慣れない土地にて
♭
「今のところ、どこからも担当者が殺された連絡はないな」
「はい」
「不思議なことに一切ありません」
「ギルドへの報復ならシンギングリンに残っている担当者を狙ってもおかしくないが、警戒が強まったことで息を潜めているのかもしれない。引き続き、警戒状態を維持しなければならない」
「ですが、いつまでも警戒を続けてはいられません」
「人間はいずれ疲れから気を抜いてしまいます。常に気を張り続ける窮屈さよりも、何者にも縛られずに動ける解放感では後者の方を選びたがるものです」
「それは分かる。だからこそ、安全を確約できる状態に持っていかなければならない。こんなことはギルドがやることではないんだがな」
「ギルドと言えば……帝都のギルド長が書簡を寄越しています」
「ヘイロン・カスピアーナの死についての詳細、及び担当者を狙った犯行の実態の解明。それらをまとめて帝都にも報告書として送れとのことです」
「こっちはそんな余裕はないんだが……いつぞやの『異端』を『異端審問会』と繋がっているか否かの判定のときに呼び付けた他の街のギルド長からはあれ以降、連絡がないというのに」
「シンギングリンのギルド長は風変わりで型破り」
「地盤を持たない成り上がりの話はよほど面倒なこと以外は無視してよい。そのように扱われているようです」
「頭の堅いお偉方は冒険者上がりの私が気に喰わないのは以前から知っている。『異端』と聞けば飛んでくるクセに、このことにはだんまりを決め込んでいる。結束力を高めなければ乗り越えられない危機だというのに、腹立たしいことだ」
「現在、帝国が抱えているギルド全体の問題です。やはり、ある戦役からギルド間での不毛な権力闘争が起こっているせいでしょう」
「逆にあの戦役以降、帝国軍の結束力は高まったと聞きます。所属している軍隊によって軋轢はあれど、立ち向かうべき敵をしっかりと見据えているために戦場では協力体制が敷かれるそうです。“異界化”において緑角が早々とシンギングリン近郊の防衛に当たれたのも、帝国軍の情報網が機能している証拠です」
「嘆いていても是正している暇はない。それで、捜査はどこまで進んでいる?」
「掴めている情報は限りなく少ないままです」
「ただ、聞き込みに合わせて神官の協力の名の元に一部の人々のロジックを覗き見ていますが」
「「複数の人々にロジックを書き換えられた形跡が残っています。履歴を辿ろうとしましたが、できませんでした」」
「それは、なんだ? 殺人の罪を人々に背負わせているのか? 冒険者に比べて、街の人々はロジックへの抵抗力がほぼ無い。無意識に人を殺すことを正しいことと思わされているのか?」
「認識の書き換え、誤認などは相当な能力者でなければ難しく、もしそうであったなら犯人は絞れはしますがあり得なくなります」
「たとえば我らやクルタニカ・カルメン、アニマート・ハルモニア、この街で一番大きな教会の副神官」
「そしてアベリア・アナリーゼとアレウリス・ノールード」
「その選定の仕方だと、私も容疑者か」
「はい」
「「ですので、我らは誰が相手であろうと『審判女神』が導くままに、犯人を断罪します」」
*
霧の中を歩けば自然と霧の視界不良、更には歌声という名の音色でアレウスたちを混乱させ、エウカリスの力を借りても脱出できないのではと絶望したヴァルゴの異界を思い出す。アニマートを加えたアベリアたちが救援に来ていなければ魂の虜囚だった。そんな経験がただの霧ならばまだしも、魔力を伴っているのだから心地良いのではなく気味悪さが加速する。ここは異界ではないが、やはり仲間とは離れ離れにならないように常に意識しなければならない。
「アレウス様、少々近くありませんか?」
「……いや、悪気があって近いわけじゃない」
密着ではないにせよ、連れている三人の顔を霧の中でも見える距離を維持しようと試みているのだが、分かっていても近くなってしまう。人には心を許している相手以外には絶対に近付いてもらいたくない体と体の境界線が存在する。仲間であっても、親友であっても、その境界線を越えられると傷付けられるのではないかという恐怖や不安を与えてしまう。そのため、アイシャはアレウスの接近を反射的に拒んでいる。加えてガルダの一件も合わされば、異性であるアレウスに嫌悪感を一切抱いていないのだとしても心が勝手に体を動かしている。
なんにせよ、図々しく境界線に踏み入ろうとしているアレウスが全面的に悪い。釈明すれば理解してもらえるだろうが、理由を盾にして女性との距離を無理やり縮めるのは甘えが過ぎる上に軟派にもほどがある。しかし、アイシャから目を離すなとリスティから言われているために遠ざかるわけにもいかない。
「見失ったら大変だと思って」
