分け与えられた力
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「『原初の劫火』はこの土壇場で突然どこからかやって来て、あの子に宿ったわけじゃない。あの子が産まれて異界に堕ちるまでの過程のどこかで『原初の劫火』を宿していたんだ。だけど、堕ちた異界は残念なことに日の光や炎とは縁遠い場所だった。あの子自身が『原初の劫火』に選ばれていても、器に魔力がくべられて炎を起こしても、土の精霊がそれを隠匿した。異界獣には気付かれたくなかったんだろうね。あの子の魔法にいつも泥が混じってしまっていたのは、そもそもの魔力の器を、土の精霊が泥で塗り固められていたからなんだ。元の器から漏れ出る炎に焼かれて、陶磁器のように固くなってしまった泥はちょっとやそっとじゃ割れやしないし砕けもしない。でも自分自身の魔力の器に干渉できる冒険者なんているわけもなく、このまま『原初の劫火』は隠匿され続けるはずだったんだけど」
ツバ広の帽子を被った女性はボソボソと呟く。
「随分と面倒なことをしてくれたよね、私の親戚は。君が外套を残さなければ、君が彼女の憧れにならなければもっと早くに彼女は火の精霊との絆を深く結べていたかもしれないのに、君の唱えたエアリィが、ただの風魔法の初歩中の初歩の魔法が、彼女を火の精霊から遠ざける期間になってしまった。でも、彼女の純粋な力の欲求が、守りたい人を守りたいと願う強い想いが、魔力の器の中で爆発を起こして土の精霊の泥を内側から粉砕した。これからも土の精霊の加護を強くは受けるだろうけど、もう『原初の劫火』を抑えることはできない。なにせ彼女が力を欲したんだ。自身の主と認めた『原初の劫火』が応えない道理はない。そして、アレウリス・ノールード……君は私の想像を超えた。やっぱり君も人の身でありながら超越者だったんだね。『原初の劫火』の炎を吸収して、体をそれに適応できるように作り変えるなんて誰にもできない。そうやって、君は六年前の異界でも生き残ったわけだ。亡骸を吸収し、自分の物とするために体を作り変えて……ね。まぁそもそも、あの子が『種火』として彼を選んだからこそ起きた究極の事象なわけだけど……どうだろうね……君たちで、その“ガルダの悪魔”は倒せるのかな? なにせ私も知らないルートだから、上手く行くかどうかも分かんない。だけど上手く行ったなら、今度こそ私は――」
意味もなく遠くを見つめてから、女性は歩き出す。
「申し訳ないけど、一部を除いて私を目撃した人のロジックは書き換えさせてもらう。“開け”」
女性の周囲を包むように“複数のロジック”が一挙に開かれる。
「まぁ、特定の誰かが私を目撃しない限り、私が一体誰なのかすらみんなには分からないだろうけど、一応ね」
*
「聞いたことがある。異界よりこの世に持ち出された超越の元素。精霊を越える聖霊の力。それを宿した者と、それを宿した者から力を分け与えられた者。二心をもって一対の存在を」
アレウスの目の前でラブラが耳障りな音を立てながら姿形を変えていく。
「我らとどちらが上か、試してみたくもあった。このガルダはいつになっても我らの囁きに応じはしなかったが……礼を言おう」
悪魔が宿り、ラブラの肉体がその悪魔に相応しい肉体へと変身させてるらしい。空間が震撼し、いつぞやの時と同じように異常震域が発生している。
異界獣と同様の代物であり、共振しなければ悪魔に攻撃は通らない。
「ようやく我らの囁きに二度答えた。本人は三度までなら問題ないと教えられていたようだが」
「二本で一対だからこそ、二度で四度答えたことになった」
「その通り」
アレウスの解答に悪魔は嬉しげに返事をする。
二本の刀による秘剣の強化。それは二本で一対の刀だったからこそ成立していたことなのだろうと推測する。彼自身が秘剣をどこまで隠していたかは知らないが、受けた秘剣はどれもこれも倍化していた。
つまり、一度の囁きの応答も倍化され、二度に。その場合、囁きに二度乗ってしまえば四度乗ったことと同義となる。
強力な刀を持っていたために、その制約も強かった。ただそれだけのことなのだが、悪魔側からそれを教えられていないのだとすれば理不尽な話ではある。
