『シオン』を名乗る理由
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「あんなにノリノリのアレウスは初めて見たかもしれない」
部屋に帰って早々に、愚痴のごとくアベリアが呟く。
「褒められ慣れていないからって、あれはやり過ぎ」
「やり過ぎってなにが?」
「私たちが止めないと最終的にお持ち帰りされそうな雰囲気になっていましたからね。あれ、本気で憶えていないんですか?」
「いやまさか、冗談に決まっているじゃないか」
全く記憶にない、とは言わない。褒め殺しにあって気分が高揚し、若干ながらに本来の自分を見失っていたのは事実だ。
「アレウス君は元来、人懐っこい性格なのかもしれないねぇ。敵意のない相手にあれだけ褒められると懐いちゃう感じ。なのにあたしたちが褒めても謙遜するだけで全く懐こうとしない辺り、タチが悪いんだけど」
「またお前がなにかやらかしたのか?」
「アレウスにもそのような一面があるのですわね……」
「むしろアレウスさんは男性に褒められる方が懐きやすい……?」
なんとか反論しようとしたが、なぜだかアベリアがテーブルを軽く叩いた時の音が普段よりも圧を感じるものだったので思わず黙る。
「それはそれ、これはこれとして」
話を切り替えたのは気を回してくれたのではなく反省することへの促しでしかない。私情にかける時間が勿体無い。なにに怒っているのかは教えないから自分で答えを見つけろという意思表示だ。ある意味で一番怖いため、自然と背筋をピンッと整えてしまう。
「どんな話が聞けた? 私はあんまり人と話さなかったから、外気に面している部分ほど霧の影響を受けやすいことぐらいしか聞けなかった」
アベリアの得た情報は既にアレウスたちがギルドで教えてもらったこととほぼ同じだ。
「あたしの聞いた話だと、クニア・コロル様は普段から政治を宰相に任せっ切りで、外に出歩いていることもあるとかないとか。でも、お付きの者もいないクニア・コロル様を見たって人はいないらしいよ。でも、そういう話がまことしやかに噂として出るってことは、城内から外部へ話を漏らしている家臣がいるかもしれないねぇ」
「私たちがこの都市に入ってから『城』という物を見ていないのは霧が濃いせいでも、魔法によって隠されているわけでもありません。城は陸地にはなく、海底街にあるそうです。海中の方がハゥフルは戦いやすいからでしょう。ただ、その海中で外部から見えないような魔法によって覆われていないかまでは話してはくれませんでしたね……まぁ、そこをハゥフル以外の人種に教えないのは当然です」
得た情報を開示していき、それらをアイシャが紙に書いて纏めている。
「ワタシたちも三人でちょっと出歩いたんだが、獣人の目撃情報は聞けなかったな」
「ですが馬車の往来や、その頻度について調べましたわ」
「輸出入は必ず検査を行っているそうです。この都市に入れるのは陸地では一つしかなく、それは城門のように頑丈で大きな物でした。夕方の六時前に鐘を鳴らし、六時丁度に閉じられるようです。開門は午前五時です」
「僕はその鐘の音を昨日、聞いたことがないけど?」
「それが……ハゥフルにだけ聞こえる鐘の音だと仰っていました」
「要はワタシたちみたいな外部から来た者への嫌がらせだな」
「閉まる時間や開く時間を教えなかったのは聞かれなかったからだと言っていましたわ。もしこの都市に暮らそうものなら、村八分にされますわよ」
「住んでいないんだから問題はないで……問題ないけど、露骨な嫌がらせが始まったらギルドに逃げるか、都市から出るか。それで、馬車の往来を調べてなにか分かったことは?」
相変わらず、クルタニカとリスティに対して敬語を使うべきか否かで悩んでしまう。使わずとも二人は気にしないだろうが、アレウスが気にしてしまう。この都市に来るまでの間と、都市に来てから設定という設定を加えすぎたせいで基礎が揺らぎ始めている。演技は複雑なものになればなるほど素人が手を出せるものではなくなるのだ。
「門番に聞いたところ、今日に限って言えば奴隷商人は入ってきていませんし、出て行ってもいないということです」
「それは嫌がらせでそう言っているだけじゃないのか?」
「あり得ない話ではありませんわね。体裁を保つなら、往来が無いと門番が言うのは当然ですわ」
なにもかもが健全であるかのように装って、娼館すらも望んでその職に就いているのだとでも言いそうな都市で奴隷商人の往来を外部の者に知られれば国の失態となる。
「でもワタシを見て門番がビビッていなかったってことは、そいつは獣人を都市内部で見ていないってことだ」
「商品まで調べはしない。なんにも知らずに送り出したとも考えるけど、検査はするって言ったよな」
「はい。違法な物が輸出入されていないかどうか、荷は確認するそうです」
門番は荷物を調べている。奴隷のことを隠しているとしても、それを目にする機会はあるということだ。それでノックスの姿を見ても怯えずに話せていたのなら、セレナは門番に見えないところに隠されていたか、本当にこの都市から出て行っていないかだ。
