たった一人での捜索
怒りを発散しようとしたアベリアをなだめつつ、アレウスはノックスが食べ散らかしている食料を回収する。あれもこれもと手を付けられているが、素手でかぶり付いた部分だけ切ったり、千切ったりすればどうにかなりそうだ。
「なにをそんなにピリピリしているんだ?」
「口の中に雑菌がどれほどいると思う? 防菌を兼ねてこその保存食なのに、菌が繁殖したら食べられなくなるだろ」
塩漬けにした物は浸透圧で微生物も生存し辛い環境のため、多少の雑菌が混じっても繁殖はできないだろう。だが、乾パンに関しては唾液という水気のせいで確実に菌が繁殖するため、こっちは早々に処理した方がいい。
「私、その子嫌い」
プイッと拗ねた感じでアベリアは言う。食べ物の恨みは怖ろしいと聞くが、アベリアはノックスにとんでもないことをしでかさないかとヒヤヒヤする。こんな、勝手に人の家に上がり込む礼節を欠いた相手でも一応は獣人の姫君だ。勝手に食べ物を物色されたことを起因としてヒューマンと獣人が開戦するキッカケを作ったなどとなったら後世の歴史家に鼻で笑われてしまう。
「獣風情がなにをしに来たんですの?」
「はっ、鳥風情に言われたかないな」
「わたくしはあなたと違って、勝手に人の家の物を物色したりしませんわ」
「喰わなきゃ頭が回んねぇんだよ」
「逆ギレなさるとは、なんと浅ましい」
「お前みたいな鳥頭にだけは言われたくないな」
「私が鳥頭だったらあなたは獣頭ですわ」
「うるせぇ」
「うるさいのはそっちですわ」
張り合いの程度が低すぎるのでアレウスは二人のやり取りを無視して、保存食の処理を続ける。
「二人とも静かにして」
次になにかを言えば容赦なく魔法を放ちそうな気配を漂わせるアベリアの言葉によってノックスとクルタニカは静かになった。怒られて静かになるのならそもそも喧嘩しないでほしい。それはそうと、アベリアはまさか食べ物の恨みと引き換えに借家を焼き払うつもりだったのだろうか。
この状況で誰か一人はまともだろうと思っていたが孤立無援なようだ。そして、アレウスはこの三人の女性を上手くまとめる力はない。普段、パーティにおいては存分に発揮されるリーダーシップもプライベートとなると形なしとなる。
一対一は慣れている。しかし人数が増えると圧に負ける。三人ともなると『ここに居ていいのか?』と思い始め、圧に耐えられずに外へ退避しようとすら考える。もう既に体が勝手にそっちに動き出しそうになっているのを必死にこらえているわけだが、保存食の片付けを終わらせるのが怖い。手持ち無沙汰になれば自然と会話を迫られてしまう。圧に敗北する前に逃げ出すのが本当に得策なのかもしれない。
「なにをしに来たんですの?」
改めてクルタニカがノックスに問う。先ほどの小馬鹿にした感じはない。
「……いやー、あんまり複数人に言うのも憚られるんだよなぁ」
ノックスは視線を泳がして一度だけアレウスと目を合わせるが、すぐに逸らす。
「……セレナを見なかったか?」
逡巡の果てに意を決し、ノックスは自信なさげに訊ねてきた。いつもならもっと高圧的なところだが、言葉の端々には不安さが窺い知れる。不安が彼女の自信を押し潰しているようだ。
「お前の妹か?」
会話に入るのは気が退けたが、尻込みする以上に彼女が気掛かりになった。
「それくらい知ってんだろ。で……お前たちと一緒に酷い目に遭ったあとなんだが、どうにも気に病んでいて……あいつ、父上になにも言わずに集落を抜け出したんだよ」
「それは、非常にマズいですわね」
「私と違ってセレナは才能があるし、優秀だし、多少のことなら目を瞑ってもらえるんだが……さすがに帰って来るのが遅いから、父上の機嫌が悪くなって……私が探しに行くことになった」
「お姫様がお姫様を探しに行かされるの?」
素朴な疑問をアベリアは持った。ノックスとセレナは獣人には珍しい双子の姉妹であり、同時に姫君だ。だったらもう一方は安全な場所に置かれるものだ。
だが、獣人の後継者争いは実力至上主義なのだろう。これがヒューマンの姫君であったなら長男は寵愛を受け、次男は長男にもしものことがあったときの代用品となる。そして長女や次女なら国と国の友好のために政略結婚の材料にされる。場合によっては長女も国に残りやすいが、それは男児に恵まれなかった場合に限られてくる。
セレナはノックスに比べて実力が伴っている。だから双子の妹であっても獣人の王は重用し、そして寵愛しているということだ。
「私のことなんて期待してないから……私はセレナと双子だし、なにかと感じ取るものも違うだろうということでそうなった。大事にもしたくないから、集落のみんなを動かすわけにもいかないらしくって」
「王様に言われたから探しに出た、ということにしたいんですの?」
クルタニカは呆れ気味に言う。