「まったく同情する気にはなれないが」
自身の体を確かめるようにアレウスはあちこちの関節や指、それらの筋肉を動かしていく。
「体そのものはちっとも変わった気はしていないけど」
身長や体重、その他諸々が変わったとは感じられない。だが、軽さはある。物の重み、重力の影響が軽減されているように思える。それこそ『軽やか』を唱えられたときのような感覚である。
「仲直りは……終わったあとでいいだろ? 君が訊きたいこと、僕が訊きたいこと、それを話して……ちゃんと、また二人で生きていこう」
傍にいるアベリアに問いかける。
「うん」
炎を纏い、炎を力とするアベリアは大きく首を縦に振って、片手を少し滑らせただけで複数の火球を生じさせる。
「運が良いのか悪いのか、僕とアベリアが通った“門”は閉じている。あいつが外に出る方法は僕たちを始末してからだ」
「悪魔はちゃんと見えているの?」
「ラブラの肉体に宿っているから。いわゆる悪魔憑きの次の状態みたいなものじゃないかな。だったら共振しなくても倒せるかも」
「運試しで命を捨てにはいけない」
「ああ、その通りだ。だからアベリアはまずクルタニカさんを守れる位置に行ってほしい。僕と君が今、どれだけの強さを持っているのか定かじゃないけど、あの悪魔から時間を稼げるくらいには強くなっている……と、思いたい」
「クルタニカは『神官』だから、共振できるはず。だって、クルタニカだし」
よく分からない信用のされ方をしているが、アレウスもクルタニカなら異常震域に共振する方法を習得していても不思議ではないと思う。
「もしかしたら、共振のコツもついでに教えてくれるかもしれない。そうしたら」
「僕たちは異界獣に挑めるようになる」
「うん」
ガルダの悪魔が咆哮を上げた。アベリアとの問答を一時中断する。
一言二言、言葉を交わしただけで、アレウスとアベリアの間にあるわだかまりはまだ解けてはいないのだが、私情を優先すべきではない。当初の目的を果たし、無事に全てが解決してからだ。
アベリアと別々に駆け出し、アレウスはまずガルダの悪魔へと向かう。前方を氷の壁で阻まれるも、短剣を振って炎をぶつけ、溶けかけた部分に突貫して打ち破る。ガルダの悪魔がラブラが使っていた二本の刀の柄を掴み、氷の刀身を築き上げ、唸り声をあげながら疾走する。
真正面から剣戟と斬撃が衝突し、ガルダの悪魔が発生させる氷を短剣と自身が纏っている炎で溶かし、対抗する。
まだ、動ける。
強欲に力を込め、さながら乱撃のように振り乱される刀を短剣で全て凌ぎ切り、両手の刀を振り切ったのを見てから前へと跳躍するように突撃し、剣戟でもってガルダの悪魔の腹を切る。
「浅いか」
感触で分かったが、咆哮を上げて吹き荒れる冷風を受け続けることはできないため後退する。
アレウスは自身の炎の出所がどこなのか、まだ確定できていない。エルフのようにロジックを燃やしていないことは確かなのだが、魔力を持たないアレウスが自在に炎を操れるのも不思議な話なのだ。ならばあとは『技』と同様に気力を炎に変換して放出しているか、アベリアに分け与えられた魔力を一時的に自身の物として使用しているかのどちらかになる。前者であればアレウスの気力が尽きれば炎は失われ、後者であれば貸与されている魔力が尽きればやはり炎は消える。ガルダの悪魔と真っ向から戦い続けたいところなのだが、炎を温存したい。冷風を受けても炎が放つ熱波で押し返せるのだが、悪魔の力とのせめぎ合いとなるため、その消費量は増えてしまう。
力を得てもすぐに使えなくなってしまったら話にならない。持続し、維持し、そしてこの悪魔を倒す。この力で――初めて強く強く願った強い力で倒し切る。
「氷漬けにされる前に比べて随分と動きが速いようだが」
異形の翼を伸ばし、飛翔する。そこから刀に魔力を溜めて放ってくる。
「我らを討てると思うな」