だから軟派ではあるが、理由を盾にする方を選ぶ。仲間を守るためならばこれぐらいはどうってことない。誤解はアイシャとの関係がこじれてしまわなければあとでいくらでも解ける。
「あ……そうだったんですか。夜も相まって見えにくさが凄いですからね。お互いに気を付けましょう、アレウス様」
そう言ってアイシャは急激に離した距離をほんの少し詰める。それでも充分に見えているので、これ以上の接近は控える。つまりはアイシャがアレウスに許した心の境界線なのだから。
「ランタンの油が切れたら真っ暗闇に加えて霧に阻まれますわ。話している暇がありましたら、光が多く灯っている道に出ますわよ」
暗闇の中でランタンに火を点けるのは難しいことには難しいが、冒険者なら誰もが当たり前のように出来ることだ。クルタニカが危惧しているのは、ランタンに灯す前に火種が霧によって掻き消されてしまうことだ。雨の中で火を起こすことと同義とまでは言わないが、それぐらいの難度まで上がってしまっている。そのときはアレウスが着ている服を協力して雨傘代わりに持ってもらい、更に一人が三人と密着することで狭くとも湿気から逃れる空間を作り、その下で最後の一人が火を点ける。対処法まで分かっていても実行に移すのは簡単ではない。アレウスの精神もそうだが、濡れた衣服同士での密着は気持ち悪さが拭えない。ただでさえ自身の体に張り付いている濡れた衣服の気持ち悪さを拭い去れていないのに、この感触が増えるのは鳥肌が立つ以上の拒否反応が出てしまいそうになる。まだこの文化に慣れていない証拠だが、まだ一日も経っていないのに適応できるわけもない。
「ちゃんと付いて来ているか?」
後ろに気配を感じるノックスへ声を掛ける。
「一々言わなくたって離れたりしないっての。こんな右も左も分からない海を渡った先で大暴れできるほどワタシも馬鹿じゃねぇし。場合によっちゃ置いて行かれたらワタシも終わりだ」
その場合、シンギングリンも終わるのだがノックスにとってヒューマンの街は心配に値する場所ではないようだ。度々、獣人らしからぬことを言うために忘れがちだが一度はシンギングリンに攻めてきた相手だ。価値観の違いに気を付けなければ、思わぬところで逆鱗に触れてしまいそうだ。
「獣の頭にも知能はありましたのね」
「鶏は三歩進んだら覚えたことを忘れるって本当か? お前にもそんな鳥頭が遺伝していたら心配だな」
相変わらずノックスとクルタニカは牽制し合っているが、それだけで済んでいるので放っておく。
アレウスたちにとっての目標であっても、彼女にとってはセレナを救うことこそがこの旅で一番重要なことだ。そこをないがしろにしてはならないし、セレナを救ったあとのノックスへの対応も間違えてはならない。
悩みが更に増えてしまったが、あとで寝る前に整理すれば大半は片付く問題だと楽観的に考えることにする。
「ひとまず、明るいところには出ましたわね」
しばらく歩いて、アレウスたちは恐らくだがこの街の大通りに出た。夕食後の時間帯だがレストランはまだ開いており、ハゥフルたちの話し声や笑い声も聞こえてくる。この通りでは一番の酒場なのだろうその付近は特に活気に満ちている。だが、ハゥフルだけで盛り上がっているところには近付き辛さもある。やはりこの街に来て早々に酒場に赴くような勇気を出さなかったのは正解のようだ。
「いずれは行かなきゃならないけど」
「今日はここからどうしますか?」
「土産――工芸品や民芸品を置いている店に探そう。できるだけこの大通りから外れないところにあるといいけど」
アレウスはクルタニカから紙を回される。『ハゥフルから睨まれている間はロクに聞き回れない。とにかくわたくしたちが危害を加えないことを分かってもらうまでは目立った行動は控えるべき』と書かれている。
ギルドがあったということはハゥフルの冒険者がいる。アレウスたちの話に聞き耳を立てられていたら終わりだ。そのために急遽、走り書きをした紙を手渡してきたのだろう。紙が次第に周囲の湿気を吸ってクシャクシャになり溶けていく。
人体に対する霧が与える水気と、物体に与える水気が異なるように感じる。鞄に入れてさえいれば紙は無事であるのに、外気に出せば途端に駄目になるのは魔力によるものか。いずれにしても、常に物体には水気を帯びさせておきたい理由があるはずだ。だが、それを確かめようとすれば真実に辿り着いた頃に捕まるだろう。
「これだけ湿っているのに木々が腐ることなく組み上げられているのは不思議です」
木造ではなくレンガ造り――道は石造りで舗装されている。それらを重ねて固めている接着剤の材料はなんなんだろうか。いずれにしても木箱や木造のテーブルなども見えるため、全てが全て湿気防止の造りになっているわけではない。なのに木造の物が腐っている様子が見られない。長年放置せず、常に新しい物を置いているのだろうか。それは森林伐採の観点からも、支出の面からも得策ではない。