「あなたの意思は別にありまして? 妹がこのまま行方不明になれば王様から寵愛を受けるようになるなどとは、」
「そんなことは考えたこともない!」
テーブルを叩いてノックスが言葉を遮る。
「ワタシは、本当にセレナが心配で……! 父上に進言したのはワタシだ……まさか、一人での捜索になるとまでは思いもしなかったが……」
「そこが想定外だったんですのね。キングス・ファングの娘が行方知れずなどと知れたら他の獣人たちや、土地を取り合っているエルフやドワーフに付け込まれてしまいますもの。そのように見られるよりも、姫は姉妹揃って集落を出て学びに出ているという名目にしたかったのでしょう」
大切な娘となれば捜索には大人数を投入するだろうとノックスは考えていた。だが、その予想とは裏腹にたった一人での捜索を任されてしまった。心細さと王からの信頼の低さが同時に彼女を苦しめている。
「匂いを辿ったから、この辺まで来ているのは確実なんだ。でも、ここから先が途絶えている。どうしたもんかと思ったら、憶えのある匂いが残っていたから……頼るつもりではなかったが、妹の行方ぐらいは訊いてもいいかな、と。誰もいないから、待つことにしたんだが、ここ数日は飲まず喰わずだったから……つい、手が勝手に」
悪びれもしていなかったように見えたが、あれは罪悪感の裏返しだったらしい。もっと素直ならアベリアはともかくアレウスが怒ることもなかっただろう。
「事情は分かった。でも、僕たちはセレナを見ていない」
「私も、見てない。だからって、食べ物を勝手に食べるのは駄目」
アベリアはノックスに冷たく言いつつも、鹿の生肉を取り出して彼女に渡す。
「ちゃんと言えば、怒らずに渡せたのに」
「……すまない」
空腹の辛さを知っているからこそ、アベリアは怒りを封じ込めた。ピリピリとしていた雰囲気は和らいだが、一転してしんみりとしてしまう。そもそも見知った相手が殺されたあとでは、どのように繕ったところで和やかな雰囲気になどなりはしないのだが。
ノックスたちの問題に関わっている場合ではない。アレウスたちはもっと危険な状態にある。だが、これで帰してしまっては彼女は行く当てもなく辺りをさすらうことになってしまう。セレナを見つけられずに帰れば、王の怒りも計り知れないだろう。
「街には入るな。獣人は目に付きやすいし、シンギングリンは他種族に対して物凄く敏感になっている。顔を出せば事情を知らない冒険者に捕まえられてしまいかねない」
「アレウス? まさか獣風情に情けをかけまして?」
「そんな場合じゃないことぐらい僕も分かっているけど、ノックスを放っておくとそれはそれでマズい。ここに来られてしまった以上、王の怒りの矛先がシンギングリンに向きかねない。だってノックスは、セレナの匂いがこの辺りで途絶えていると言った。拡大解釈されて、シンギングリンが獣人の姫君を人質に取った――最悪、殺したなんて話に向かったら……考えたくもないことが起こってしまう」
「よくよく疑いをかけられる街ですわ。それぐらい存在感が強まっているとも言えますが」
「私たちで街の人に聞き込みをするの?」
「リスティさんにしか訊けないし、あとはそうだな」
アレウスは口元に手を当て考える。
「異界化している最中、付近を緑角の軍隊が防衛していたらしいから、もしかしたら目撃しているかも。まだシンギングリンに駐屯しているなら、どうにかして聞く機会を得られれば、ってところか」
「え、いや、手伝ってもらうつもりはなくて」
「こっちだって手伝いたくはないんだが手伝うしかないんだよ」
「ご自身がなにをしでかしたか、よく理解しましてよ」
ノックスがセレナの匂いを辿れたのなら、獣人の王が暮らす集落にいる獣人の大半はセレナではなくノックスの匂いも辿れるはずだ。急遽、連れ戻さなければならないようなことがあればそれこそ彼女たちの知り合いが追いかけてくるはずだ。そうなるとノックスの匂いが付いてしまったこの借家は真っ先に怪しまれ、続いて導線として繋がっているシンギングリンも怪しまれてしまう。
「私たちが雑にあしらえば、獣人とのいざこざに私たちだけじゃなくて街も巻き込まれちゃう」
「せめてどこかで落ち合うようなことができていればな」
「あ……う、悪い……本当に」
自信の無さがあまりにも表に出過ぎている。この獣人は本当にアレウスの首を掻き切ろうとした獣人だろうか。一度目は戦い、二度目は敵対しつつもなんとか共闘関係を構築したというのに、三度目にこれでは心配の方が大きくなってしまう。
出来ることなら、手合わせぐらいはしてもらいたかった。なにも言わずに手合わせなどすれば殺されかねないので、ノックスの了解を得てからの話ではあるものの、とにかく自分自身が強くなったのか否かの指標が欲しかった。アレウスの強さの第一目標はノックスに追い付くことなのだから。
