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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第6章 -守りたいもの-】
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普段は見せない姿

-十数年前――ある少年の記憶-


 戦争とは時に人を狂わせる。そんなことはこの世界に産まれ直す前から知っていたはずなのに、少年は再び戦禍に巻き込まれていた。


 死んで目を覚ませば別世界。おとぎ話のような本当のことがこの身に起こったことを幸運だと笑って過ごせていたのも数週間前のことである。その頃の少年はあるとあらゆる世界の光景を美しいと感じていたし、なによりも空気の清々しさと海の清らかさに興奮していた。


 なにせ、少年が少年として産まれ直す前の世界では海は悪しき物だった。穢れた水、腐った土壌、崩壊した都市、そして穢れた海から上陸する穢れた異形の生物。飲み水の確保すらも危うく、気を抜けば異形の生物に襲われて生きて帰ることはできない。そんな世界で少年は少年ではなく、青年と呼ばれるまでには育っており、少なくなった人類のコロニーの中で密やかに生きていた。

 あの世界にはこの世界と似たような道理があった。いわゆる魔法の概念に近しい物で、人々はそれを最後の武器として異形の生物との戦いに用いていた。中でも『水』は生きる上で必要不可欠な飲み水の確保と『土』と合わせることで食べ物を生育することのできる特別な力で、あの世界では最も重用され、恵まれた地位にすら立つことのできる絶対の力だった。


 “あの女”が世界に語り掛ける前までは――


 結果的に、青年は最終戦争に駆り出された。力を扱えるのなら、誰もが海から出でる異形の生物を滅ぼすための戦いに従事する。それが人類最後の抗いであり、最後の希望を掲げての突撃だった。

 青年に言わせてみれば「余計なことをしてくれた」だ。地位や名誉にすがり付きたいわけじゃない。ただ、滅んでいく世界でささやかに、人より優位な立場の中で、その世界では一応ながらの平和と思えるような環境の中で天寿を全うしたかった。それが青年が死に際の最期の思いだった。


 だから、この世界はこんなにも綺麗で美しいのだから、きっと産まれ直した自分にも素晴らしいことばかりが待っていると信じて疑わなかった。


 だが、世界は青年――少年を見逃しはしなかった。


 この世界でもどっちみち死ぬのか。だったらもう足掻くのはやめよう。


「お主はどこから来たのじゃ?」


 そのように命を投げ出そうとしたとき、少年は今までの人生で見たこともない姿をした少女と出会った。


 一旦、宿泊施設には帰って留守番をしている仲間に酒場の依頼をこなすことを説明した。さすがにアレウスたちが働いている中で、彼女たちだけずっと部屋にいろと言うわけにもいかないので、団体行動を心掛けて人気(ひとけ)のない通りを避けての外出の許可を出した。許可を出すもなにも、アレウスに行動制限を掛ける権限などないので、もっと言葉としては堅い物ではなく柔らかい物だった。


「給仕なんて冒険者がやることじゃないと思うんですけど。それこそ働き口を探している人たちが雇われるべきだ」

 その後、酒場に行ってそのまま待機室へと案内され、アレウスたちは男女で着替えを済ませる。

「ギルド側が私たちに気を遣ったんですよ。聞き込みと日銭を稼ぐ。そのどちらも両立できるのなら、これ以上ない依頼だと思います。それに、誰もが飲み食いに困らないように誰かの手を借りるような簡単な依頼もあるわけです。新人冒険者は遠征には行けませんからね。こういった労働者の方々と共にコツコツと稼ぎ、魔物退治のための準備を進めるんです。経験がないわけではないでしょう?」

「そりゃ僕は鉱夫の仕事も続けていましたけど……それこれとがどう関係あるって言うんです?」

 今年のシンギングリンは冬を越えるまで入坑(にゅうこう)の許可が降りない。雪が降ったことも相まって水分が染みてしまい、崩落の原因になる。そういった脆い箇所の崩落や危険性が判明してから採掘方向を変更する。そのためには雪解けを待たなければならない。

「いいじゃないですか、女装はどうにか勘弁してもらえたんですから」

「……男装している女性というワケの分からない設定が組み込まれた点について目を背けていませんか?」


 アレウスが酒場で働くのならと女装をギルドで提案された。この時点であのハゥフルの女性は頭がおかしいとアレウスは脳内で散々に罵倒したのだが、クラリエが乗り気になってしまって引き返せなくなった。

 だが、女装とは一体どこまでなのか。まさか下着やらなんやらまで女性物を身に付けなければならないのか。こんな服が透けることが前提で、下着ではなく水着を付けることが前提の都市であっても、もしそんなことをしたら自身は変態ではないだろうか。なによりどれだけ女装を試みようと誤魔化せない部分があるだろうと必死に主張することで難を逃れた――と思った。


