王女様に容易く見つかるようなルートで人間ってのは売り買いされるものなのか、ってな。そう思ったら、もしもを考えずにはいられなくなっちまった」
「じゃぁ、明日は僕とリスティさんを除いた三人で聞き込みだ。海底街について知りたい。城が海底にあるのなら、どちらにせよノックスはそこに行かなきゃ妹に会うこともできない」
本当にクニア・コロルが彼女の妹を保護している場合なら、だが。
方針は立ち、色々と軋轢も生じてしまったが時計の針が深夜を指している。
「アレウス、どこに行くの?」
「いや、今日も僕は一人で寝ようかと」
「罪の意識に苦しむかもしれませんよ? 大勢の中で眠るのは、ある意味で温かさを感じることができます。私も少しは眠れましたから……アレウスさんが同じ部屋にいれば、もっとよく眠れるかもしれません」
「どういう意味でですか?」
「冒険者の中にいるとは言え、女性だけで固まって眠るのは異国の地では相応に不安があるものなんです。男性が一人でもいることで得られる安心感もあるということです」
なにか無理やり納得させてアレウスをこの部屋に留まらせたがっているようにしか聞こえない。
「……なら、お言葉に甘えます」
しかし、心が弱っているアレウスも今日だけならと断り切ることができなかった。
「海底街にハゥフルの協力無しで行くのは難しいですわね。酸素供給の魔法を扱えるあの僧侶――ヴェインでしたっけ? 彼を連れて来た方が良かったかもしれませんわ」
「ヴェインは今頃、里に帰って婚約者にこっぴどく叱られているんじゃないかと。しばらく音信不通状態でしたから」
「また敬語に戻っていましてよ、アレウス?」
「……いや、やっぱり人生経験が豊富な人は立てないと碌なことがないという教えが僕の中にありまして」
主に『ヴェラルドの日記』に書いてあったことを学びにした。異界にいた頃ならば考えたこともないことだ。大体、年上や大人は嘘をついてアレウスから様々な物を奪って行ったのだ。なのにどうして立てなければならないのかと思いもしたが、日記には『そうした方が男女問わず少なくとも言葉使いで嫌われることはない』とあった。
「アレウスさんが話しやすいのが一番なので、それはそうなのですが外では設定を大切にしてくださいね」
「設定が足されすぎて、もはや僕はどういった人物像としてハゥフルに見られているのか分からなくなってしまっているんですが……」
「ミステリアスでよろしいんじゃなくて? しかし、さすがにわたくしも男装を好む女性のフリをした男性という設定は頭を一回捻ることになりましてよ」
「僕が付けたかったわけじゃありません。ギルドがそうした方が酒場で働けると」
「働けるなら求められた人物像を作るって、それはそれで凄いんですけどね」
「何色にでも染まれると強がったせいであとに引けなくなっただけじゃねぇの?」
ノックスの言っていることが当たっているのだが、癪なので肯きはしなかった。
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「首尾はどうだ?」
「問題があるならシンギングリンの殺人事件だ」
「あれは貴様がやったのではないのか? ワシはそう思ってほくそ笑んでいたが」
「いつでも殺そうと思えばやれたが、殺された担当者には『千雨』が付いていた」
「……貴様と同じ『至高』の冒険者か」
「だが、不自然なことに“異界化”以前から奴の姿は消えていた」
「他国のスパイか?」
「その線もあり得るが、何者かに殺された可能性もある」
「冒険者は誰もが等しく『教会の祝福』を得ているはずだろう?」
「あの街は“異界化”を起こしていた。直前で死んでいたなら甦ったものの、『衰弱』状態で動けていなかったか或いは、“異界化”の最中に死んでしまい甦れなくなったか」
「『至高』の冒険者が殺されるか?」
「さぁな。俺は『至高』だが、同様に『至高』に辿り着いた輩と仲良くしたことはないからな」
「貴様が見ているのは『魔剣』のみ、か」
「さっさと登り詰めればいいものを……片目を失った『神愛』に足を引っ張られている。さっさと払い除け、鍛錬に励めば奴は容易く『至高』に辿り着けるというのに」
「そこが人間の煩わしいが、捨てられぬ情というものだ」
「……貴様が俺に情を説くのか?」
「はっはっは、ワシが情を語るは不自然か?」
「人間を売り買いしている者がなにを語ったとて雑音だ。海を渡ってなにをする気だ?」
「ワシもそろそろ興味が出てきた」
「なにに?」
「国盗りだ。国を手中に収めれば、より多くの財を得られる。人も物も自由自在に思うがままだ。人身売買すら大手を振って行える。支配という名の統治を貴様に見せてやろう?」
「なにをしようと構わないが、始まりをどうしてハゥフルとする?」
「ハゥフルほど希少な人材もない。市場に出回らない商品ほど高額になる。だからワシは欲しい。そのための一石が、貴様が捕ってくれた獣人というわけだ」
「それは国が欲しいのではなく、商品を仕入れたいだけの話だろう。くだらない……」
「どうだろうなぁ? ワシのように国盗りを考えておる者はおるぞ? 戦争屋はワシより狂っている。エネルギー革命ごときで虐殺を始めた連合の馬鹿共は、再びの快感を求めて動き出した。女子供を調教して売るのではなく、痛め付けて悦ぶ馬鹿共とワシを一緒にするな」
「狂人に上も下もあるものか」
「そもそもワシを狂わせたのは王国だ。王国が始めなければ、ワシが“増える”こともなかった」
「ならば王国に復讐すればいい。小国を巻き込むことに、筋が通っているとでも?」
「勿論、王国にも代償は支払ってもらう。じゃが、それは他の番号のワシがやることだ。563番目のワシがやることは、これでいい」




