どこまで信じられるのか
店主と客。それ自体を演じることは難しくない。そもそも演じる必要もない。カプリースにはアレウスたちの素性を知られてしまっているが、それに不都合はない。冒険者としての素性を知られたところで、それはありのままの事実であり後ろめたいことなどない。断じて犯罪に手を染めているわけではないため、逮捕される筋合いもない。
そのため、一切の情報を互いに聞き出さないことを前提としたやり取りには違和感はなく、訊ねたいことを訊ねられない苛立ちが感情を逆撫でしてきたが、それもどうにか抑制することができた。
「どこまでが本当だと思いますか?」
カプリースの店から出て宿泊施設に戻る最中にアレウスはクルタニカに訊ねる。
「正直、クニア・コロル様があんなさびれた店にいらっしゃるとは思えませんわ」
アレウスも同じ意見だが、ハッキリと言い切れるだけの自信はない。
「ですが、ハッタリであったとしてもクニア・コロル様の名を騙ることができるのかどうか、わたくしには判断しかねますわ」
「度胸があり過ぎますからね」
「ええ。国内で名を騙れば、王女の品位を損ないましてよ。捕まれば処刑されるのが目に見えましてよ。ですから、仮に王女の名を騙る者であったなら、あの場ではわたくしたち以上にカプリースたちの方が犯罪に近しい行いをしていましてよ。バレれば死ぬ。そんな覚悟をしていたのなら別の話ですし、あれが王女の影武者である可能性も加味しなければなりませんわ。それでも街中を出歩くのは明らかにおかしくはありましてよ」
影武者はそもそも王女が暗殺されないように仕立て上げられた偽者だが、大衆の場に姿を現すのは不自然だ。暗殺者に王女には影武者がいることは知られてはならないし、影武者だって殺されたくて街中をうろつくわけではない。祝典、祭事、祭儀においてどうしても王女が出席しなければならず、その際に王女を狙う何者かによって攻撃を受けた際に身代わりになるのが使命となる。であれば、王女の与り知らないところで死んでしまっては元も子もないため、身勝手に動き回ることは制限されるものなのだ。
「証拠や根拠がない以上は、僕たちの前に現れたのが本物の王女と思うほかないんですかね……」
「頭の片隅にでも置いておく程度、ですわね。なんとかして王女本人を見る機会があれば、わたくしたちが気付けるかもしれませんわ。とはいえ、わたくしたちはしばらく動くこともままなりませんわね」
クルタニカはチラリとアイシャとノックスを見る。怒りを鎮めることはできたが、ノックスはカプリースに打ち飛ばされ、アイシャはカプリースの態度から埋め始めていたはずのトラウマを掘り返された。
ノックスはまだいい。王女か、或いはその影武者か、王女の名を騙る何者かによって妹の無事が確認された。これ自体が虚報である可能性も否めないが、彼女にとっては縋り付くことのできる希望だ。逆にアイシャは必死に自身を勇気付け、進もうとしていた足を止めることになった。自分自身を揺り動かしていたのは、ただの空元気だったのではという疑問が渦巻いているのが見て取れる。心の奥にある疑問が膨れ上がる前に払拭できるだけの心境の変化が訪れることを祈るしかない。アレウスは心の機微に疎い。こういったときに投げかける言葉をアレウスは知らない。船上で語ったことが全てなのだ。それ以上の言葉を見つけることはできそうにない。
それでも、あまりにもアイシャが弱々しいためにクルタニカに目配せをして彼女を支えてもらう。無意識に彼女を支えそうになっていたのは、やはり可憐さや可愛げに男心がくすぐられているからに違いない。そんな自分を精神的に抑え込めたのは大きい。ここでアレウスが触れでもしていれば、もうアイシャは異性を信じることができなくなっていたかもしれないのだから。
「お帰りーなにもなかった……ようには見えないねぇ」
宿泊施設に帰り、部屋の扉を内側から開けてもらう。クラリエが明るい笑顔で迎え入れてくれたが、アイシャとノックスの様子からすぐに探りを入れてくる。
「なにもなかった」
「いや、それはちょっと…………ああ、そういうこと」
アレウスの返事からクラリエは大体を察したらしい。カプリースがいたことも、その店で起こったことも口外無用なのだ。ただでさえあの男は水魔法で盗み聞きを得意としている。常になにかしらの監視が付いているのなら、部屋に残ってもらった仲間たちには容易く語れない。紙に文字を書いて伝えることもできるが、その動作をカプリースが伝言と受け取ったならやはり強硬手段を取られる可能性がある。
カプリースは『上級』の冒険者。対抗できるのはクルタニカだけ。そして彼女は前衛職ではない。あの男も前衛職とは思えないが、策を練るのは得意としている。人数有利をもってしても、策によって差が埋められなければアレウスたちは勝てない。
勝つ勝たないの話ではないのだが、もし争う形になった場合のことも踏まえての措置となる。
「ハゥフルの洗礼を受けてきた……ようにも思ったのですが、どうやら違うようですね」
「私にも話せないこと?」
リスティやアベリアも勘繰ってくるが、やはり話すわけにはいかない。
「今日は僕、野宿にするから」