「透けない服を着ることで真新しさを客に与え、男装を趣味とする女性という扱いで更に興味を持ってもらう。完璧でしょ?」

「完璧だと思うな。あと思わせるな」

 酒場指定の制服に着替え終えたクラリエはスカートをヒラヒラと揺らしながら姿見で胸元のリボンを整えている。

「でも酒場は空間だから、内部にまで霧が及ぶわけじゃないし、外で出歩いているより服が透けないからあたしたちは気持ちが落ち着くけどねぇ」

 彼女の着ている服は水着の上から着ているが、それが今のところはまだ見えない。透けにくい素材で編まれているのなら、なんでこれがこの都市で普及しないのは、先ほどまでアレウスたちが着ていた衣服よりも吸水率が高く、海で泳ぎにくいせいだ。やはり、この国のハゥフルは着の身着のままで海を泳げることを大前提とした衣服を好んでいるらしい。

 あとはアレウスたちが働く酒場がハゥフル以外の人種も例外なく数日間であれ雇う方針を打ち立てており、この国に逃げてきた浮浪者や戦争孤児にとっての最初の働き口としているらしい。コロール・ポートにはこういった特殊な店は他にもある。子供までも働かせるのはどうかと思うが、稼ぎが悪いと社会的弱者はお金の使い方を学べず、更にはより稼ぎの良い話と銘打たれた詐欺の被害に遭いやすい。中には臓器売買や誘拐といった犯罪にすら手を染めてしまい、そういった搾取する悪意から守るために窓口の広い働き場所が必要なのだとハゥフルの女性に強い口調で語られた。


「こういうところで働くの、初めて」

「僕が働かせてこなかったからな……」

 アベリアは容姿からして特に目を惹きやすいため、護身術を教えてはいても複数人の力で捻じ伏せられればどうしようもない。魔法での撃退も、相手が冒険者だったなら対処されてしまっては自己防衛すらままならない。だから一緒に働きに出たとしてもそれは狩猟であったり簡単な荷運びだったりとあまり人と接する仕事に就かせることはなかった。

「全部、僕のワガママだったけど」

「アベリアさんを見ていると自然と過保護になってしまう気持ちも分かりますよ。今回ばかりは見守ってもらいます。ですが、なにをされても黙って耐えてはいけません。私たちには人権があり、相手方に人権を無視する権利はありません。酒場の主人も店内全てを把握することはできませんし、そこまで手が回るわけじゃありません。なので、その手の輩の言うことをのらりくらりとかわす術はこれまでの間に教えたつもりです。あとは酔っ払ってや、事故を装っての接触は断固として阻止しましょう」

「なんで僕を巻き込んだかの説明はしてくれないと困るんですが」

「中性的な顔立ちを利用するときが来たんです」

「よく見たら男だと分かる程度にしか中性的じゃないんですが」

 中性的な顔立ちという表現の中にはいくつか段階があるとアレウスは思っている。異性の服装を身に付けてもやはり性別を誤魔化し切れない人と、同性の服を着ていても異性に見られてしまう人の二通りに分かれると思うのだが、リスティはそこのところを深く考えていない。顔を近付けられればアレウスの顔はどこかしら男らしさが見えてしまう。


 大体、心と体の不一致に悩む人も世の中にいるというのに、ふざけて女装や男装に手を出すのはあまりに気持ちの良いものではない。


「その顔は大層なことを言い訳にしてどうにかして現実を受け入れない方向で済ませられないかと思案している顔ですね」

「……その通りですけどなにか?」

「アレウスさんはウィッグを付けてしまえばほぼ見分けが付きませんよ。あとは股間を触られないように気を付けてください。私たち女性からしてみれば給仕をする上で身を守る部位はある程度決まっているのですが、あなたはそういうのを学んではきていないと思いますので」

「どうやったら学ぶ機会があると言うんです?」

「まぁ、もしバレてしまった場合はお抱えのメイドたちとの児戯として女装に手を出した酔狂な男性という方向で行きましょう」

 どう考えてもその方向で行くのは間違っているのだが、リスティの勢いを止められる気力がない。そして、彼女の言うことに賛成しているクラリエとアベリアも止めることもできない。


 三人揃ってウィッグを付けたアレウスを受け入れているのも理解しがたい。今まで個人的なワガママを押し付けてきたツケが回ってきたのかもしれない。


「もうすぐ時間だよ。ほら、行こうよ」

 クラリエは楽しげに待機室から出て行く。血筋の関係で人と接することを極力控えていた彼女だが、別に人と接したくなかったわけではない。意気揚々としている彼女に比べて意気消沈している自身のことを低く見てしまいそうになるが、妙な格好までさせられているのだから当然のことだと言い聞かせることでなんとかこらえた。


