都市を覆う魔法
アベリアとリスティ、クラリエを連れてギルドへ赴き、昨日に担当してくれたハゥフルの女性と話し込む。宿泊施設は快適だったか、食べ物は美味しかったか。そんな話を聞いてくるが、それよりもアレウスは都市の水気や湿気の中で書物はどうやって管理されているのかが気になったためそれをそのまま訊ねた。
「コロール・ポートで書き物の大半は建物の外に持ち歩いてはいけないことになっています。その理由について説明する必要は……なさそうですね」
ハゥフルの女性はアレウスたちの表情から多くを語る必要はないと判断したらしい。
「都市を覆っている霧――水魔法は屋内にある書物にまでは影響を及ぼさないんですか?」
「……ここがギルドですので、あなた方には話しますが外で霧について調べようとはしないでくださいね。それと、」
「もし僕たちが外でハゥフルに詰問されることがあっても、あなたに教えられたと責任を擦り付けることもしません」
彼女も体裁や風評を気にする。ギルド関係者や担当者は多くの人種と接することが多いとはいえ、同族にまで嫌われてまで仕事をしたいわけじゃないはずだ。
「『一を聞いて十を知る』とはこのことでしょうか……いえ、これは誤用ですかね。帝国のギルドでの教えがしっかりしている証拠でしょうか」
「彼は年齢や見た目以上に物事への理解や許容が早いんです。彼でなければ、こうもスムーズにコロール・ポートを訪れることもできなかったと思います」
保護者のようにリスティが言う。担当者からしてみれば、冒険者は年上だろうと年下だろうと保護者の視点を抱くのも無理はないが、彼女の言い方はさながら“私が育てた”と主張しているようで、同時に誇りのようなものを感じた。そのせいかハゥフルの女性も一歩ほど後退した。それぐらいグイグイと押されるような雰囲気があったのだろう。
「この水魔法はコロール・ポートを守るために張られています。ハゥフルの肌を潤わせ、地上での生活に不自由さを感じないために霧に満ちています。深夜帯は場合によっては濃霧となり視界不良に陥ります。どれもこれも、外部からの襲撃から私たちを守るための魔法です」
「霧が守るんですか?」
「あなた方は霧によって周りが見えないと思いますが、ハゥフルの私たちはこの霧の中においても視界は明瞭です。それは夜においても変わりません。なので、襲撃者には見えずとも私たちには見える。これは圧倒的な優位性を持って対抗することができます」
アレウスの問いの答えはすぐに返ってくる。これでどうしてハゥフルたちが夜に酒場で馬鹿騒ぎできていたのかが分かった。この環境においても彼らはアレウスたちよりも辺りが見えている。夜に霧が発生すれば大抵は野盗や変質者に遭遇しないためにも外出しないものだが、霧があってもなくても変わらず視界が明瞭であるのなら出歩くことにさほどの恐怖も覚えないのだ。相手が見えていなければ外部の者で対処は難しくなく、互いに見えている者同士ならハゥフルであるために気を張る必要もない。霧が覆っているのはコロール・ポートだけなので、この街でハゥフルが悪さをすれば即座に身元が割れるだろう。
ヴェインの村でも家長同士での交流を深めることで互いに“間違ったことができない雰囲気”を作り出していた。あれも一つの相互監視の状態だが、この都市でも霧によって国民を守りつつも、国民たちでの相互監視を可能とさせている。それは魔法がもたらした思いがけないメリットか、それとも狙って起こしたことなのか。いずれにしても、外部からの来訪者に対して冷たくなってしまうのがデメリットになる。
「気付いていらっしゃると思いますが、この水魔法は有機物や無機物関係なく干渉するのですが例外があります。詳しいことまでは私たちのところまで降りてはきていないのですが、カビやコケの発生を抑制し、木材が極端に早く腐ることもありません。この点が、一部の地域で発生する気象としての『霧』と水魔法の一因で起きている『霧』の違いなのでしょう」
「と言っても、魔法は万全じゃない……と思う」
アベリアが口を挟む。
