信頼とは
ギルドに到着するとリスティにすぐに奥へと案内され、会議室よりもまた一回り大きな部屋に通された。中央にクルタニカとカーネリアンが立ち、その二人を囲うようにギルド関係者と上級と思しき冒険者が席に着いている。ギルド長は彼女たちの真正面の席に座っているが、不測の事態に頭を悩ませている様子だった。
「リスティから進言があった。『異端』ならばなにか分かるかもしれない、と。正直なところ、未だ力の全容の見えない『異端』を関わらせるべきではないのだが、教えを請いたい。彼女のロジックは、なぜ開けない?」
ギルド長が「教えを請いたい」と目下の者に言うとは思わなかった。逆に言えば、この人は自身の範疇にない知識に対しては素直に誰からでも教えてもらえるしたたかさを持っている。たとえそれが目下だろうと年下だろうと関係はないのだ。
「ほんの少し、カーネリアンとだけ話をさせてもらえますか?」
「それでロジックが開けるようになると?」
「ある確認を取りたいのです。監視を付けず、できることならば二人切りで」
「……多く見積もっても五分ほどしか与えられない。どんな話をしたかはロジックを開けた場合、私たちも知ることができるが構わないのだな? あとは『異端』から武器の類を全て一時的に預からせてもらうぞ?」
もし読まれることがあったとしても、ギルド長にはなにを言っているのか分からないはずだ。これから話そうと思っていることは荒唐無稽なもので、ある意味で哲学的にも受け取られ、場合によっては信仰から来る観念の違いについてとしか解釈のしようがないだろう。
アレウスが肯いたことでクルタニカはジェーンに連れられ、そしてギルド長たちは文句の一つも言うことなく別室へと消えた。残ったアイリーンがアレウスから短剣やその他の金属類全てを受け取り、一足遅く別室へと入った。
「私を嘲笑いに来たか? 首を斬ってもらいたいと思っていたのだが、生き恥を晒すことになってしまった」
「恥を掻いたぐらいで生きられるのなら幸運だろ」
「はっ……物は言いようだな。確かに、クルタニカと共に死なずに済んでいることに安堵している私がいる。それで、世間話をしに来たわけでもあるまい? なにを知りたい?」
「桜の花弁は何枚だ?」
「なんだそのつまらない質問は? そんなもの五枚に……っ!」
ハッとしてカーネリアンは顔を上げた。
「カーネリアン、この世界の桜は五枚の花びらを持つ品種が存在しないんだ。だからこの世界の一般的な認識では六枚以上、三百以下だ。六枚以下の花弁は老木や弱った木に咲きやすく一般的じゃない」
「……桜など、空の上では咲いてはいないからな」
「『産まれ直し』か?」
「違うとも言い切れない。それを強く感じたのは、ラブラの操りから目覚めた直後だ。唐突に、不意に頭の中に見たことのない景色が流れ込んできた。だが、どれもこれも読めない文字ばかりだったが、なぜだかその景色に見えた咲いている花を、その木々を私は『桜』と認識した」
言うなればアレウスは先天的にだったが、カーネリアンの場合は後天的な『産まれ直し』の実感だ。
これでアレウスも思い当たったそれが一つの共通点となることを知った。ロジックを通常の方法で開けない者は『産まれ直し』なのだ。この推論で行くならば、ノックスもまた『産まれ直し』となる。
「ラブラがロジックを開けたのは、お前に自覚がなかったからだ」
「『産まれ直し』のか? そんな自覚や他覚の問題となるのか?」
「輪廻転生については複雑なものだが、ガルダにだってあるんだろう?」
「私たちも一応は輪廻について考えることもあるが」
徐々に話の本筋をズラしていく。カーネリアンもアレウスの意図をすぐに読み取って、話の内容は『産まれ直し』についてよりもガルダの死生観や輪廻という話題に切り替わっていく。
「時間だ」
五分が経ってギルド長たちが戻ってくる。
「それで、なにかを知ることができたのか?」
「僕には分からないことだらけではあるんですが、以前の探索で獣人の姫君と接触する機会がありました。畏れ多くも、そのロジックにアベリアが触れようともしました」