 そんな風に思っていたが、リスティとアベリアがアレウスを強引に連れ出して、酒場での労働は始まった。


 注文の取り方や金銭のやり取りは店主と、古くから店を支えている従業員に任せ、アレウスたちはそれ以外の料理運びや空になった皿の引き上げ、客が帰ったあとのテーブル拭きと、酔っ払った客が誤って落とした料理や酒の片付けなどに従事する。次第に要領を得たクラリエとリスティは注文も取り始めたが、アレウスとアベリアは変わらず裏方と呼ばれる仕事に徹した。接客から逃げているわけではない。適材適所である。アレウスもアベリアも人を苛立たせることを平気で言う可能性があるために接客を避けただけに過ぎない。やれと言われればやるが、やらない方が酒場の収益に貢献できる。なにも酒場の隅っこで床掃除をすることにやりがいを見出していたわけじゃない。それに、アベリアはなんだかんだでリスティやクラリエに声を掛けられて客の前に出ている。見た目が良いのだから使わない手はない。彼女を見て頬をほころばせて、陽気に都市のことを語り出す客も少なくなかった。


「お嬢ちゃん、こっちにも愛想良く笑ってくれや」


 一瞬、誰のことかと思ったがどうやらアレウスのことらしい。客に投げられた屈託のない笑顔に対して、アレウスは引き攣るような笑顔を向ける。


「良いねぇ、慣れていない感じが他の子よりずっと惹き付けるものがある」

「一緒に酒を飲んでほしいところだが、まだ未成年だろ?」

「まぁ、ハゥフル以外の人種の年齢なんざ一々気にしてなんかいられねぇけどなぁ」


 あらゆる人種を拾う職場は酒場以外にもあるようだが、さすがにこういったところにお酒を飲みに来る者たちは気性が荒く、種族主義を掲げる者たちばかりだと思っていたためにこの反応は拍子抜けだった。

「悪いことさえしなけりゃ、どんな人種だって俺たちは否定なんざしないんだよ」

 酒場の店主はアレウスの困惑に対してそう説明する。

「少なくとも、この酒場に来るのはどいつもこいつも癖のある連中ばかりだが、人種で相手を見下すほどのアホどもではないことは確かだ。よそよそしいところは態度にまで出ちまうが、ハゥフルって種族全てが他の人種に否定的なことしか考えていないとは思わないでくれ」

 料理をアレウスが手に取ったときに朗らかな笑顔を向けつつ、店主は調理場へと再び向かう。アレウスは料理をテーブルに運び、ハゥフルに感謝されつつ作り笑いを浮かべて誤魔化す。


「いやぁ可愛いなぁ」「男装も悪くないねぇ」「似合ってる似合ってる」「なるほどなぁ」「良い感じじゃないか」「綺麗だ」「美しいとも言うんだよ」


「…………えと」

「本気に捉えて、それらしいトーンで艶めかしく悩まないでください」

 横でリスティに咎められる。

「男性に褒められて嬉しいですか?」

「こんなに褒められたこともないので」


「……不覚でした。私たちは落とし文句や褒め殺しに耐性がありますけど、アレウスさんはそうじゃありませんでした。しかも男性的な容姿に対する評価じゃなく、女性に普段は用いられる『可愛い』や『綺麗』、『美しい』って言葉は縁遠いはずです」

「アレウスく……アレウスさんの中に眠る“男の中の女心”がくすぐられているんだねぇ」

「もしかしてアレウス……普段からもそう呼ばれたいの?」


「僕にこんな格好をさせている人たちが言うことじゃないよな。それと、僕はそんな風に褒められたって嬉しくもなんともないから」

 三人にそう告げつつアレウスは仕事に戻る。


「ねぇ嬢ちゃん? 見れば見るほど可愛いじゃないか」「どれくらい出せば君と一緒にお酒を飲めるんだい?」「馬鹿言え、こういう子はそういうサービスはやってないんだよ」「そうだぞ、みんなで酒を飲んでいる姿を見て笑っているところが良いんだろうが」「その良さを(けが)してはならない」


「そうやって褒めてもなんにも出ないんだからな!」

 アレウスは照れながら皿を回収する。その姿を見て客たちは更に褒め言葉を投げてくる。



 それから店が閉まるまで、おおよそ人に見せたことのない女らしい笑顔を振る舞うアレウスの姿がそこにはあった。

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