「どんな魔法も万能じゃないから、いくつもの種類がある。この水魔法が都市への水流の循環と霧の発生を起こし、ハゥフルにとって良いことばかりをもたらしているのなら、別のところでハゥフル以外の人種にとって不便なことも起こっているはず。それはきっと、ハゥフルにとっても困ることに繋がっていると思う」
「不便と申しますと、外気に晒されると途端に水気を吸ってしまうので、紙幣はどれもこれも使えません。代わりに金貨の大きさに複数の種類があるのがこの国の通貨の特徴です。ただ不思議なことに、ある種の空間――鞄やポケットの中では、いわゆる建造物や部屋といった認識になるのか水気を吸いません。ギルドへの書簡も筒に入れられていたことで水気を帯びず、入国手続きにおいて設置された大型テントは入国者のプライバシーを守ると同時に一つの空間を成していたので紙が濡れずに済んだのでしょう」
思えば換金所もテントによって空間を作り出していた。あの中では帝国の紙幣による換金が可能だった。この霧の効果が及ぶ空間についての認識がどこまで通用し通用しないのかを調べたいが、外ではそんなことをさせてはくれないだろう。
「武器が錆びるのに通貨は錆びないんですか?」
「それは条件付けだと思う。魔法は基点から条件、あとは色々と組み込むから」
クラリエの疑問はアベリアが答える。ハゥフルの女性よりも魔法を熟知しているのだから、彼女が答えられないわけもない。
「魔法は確か、基点と干渉、防御と射出……あとはなんでしたか?」
指折り数えながらリスティは訊ねる。
「拡散、炸裂、形成、収束、範囲、指定。範囲については形成も加えると包囲になる」
「じゃぁこの都市を覆っている水魔法は包囲に条件付けを施したものってことか?」
「だったらもうシンギングリンで経験しているものに近いじゃん……」
シンギングリンの“異界化”を起こした魔道具とコロール・ポートを包み込んでいる水魔法は似ている。タチが悪いのは圧倒的に“異界化”だが、魔道具の力も借りずに魔法だけで都市全体を包囲するのは魔力的に可能とは思えない。もしそれだけの魔力量を要しているのなら、それはもう人外だ。
「これを本当にクニア・コロル様が?」
「ええ、だから私たちは誰もが口を揃えて言うのです。『偉大なるクニア・コロル様』と」
カプリースの店で見たクニア・コロルは幼い見た目ながらに都市を守る魔法を維持できるだけの魔力を持っていたということらしい。
だが、アレウスは納得しかねる。常に魔法を展開しているのなら、もっと疲弊していてもいいはずだ。なのにあの少女は生き生きとしていて、精神に負担がかかっているようにはとてもじゃないが見えなかった。
「ハゥフルも年齢と見た目が同義じゃない種族なんですか?」
「私たちハゥフルは四十歳になってようやく見た目がヒューマンの成人年齢と同等と呼ばれていますね」
「四十……」
「驚く必要ないでしょ。あたしみたいなハーフエルフでも百年経ったって成人とか一人前って呼ばれないんだから」
「百」
「数字の大きさでドン引きするのはあたしは構わないけど、余所じゃ絶対にやっちゃ駄目だよ」
これも一種のカルチャーショックである。
「……気を付けるけど……なんかそういうものだと思ったら、すぐに受け入れられそうだな」
「相変わらず早いよね、アレウス君は」
「見た目と年齢がそぐわなくても、精神年齢はその限りじゃなさそうだけど」
ヒューマンより長寿であると精神年齢が高くなり、見た目が同等であっても赤ん坊を見るような感覚なのだろう。そう考えるとアレウスも『産まれ直し』である分、精神年齢が高くなっているために一般的な少年よりも話を早く解釈できるのかもしれない。同時に思考が長引いてしまって行動力が落ちているとも言える。
「それもあるけど、アレウス君は普通に有りの分類に入っているから」
「……なにが?」
「それは自分で考えなきゃねぇ」
肝心なところをはぐらかす。そしてアレウスも肝心なところを察することができていない。やっぱり精神年齢は肉体に紐づいてしまって同等になってしまっているのだろうか。
クラリエのせいで話が一気に逸れてしまったが、アレウスが見たクニア・コロルがどれほど幼い見た目であったとしても自身よりも長く生きているはずだ。身勝手にも見た目で魔力や能力について決め付けてしまった。想像を絶するほどの精神力でクニア・コロルという王女は魔法を展開し続けていると仮定ぐらいはしなければならない。何事も全否定から入ると大切な面を見逃すものだ。
