それを赦すというのか
「隠していたわけじゃない」
そう前置きをする。話すべきか話さざるべきかで悩み、打ち明けるタイミングを逃し続けた。それもこれもアレウスが、その過去の行いを認めたくないと思っていたせいだ。
「ノックスと共闘関係にあったとき、それを話してはいけないと思ったんだ」
「共闘関係って言うと、あのダンジョンのときか?」
「ああ。お前がお兄さんの特徴を語ったとき、僕は同時に目を背けていた過去の事実を思い出した。そしてその事実は、ただ助けたい相手が同じ場所にいるという利害の一致でしか組むことのできていなかったお前に語ることはできなかった」
ノックスが場で暴れずに話を聞いてくれるという保証はなかった。
「今なら話すと言うのか?」
「話さなきゃ逃がさない雰囲気じゃないか」
なにせ彼女だけでなく、クラリエまでアレウスの『蛇の目』について、説明を求めている。
「あたしだってエルフの血は流れているから、ガラハほどじゃないけど鼻は利くよ。初めてパーティを組んだときも言ったでしょ?」
そう、あのときにクラリエはアレウスの『死者への冒涜』という称号を臭いで見抜いた。嗅ぎ取ったものについて深くは語らなかったために有耶無耶になっていたが、彼女はしっかりと憶えていた。
「死者を冒涜したことと、あとは魔物の臭い。それはきっと右腕のアーティファクトのせいなんだろうけど、あのときはそれが強く臭っていたから気付かなかったけど、その右目からも臭う。それは魔物というより獣の臭いだし、左耳は古の森に住まう者の匂いがする。左耳についてはもう把握しているけど、あたしがまだ把握し切れていないその右目について、ちゃんと話して。だってその臭いは……あたしがカッサシオンの死に際に嗅いだ臭いと、ほぼ同じなんだから」
そこまで言うのなら、もはや言い逃れできないのだろう。そしてアレウスの最悪の仮説はただただ事実を突き付けてくる。
「話せば僕の生き様を晒すことになる。正直、話していいものなのかどうかも……隠し通しておきたいことでもあるんだけど」
クルタニカ、アイシャ、ノックス。この三人に語らなければならない。クルタニカは自身の過去をアレウスに晒していることもあって、アレウスが過去を語ってもそれを事実として素直に受け入れるだろう。ノックスについても、ロジックが開けないといった二人切りでの暴露を行っている。だから、彼女もクニア・コロルがセレナを無事と告げたことで、心に余裕ができているためにどうにか納得してもらえるだろう。
問題はアイシャだ。彼女はあまりにも純粋が過ぎる。アレウスの行いを絶対に教会務めの神官としては容易く受け入れられない。懺悔室で罪を語ることと、顔を合わせて罪を語ることは同義ではない。ましてや顔見知りが語る罪がどれほどの重さとして心に圧し掛かるかを、彼女はきっとまだ知らない。
今が一番不安定なのだ。ガルダとの一戦によって、あれ以上の罪はないと勘違いをしている。確かにありとあらゆる意味で罪の最上位に近いが、アレウスの行いは同等かそれ以上だ。
「そこまで言い渋ることですの?」
「……いや」
語りたくないのは、異界で生きていたことを風の噂で『異端審問会』の耳に入ってほしくないからだ。これまでも『異端審問会』が関わった事件はあったが、それでも未だアレウスは異界で五年生きた子供だとはバレていない。
だから信じられる相手にだけしか、アレウスとアベリアの異界時代での生き様は語っていないのだ。
異端審問で殺したはずの子供が生きているなどと知れれば、真っ先にアレウスは潰される。あってはならない生還を無かったことにするためにありとあらゆる手を尽くしてくるに違いない。
「アレウスが話せないなら私が話す? 悩んでいることって、その部分でしょ?」
いつもそうやって、アベリアに甘えていた。彼女の意思を無意識に求める。彼女が首を縦に振るのなら、アレウスもまた同じように首を振る。その逆もまた然りだ。だから、変わるために自身が話さなければならない。
「まず最初に話すことは口外無用にしてほしい。ノックスのお兄さんについての話もできることなら口外無用にしてほしいけど、ノックスだけは自由にしてくれていい。どういう判断を下したって、元々、分かり合うことはできなかったってだけのことだ」
息を整える。
「僕は五年間、異界で生きてきた。アベリアは僕より速かったのか遅かったのか分からないけど、同じように“異界”で生きていた。それを『異界渡り』の手で救われて、この世界に戻ったんだ。堕ちたのは丁度六年前……ノックスのお兄さんが消息を絶った時期と重なるかもしれない」
なんとか異端審問を受けて堕ちたことまでは語らない方向に持ち込む。堕ちた理由を求められても嘘をつくしかない。