セレナが奴隷として運ばれていなかった場合、全ての憶測は無駄になる。だが、手元にある情報だけで物事を進まなければならないのもまた事実だ。
「僕が聞いた話だと、最近、港に見たことのない船が停泊していたらしい。不審船ってやつだ。ただ荷降ろしまでは見ていないから、なんの船かまでは分からない」
「奴隷商人が帝国の軍港を利用して入港してきた船……とも言い切れないというわけですね」
リスティは敢えて断言を避けた。
「確かに怪しいかもしれませんが、それはその人にとっては怪しいだけで、他の人にとっては当たり前の船だという可能性があります。目撃したのが船ではなく、着の身着のままの人が港に降りていたなら確信を持てますが」
「あたしたちも不審船の話はいくつか聞いたけど、やっぱり荷降ろしまで目にしている人は少ないんだよねぇ。船員が酒場に来てくれれば或いはって感じなんだけど、そういう人たちがわざわざあたしたちの働いていた酒場に足を向けるかって言えばそうじゃないし」
ハゥフルが内々で事を済ませたいなら、ヒューマンが働く可能性のあるようなギルド指定の酒場にはやって来ない。
「あとさぁ、割と今の体制をよく思ってない人も多いみたい」
「よく愚痴っていましたね。『クニア・コロル様は国を再興させる気がない』や『いつまでも閉じた国では、いずれ国ごとなにもかも奪われてしまう』みたいな」
「それと同じぐらいクニア・コロル様を讃える人もいたけどさ」
クラリエとリスティが聞いた話は政治性の高いものだ。あまり外部から興味を持って聞きに行くことではないためにアレウスは訊ねることさえ控えていた。
「どの国でも同じですわ。このまま停滞ではないにせよ、見た目として平和で、自然と暮らせている状態を望む穏健派。現体制を打ち破り、今までの常識を新たな常識で塗り替えることで発展を望む強硬派。過激な発想を立てるのは強硬派ですが、穏健派がその名の通り悪行を働かないと言えば嘘となりますわ。平和のために強硬派の有力者を暗殺ぐらい平気でやりましてよ」
「私たちも、利用される?」
「もし、なにかしらの政治の場に居合わせたらそうなる。そうならないようにしなきゃならない」
アベリアの疑問はアレウスにとっての不安でもある。
「僕たちが悪さをしない限りは酒場の主人や、酒場に来てくれた人のような外部の人に対してそれ相応の理解あるハゥフルもいる。けれど、僕たちがまるで悪さをしたような話がやってもいないのに出た場合、その感情は反転する」
「理解者を反対者に変えるのは難しいんじゃないですか?」
「そうでもないぞ。理解者の中に被害が出れば、その集団は簡単に反対の集団に変わる。ワタシたちはそうやって特にエルフたちに利用されてきたからな」
アイシャの問いにはノックスが答える。だがその視線はクラリエに向いていた。
この二人の中にある有耶無耶になったままのことは早めに解消しなきゃならない。相応の使命感にアレウスは押されているのだが、二人切りで話せる場を用意するまでは切り出すこともままならない。
「ノックスさんとクラリエさんて、仲が悪いんですか?」
何気なくアイシャが訊ねた。彼女には悪気などない。だが、悪気や悪意がなければ空気を読まなくても許されるわけじゃない。純粋だから、無垢だから。そんな言い訳で済ませていいものじゃない。こうして場の空気を悪くすることが今後も起こるようなら、近いうちにリスティに頼んでアイシャに釘を刺してもらわなければならない。それで少しはギスギスした空気になる可能性が減る。
「あたしは別に嫌ってはないよ。避けているだけで」
「……ちっ、もう黙ってんのも聞かねぇように我慢してんのも限界だ」
ノックスは舌打ちをして、クラリエに視線だけでなく体を向ける。
「お前はなんで兄貴の愛称を偽名にして使ってんだ?」
いつまでも抱え込ませていれば、いずれ溜め込んでいた物が爆発する。それをどう発散させるか、或いは解消するかについて気遣っていたアレウスの言動全てが無為に帰した。しかしこのことでアイシャを責める権利はアレウスにはない。なぜなら、クラリエはアレウスのパーティメンバーだ。そしてノックスが付いて来ているのもアレウスが作り出した人間関係から起きたことだ。そこにある不安要素を機会を窺いながらも放置し続けてしまった。そこを見ないフリをして彼女を責められないのだ。
「シオンって偽名、いくらでもあると思うよ?」
「いいや、お前は絶対にワタシの兄貴に会っている」
「会ってないって言ったら?」
「その口が真実を語るまで殴ってやる」
ノックスは自然と臨戦態勢に移った。
「……昔のあたしだったら、問答無用でこの喧嘩に乗ったけどねぇ。今はそういうわけにも行かないし」
対してクラリエは一切の構えを取らない。
「『シオン』って名乗り始めたのは、あなたたちが以前に言っていた“六年前”。場所は、あの終末個体のピジョンが潜んでいたダンジョン。その頃はあんな魔物は棲息していなかったけどね」