冷風を脅威として捉えるかよりも、氷の床の方が問題となっている。ラブラが体を乗っ取られる前までなんの効果も及んでいなかったのだが、足を止めれば靴底から凍て付いてしまう。さながら『冷獄の氷』と戦った際の範囲にも似た効果だが、それでもまだ『冷獄の氷』に比べれば弱い。ただの足止めと、数十秒に一回の定期的な冷撃を加えて、範囲内の対象を凍て付かせるわけじゃない。あくまで床――空間ではなく接地面に限られている。ひょっとするとラブラの言霊の一つは床から相手の足止めを行うものだったのかもしれない。冷風はあくまでそこに付随していたものと捉えるべきだ。でなければこれまでアレウスが収集したガルダの言霊の法則が成立しない。
左手で埃を払うように太ももを撫で、燃え上がる炎が靴底の氷を熱で溶かし、アレウスはガルダの悪魔が放った冷風の範囲から間一髪で逃れる。
「あそこまで行かないと攻撃することもままならないな」
空を飛べるかと言えば、飛べるわけがない。跳躍にしても、飛距離は伸びただろうが悪魔の飛んでいる高さまでは到達できない。もし到達できたとしても滞空できないのだから圧倒的に不利だ。
制空権を取られているのが厄介なのであれば、制空権を奪ったり取りに行くのではなく、無理やり落とす。それが正しい選択に違いない。
「やってできないなら、まだ力が足りないってことだ」
そのときはもっと力を求める。欲求を更に高めて、高みを目指す。そう思いながらアレウスは短剣を後ろに構えて、低い姿勢から力を溜め、息を吐き出しながら斜め上空目掛けて剣戟を撃つ。
ラブラがやっていたようにアレウスの剣戟は気力の刃となり真っ直ぐに悪魔へ向かう。飛刃に火属性が付随したもの――ラブラの刀が振れば冷風を起こしていたように、アレウスの剣戟もまた炎を纏っている。
ガルダの悪魔は刀で炎の飛刃を受ける。手元から離れてはいるが、打ち飛ばそうとする力がさながら短剣に伝わってきているような感覚があり、握りを強くして声を張り上げながら短剣を再び振り抜いた。
飛刃は受け切られたが、纏っていた炎が翼を焼いて揚力を失ったガルダの悪魔が床に落ちる。
「思っていた以上に」
「気力を使ったな?」
ガルダの悪魔はアレウスが続けようとしていた言葉を先読みして訊ねてくる。
「貴様は確かに我らよりも強力な力を持っているのかもしれないが、それは分け与えられた力だ。魔力のように底無しではない。いずれ尽きる中で、我らを降ろすために大量の気力を注いだはずだ」
形式的に気力と呼んでいるが、それは魔の叡智を用いることのできない職業の冒険者が用いる力でもある。いわゆる武器による遠距離攻撃に乗せる力で、剣圧、剣気と呼んだりもする。ガラハがやっていたように十字の飛刃は撃てないが、アレウスも今回初めて剣戟を気力の刃にして放った。
そこまでは良かったのだが、ガルダの悪魔に打ち払われないように力を込め直したために想定外に消耗した。
「……だとしても」
アレウスは手元で火を起こせることを調べてから再びガルダの悪魔へ気力の刃を放つ。
「力を抑えてお前を倒せるとは思っていない」
想定外に力を放出したが、なんの問題もない。むしろ想定外に力を放出してもガルダの悪魔に敵わない方が問題だ。悪魔はなにかとアレウスの力の使い方を指摘してくるが、それは脅威に感じているからだ。
「力を抑えよう抑えようと考えていたけど、初めて使う力を抑えることは普通に考えて無理だろ?」
怖れない、怯えない、動じない。そして、負けない。ガルダの悪魔は両手の刀を振り乱し、アレウスをなんとしてでも切り刻もうとしてくるが、どれもこれも見切るのは難しくなく、そして受け流すのも難しくない。太刀筋は見えている。戦いの中で成長するということがどういうものなのか今まで全く理解することができていなかったのだが、徐々に理解し始めている。
追い求めれば遠くなる。だが、追い求めなければいつまでも届かない。それが力を求めるということなのならば、アレウスからは完全に抜け落ちていたものだ。知ることができたなら、多くの人がこの経験を感謝するのかもしれない。
だが、アレウスは力を感謝することはあってもこの経験に感謝はしない。この境地に至るまでにどれほどの犠牲があっただろうか。自己完結も自己満足もしてはならない。
「我らが剣を交えて、傷一つ負わせることもできないか」
悪魔は呟き、不意に斬撃の速度に緩急を付けた。リズムを狂わされ、同時に斬撃の軌跡がズラた。対処できないため、下がろうにもズレた斬撃はアレウスを追っているため、このままだと致命傷を受けないために片腕を差し出す必要がある。