ノックスやセレナについては既に報告をしている。あくまで開こうとしたのはアベリアということになっている。『審判女神の眷族』も以前に提出されている報告内容を知っている以上、ここで秤を用いはしない。むしろこの状況で秤を使うべき存在はクルタニカとカーネリアンなのだから。
「そのとき、アベリアの手はロジックを開く前に弾かれてしまいました。恐らくはこの者も獣人の姫君と同様に、ごく僅かな存在しか開くことのできないロジックの持ち主なのでしょう。もしそれが起こるとのだとすれば、察するに血統や血筋に寄るものではないかと」
たった一人にしか開けないロジックとは語らない。それを語ればラブラによる書き換えが行われた点で矛盾が生じてしまう。
「それを聞いた上での後出しとなってしまうが……言うように私の記憶でも、過去に似たような例はある。『異端』の言うことが間違っているとも言いがたい。だが、そうなるとカーネリアン・エーデルシュタインのロジックに書き足す処罰が無効となってしまう」
「わたくしに! わたくしに試させていただけませんか?」
「『風巫女』にロジックを触らせれば、結託される可能性がある」
「なれば、わたくしとカーネリアンの首に刃を当てたままお試しになってください。僅かでもあなた方の示した内容通りの書き足しを行っていなければ、二人共々、首を刎ねてしまって構いませんわ!」
「それはできない。ガルダの当主の一人を殺すなど、我々の手に余る」
「だったら、わたくしたちが抵抗できなくなる処遇を用意した上でどうかわたくしに彼女のロジックを開く機会をお与えくださいませ!」
「……開けなければ『風巫女』は神官から免職、更に冒険者ギルドからの永久追放。カーネリアン・エーデルシュタインは投獄。ガルダの交渉材料に利用し、死ぬまでギルドで飼い殺す。それでも試すか?」
「やってやりますわよ!」
「元々、死ぬつもりでいた身だ。どのように扱われようと私はなんら問題はない」
覚悟の方向性が共通して突き抜けてしまっている。
「アイリーンとジェーンはロジックを開くクルタニカの後ろで監視しろ」
「「はい」」
アレウスはリスティに促されて部屋の端に行き、アイリーンとジェーンがクルタニカの背後に回った。なにやら緊張しているような面持ちをしているクルタニカに対して、カーネリアンは信頼し切っているのか、その表情は柔らかい。
「“開け”」
アレウスは思わず身構えた。クルタニカが開いたカーネリアンのロジックからなのか、それとも二人のどちらかの魔力の放出が起こったのか、とにかく凍えるような冷気が全身に押し寄せてきたのだ。
「どうかしましたか?」
「え?」
なのにリスティはアレウスの身構えた姿勢に首を傾げている。見回せば、ギルド長も含めた全員も冷気を感じ取ってはいないらしい。
いや、アレウスだけではない。クルタニカも放出された冷気の出所について不思議がっている。しかし、彼女はアレウス以上に言動が制限されている状況下にあるためその疑問を口にはせず、アイリーンとジェーンに差し出された書面の通りにカーネリアンのロジックに書き足しを行っている。
「……あとで話します」
「はい」
その一言で全てを察したらしい。とにかく、アレウスの見間違いでなければクルタニカは今、氷で形成されているカーネリアンのロジックに干渉している。これが意味するところは説明されずとも大体は分かる。
「終わりましたわ」
そう言ってクルタニカがロジックを閉じた。
「嘘偽りなく、書面通りに書き足しが行われました」
「我らがこの目でハッキリと確認を取りました」
「ギルドに逆らうことなく、そして宣言した通りにロジックも開いてみせた。カーネリアン・エーデルシュタインが目覚め次第、荷物を纏めるよう通達。ギルドの地下で拘束中の機械人形も解放する。その後、空へ帰還後にどうするのかは本人の意思に委ねるが、再びシンギングリンに降り立つのはオススメしない。未だにこの街は今回の“異界化”を起こしたガルダへの恨み辛みを堪えている状態だ。闇討ちをされても同情することはできず、それを返り討ちにした際にはもう手心を加える余地すらないからな」
