【撤退・以後】
≠
矜持を持ってなんになる?
先達者に知恵を借りてなんになる?
そんなの一銭にもならない。
名誉ある死なんてこの世にあるわけない。
誰だって死にたくなんてないんだから。
結局さ、
死が無駄じゃないって思い込みたいだけなんだよね。
死には意味があるって、信じたいだけなんでしょ?
≠
「制御しきれないかぁ……」
黒ずんだ体に黒い翼、所々から魔力によって崩壊を始めている体を持つピジョンを近くで眺めながら呟く。
「魔力を与えても、与えた分だけ体が崩壊しちゃうし……服従させて召喚できるようになればとっておきにすることができたのに」
惜しい。勿体無い。まだ使い道がありそうなのに。
そのように思いつつ、改めてピジョンによって景色が変えられた周囲一帯を見る。リゾラが来る前には草木が生い茂り、ひょっとしたら木々によって森林も形成されていたかもしれない場所なのだが、もはや見る影もない。それほどまでにこのピジョンが振りかざした力が凶悪だったわけだが、この力を手に入れられないことが惜しくて仕方がない。
「それにしても、どいつもこいつも弱っちい冒険者ばっかり」
リゾラがこの場所に訪れた際、このピジョン――分類上では終末個体と呼ばれる魔物は交戦状態にあった。いや、あれは交戦と呼ぶには程遠いほどの魔物による一方的な蹂躙だった。なにか喚いたり騒いだりしていたが、リゾラが見た限りでは倒すこともままならずに逃げ帰っていたように思える。そのことを責めるつもりはない。リゾラにも一人で終末個体のピジョンを服従させるために弱らせるのは困難だ。現に終末個体から逃げている冒険者に手助けをすることもできず、息を殺して身を潜めておくことしかできなかった。魔力に過敏な反応を見せる終末個体は冒険者を一掃したのち、確実にリゾラに襲いかかるはずだったので、それまでに無駄に魔力を消耗したくなかったなどと強がりを言いたいところだが、無慈悲な強さに震えて動けなかったのだ。
その後、静まり返ったまま夜明けを待って、ピジョンを確かめたらもはや暴れることすらできない状態にあった。戦わずして勝ったわけでも、力でねじ伏せたわけでもない。そのため、ただただ虚しさだけが残る。
リゾラは冒険者は徒党を組めば強大な魔物にも勝つことができると聞いていた。なので、責めるのではなくその通りでなかったことに少々幻滅した。それとも、冒険者の中でも新人だったのだろうか。逃げ方に関してはまだ粘り強さがあったため、それなりの協力関係は築けているように見えたが、それを戦闘に活かすことはできなかったのだろうか。いや、まずピジョンがダンジョンから飛び出してくる気配を感じずに暢気にキャンプをしていたのは一体全体、どういうことだったのか。
「でも、なにか事情はありそうだった。気付かないわけないし……それとも本当に気付いていなかったの?」
完全に油断していたことに対する理由を探す。それはきっとリゾラの中で完結させるには色々と足りない物が多いためだ。もしかしたら冒険者という存在になにかしらの期待を寄せていただけかもしれないが。
「……私が考えることでもないか。どっちにしろ服従させられないなら、もうここに用はないし」
死にゆく終末個体のピジョンを看取る暇はなく、思い入れもない。リゾラは背を向けて次の目的地をどこにしようかと思いつつ一歩を踏み出す。
瞬間、体毛が全て逆立ったのではないかと思うほどの怖気をリゾラは感じて硬直する。ピジョンから発せられているものではない。人間が発する独特な気配だ。
恨みや憎しみに近く、怒りや殺意ほどではない、ひどく曖昧で、結論の出せない矛盾した感情。それゆえにそのどれもを持ち合わせているからこそ怖い。リゾラの動作一つでその表現しようのない感情は恨みにも、憎しみにも、怒りにも殺意にも偏る。偏ったあと、その感情をぶつけられる矛先は自分以外にはいない。
「アレウリス・ノールードを知っているか?」
「……誰それ?」
恐らくは左方向に話し手はいるのだが、そっちを向く勇気はない。
「こちらを見ないのは良い判断だ。なにより、正直に物を言う態度も悪くはない」
「力関係についてはよく知っているつもりよ。勝てない相手に挑むほど馬鹿じゃない」
「なるほど、だから自分の服従させた魔物を利用されても黙っていたわけか」
「まさか! 私が従えていた魔物の大半が言うことを利かなくなって一定の方向に走り出したのは……」
「『人狩り』が獣人に吹き込んで、魔物と共にとある街を襲わせた」
「こっちは群れを服従させるのにどれだけ苦労するか分かっているの?」
「軍と呼んでも差し支えないほどの魔物を蓄えられるのはこちらとしても放置しておけないことだ」
「魔法で呼び出すまでは大人しくしているのがほとんどよ? 残りは私の魔力を注ぎ込んで体内に閉じ込めているけど」
「体内……? 召喚……? 現世と幽世を繋ぐ力のようなものか?」
隠し事をするつもりはない。粗方を語ったところでリゾラは未だ顔を見たくもない相手に敵わないことを本能的に理解している。
「召喚魔法は三つ。私の魔力に反応して近場にいる魔物が集結する召喚、私の魔力で鎖みたいに繋がっている魔物を遠くから無理やり傍に引っ張り出す召喚、そして私の中に魔力として閉じ込めている魔物を呼び出す召喚。スケルトンは怨霊扱いだから召喚というよりは降霊術に近いわ」