「まずは一本!」
腕に斬撃が届きかけた間際に、横槍とばかりに炎の渦が悪魔を襲う。その隙にアレウスは斬撃の追い込みから逃れ出て、後退する。
「私、言ったよ? あなたは絶対に許さないって」
炎の渦を放った方向に立つアベリアは背後にクルタニカを隠しながら、怒りを露わにしている。
「死んでも許さないとも言ったよ?」
「わたくしのことは気にしなくていいですわ。自分の身は自分で守れますから」
「それは分かっているんですけど、僕たちは悪魔との共振の仕方を知らないので、僕が悪魔を止めている間にアベリアに教えてもらえると、っ!」
アレウスの体に纏わり付いていた炎が一気に衰えていく。
「我らの一撃から逃れるために、また貴様は気力を用いたな? 結局のところ、どれだけ分け与えられた力が強大であっても貴様には過ぎた玩具だということだ」
恐らくだが、アベリアと手を繋ぎでもすればアレウスの炎は再び燃え上がる。だが、ここを契機としてガルダの悪魔がアベリアとの接触を許すとは思えない。
「クルタニカは魔力を送れない?」
「わたくしの魔力は相反していますわ。それに、『冷獄の氷』を『原初の劫火』の魔力に重ねることは危険極まりませんわ。火の精霊の魔力、あるいはそれに準ずる力でなければ」
「そんなもの、ここにはない!」
ガルダの悪魔が唸り、辺り一帯に衝撃波を放つ。アレウスはどうにか踏みとどまるが、完全に炎が消えてしまう。
「まだ足りない。まだだ、まだ足りないんだ……!」
アレウスは必死に自身の中から外へと火を起こそうと試みる。
「まだ僕には、燃やす力が足りない!」
「だったら外から火を送れば貴様は燃えてくれるのか?」
聞いたことのない女性の声が耳に響く。
「力を貸してやれ、エキナシア」
そしていつの間にやら現れた少女――機械人形がアレウスの体に触れている。刹那、手の平から送り込まれた炎が全身を包み、アレウスはそれを吸収して自らの物とする。
「悪いが全てをくれてやることはできないぞ? 私にも奴を八つ裂きにする権利がある。聞こし召せ、『天炎乱華』」
続いて機械人形からパーツが外れ、すぐ近くに降り立ったガルダの女性が握る刀は質量を無視して薙刀に変わる。
「なんでここにあんたがいるの、アレウス? それにアベリアも!」
「ニィナ? ガルダと戦っていたんじゃ」
「どうやら私は踊らされていたようだ。そこの醜い悪魔と化した男にな」
火を纏う薙刀を回し、氷の床を溶かすのではと思うほどの十二の火柱が極めて狭い範囲に展開する。
「悪魔を討たなければクルタニカとじっくりと話すことさえできない。討伐する時間すら惜しいが、義理立てしてくれるのなら私も貴様たちが動きやすいように立ち回ろう」
「……信じるに値するのか?」
「この子はロジックを書き換えられて、操られていただけだから大丈夫」
「それを証明する方法は?」
ニィナに問い質すが、答えが返ってこない。炎は貸与してもらったが突如、裏切られる可能性もある。
「ウダウダ言っている場合じゃないでしょう、アレウス!! カーネリアン・エーデルシュタインがなにかやらかせばこのクルタニカ・カルメンが責任を取って命を差し出しますわ!」
「あの人がそこまで言うなら信じてよさそうだ」
意見を百八十度変えて、アレウスは共同戦線を張れるように悪魔との間合いを調整する。
「私よりもクルタニカさんの言葉を優先するんだ?」
「そうじゃない。そうじゃないけど、クルタニカさんとカーネリアンさんとの間には僕たちが入る余地もないほどの繋がりが見えた。それこそ、僕とアベリアと同じぐらいの強い絆だ。それを否定するわけにはいかない。ニィナはクルタニカさんの傍まで寄って、余裕があったら意識を逸らすために狙撃してくれ」
「勝てるのよね?」
「勝つ予定だし死ぬ予定もない。さっきまで死にかけていたけど」
アレウスとアベリアだけでクルタニカを守りながらガルダの悪魔を討つのは難しかったが、二人が来てくれたおかげで可能性が見えてきた。
「二回戦は決闘にはできなさそうだ。でも、文句は言ってくれるなよ? お前はガルダの誇りなんて都合の良いようにしか解釈しないんだろ?」




