力に魅せられただけ
抜刀したということは、反撃狙いの戦い方はやめたようだ。間合いに入ればどう頑張っても真っ二つにされるようにしか思えなかったその待ちの姿勢を崩してくれたことが、アレウスにとってはなによりもありがたい。自身も感情的になっているが、ラブラもまた感情を抑え込めていない。冷静であるなら、抜刀術に専念し、決して鞘から抜き放とうとはしないはずだ。
怒り心頭ではあるが、アレウスは幾分か冷静ではある。それは視界の端に救わなければならない対象が見えているからだろう。裏の顔とも言うべき、性格や痴態について暴露されたクルタニカは下を向いてこちらに目線を上げようともしていないが、だからこそアレウスはより一層、助けたいと思う。
救うためには、助けるためにはどうするべきか。救い方には限りがある、助け方にも限りがある。そのことは異界で充分に学んでいる。だから呼吸を乱さずに済んでいる。短剣を握る手には未だに余計な力が込められてしまっているが、普段通りに立ち回ることぐらいはできるだろう。
「まずは実力を測ろうか。測っている最中に死んでしまっても構わないが」
翼を広げ、一直線にラブラが突っ込んでくる。まともに受けることは考えない。受けてどうにかなるような相手ではない。だから左に避ける。避けた先に次の斬撃が待っているが、これもまともに受けるつもりはなく軽やかにかわす。足元に不安があったが、やはり靴裏に施した滑り止めのおかげで氷の床においても一切の足運びの乱れを起こしていない。
最小の動きでかわすことで、最大限の反撃の余地を生み出す。アレウスはラブラの真横を取って短剣を振るう。
「なるほど、受けはしないか。だがいつまでもそのようにできるとは思っていないだろう?」
どういった腕の流れで刀が舞い戻ったのか分からないが、とにかく防がれてしまった。同時にラブラは非常に体が柔軟である。殺気立っているが、体に余計な力が入っていない。だから柔らかく曲げ伸ばししてアレウスの剣戟を防いでしまった。体はともかく頭まで冷静になられてしまうと打つ手がなくなる。今のところ、「実力を測る」という名目でいたぶって遊ぶつもりでいるため、当面は本気を出してはこないだろう。そこを足掛かりにして、ほんの一瞬の隙を突いて急所を貫く。これ以外にアレウスが勝つ方法はない。
とはいえ、ラブラが避けやすい斬撃を何度も放ってくるわけもなく、アレウスは仕方なく短剣で防ぐ。
刀と短剣が空気を裂く音、金属と金属がぶつかり合う音、体を動かすことで生じる衣擦れの音、そして動き回って起こる足音。それらが重なるように奏でられ、アレウスとラブラの攻防は熾烈を極めていく。
「たかが魔物殺しを生業とする冒険者と思っていたが!」
アレウスは大振りの斬撃を紙一重でかわし、気配を消して裏を取る。
「対人の心得もそれなりにあるようだなぁ!!」
翻りながらの横振りを屈んで避け、低い姿勢から短剣を振り上げるも剣戟はラブラに入らず、絶妙な間合いを取られて擦れ擦れでかわされる。
「くっ」
「その程度だと、まだ『魔剣』には届かない」
刀が振られて反射的に短剣で弾く。だが、弾かれることも踏まえた上でラブラは間合いを詰められる。離れようとしたところで再び刀が振られ、今度は左に避けようとしたら回り込まれて、足で蹴り飛ばされた。
腕で防ぎはしたものの、乗せられた力は強く、足で着地しても勢いは殺せずに床を滑る。
剣術に拘りを持つガルダなのだから、攻撃の全てに刀が絡んでくるのだろうと思っていたが、斬撃を一つの接近手段と相手の隙を生み出す道具とし、そちらに意識を向けるとラブラの体術が飛んでくる。しかし、体術に備えると斬撃にまで手が回らなくなってしまう。ノックスに短剣を返したのも大きい。二本の短剣の内、信用に値する強度を持っているのがヴェラルドから託された一本だけなのだ。それを起点にしての立ち回りを僅かな期間であれ先達者に叩き込まれたつもりだが、実戦ではやはり勝手が違う。