「“六年前”になにがあった?」
「ダンジョンの外――木の上から観察してた。叔父さんに付いて行って、表面上は実戦での訓練ってことになってた。叔父さんに見張られつつ魔物を一週間退治する生活。あのダンジョン近郊を選んだのは叔父さんだったから、なんでそこを選ぶことにしたのかまでは知らない。あたしは四日目で、かなり疲弊していて……そうしたら物凄く嫌な気配を感知して、でも近付くのも怖かったから木の上で様子を窺ったの。でもそのときにはもう全てが終わっていた」
「終わっていた?」
「あなたの言うところのお兄さんが息も絶え絶えで、獣人たちはダンジョンの頂上でみんな死んでいた」
クラリエがアレウスを見て、頭を下げる。
「御免ね、アレウス君。あたし、嘘をついた。あの場所は初めてじゃない。あの場所、あたしは行ったことがあるの。でも中に入ったことはなかった。頂上には外側から登って行った。全部が終わったあとの惨状で、生きている人を助けるために。あなたのお兄さんはさっきも言ったように息も絶え絶えで、いつ死んでもおかしくなかった。あたしにエルフの妙薬を作る技能が備わっていれば良かったけれど、当時はそんなものはなかった。叔父さんも『手遅れだ』と言っていたから、手の施しようのないことを知っていて処置しなかったんだと思うし、『すぐに離れろ』とも警告された」
「じゃぁ、なんで兄貴の死体がなくなった?!」
「当時とダンジョンの形状が変わっていたのも理由かなって考えたけど、そんなのはあたしの都合の良い解釈に過ぎなかった。あたしはあなたのお兄さんと話をして、助からないことを理解した上で立ち去るように言われた。でも、ダンジョンから降りても気になったからもう一度、木の上に登って様子を窺ったの。あなたのお兄さんは、なにか強い引力……いや、強い力に押し出されるようにして落ちた」
「落ちた……? じゃあ死体はダンジョンの外で、獣たちに喰われて、」
「ううん、そうじゃない。落ちたと同時に“堕ちた”の。地面に直撃するはずだったのに、異界の“落とし穴”に堕ちた。死体はなく、片腕だけが残っていたのはあたしが見たときには既に腕を切断されていたから」
ノックスが構えを解き、項垂れる。
「異界……異界かよ。それは、なんにも言えねぇな。なんの恩も義理もねぇ奴を追いかけて堕ちろとはワタシだって言わねぇし、堕ちようとは思わねぇ」
「それが普通だよね」
クラリエはアレウスに視線を少しだけ移し、すぐに戻した。
彼女を追ってアレウスは異界に堕ちたことがある。恩も義理もあったからこそ追いかけたに過ぎないが、彼女の中では別に恩や義理を押し付けたとは思っていなかったのだろう。
「あたしが嘘を言っているとは言わないんだ?」
「ワタシより頭の良いエルフが、嘘で異界の話を持ち出すわけがねぇ。もっと都合の良い言い訳ぐらい思い付くだろ……なんだ、ワタシはお前が兄貴を殺人に関わってんじゃねぇかと疑っていたのに、違っていたのか……セレナにも、ちゃんと説明しねぇと」
「あたしが見殺しにしたのは事実だし、あたしも疑われてそのまま襲われることを想定していたから……御免なさい」
「勝手に犯人だと思っていたのはワタシの方だ。ワタシの方こそ、何度も疑いの目で見て悪かった」
「……あたしが『シオン』って愛称を偽名にしているのは、そうやって疑う獣人たちの恨み辛みを集約するためでもあったけど、あと一つは……あなたのお兄さん――カッサシオン・シュランゲの遺言でもあったから」
「ノックスと苗字が違う?」
「ファングを名乗るのは群れの長になってからだ。それまでは産んだ母親の苗字を名乗るのがワタシたちのならわしだ」
「いや、話の腰を折って済まない」
まさかノックスがアレウスの呟きに反応するとは思わなかった。
「遺言ってなんだ?」
「『シオンと名乗ってくれ』と言われたの。そうすれば、獣人の中でカッサシオンが死んだ事実を知るのは遅くなる。遅くなればそれだけキングス・ファングの群れの統治は安泰するから。姿形は関係ないんだよ。ただ、『シオン』という名が――その言の葉が生きていることで、あなたのお兄さんは死を前にしても群れの安寧を願った。あらゆる人種の中じゃ『シオン』の愛称なんていくらでもある。でも、獣人たちにとっての『シオン』はカッサシオン・シュランゲだから。勿論、これはただの言葉の力に過ぎなくて、『シオン』を名乗っているのがダークエルフってバレたらそれまでの効果しかない。だけど、その言葉の力しか、あのときの彼には遺せなかったから。とはいえ、一時的にファングの血筋の『シオン』を語るダークエルフに怒りが向く効果もあるし、決して無駄ではなかったんじゃないかな」
「兄貴は、死んでも尚、その名で獣人たちに畏怖を与えようとした……か」
「……はぁ、これでスッキリした。ほら、あたしは全部話したよ。次は、アレウス君の番だよね?」
ズキリと胸が痛んだ。
「隠し事はもう駄目だよ。あたしがそうだったように、あなたも話して。その『蛇の目』の真実を」