リスティとクラリエを除いた三人に嘘をついてでもアレウスは強くなり、尻尾を掴んで『異端審問会』に復讐を果たしたいのだから。
「本当ですの?」
「本当。私も異界で過ごした。生年月日と堕ちたときの年齢、異界から脱出したときの暦から年数を測って、多分だけどアレウスと同じ六年前。でも数ヶ月ぐらいの差はあると思う」
「それにしても五年も……一体どうやって生き抜いたんですの?」
「盗みを働いた」
罪を告白する。
「魂の虜囚はいつまでも異界獣の餌に過ぎない。それでも人としての生活にありつきたいと思う願望が、人と人との間に絆を作ると同時に亀裂を作り、勝手に組み上げられた環境の中で生きることを求められた。僕たちが堕ちた異界は労働力が全ての異界だった」
つまりは働けるかどうかで人間の価値が決まる。それもほぼ肉体労働だ。その日に掘った鉱物の量や質によって通貨めいた物を与えられ、一つも得ることができなかったなら食事にすらありつけない。
その魂の虜囚たちの生活環境から考えると、アベリアはアレウスよりも数日か数ヶ月ほどあとに異界に堕ちてきたのだろうと思う。
「最初は働くことさえままならなかったから盗みを働いた。次に嘘をついて優しさに取り入って、食事を恵んでもらった。その次は更に優しさに付け入り、物を盗んでそれを売り払った。鉱夫として働き始めても盗癖はなくならず、定期的に物を盗んでは魔物の出る範囲まで逃げて、彼らを見殺しにして自分だけがしれっとした顔で帰ったりもした」
しかし、それだけでは『死者への冒涜』の称号は付くものじゃない。
「そこは五年間を生き抜くための様々な方法だ。大事なのはここからで……そういった物盗りを始める前……右目と右腕と左耳を喪っていた僕は命の危機に瀕していて、いつ死んでもおかしいくらいに自分の体から腐臭が漂っていた。それでも何故だか生きていた僕は、傍に転がるかつて死体を漁り始めた。着ている衣服や、なにかしら食べ物と交換できるような物がないかを探した。でも片腕と片足のない僕には、漁ることさえ難しくて……その時に、出会った」
「出会った?」
ノックスに身を乗り出すようにして一歩、詰め寄られた。
「スネイクマン――僕はすぐにそれが魔物だと思った。でも、ノックスがお兄さんの容姿について語ったあとで、あれは魔物ではなく獣人だったんだと知った。当時の僕はそんなの気付くわけもなく、怯えて逃げることさえできず、この今にも死にそうな魔物に襲われて一緒にここで死ぬのかと」
「まさか、異界で兄貴と会ったってのか? それで、兄貴は? そのまま死んで、魂の虜囚になっちまったのか?」
「魂の虜囚になったのは多分正しい。でも、僕は異界で再会したことがない。それで、なんで僕が『蛇の目』を持っているかと言うと」
あのときにやった罪に対しての審判の時が遅れてやって来ただけだ。なのに、見捨てられることがとても怖ろしくて仕方がない。
「喰った」
「く……った?」
リスティも聞かされていない新事実に、聞き返してくることしかできていない。
「僕は息絶えて動かなくなった蛇の獣人を食べた。死ぬ寸前に、蛇の獣人が僕を見て言ったんだ。『腹が減っているんだろう?』、『ワレを喰えば、飢えは凌げる』、『その“体”なら、目も治る』、『喰えばいい。ワレはもうすぐ、息絶える』。そう言って、呼吸しなくなって目からも光が失われた。だから僕は、飢えを凌ぐためにその肉を食べた」
死体を漁っただけでなく、死肉を喰らう。だからアレウスのロジックには『死者への冒涜』がある。そして『スカベンジャー』の称号も、このときにロジックに刻まれたに違いない。
「……それだけじゃないよね? アレウス君は、他にも似たようなことをしているよね?」
「他に……エルフの死体と、オーガの死体も食べている。記憶は曖昧だけど、喪ったはずの右腕や左耳が元通りになっていて、更に食べた対象の部位がアーティファクトとしてロジックのテキストにあるのなら、それはきっと間違いないことだ」
ただし、なぜアレウスは死体を食べたからといって損壊された右目と右腕、そして左耳を回復することができたのか。回復魔法にしても、異常を正常と認識してからでは回復するものではない。クルタニカのもがれた両翼と同様に、アレウスは既に喪った部位を喪ったと認識し、このまま死ぬのだろうと受け入れていた。その精神状態で回復魔法を受けたとしても、恐らくは損壊した部位が元通りになることはない。
蛇の獣人はなにかに気付いているようだった。でなければ死後、その肉を喰らえなどと自ら言ってはこない。アレウス以上に、蛇の獣人の方がアレウスの体のことをよく知っていたのだ。