「筋は良いものを持っている。ガルダであったなら、その将来性を見込んで是非とも欲しただろうな。だが、ヒューマンであるのなら反骨精神も相まって、欲するに値しない」
「なんでもかんでもガルダが偉いかのように」
「空を飛べない下等な連中と比べれば、俺たちが優れているのは歴然とした事実だろう?」
下等な連中という言葉でクルタニカが言っていた「下賤な輩」という呼び方を思い出す。やはり根本的な部分には幼少期に育った場所での社会性が残ってしまうのだろう。
そのように思ってはみても、ラブラが暴露したクルタニカの真実を加味すると、頭の中で疑惑が浮上する。気にしないように努めても、片隅にいつも残り続ける。彼女は冒険者として生きてきた日々をどう思っているのだろうか、と。
「言葉は後々に響く。貴様がどれだけ都合良く解釈しようとしても、俺の言葉が貴様を侵食する」
迫ってきていたことに気付かず、反応が遅れた。短剣での防御に回るが、これはマズい流れである。アレウスとラブラでは剣術に圧倒的な差があり、防ぎ続ければいずれ破綻する。どうにかして流れを断つ必要がある。だが、それが容易でないこともまた事実であり、崩すとなれば普段やらないような無理を押し通さなければならない。
「人のことは言えないだろう?」
挑発は続ける。同時に少々の体術でも臆せず間合いに飛び込む。斬撃を免れた先にラブラの拳が待っているのだとしても、それは斬られるよりはマシな一撃だ。だからそれを受けて、今度は衝撃に乗る。逆らわずに吹っ飛んで、床を転がりながら起き上がる。どう考えてもデメリットしかない間合いの取り方だが、これでもアレウスが立て直せる時間は数秒しかない。短剣を本能のままに振るえば、そこにはもうラブラの斬撃が待っているのだ。
今度は受けに徹さず、避けることを重視する。どんなに柔軟だろうと、人種が違おうとも体の作りはほとんど同じで、体術に個性がなければ必ず動かし方には癖が生じる。それを読み解けば、拳や蹴りが来るよりも先に間合いを取ることも、避けることも可能にはなる。そして、先ほど拳を受けて分かったがガルダの拳には重みがない。空を飛ぶために体重が軽いのだからアレウスが思っている以上にラブラの筋力は低いと窺える。それで刀を片手で振るうことができているのは、刀剣鍛造技術がもたらした軽さか、或いは悪魔の心臓を打ち込んだことで一時的な契約状態にあり、魔力によって筋力にボーナスが施されている。もしかしたら刀自体の重みに悪魔が介入している可能性だってある。
とにかく、体術で意識が飛ぶほどの一撃が来ることはない。だからといって軽んじれば集中打撃を受けてしまいかねないため、依然として回避を中心とした立ち回りを取る。
あとは、アレウスの見立てが外れていなければラブラは二刀流だろう。刀は腰にもう一本差している上、使っている刀の使い方が独特なのだ。振っている最中に刀身同士がぶつからないようにしている。そう考えれば、この独特な太刀筋にも意図があると汲み取れる。
「お前はどうして『冷獄の氷』を欲する?」
「あれはガルダの社会を覆す。ミーディアムを解放し、純血のガルダたちの格を一気に落とすことができる」
「それにどれだけの意味がある?」
「意味はあるさ。クーデターにも似たことが起これば、ガルダもミーディアムを認めざるを得なくなる。そうすれば俺のような存在が産まれ落ちても生き続けることを否定されずに済む」
「否定だって?」
すぐ近くで空気を掻き切る音が連続で聞こえれば、さすがに背筋が凍る思いをするのだが怯えて下がれば逆に一刀のもとに下されてしまう。むしろ、今の間合いの方が避けるのも防ぐのも難しくない。この距離ならば、いつかはアレウスもラブラの懐に入る余地が出てくるかもしれない。