「普通はそうやって年齢差や風貌を受け入れられないものなんですが、冗談抜きで言っています?」
ハゥフルの女性は作り笑いを浮かべながら言う。
「人の見た目なんて千差万別で人格だって様々です。大切なのは生きている目的と、なにかのために全力を出すことができるかどうかじゃないですか?」
「それはアレウスさんがまだ面倒な輩に会っていないだけですよ」
リスティに断言された。
「この世からいなくなって欲しいと思うような人柄や、人の嫌がることを生きがいにしていたり、あとは年上だからと気を遣えと年下に敬いを強制する輩……どれもこれも、あなたはまだ出会っていないからそう言えるんです。私はその人生を羨ましいと思う半分、物凄く不安定だなと思ったりもします。あなたはそういった輩に出会ったときに、どのようにしてストレスを発散するのか。考えただけでも、心配でなりません」
「周りが理解のある人たちばかりだからね。アレウス君の人格が成した人間関係とも言えるけど、大半の人はそういった内々の関係だけを築けない。昨日は元気にしていた人が、次の日にはやつれて死にそうになっている。別にギルドの依頼で死ぬ思いをしたとかそんなんじゃなく、外との開けた人付き合いで死ぬ気が唐突にやってくる。乗り越えた分だけ強くなれるけど、乗り越えることを強制されてそのまま死ぬ人をあたしは見たことがあるよ」
人並み以上に苦労している。これをアレウスは自負していたのだが、言い過ぎればそれはただの苦労自慢になる。
ただ、アレウスだって暢気に苦労を語りたくて生きているわけじゃない。それでもアレウスより長く生きてきた者たちの忠告だ。長寿を受け入れているクセに、これを拒むのは言い訳だ。
「精進します」
出てきた言葉は当たり障りのないことだったが、きっとそれが最適解だった。調子に乗ったことを言える性格ではないし、反論しようとすれば逆に諭される。だったらこの場にいる誰もが納得する一言が波風を立てない。
「彼、本当にまだ未成年ですか? その歳で『精進します』って言った子を私は知らないんですけど」
「ちょっと普通より感性がズレていて苦労もしますが、お陰様で助かっているところもあります。それで、アレウスさんたちのコロール・ポートでの活動はどこまで可能ですか?」
「そうですね……即日完遂型の依頼は大抵が冒険者ではなく一般の方々に向けられていますので、やはり周辺一帯の調査を含めた魔物退治が主になるかもしれません。別に数日かけての調査ではなく、付近にいる魔物を指定数退治していただければ報酬を払うタイプです」
「一般の方?」
「知っていますか? コロール・ポートには浮浪者や孤児はいないんですよ。都市全体でそういった方たち、子供たちを守ろうという声があがり、活動を通して最終的に海底街での仕事も含めて、全員が飲み食いに困らない生活を送れているんです」
訊ねた側のアベリアは、傾げていた首を元に戻さずにずっと訝しんでいる。
そりゃそうだ、とアレウスは意味もなく軽く肯いてしまった。真っ当な食事にありつけるだけの仕事が、どんな都市でも全体に等しくあるわけがない。もしあったとしても、それは真っ当な仕事では決してない。
だが、そんなことを言えばハゥフルの女性を怒らせてしまう。ここは黙っていた方が得策だ。思ったことはあとで共有すればいいだけなのだから。
「人の集まる場所ってどこかありますか?」
「酒場はいつも賑わっていますよ?」
「未成年が酒場に行くのはちょっと……」
「それなら、酒場での給仕の依頼はどうでしょう? 働いてお金をもらいつつ、この都市について色々と知ることもできますよ?」
「酒場で働くの?」
「ええ、でも一つ問題があるとすれば、酒場は見てくれの良い女性の給仕を求めているのでアレウリスさんが依頼を受けても通らない可能性がありますけど……」
ジッとアレウスを見つめ、なにかが解決したかのようにハゥフルの女性が手を打った。
そのときアレウスは心の底から嫌な予感がした。




