なぜ、ここにいる?
「目的は?」
「ぼくに質問できると思っているのかい?」
丁寧な口調で柔らかい物腰ではあるがヴェインとは似ても似つかない。カプリースの言葉はどれもこれも端々に悪意がある。困らせ、悩ませ、それらの態度を見ている。そして次に続く言葉を選別している。
人心掌握術の一種はアレウスも熟知している。港町事件では『異端審問会』が信仰心を煽ることによって人々を混乱へと導いた。だからこそアレウス自身も学んだが、決して結実するものには至らなかった。なぜなら、アレウスはあらゆる意味で人との関わり合いを拒んでいる。拒絶している者が人の心を掴み、自在に操るなど無理な話なのだ。
カプリースはどうだろうか? これまで帝国の防衛戦にだけ顔を出し、冒険者を駒のように扱ってきた。批判はあれど、そのやり方に最終的に多くが付いて行く。大なり小なり、人を惹き付けるものがあるか、人を引き入れる心の掴み方を知っている証拠だ。だからといって、ここで丸め込まれるほどにクルタニカやノックスの心が弱いわけではない。
「なにをそんなに怯えることがあるんだい? ああ、そうか。君は目の前で多くの仲間を助けられなかった。惨い仕打ちを受けている様をただ見ていることしかできなかった。その罪に怯えているのかい?」
だが、アイシャは違う。旧友の死、ヘイロンの死を経験してもクルタニカやリスティは自身という“個”を強く保てている。そのことで弱音を吐いたり、弱い一面を見せたりしないわけではない。決して心を許せない相手の前では晒さないだけだ。アイシャにはその“個”が――培われて身に着く、自信が足りない。アレウスすらも獲得するのに時間を要した自信を彼女がここに来るまでの間に得ているわけがない。
「男性への強い憎しみはあれど、それは欲の一部であると認識している。戦場で行うべき所業とはかけ離れていても、欲に囚われれば誰もが暴走することは神の代行者としては、懺悔するのならば受け入れなければならない。そして死によって断罪されたのなら、個人として強い恨みを抱くべきものでもない。頭では分かっていても、心が伴っていないんだろう? 分かる、分かるよ。ぼくにもそういう気持ちはあるんだ。心が伴わないことが多々ある。けれど、それは別に悪いことじゃない。間違っていることじゃない。まずはそんな自分を受け入れてみようよ」
「言の葉に惑わされちゃいけない!」
怪しい宗教活動家のようなことを言い出したために、アレウスは咄嗟に右腕を振るうがカプリースは一撃を避け、その腕を掴んで拘束する。
「君の利き腕は右だろう? 隠すために左手でも物を十全に扱えるように訓練しているみたいだけど、その右腕は『アーティファクト』だ。だから殴りたい相手を前にすれば右腕が先に動く。先に右手を動かす癖があるのは、いつもそっちの手に握る短剣に対して強い信頼を抱いていることも関係あるのかな」
「どこまで、知っている?」
「異界化間際と、異界化解放直後……かな。さすがに異界化されている中にぼくの“目”を忍ばせ続けるのは無理があった。君たちが異界に堕ちたときに忍ばせた“目”も機能していなかっただろう? それと同じだよ」
異界化が起きている最中のシンギングリンに入ることができていなかったなら、アイシャが戦ったガルダのことも知らないはずだ。なのに知っている。
「まさか、」
「ぼくが見たのは異界化解放直後に纏められたギルドでの報告会だよ。担当者の話もシンギングリンのギルド長の話も全部、見て聞いた」
その場にいなくともその場の大半のことを知る。カプリースの答えはアレウスが考えた通りのものだった。
カプリースはこの場にいながら、別の場所の情報を知ることができる。だから魔物の“波”をいち早く察知し、対策をしている街に姿を現す。そしてその姿も、カプリース本人ではない。リスティから『防衛戦』の報告されたとき、この男は水のように溶けて消え去ったと聞いている。アレウスも水の分身が消えるのを目撃している。
実体との導線がない水の分身だけで全てをやっているわけではない。カプリースは確実に実体との導線を繋いでいる水魔法の投影も行っている。そこでは見聞きしたことが実体に伝わっていると見て間違いない。