「歩けば歩くほど謎が深まるばかりだ」
「謎っつーか、大半がこの霧の効果で片付けていいものかどうかで悩んでいるってことだろ? あんまし考えても仕方がねぇから、土産を買いに行くならさっさと行こうぜ」
まさに、この街で起こっている不可思議な現象全てを“魔法の霧”で片付けていいものなのか。そこにアレウスは囚われていた。魔法は確かに強力だが万能ではないのだから。
しかし、色々と嗅ぎ回っているように辺りを見回していれば怪しさは増す。ノックスがアレウスたちの戯言に付き合ってくれたことに驚かされたが、好奇心と推測しようとする思考を抑えつつ、土産物屋を見つける。こういった店があるということは観光に来る者は少なからずいるということだ。
「ごめんください」
アレウスは先頭で扉を開き、店内に向けて声を発する。外には営業中の看板もあったため、閉店しているわけではない。しかし店員の姿はどこにも見えず、工芸品や民芸品が店内には並んでいる。
「鱗……の首飾り?」
「こっちは玉飾りですわね」
「ハゥフルの鱗は光沢があって強度を持つ。剥がれ落ちても腐らず磯臭さも次第と抜けていく。邪気を祓うお守りという体で売らせてもらっているよ。そっちの玉飾りはいわゆる装飾品。身に付けていれば水魔法の威力を軽減する……冒険者さんに人気なんだよ。ねぇ、アレウリス・ノールード?」
「お前は……!」
「千客万来と言いたいけれど、店主には客を選ぶ権利があるんだよ。ぼくの言葉一つで外で酒を飲み、酔っ払って良い気分になっているハゥフルは一斉に君たちを取り押さえてくれるだろうね」
「動くことは許しませんわ、カプリース・カプリッチオ!」
アレウスの背後に立った男の名をクルタニカが指差しながら口にする。彼女は杖を宿泊施設に置いてきている。だとしても指先を杖代わりにして、小規模の魔法なら唱えられる状況にしているのが分かる。
「久々の邂逅に、まさかの脅し。可愛らしい姿に荒々しさを秘めている。その美しさを貪りたい」
「ひっ!」
生理的に受け付けないとばかりにアイシャが悲鳴を上げた。
「安心してよ、扉は開いているように見えて閉じている。ぼくの魔力が幕となって外とこの店を遮断しているってことさ。ただこれをやるとあとで怒られてしまう。甚だ、面倒な輩が来店してしまったものだ」
「お前がどうしてここにいる?」
「おや、気付いていなかったのかい? ぼくは元からこの国のヒューマンだ。この国で育ち、この国のために生きている。帝国のギルドに所属しているのは帝国全体の動きを把握したかったから。つまりはスパイだよ」
「自ら明かすんですの?」
「いや、この場で会ったならもう明かす明かさない以前にアレウリスはその答えに行き着く。それぐらい聡い子だと僕は思っているよ」
「じゃぁ、魔物の“波”による襲撃の依頼だけをこなしていたのは、」
「帝国全体の冒険者の強さを推し測るのと、各地の貧富の差や命の価値を調べるには危機に瀕している街や村を見るのが一番だからね。あとは……ぼくが上級冒険者である権力によって『死ね』と言ったら死ねる冒険者を利用して、戦力を削ぎ落としたかったからだよ。一体どれくらいの冒険者が『衰弱』から復帰できずに辞めたかは知らないけれど、ハゥフルの痛みに比べれば大したことないだろ?」
アレウスの思考を先読みしてカプリースは事実を告げてくる。
「お前……!」
「元はと言えば帝国が禁忌を破って冒険者を戦場に出したからだ。今はまだ手を出してくる気配がないけれど、またいつ同じようなことをしでかすか分からない。だったら冒険者の動静を調べ上げておいて、手元に書き止めておいた方がいいじゃないか? “波”で死んでトラウマを植え付けられてもらっていると助かる」
「それ以上のお喋りは許しませんわ」
「『冷獄の氷』……だったっけ? それ、カーネリアン・エーデルシュタインが傍にいないと扱い切れるか分からないからまだ発揮できずにいるんだろう? それとも風魔法で僕を吹き飛ばすかい?」
「どこまで知っているんですの?!」
「さぁ? どこまでだろうね? ひょっとしたら、どこまでもかもしれないよ。なに、そんなに様々な表情をぼくに見せなくてもいいんだよ。ぼくはこの店の店主、君たちは偶然にも訪れた来客。なにもぼくに訊ねず、その形を維持してくれると言うのならぼくは君たちになにもしないし、外に助けを呼んだりもしない」
カプリースは強硬策を取るような性格じゃなかったはずだ。むしろ丁寧な口調で相手を激昂させ、心理的な揺さぶりをかけて組み伏せ、嘲笑う。策士のようで、しかしながら策士と呼ぶには邪悪が過ぎる思考の持ち主だ。ここでカプリースに従えば、その揺さぶりに全員が呑まれてしまう。
「さぁ、どうする? 君たちの大好きな駆け引きだ。好きに選んでくれていいよ?」