これは心の安寧を得るためでもあるが、同時にアイシャの気持ちを鑑みての判断だ。大部屋で同性が多いとはいえ、異性への恐怖心を拭い去れていないのならアレウスがいない方が彼女は安心して眠れる。リスティも心の傷を癒やせるだろうし、アベリアも奴隷の話を聞いて心はきっと穏やかではない。そういった感情を落ち着かせるためにはやはり同性だけの空間で過ごすことが一番だ。少なくともアイシャとアベリアの不安要素は排除できる。
「本気で言っています?」
「本気で言っていますけど」
リスティに言われたことをそのまま返す。
「そこまでする必要はないんじゃない?」
「アレウスが気にするほどのことはないんでしてよ」
クラリエとクルタニカもリスティに同調する。
言ってもらえるだけありがたい。それだけ信じてくれている証拠である。
「いや、そうは言ってもやっぱり今日はやめておくよ。野宿が心配なら一室を一晩借りるぐらいなら、お金もそんなにかからないし」
「だったら私はそっちの部屋に行く」
「アベリア? 自分自身では知らないフリをしているのかもしれないけど、心はきっと不安定だ。嫌な夢を見たとき、発作的に男の僕を見て苦しむかもしれない。アイシャは似た境遇ではないけど、トラウマが強い。そういった面でも、僕はこの場に今日はいない方がいいんだ。明日や明後日、二人の調子を見て僕がこの部屋にいていいかどうかを判断する」
チラッとノックスを見るが、彼女はもうベッドに身を投じて眠りに落ちようとしている。慣れない場所で疲れているのは同じだが、彼女の中にあった張り詰めていた物が途切れたのだろう。二人とは異なり、安心感を一先ずは得たのだ。彼女も彼女でこちら側の話に下手に関わってこないところを見ると、それなりに気を遣っている。安心を得たことに対して咎める気もないし、アレウスが抱えている疑問を投げかける気もないためそっとしておく。
「んーじゃあ、なにかあったら真夜中でもいいからこっちに来るんだよ?」
「分かった。クラリエの感知の外には行かないようにする」
納得はしていないが、アレウスの言い分も分かるといった具合でクラリエに見送ってもらい、アレウスは荷物を取って大部屋を出た。
ロビーの椅子に腰掛けて、深く息を吐く。
「犯罪に手を染めていなくたって、捕まえることはできる」
冒険者は殺しても甦る。それはカプリースのみならず全国での共通認識となっている。ならば、“殺さない”という選択肢を取ればいいだけだ。アレウスたちはエルヴァージュによって帝国の庇護下ではある。ただし、決して帝国軍やエルヴァージュが傍にいるわけではない。この国にも法律はあるだろうし、それに則って裁判は行われているだろう。だが、他国の者にまでそれを適応する義理がない。
罪を犯していなくとも、罪をでっち上げて捕まえることはいくらだってできるのだ。甦らせないように生かさず殺さず、幽閉でもされれば永遠に外には出られない。
勿論、それが国交的に問題にならないわけがない。後先を考えられるだけの判断力があればそんな強権を発動できないものだが、一時的に無力化したいのであればアレウスたちを捕らえるのは策の一つとして挙げられているはずだ。アレウスが思うのだから、カプリースがこの策を考えていないわけがない。
影武者か、それとも本物かはともかくとして王女の傍にカプリースがいることで、かなり動きを制限されてしまった。
せめて店でカプリースに拘束されたのがアレウスでなければ、まだ手があった。あのとき、カプリースは自身が御することのできる範囲で、最大の強者であるアレウスを狙ったのだ。拘束して、人質にするなら強者よりも弱者が正しい。後衛職のクルタニカやアイシャならアレウスよりも適していると言える。
だが、『冷獄の氷』を宿すクルタニカをカプリースは拘束できないし、アイシャはアレウスの指示に従えるだけの判断力を持ち合わせている。されど、アイシャを拘束してもクルタニカとアレウスが協力して救出を行ってくるのは明白。
だからアレウスを狙った。関係性――最も複雑に絡み合った繋がりを持っていて、その場にいる誰とでも力を合わせることのできるアレウスを拘束することで、クルタニカとアイシャは身動きを取ることができなくなってしまった。
あの場にノックスがいなければ、カプリースのあらゆる要求を呑まされていた。あの男にとってノックスがいたのは完全なる想定外だったに違いない。だから『上級』であっても彼女の動きに遅れを取ったのだ。
「危機感は持ち続けないとならない。されるがままじゃ、後手後手に回る。なんとかして先手を打たなければ……」
セレナを保護しているとは言うが、本当に保護しているのだろうか。そして保護していると言っても、そこで真っ当な扱いを受けているのだろうか。そういったことを知るまでは、まだノックスから離れられない。この国に来たもう一つの理由であるヘイロン殺しの犯人探しに注力する時期では未だない。
「リスティさんが死ななければ、僕たちの中にはギルド関係者を狙う犯人はいないってことになるけど……どうなんだろう」
アレウスはどこまで自分とアベリア以外の仲間を信じることができているのだろうか。改めて一人になり、これまでのことを思い返しながら物思いに耽っていく。