「わたくしがちゃんと伝えますわ」
意識を失っているカーネリアンに肩を貸し、彼女を支えながらクルタニカが退室する。そこから張り詰めていた緊張が解け、冒険者やギルド関係者も次々と退室していく。
「私たちも出ましょう」
「はい」
リスティに言われ、アレウスも歩き出すが背後に気配を感じて振り返る。『審判女神の眷族』がこちらをジッと見つめていた。
「なんでしょうか?」
「……獣の『剣技』にある種の習熟が見られます」
「よって、以前に言ったことを取り消させていただきます」
「アレウリス・ノールード」
「『異端』」
「「あなたには、『至高』を目指す価値がある」」
「獣の『剣技』を持った『至高』を我らは未だ見たことはありませんが」
「期待はしましょう」
「連絡事項もあるのですが」
「その連絡についてはリスティーナ・クリスタリアを通します」
「「それでは、失礼します」」
アイリーンとジェーンは交互に発言し、言いたいことだけ言い切って退室していった。
「今更なことを随分と上から仰っていましたね。私はとうの昔にあなたにはその資質があると判断していましたが」
「『至高』はないと言われていたんですけど、それが撤回されたのでありがたい話ですよ」
「また一歩前進というわけですね」
「今回は大きな一歩です」
アレウスは周囲を見回す。
「この部屋は魔法陣を敷いてあって、室外からでは感知系の技能が機能しないようにしています。すぐにでも話したいことがあるのなら、今がいいでしょう」
「助かります。僕の自粛はいつ解除されますか?」
「どちらかと言えば謹慎だったのですが、それだと世間体に関わるということで自粛という言葉を使わせていただきましたが、近日中に解かれると思います。パーティ全員でのあなたとアベリアさんに起こった内容について話す予定なのですが、問題はありませんね?」
「奥の手になり得るかもしれない話は、明かしておいた方がいいですよ。ヴェインのロジックにある秘密、ガラハがヒューマンを憎んでいる理由、クラリエの出生の秘密……どれもこれも勝手に首を突っ込んで、勝手に知った。なのに僕だけがなんにも晒さないのは心苦しいですから」
「全てを晒す必要はありません」
「僕が秘匿したいのは『産まれ直し』。あとは一部の冒険者以外にロジックを開ける能力や異界で生活していたことぐらいですよ?」
「どなたも核心的な部分には触れられないようにしていますよ? あなたにだってその権利があります。とはいえ、あなたは大体のことは許容し受容し、容認しますし、あなたがとんでもないことを語っても同じように認めてくれるとは思うのですが……まぁ、あなたの場合は語ったことが致命的な問題を呼び寄せる可能性も十二分にありますし、あまり気にせず今まで通りでいることが一番でしょう」
「リスティさんも許容してくれますか?」
「これでも担当者ですよ? あなたが善性を保ち続けている限り、死ぬまで付き合います。なので近く、仲間内だけの宴会でも開きましょう。障害を乗り越え、生き延びたことと仲間の協力に感謝する意味も含めて。無論、先に旅立ってしまった者たちを見送ってからになりますが」
奇跡を信じないアレウスも、リスティに巡り会えた事実にだけはありがたさを感じずにはいられない。恐らく彼女が担当者でなければ、今の冒険者としてのアレウスはいないのだ。
全ての繋がりが大切なわけではない。取捨選択、選別は誰だってする。だが、その中でも嘘のような巡り会いをした相手との繋がりだけはなにがなんでも断ち切らないようにしなければならない。間違ってもいいが裏切ってはならない。
信頼という言葉の重さを早めに知ることができてよかった。そして、クルタニカとカーネリアンの絶対的な信頼関係を見て再確認することもできた。
「僕はもっと強くなりたい」
最後に部屋を出るとき、アレウスは自然と言葉を零していた。




