緊急避難
ヘイロンの死はギルドにとっても寝耳に水だったらしく、施設では常に対応に追われていた。特にヘイロンは多くの上級冒険者の担当者であったため、その引き継ぎをどうするのか、そして引き継ぐに値する担当者は誰なのか。そういった様々なことが一挙に押し寄せたのだ。
なによりもベテランの担当者を喪ったことが大きい。ヘイロンはシンギングリンのギルドでは全ての担当者を束ね、場合によってはギルド長にすら進言も通るほどの権力を持っていただけに、その席が空いたことによる様々な弊害が一気に訪れたのだ。なによりも“冒険者は死すとも担当者は死せず”という聖域が脅かされた。これまでも担当者が死ぬことはあったが、それらは魔物が押し寄せたことによって逃れられない死であったり、引退したあとの不幸な事故、または病死、果てには天寿を全うしての死に限られてきた。
誰かの手にかけられて殺されることはなかった。それほどまでに冒険者と担当者が所属するギルドは人々にとっては希望の象徴であり、ましてやそのような者たちに手を出そうなどと考える輩はほぼいなかったはずなのだ。まずギルドそのものが政治にすら介入する余地のある権力を持っている。それについては良し悪しが分かれるところだが、その庇護下であれば少なくとも命の保障はあった。なにせ担当者を襲えば、ギルドを敵に回すことになる。冒険者だって躍起になって犯人を捜索する。アドバイスをしてくれ身の丈にあった依頼を提供、更には帰りを常に待ち続けてくれている担当者に危害が加えられればアレウスだってそれぐらいは平気で請け負う。
ヘイロンは嫌われがちな担当者ではあったが、シンギングリンには必要不可欠な担当者でもあった。本人が自ら嫌われる立場にいることで他の担当者や冒険者の不平不満は緩和されていた。彼女は妬みや誹りを跳ね除けるだけの精神力を有しているだけでなく、実力不足の冒険者及び担当者を無理やりにでも現場に慣れさせ、叩き上げていく育成力があった。どのように嫌っていても、シンギングリンの担当者は最終的に困難な場面に出くわせば不思議とヘイロンに意見を仰ぐ。そのようなシステムが完成されていた。それが壊されたことで起こるのは冒険者たちも困惑するほどの担当者とギルド関係者の混乱を引き起こした。
命を賭して冒険者に寄り添い続けることは担当者の使命であり覚悟だが、依頼や冒険とは一切関係ないところで惨たらしく殺されることまでもが覚悟の内に入っているわけではない。だから、空いたヘイロンの席を誰が埋めるかといった議論以上に“担当者を辞めるべきか否か”といった議論の始まりによって混乱は続いている。“続けるべきか”から始まっていない時点で担当者の多くがヘイロンの殺害による恐怖によって職よりも命を守る方へと傾いていることが分かる。そしてこの議論に冒険者が入る余地はない。なぜなら、冒険者は『衰弱』することはあれ、死んでも甦ることができるから。その一点が冒険者と担当者の決定的な相違を生み出す。
「リスティさんは……」
ギルド内を探してもリスティを見つけられない。
「ゴタゴタに付き合わされている?」
「かもしれない」
「彼女だって人間だ。反りが合わなくとも志を同じくした人が亡くなったとなれば仕事どころじゃないだろ」
単純な部分が欠落していたことにヴェインに言われるまで気付けなかった。それぐらいアレウスとアベリアも落ち着いていない。心は揺れていて、止まれ止まれと念じてもどうにもならない。クラリエに至っては顔色が悪かったために椅子に座らせたはいいが憔悴しきっており、俯いたまま顔を上げることもしない。
「とにかく状況が知りたい。僕たちが知ったところで、どうにもならないけどさ」
調査に加われるわけでも、犯人探しができるわけでも、推理を立てられるような名探偵でもない。それでも見知った相手がどのように殺され、どのようにして串刺しで晒されるようなことになったのか。その経緯が知りたい。
知らなければならない。知って、相応に怒りを抱きたい。今はただ、気持ちが落ち着かない。
「ヘイロンの殺され方から見てギルドに反感を持つ者の犯行なのは明らかよ!」
「恨みを買いやすい人だったけど、あんな殺され方をするなんて……!」
「ねぇ?! ヘイロンだけで終わるの!? ギルドに恨みを持っているなら、これは宣戦布告なんじゃ!」