「わたくしはとうの昔に家族を裏切った罪人で、少しでも罪を紛らわせるために人に尽くし続けてきましたわ。それはアレウスであっても同じはず……ならば、やはりわたくしごときが裁けることではありませんわ」
「どんな過去が出てこようとも、あなたの担当者になってからあなたを支えると決めています。むしろ今更過ぎる話です。ようやくあなたのロジックに宿っているアーティファクトの謎も解ける糸口が見えてきました」
「エルフの森から追い出されたあたしが、エルフの死体を喰っただのなんだので怒ったところで、なんにもならない。それよりもあたしは、エウカリスが信じたあなたを信じるよ」
そうじゃない。そんな言葉を投げ掛けてほしいわけじゃない。
「兄貴が最期の気紛れに、ヒューマンの子供を助けた……ってか? どうにも意味が分かんねぇ……釈然としねぇことばっかりだ。でも、ワタシが否定したところでお前の右目に兄貴の『目』があるのは間違いようのない事実で……くそっ、妹と父上になんて説明すればいいんだ? そのまんま伝えちまったら、お前を殺すまで父上は止まらなくなっちまう。それは、兄貴が最期に守りたかったワタシたちの安寧とは掛け離れちまう」
「ありのままを伝えてくれ。なんなら、僕だけがキングス・ファングの元に行って、殺されよう」
「それは駄目」「それは駄目だ」
アベリアとノックスが同時に言う。
「忘れたのか? お前はワタシが別の角度から見たら、ある意味で唯一の理解者でもある。それをこんな早々に父上に献上してなるものか」
「そういう問題じゃないだろう」
「そういう問題なんだよ」
ノックスは床に座り込み、ブツブツと考え出す。アレウスは肩から力が抜けて、息を深くつく。
「皆さん、本気で言っているんですか?」
アイシャが口を開いた。
「冗談ですよね? なんなんですか? この、アレウスさんを赦すみたいな雰囲気は?」
「アイ、」
「話し掛けないでください、気持ち悪い!!」
そう、アレウスはこの拒否を求めていた。
「汚らわしいにもほどがあります! 盗んだぐらいなら魔が差したと納得もできます。ですが死体を漁って、更には死体を食べた?! 死者への冒涜を越えた神への――創造主への冒涜です! あなたは人殺し以上の極悪人です!!」
「それは言い過、」
アレウスは止めに入るクラリエを制止する。
「なにを一体、どうすればそのような思考に至れるのか、私には分かりかねます! 言われたから従った? 従ったら死体を食べていいんですか?! そうじゃないでしょう!? 私たちには絶対に侵犯してはならない規律があり、絶対に踏み越えてはならない人の境地というものがあります!! あなたは! それを言われたから、吹き込まれたからなどと前置きをして、ただ踏み越えただけの狂人でしかありません!! なんでそんな人が真っ当なフリをして生きているんですか!?」
これが正しい反応で、正しい言葉だ。この言葉があるからアレウスは罪の意識を残すことができる。赦されるなどもってのほかなのだ。
空気を読まないアイシャが、この場において一番のアレウスの理解者になりつつある。清廉潔白だからこそ、アレウスのやった全てが聞くに耐えない最悪の行いとして彼女の心に入る。そして、その誠実さが紡ぎ出す言葉がアレウスの心に突き刺さる。
「あなたから掛けられた言葉にほだされそうになりましたが、あの感情も間違っていた! そうに違いありません!! 皆さんはきっと騙されているんです!! きっと私たちもこの人に酷い目に遭わされる!! もう私は嫌なんです! そういったありとあらゆる穢れが! 世界にあってはならない歪みの元凶が!!」
アイシャは荷物を纏めて、扉を強く開け放つ。
「私はあなたみたいな狂人と一緒にはいられません! 心の醜悪さに、私まで気がおかしくなってしまいますから!!」
そう言い残して彼女は出て行った。
「私は、絶対に離れないから」
アベリアがアレウスに呟いた。
「……クラリエ」
「あたしでいいの?」
「アイシャを助けている君じゃないと、無理だから」
「分かった。でもあたしは、アイシャちゃんの言っていたこと全てがあなたに向けられるべき言葉だとは思わないから。だって、彼女は異界に安全に堕ちてきただけで、異界の怖さを微塵も知らないし、あなたが立ち向かってきた日々を見てきてもいないから。みんながアレウス君の敵に回っても、アベリアちゃんと一緒であたしも味方で居続けるから」
それだけを言い残し、クラリエは景色に溶け込んで消えた。
「罪のない、当たり前みたいな生き方がしたかったな」
もうどうにもならない人生にアレウスは、小さくイヤミを吐いた。