ここにいるのは、水魔法で作り出されたカプリースか? それとも本物のカプリースか? その疑問がアレウスの動きを封じている。右腕を拘束されているとはいえ、まだ少し暴れる隙はある。だが、実体ではないカプリースだった場合、攻撃を与えることはできずに事態は悪化してしまう。恐らく拘束されているだけでは留まらない仕打ちが待っている。自身だけならばまだしも、ここにはクルタニカもノックスもアイシャもいる。三人に危害が及ぶことだけは避けたい。
「要求を呑む」
「なりませんわよ!」
「この人は今、僕たちをどうにでもできる状態にある。別にやられたって構わないんだ。そうなれば店主を襲った事実が残って、外のハゥフルたちの証言によって今日じゃなくとも明日か明後日には犯罪者として捕まってしまう」
「くっ……忌々しい男ですわ」
「はははは、お褒めの言葉をありがとう『風巫女』であり『冷獄の氷』のクルタニカ・カルメン。さて、それじゃ君とのお話を済ませてから互いに演技を始めようか」
カプリースはアイシャを見つめて、優しそうな笑みを浮かべる。あくまで優しそうなだけで、そこに優しさなど包まれていないことなどアレウスならばお見通しだが、アイシャが見抜けるかどうかまでは分からない。
「口先だけの男はお呼びじゃねぇんだよ」
アレウスの右腕から手を離し、アイシャに近付こうとしたカプリースの首をノックスの骨の短剣が掻き切る。
「馬鹿ですの?!」
「こいつには臭いがしない。ワタシたちは対等な交渉以外に応じるべきじゃねぇだろ? こんな見下されながら交渉される筋合いはねぇよ」
「……獣に見破られるような魔法じゃ決してないんだけど」
「うるせぇ! ワタシはそこらの“獣”じゃなく“獣人”だ」
ノックスが店内で形が不安定になっているカプリースを更に切り刻んでいく。
「大体、あからさまに顔が怪しい。喋り方はまだしも声音が鬱陶しくて耳障りだ。嘘をついているようでついていない風に装う話し方も、優しさを見せているようで心の中では見下している笑い方も、優位に立った途端にわざとらしく隙を残して反抗の余地を残す煩わしさも! どれもこれもワタシの性分に合わねぇ!」
男を形作っていた水という水が弾け飛んで、店内には水溜まりだけが残る。
「まったく、荒々しい姫君だ」
ノックスの背後に現れたカプリースが呟き、反射的に振るわれた骨の短剣を片手で受け止めて、そこから注ぎ込まれた魔力で彼女を水の球に包み込んで店の壁まで打ち飛ばした。水が弾けて衝撃を和らげてはいたが、ノックスは床に倒れて動けていない。
「姫君だからこそ、その程度で済むんだ。これがアレウリスだったなら打ち飛ばさずに窒息死させている」
「チッ……今度は本物かよ」
「喋る気力があるか……獣人は頑丈だな。あまり争ったことがなかったからハゥフルにとっても脅威になりそうだ。今みたいな魔法が有効になるのかどうかは、まだまだ研究を重ねていかなければならないけれど」
「研究?」
「君の妹はぼくたちが買わせてもらった。様々な実験をしているところだよ」
「……っ! 口からデマカセだ、反応するなノックス!!」
「ぁああああああああああ!!」
「カプリースの術中にハマるな! わざと激昂させてお前を、」
制止も聞かずにノックスが力任せに起き上がり、俊足でもってカプリースの懐に入る。
「頭まで猪突猛進で助かったよ、“ケダモノの姫君”」
ノックスの骨の短刀とカプリースが構えた片手が触れる瞬間、クルタニカの放った冷気が駆け抜けて両者の間に氷の薄い膜を作り上げる。
「辺りがこれだけ水気に満ちていれば、あとは繋ぐだけでしてよ」
糸を編み込むように繊細な魔力の放出は両者の動きを完全に停止させ、ノックスに至っては両足を氷漬けにされている。
「あなたの言うところの店主と客のやり取りを越えていますわよ?」
「勢い任せにケダモノの姫君も殺してくれるかと思いきや、まさかここまで氷属性の魔法も使えるようになっているとは思わなかったよ。『冷獄の氷』は抑え切れないほどの代物だったんじゃなかったのかい?」
「あなたが仰ったカーネリアン・エーデルシュタインのおかげでわたくしはわたくしの中にあるこの力を見つめ直せましたわ。そんな穢れた水しか使えないあなたの水魔法には及びませんけれど」
最後に言い放った皮肉にカプリースが表情を険しいものとする。
「あら? 気にしていらっしゃったのかしら? まさかハゥフルの国にいながら、魔法で穢れた水しか生成できないなんてかわいそうですわね」
「分かりやすすぎる挑発には乗らないよ。あとでそれを言ったことを後悔させる機会は、今じゃないしこれからも訪れないかもしれないけど忘れずに記憶しておこうかな」
