虚しく崩れる
「ガハッ……ゲホッ……う、ぉぇ……!」
彼の者に奪われていたラブラの肉体が燃え、灰となって崩れていく。だが、崩れているのは悪魔が強化させた部分のみで彼自身が灰と化しているわけではない。
「ラブラ・ド・ライト、貴様の悪魔は二匹まとめて屈服したようだな」
秘剣の障壁を解除してカーネリアンが倒れ伏しているラブラに近付く。
「私のロジックを書き換えたこと、万死に値する」
仰向けになり、ラブラは天井を見つめると同時にその身に起きた全てを察したらしく、自虐的な笑みを浮かべる。
「……はっ…………カーネリアンだけが生き残っていたのはそういうことか。貴様はガルダではなく、下界の人種に従ったというわけか」
金属を振った時に生じる音色を響かせながらカーネリアンの薙刀の切っ先がラブラの喉元に向けた。
「それが言い残したいことか?」
「俺を殺せば、この『氷の間』は落ちるぞ?」
「……脅しではないようだな」
「貴様たちもどうする? 俺を殺せば、街は滅ぶ。あんな街、滅んだところで、」
「お前が『あんな』と前置きをするな」
アレウスは今にもラブラを刺し殺したい衝動を抑える。しかし、体中の炎が尽きたことで急激に筋肉に力が入らなくなり、その場にうつ伏せに倒れる。
「あの街は、僕たちを受け入れてくれた街だ」
「笑わせるな。そんな義理をいつまでも抱えていたところで、向こうがそれにいつまでも応えてくれるわけではないだろう? 信用すればいつかは切り捨てられる。いつだってそうやって、有能な人材は潰されるものだ」
「……虚しいな、ラブラ」
「この言い争いがか? 不毛なことはとうに分かっていたはずだ」
「いいや、貴様の存在が虚しいと言っている」
カーネリアンは物憂げに続ける。
「ミディアムガルーダの地位向上運動は貴様が『冷獄の氷』に目を奪われている間に着々と進み、その手の法律はもう既に空の上では施行されているだろう」
「俺に嘘を言ったところで無駄だ」
「嘘ではない。貴様が私のロジックを書き換えたのは、私がその運動を支持し、他の当主とも話し合いをして、ようやく目処が立った頃だった」
「あなたに、それほどの権力が……? やっぱり、当主の座を……」
「その通りだ、クルタニカ。ラブラに書き換えられたことで当主を継いでいないことにされていたが、私は父に勝ったことで当主の座を譲ってもらった。当主としての仕事はまったくもって手を付けてはいなかったが、ミーディアムの地位と機械人形の扱いを見直す活動は身勝手ながらに手を貸していた。私がラブラにロジックを書き換えられてから地上で任務に当たっていた期間がどの程度なのかまだ思い出せないが、私がその場にいなくとも、もうその勢いを止めることはできなかったはずだ」
そこで一度、溜め息をついた。
「ラブラ・ド・ライト? 貴様がミーディアムであることを隠していなければ、そして『冷獄の氷』という力に目を奪われていなければ、きっとミーディアムのリーダー……そのトップは貴様だっただろうに。二本の刀にそれぞれ二体一対の悪魔の心臓……その囁きにこの場に至るまで乗ることのなかった強靭な精神力。間違いなく貴様が選ばれていたはずだ。が、貴様はミーディアムであることを恥じ、隠匿した。その結果がこのざまだ。貴様はもし生きて空へと帰ることができたとしても、ミーディアムのコミュニティに入ることもできず、かといって純血のガルダと共に生きることもできず……我慢して純血のガルダのコミュニティに入ったとしても、いつミーディアムだとバレないかと心のどこかに不安を抱く。たった一つの選択で、貴様はどちらにもなれず、そしてどちらにも属せない。だから、ただただ私は貴様が虚しい存在に見えて仕方がない」
「だったら、なんだ? 俺は、ミーディアムとしてカルメン家に仕え続けていれば、名声を得ることができていた……とでも?」
「名誉も名声も、生き続けていれば間違いなく得ていただろうな。そして将来には伴侶に恵まれ、富を得て、その権力で更にミーディアムの地位を盤石なものとし、空で蔓延っている純血至上主義などという古き考えも黙らせ、死したあとも英雄……あるいは知者として歴史に名を刻んでいた。目先の力などに魅入られさえしなければ、きっとな。オニキスはさすがに死罪は免れることはできなかっただろうが、クォーツまで死ぬこともなかった」
「僕が聞いた限りでは、この男はミーディアムの地位向上は建前でただ純粋に力を求めただけのはずですけど……全ては力に溺れた言い訳で、自らの境遇を理由にして自らの行いを正当化していただけに過ぎないのでは?」
アレウスは起き上がろうとするが、どうにも力が入らない。
「建前であろうと嘘であろうと理由であろうと言い訳であろうと、心の奥では思っていたことに違いない。ラブラが欲しかったのは、力だ。力であればなんでも良かったのだ。ただ、地位や権力や財力以上に『冷獄の氷』が眩しく見えただけだ。始まりは決して邪な物ではなかったはずだ。登り詰めるという目標はあったのだろうが、それを全て悪と断罪することはできない」
ラブラから抵抗の意思が消えている。カーネリアンの言ったことは彼のこれまでの全てを否定するものだったため意欲が削がれたのだ。
「殺せ」
「当たり前だろう?」
「早く俺を殺せ!!」
「……まさか貴様、これだけの大罪を犯しておきながら容易く死ねるなどと思ってはいないだろうな?」