「私たちも殺される?」
「嫌だ……私は、絶対に嫌だ!」
「魔物の襲撃なら受け入れられる……でもこれは、人の手によって殺されたことだから」
「殺されるなんて……そもそも、なんで殺されたの? ヘイロンほどの人が」
「あの人は恨みを買いやすいことを自覚していたわ」
「だったら、簡単には殺されないように武装だってしていたはず」
「そんなヘイロンが殺されたのよ!? 私たちなんて、狙われたらなんの抵抗だってできやしないわ!」
担当者たちは悲観的に感情を露わにしながら言葉をぶつけ合っている。困ったことに、これを諫めるのがヘイロンの役割だった。彼女がいない以上、誰にもこれは止められない。リスティは勿論のこと、シエラですら不可能だろう。
「ここにいても仕方がない……ヴェインはクラリエを見ていてくれるか? なんなら家に帰してやってくれ」
「ああ、任せてほしい。アレウスたちはどこに?」
「ガラハにこのことを話して、しばらく外で気持ちを落ち着かせる……って、ヴェインも大丈夫か?」
クラリエに付いてもらうことになるのだが、ヴェインも動揺しているはずだ。精神的に参る前に気遣わなければならない。
「俺は大丈夫……ってほどでもないけど、村を含めキギエリのことがあるからね。身近な人の死にはみんなよりは耐性がある、ほんの少し……嫌な耐性だけど」
「そうだな……嫌なことを思い出させてしまうし、手間を押し付けて悪い」
「手間ではないよ。クラリエさんも仲間だし、ちょっとでも気分が落ちていない人が支えるのは当然のことだよ」
いつものようにヴェインには年上以上に人間性の差を見せつけられる。学びたいと思っても学べないほどの性格の良さに、アレウスは頭が上がらず「ありがとう」と言ってアベリアと一緒にギルドを出た。
外の空気は冷たいが、ギルド内の空気よりも新鮮だったので深呼吸を繰り返すことでなにか体の内部から悪いものが吐き出せたような気になる。
「なんだこの異様な雰囲気は? それに二人揃って目を覚ましてすぐ外に出たような身なりだ。冷えないか?」
ガラハは肩にかけていた毛布をアレウスたちに手渡してくる。
「ありがとう、丁度呼びに行くところだったんだ」
アベリアと一緒に毛布を被り、温かさによって体が冷えていたのだという事実を知る。
「なにがあった?」
「ヘイロンが殺された」
「殺された……? 殺されたという理由があるんだな?」
「ああ、でも聞かない方がいい。僕も聞かされただけで、詳しくは知らないままだ」
ヴェインから聞いたことをそのまま伝えることになってしまうし、場合によっては伝言ゲームのように齟齬が生じるかもしれない。現場をよく知っている者か、詳細をある程度理解できている者からの報告を同じ場で聞くべきだ。
「アレウスが言うのを躊躇うのなら、その死に様は華々しいものではなかったということか」
「どういう基準かはあとで詰問したいところだけど、察してくれてありがたいよ」
「だが、殺せるものなのか?」
「殺人自体はよく起きているけど、まぁ……難しいはずだよ」
どこの誰かが痴情のもつれで刃傷沙汰を起こしただのなんだのという話ではない。そして、現状のシンギングリンには通り魔的犯罪者や殺人鬼はいないとされている。そんな中で起こったギルドに携わる者の殺人はあまりにも不可解な点が多すぎる。
「……同胞を救えなかったときと同じような気持ちがある」
「だからって大胆な行動は取るなよ?」
「心得ている。二度、同じ失敗は繰り返さない。それで? 犯人探しをするのか?」
「僕たちにはきっとそういった仕事は回ってこないよ」
個人的には調査したいが、そこはギルドによって止められかねない。逆にギルドから許可が下りれば大手を振って調べることができる。秘匿するのか公開するのか。その判断はギルド長に委ねられているが、手腕云々を通り越してどちらの判断でも批判からは逃れられない。
三人はギルドのすぐ近くの広場で時間を潰し、そこにクラリエを連れたヴェインもやってきた。クラリエは今にも倒れてしまいそうなのだが、ギルドの方針を聞くまでは帰らないと決めたらしく、ヴェインからアベリアに介助を移し、ガラハが持っていたもう一枚の毛布を被せたベンチに腰掛ける。年下のアベリアに胸を埋め、声をこもらせながら涙を流している。