「手の内を晒して争う気はないことの証明とするとはな」
ほんの僅かだが相手の殺気が弱まる。だからといって逃げ出せる状況にはない。
「手を組まないか?」
「どういうこと?」
「『異端のアリス』を始末したい」
「アリス……? 『不思議の国のアリス』とか『鏡の国のアリス』なら聞いたことは……しまっ!」
必要以上の情報を晒してしまった。気付いたときにはもう遅く、相手が冷淡に笑う声が耳に入る。
「お前も『異端のアリス』と同類か」
「……私の言ったことが理解できるなら、あなたも?」
「ある意味ではそうではあるが、そうではないとも言える」
「は?」
これまでも様々な場所で意味の分からないことを言っている輩は見てきたが、それを上回るほどの意味不明さだった。
「この世に二つも同じ魂は必要ないだろう?」
「そもそも、あるわけがない」
「確かに……あるわけがない。なにもかもが同一というわけではない。ただし、見てきた景色が異なる……たったそれだけの違いしかない。これは万物を作り上げた神への反逆だ。だから、『異端のアリス』は始末しなければならない。それで、返事は?」
「…………遠慮させてもらうわ」
「ならば死ぬか?」
「だって私には関係のないことだもの。私は私をこんな目に遭わせたテッド・ミラーを見つけ出して殺すって使命があるの。それに、他にも殺したい人がいる」
この人物のやりたいこととリゾラの復讐には共通点がない。共通点があったなら従うべきところだが、ないのだからリゾラに得はない。むしろここで従ってしまえば、良いように利用されてリゾラの復讐は果たせなくなってしまうだろう。
死ぬ覚悟はできていないが、やりたいことを好きなようにやれなかった人生において初めてやりたいことができた。それを奪われれば死んだも同然だ。ここで死ぬのと、飼い殺されることに大きな違いはなく、後者においては奴隷として今まで味わってきた苦痛にも近しい。生きながら死んでいるような人生がこの先、待っているのならやはり死んだ方がマシだ。
「もしも、あなたのやりたいことと私の復讐が重なることがあったなら、そのときはちょっとだけ手を組むけど」
「ならばそれでいい」
声が遠ざかっていく。
「ねぇ?! 私まだあなたの顔も名前も聞いていないんだけど?!」
「知ってお前のなんになる? どうせどこかで重なれば否応なくこの気配と声を思い出すだろう。さっき言ったことを努々、忘れるな。『異端審問会』はいつだって全てを見ているぞ。お前もその内の一人だ。それにしても、産まれ直す前の名前に似ていて良かったじゃないか、リゾラベート・シンストウ?」
胸の奥――心臓を掴まれたかのように呼吸が不安定になり、リゾラはその場に蹲る。
「なんで……なんで、私の……今の名前と……産まれ直す前の名前を、知っているの……?」
今の名前についてはこれまでの痕跡を辿られて知る機会があったかもしれない。しかし、産まれ直す前の名前をリゾラは胸の内に秘めたままで口にしたことは一度だってない。
だとすれば、ただの脅しだろうか。
「それはさすがに楽観的すぎ」
脅しで使う言葉じゃない。この脅しは『産まれ直し』という原理を知っていなければ口にできない。そして、その脅しを理解できる相手と分かっていなければ使えない。
そうなると、考えられることは一つしかない。
あの人物はリゾラベート・シンストウになる前のリゾラを知っているということだ。
「っていうか、まさか……563番目も?」
この名前は563番目に与えられた名前だ。産まれ直す前の名前とあまりにも酷似している。それを偶然で片付けることはできない。
「私のロジック……563番目は開けたの……? ロジックに産まれ直す前の名前があったりするの?」
そこまでは憶えていない。なにより、ロジックを開かれている間は意識を失う。場合によっては前後の記憶も曖昧になる。ツバ広の帽子を被った女性はリゾラのロジックは開けなかったが563番目が開けるのかまでは分からない。恐らくは開く力は持っている。奴隷を従わせることはなにも『服従の紋章』に限らないのだ。前日では死ぬほど暴れ回っていた子が次の日には機械的に調教を受け入れていたことだってある。あれは心が壊れた子だけでなくロジックを書き換えられた子もいたのではないだろうか。
「あぁもう!!」
ならば余計に腹が立つ。巨悪が力を持ちすぎているのだ。自身も相応に馬鹿げた力を持っていることは自覚しているが、立ち向かうべき相手はそれ以上の力を持っている。
「誰かが追い詰めているところに私が介入して、トドメを刺すべきか……」
世の中のあらゆる機関は頼りたくない。しかし、冒険者には幻滅したものの彼らに仕事を与えているギルドだけは頼りはしないものの期待が持てる。
娼館で一度、帝国で“裏”の仕事をしているスパイと会ったことがある。このことから帝国のギルドは奴隷商人について調査を行っていることが分かる。いずれはその仕事で得た情報が表に回って、冒険者がその仕事を請け負うだろう。他国で潜伏することも考えたが、帝国に居続けていた方がリゾラの望む形に物事が進むかもしれない。
「全く進展がなかったら見切りをつけよう」
そう決意をして、リゾラは体を支配した恐怖を断ち切るように力強く立ち上がった。