カーネリアンは薙刀を下げ、先ほどとは打って変わって軽蔑の眼差しでラブラを睨む。
「貴様を殺したあとに私もあとで逝く。これはもはや変えられず、逃れられない罪だが……貴様の殺し方ぐらいは私が決める。どうせ死ぬんだ、それぐらいのワガママは許されるだろう? ロジックを散々に書き換えたその罪の重さを、どうやれば貴様に伝えられるだろうか」
「すぐに殺せばこの『氷の間』がシンギングリンに落とされてしまいますわ」
「分かっている」
薙刀が振られ、生じた巨大な炎の飛刃が『氷の間』にヒビを入れ、そして裂け目を作る。
「要はラブラがすぐに死ななければ、落ちる時間を遅らせることができるということだ。だから、ゆっくりと己自身の命が尽きていくことを感じながら死んでいけ」
炎が揺れて、薙刀が描く軌跡は激しく強く、そしてカーネリアンの大声に合わせて切っ先がラブラの腹部に突き立てる。
「最期まで付き合ってもらうぞ、エキナシア」
腹部に突き刺さった薙刀から注ぎ込まれる魔力は炎と化して、ラブラの体が燃え上がる。
「貴様はこれから息絶えるまでその身を炎に焼かれることになる。火刑は身を焦がされる最中に酸欠で死ぬが、貴様にはそれが訪れないように魔力で細工を施した。貴様が死ぬときは頭と心臓が灰になるときだ」
声にならない声を上げてラブラはのたうち回っている。その様を見つつ、カーネリアンは手でエキナシアの残骸に指示を出し、辺り一帯に火を放つ。
「クルタニカたちはここから出て、地上から落ちてくる『氷の間』を迎撃する準備をしろ。私が全ての魔力を使って、ラブラの死を見届け、そしてここも出来る限り溶かす。クォーツやオニキスを討つことのできる者たちがいるのなら、それくらいは造作もないだろう?」
「カーネリアンはどうなるんですの?」
「私は、ここで魔力の炎を維持しなければならないから留まる」
「なりませんわ!」
「多くを犠牲にした。多くを踏み躙った。その罪を償うには、これしか方法がない」
「罪人を裁くのは罪人自身じゃない」
アレウスは立ち上がり、近場の炎に手を伸ばす。余裕がないため初対面の相手に向ける敬いの言葉は捨てている。
「自分の裁きを勝手に決めるな」
「貴様……私の炎すらも、奪う気か?」
カーネリアンは手を見つめ、エキナシアの残骸は自らに宿る魔力が吸い取られていることに気付いて彼女の傍に寄る。
「あなたが使うべきなのは、この炎じゃない」
「アレウスと私が残って、この人が死ぬのを見届ける」
「罪人を庇って死ぬ気か?」
「『原初の劫火』をアベリアが宿しているのなら、あなたの炎よりもずっと『氷の間』を溶かすのには適していますわ。そして、それを分け与えられたアレウスもいれば、更に大量の氷を溶かすことができましてよ」
クルタニカはカーネリアンにそう説明しつつもアレウスたちを見やる。
「死ぬ気でしたら、許しはしませんわよ?」
「死ぬつもりで物事を進めようと思ったことはついさっきのことを最後にします。僕たちは生存しつつ、シンギングリンを危機から救うためにここの氷を出来る限り溶かします」
「私に重量軽減の魔法をかけて、飛んでいる最中に合図をしたら投げてくれればギルドに伝令に行けるわ。そうすればクルタニカさんとカーネリアンは落ちてくる『氷の間』を一足早くに迎撃できるから」
ニィナはこの場で自身ができる最善を語る。
「その男が死ぬまで“異界化”が解けないのなら、異界でアレウスが決めたことは大体上手く行くはずだから」
「信頼の傾け方がズレていないか?」
「あんたがいなきゃ、誰がこのあとのゴダゴダを片付けるのよ? ここで起きたことを報告するのなら、あなたが確実だわ。クルタニカさんはギルドの追っ手を振り払っているし、カーネリアンは首謀者の一員。私は首魁の元に無理やり連れてこられたとも受け取れる状況なんだから、あなたとアベリアが話さないと真実は明るみにならない」
「……逆に言えば、真実を全て語らないようにすれば有耶無耶にすることもできる、か」
「そういうことよ」
彼女の言いたいことをなんとなく察知して、アレウスは小さく肯いた。
「アレウス? あなたはカーネリアンの魔力も吸収できるんですの?」
「吸収できるのは火属性の魔力だから、だと思いますけど」
「だったら、魔力の器が空っぽになるまで吸収してくださります?」
「私の魔力を空にすれば、秘剣を撃つこともままならないぞ?」
「炎の器に、氷は入りませんわよ? なので、永久の氷の器で炎を包み込むんですのよ。どうせわたくしに宿る『冷獄の氷』はこれからも狙われ続けます。だったらいっそのこと、アベリアがアレウスを選んだように、わたくしも」
『氷の間』が大きく揺れ始めた。
「時間がありませんわ。わたくしの言ったことを察したのであれば、早くアレウスに魔力を全て譲り渡して」
「……罪人の私に権利はない。言う通りにしよう」
算段は整い、アレウスとアベリアを残して三人は『氷の間』から飛び出した。
「怖い?」
「怖くない。僕は決めたから」
「なにを?」
「アベリアを守るためなら、何度でも立ち上がる。絶対に、何度でも」
「私がその意識を書き換えているとしても?」
「それでも、君と僕の出会いは偶然じゃない。きっと、必然だった。君と出会う前、異界の別々の場所で異界のロジックを書き換えた。その事実だけは変わらないんだから」