アレウスとアベリアにとってはリスティになにかと突っ掛かって来る上司。そして、アレウスについても試練とばかりに色々と言ってくる嫌な担当者。そんなイメージなのだが、二人よりも長くシンギングリンのギルドでクラリエとしてではなくシオンとして自由に活動していた時期がある。二人の知らないところで恩義を感じることがきっとあったのだろう。
「下賤なやか――じゃなかった、アレウス」
身の丈に合わない長さの防寒服を着つつ、クルタニカがギルドから出てきた。そういえば、先ほどは中に誰がいるかまで把握すらできていなかった。アレウスの精神も相当に参っているようだ。
「クラ――じゃなかった、シオン。ああもう、ややこしいですわね、あなたたちは」
ややこしいのはクラリエだけのはずなのだが。
「気落ちしていても仕方がありませんわ。わたくしたち以上に担当者方が参ってしまっています。支えられてきたからこそ、支えなければなりませんわよ」
そう言うクルタニカは手で瞼を擦る。しかしすぐに涙が零れ落ち、それをまた拭う。繰り返していたのか、もう目の周りは泣き晴らしている。
「わたくしやシオンはギルドに入るまでは居場所がないに等しい状態でした。ヘイロンがギルド長に掛け合ってくれたんでしてよ……そうやって、冒険者の試験に合格するか否かや、才能の有る無しはともかくとして行き場のない者に取り敢えずの希望を与えることはしてくださいました。だからわたくしは、ずっとヘイロンに担当者でいてもらって……もう、もうもうもう! つい先日、泣いたばかりだと言うのに!」
クルタニカはやり切れない思いを吐露する。
しばらくして、ギルドの方から中に入るように指示が出て、アレウスたちは再び中に入る。早朝ということで全ての冒険者が揃っているわけではないが、普段では考えられないほどギルド内はすし詰め状態だった。
「ギルド長からの通達があります」
ジェーンがテーブルカウンターに立って、アイリーンもそれに続く。ギルド長はこの場にはいない。
「担当者ほぼ全員の緊急避難を行います。冒険者は各々の担当者に合わせ、シンギングリンより一時離脱してください」
「一時離脱?」
冒険者の一人がオウム返しをする。
「担当者を『門』で繋がっている街や村に分散させます。この場に残る担当者は冒険者の経歴を持っている者、すなわち『教会の祝福』を受けている者のみとなります。自身の担当者が一時的に避難する村や街を冒険者も一時的に拠点として活動してください」
「『教会の祝福』を持つ担当者の数も決して多いとは言い切れません」
ジェーンとアイリーンが交互に伝えてくる。
「ですが、シンギングリンに祝福を持たないごく一般的な担当者たちを留まらせるよりは安全です。ここに無理をさせ残せば動乱になりかねず、また犯人が更なる殺人を行う可能性もあります」
「ギルドが総力を挙げて犯人を見つけ出すことも考えましたが、命の危機がある中で担当者の離反も起こるでしょう。持たされているはずの権利が脅かされることは、生命に危機が迫っていることを意味します。その危機に対し、暢気でいられるわけがありません」
「シンギングリンを守る冒険者の人数が減ることで、人々からの反感を買うことは必定なのですが」
「その反感以上に、生きていることの方が大事です」
彼女たちの言葉で喧騒はゆっくりと静まり返る。
「この街にいる全ての担当者をこれより招集します。冒険者との話し合い後、昼夜を問わずの避難を開始する予定です」
「避難が終わるまで、担当者がギルドの外に出ることを禁じます」
「また、まだギルドに来ていない担当者及び休みを取っている担当者に関しましては冒険者に警護を依頼し、ここまで連れてきてもらいます」
「これはギルドとしての依頼となりますので報酬も後々出ます」
「最後に、これは第一の最優先の処置に過ぎません」
ジェーンが声をやや低めにして告げる。
「我々は、共に艱難辛苦を乗り越え、共に喜びを分かち合い、共に今を生きたヘイロン・カスピアーナを殺した不届き者を決して許しはしません」
「これがギルドへの宣戦布告だというのなら、乗るまでです」
「どれだけの血を流すことになろうとも必ず犯人を突き止め、討ち取る。これを最終目標とします」
「努々、忘れずにいてください」
「決して恐怖に屈したわけではないということを」