「安心して。アレウスは心が狭いから」
「……聞き間違いかしら。全然、これっぽっちも安心できるようなことを言っておりませんわよ?」
「狭いと遠巻きも近いから手厚く助けてくれる。広いと遠い人のことには目を向けなくなるから」
アベリアは心の広さや狭さではなく人間関係の距離感のことを言っている。確かにアレウスは人間関係を狭めることで、信頼を置ける人を選り好みし、救いたかったり助けたかったりする人の数も限定している。別にそうしたかったわけではなく、心が狭いことは真実で、人間関係だってそこまで広くしたいと思わなかったからそういう風になってしまった。だが、この理論を適応するとノックスにまで手を差し伸べなければならなくなってしまう。
そうやってズルズルと大きなことに巻き込まれる。ノックスに関わればきっとロクなことにはならない。
しかし、こんな弱々しいノックスを目の当たりにしては目を背けることはアレウスにはできない。
「僕たちはもうすぐこの街から拠点を一時的に移すことになるかもしれない。それまでのほんの少しの間になってしまうけど」
「一時的に移す?」
「街で殺人があったのですわ。それもわたくしたちが頼るギルドと呼ばれる施設の大事な大事な人の命を奪うことが」
「犯人の凶行からの退避みたいな感じ。あなたも、集落の近くで仲間が死んだりしたら怖いでしょ?」
「そうだな。そういうことがあると、大抵は集落ごと動く」
「私たちは危ないから一時的に散って、危険が去ったことを確認したあとにまた戻る」
獣人の生活については諸説あるが、遊牧民族のように生活するという説が濃厚だとする本があった。獣人の王が生活する集落はどうやら、その本の通りらしい。全ての獣人に言えるかどうかは分からないが、彼女たちに話を合わせればこちらの生活様式も理解できるようだ。
「でも、僕たちはもしかしたら街に留まることになるかもしれない。そうなったら、もうちょっとだけ長く君の手伝いができるけど」
「本当か? ありがとう!」
なにをそんな素直に感謝しているんだ。
アレウスはノックスの直球の感謝に動揺する。まだ妹の居場所が特定できたわけでもないのに元気を取り戻した。
「相変わらず、可愛い子に甘いですわね」
「可愛い?」
クルタニカは機嫌を悪くし、アベリアは首を横に傾げる。
「からかっているなら怒るぞ」
「いえ別に」
「あんまり仲良くするのは駄目」
仲良くなりたい理由は全くとしてないのだが、どうしてそのように受け取られなければならないのかとアレウスは嘆息する。
「かわ……? いや、ワタシは可愛くないし……」
照れている。ノックスの意外な一面にたじろぐ。
「あなた、割と直球な言葉に弱いんですのね……」
頭を掻きつつ、クルタニカはノックスに近付いて彼女の乱れた髪をこれでもかというぐらいに整える。途中、獣耳に触れたことでノックスが猫のような悲鳴を上げたが、無視していた。
「ほら、これでどうですの? 少しは小綺麗になりましてよ」
クルタニカの面倒見の良さによってノックスの綺麗な顔立ちが明るみにされる。
それを「いや、似合ってないし、綺麗でもないし」と照れているノックスの顔を見て、妙な胸の鼓動に苛まれたアレウスは自身の見境の無さに嫌気が刺す。
可愛ければ誰にでもこのように胸を高鳴らせるのか、と。それは不誠実だ。
「なにを考えているのか大体分かりましてよ? 可愛いものを可愛い、綺麗なものを綺麗と思うことは別に不誠実でもなんでもありませんわ。そこに手を出せば話は変わってきますけれど」
アベリアは絶対にこういったことには気付かないが、クルタニカにはお見通しのようだ。これまでの経験からも、アレウスが抱えていることはアベリアよりも外側にいる人たちの方が気付きやすい傾向にある。
それはプラスというよりもむしろマイナスだ。理解されてしまうと妙に気を遣われてしまう。かといって気付かれなかった気付かれなかったで自分を貶してしまう。非常に難しい問題となっている。
難しいのだが、解決方法は分かっている。女性と関係を持つこと。たったそれだけでアレウスの抱えている大半は解消され、女性への圧にも負けなくなる。クルタニカの言うような可愛いことに対して可愛いと思うことの後ろめたさもなくなる。ただし、快楽に溺れる危険性もある。そしてアレウスが関係を持ちたいと思い始めてしまった相手がアベリアなのだから、この方法は八方塞がりになってしまっている。だからアレウスは別の解決方法を模索するしかないのだ。
「アレウスの抱えていることは後回しにして、わたくしたちはギルドに参りますわよ。そこで緑角が駐屯しているかどうかも分かりますわ」
できる限りノックスの顔を見ないようにしつつ、アレウスは自室へと入り、着の身着のままだった服を着替えるのだった。