そう言ってカプリースは店の奥へと進む。
「商品をお買いになられるのでしたら、こちらまで持ってきてくださいませ」
店主としてカウンターに腰を下ろす。
「ああ、でも妹君を買ったのは本当だよ。そしてぼくたちは、」
「コラール・ポートの格をそれ以上落とすことは許さんぞ!! カプリース・カプリッチオ!!」
面倒臭そうな態度だったカプリースが背筋をピンっと張って、姿勢良く椅子に座り直す。
「二階で聞いておれば顰蹙を買いそうなことをベラベラベラベラとほざきおってからに!」
「いえ、ぼくは別に、」
「言い訳は無用じゃ!! 確かに獣人の姫君を買ったのは事実ではあるが、わらわはそのようなおぞましいことなどしてはおらんぞ!! それをありもしない嘘で塗り固めて……相変わらずじゃな、お主は!」
突如、二階から降りてきたハゥフルの少女にカプリースがしどろもどろになりながら話している。
「そなたは獣人の双子の姫君、その姉君に相違ないな?」
クルタニカが氷を解いて、やっと動けるようになったノックスに少女は怖れもせずに近付く。まだ興奮状態にあるノックスはちょっとした刺激で再び大暴れしかねないが、それも承知の上で訊ねているようだ。
「安心してよいぞ。わらわが妹君を奴隷商人から買い、城へと保護した。くれぐれに丁重な扱いをするようにと家臣には伝えておる。しかし、だからといってそなたたち全員をまとめて城に容易く入れるわけにもならんのじゃ。もうしばし待っていただきたい。このクニア・コロルの名において、けして無体なことはせんと誓う。どうじゃ? わらわに免じて、その怒りを鎮めてはくれまいか?」
ノックスの頬に少女は手を伸ばし、触れる。その手の感触か、それとも温もりか、ノックスは体中に滾らせていた怒りを鎮めて、深い呼吸を繰り返す。
「思慮深い姫君じゃ。そして力もある。わらわはそなたが羨ましいぞ……そなたの妹君も、誇りに思っていることじゃろう」
視線がアレウスたちに向く。アイシャは既にひざまずき、アレウスはクルタニカに無理やりひざまずかされて、更に頭を下げさせられた。
「此度の諍いは不問とする。カプリース・カプリッチオの行き過ぎた言動も形だけとはいえ許してやってほしい。こやつはわらわがおることで気が立っておったのじゃ。そしてわらわも、ここにおったことは誰にも知られてはならんことじゃ。じゃから、なにもかもを見なかったこととしてほしい。聞いてしまったことまでは無かったことにはできぬから致し方ない。じゃが、他言無用じゃ。破ればわらわは今度こそカプリースにそなたたちを拘束するように命じる。どのような手を使っても、という言葉を付け加えてな」
元はと言えばカプリースから仕掛けてきたことだ。それを不問だのなんだのと言われたところで溜飲を下げることなどできないが、クニア・コロルの名を出されてしまっては従うしかない。
「仲間……家族、どれもこれも……いや、思うだけ無駄じゃな。カプリース、わらわに視界阻害の魔法をかけよ。今日はもう城へ帰る」
「はい」
アレウスの横を通り抜けていく少女と、そのあとを追うカプリースが店の外へと出て行く。アレウスたちはゆっくりと立ち上がり、溜め込んでいた息を吐く。ほんの少し経ってカプリースだけが店内に戻ってきた。
「なにか買いたい物はあるかい?」
気さくな語り口で、カプリースはなんでもなかったかのように店主としてアレウスたちに訊ねるのだった。
―二人切りの時間―
「お主の言った通りじゃったな」
「また嘘をついているとでも」
「記憶に新しいからの」
「ですが、今回は嘘ではなかったでしょう?」
「『今回は』……?」
「……うーん」
「なぜ悩むのじゃ?!」
「彼らに気付かれる前に話は手短に話しましょう」
「わらわが嘘をついているかどうか顔色で分からせないために頭を下げさせたのじゃ。獣人の姫君に至っては憤っておってロクにわらわの言葉の真偽も判断できんようじゃったな」
「これで分かったでしょう? コロール・ポートに間違いなく獣人の姫君が奴隷として運び込まれていると」
「うむ、早急に事を急ぐ必要があるようじゃの」
「彼らが見つけ出してからでは全てが遅くなってしまいます」
「帝国の冒険者どものいいようにはさせん」
「ええ。この国を安定させるために獣人の姫君を手にし、交渉材料にします」