「貴様たちは神官を崇め奉っているがガルダにとっての神官は、最も地位の低い職業だ。ミーディアムの大半は神官職を求められ、同時に多くが戦場の最前線に送られる」
「ガルダは傭兵として雇われないと聞いているが?」
「傭兵でなくともガルダ間での抗争、悪魔退治、魔物討伐の役目は入る」
「なら手練れが前線に出るべきだ」
「それが下界の人種の考えることか」
強く刀を弾くと、ラブラもさすがにこの間合いに気付いたようで距離を取られた。
「奴らは一時的に能力を強化するために神官を前線に送り、ロジックを書き換えさせる」
「神官が前線に出るなんて考えられないな」
「俺たちは手練れの、それも純血のガルダにとってはただの自己強化の道具だ。自己強化を済ませれば前線で放り出される」
ガルダの言う神官という職業とアレウスたちの知っている神官という職業とでは、同じ言葉でも役割が異なっている。厳密には同様なのかもしれないが、神官は後衛職なのだから、もしも冒険者が戦争に出るような異例の事態――暗黙の了解でまずそれは起こらないのだが、しかし、たとえそんなことがあっても神官は前線ではなく後詰めや後方部隊に配されるだろう。
「前線でロジックを開くのは危険だ。意識を失うんだぞ? 分かっていてガルダは開かせるのか?」
「意識を失っているガルダが目を覚ますまで守るのも神官の役目だ」
「……付き人や護衛役が神官みたいなものか」
だからラブラはロジックを開く力を持っている。
しかし、ガルダの神官への扱いには同情しない。外部から関わってはいけないことに首を突っ込もうとは思わないし、アレウスが受けた神官からの仕打ちを考えればどこかで釣り合いが取れていなければ納得できないものがあるからだ。
「軽んじられた命の護衛役だがな。それだけのことをやっても感謝すらされないんだからな。俺は死にたくないがために力を付けた。それでも、俺の剣術などその道を本気で極めようとしているガルダの前では全く歯が立たない。実力主義ではないと口では言うが、奴らは歯向かった者に実力がなければ聞く耳など持ちはしない」
「だから『冷獄の氷』でガルダの社会を壊すと?」
「全てはガルダの歪みから始まった」
「……そうやって言葉で責任を逃れようとするな。今、僕とお前が刃をぶつけ合っているのは、お前の悪意が始まりだ」
なにかと思えば、ラブラは自身の言い分がいかに正しいかを説こうとしているのだ。そんなものはアレウスにとっては責任逃れも甚だしく、なによりも全てが自分は悪くないという言い訳にしか聞こえない。
そう、自分は悪くない。社会が悪いから、それを壊すために身の回りの者を利用し、手にした力を悪用した。でもそれは、歪んだ社会を正すためだから悪いことではない。
これが根底にある限り、ラブラは絶対に考えを改めない。そもそも改める気もないのだろう。
「それだけの意志があって、なんで『冷獄の氷』なんだ? 自分自身の力で同志を募ることはできなかったのか?」
「できていたならば、俺はここに立っていない」
理屈どうこうではない。
「なにか難しいことを言っているなとは思ったけど、撤回させてもらう」
アレウスは拳を受けたことで、自然と口の中に溜まった血の混じった唾を吐く。
「社会を変えたい、神官の扱いが酷いとか、そんなの実はどうでも良いんだろ? お前は『冷獄の氷』を手にして、その力でどれだけのことができるかを試したいだけなんだ。ただ単に、力で遊びたい。力を使って優越感に浸りたい。力を用いて、上からものを言ってきた連中を下に見たい。お前は力に魅せられて、それに溺れただけだ。そんなところだろ、くだらない話だ」
ラブラの翼にある羽毛が強く逆立った。
「図星か」
呆れたようにアレウスが言った刹那、自身の腕に切り傷が生じる。
「俺をここまで苛立たせたのは貴様が初めてだ。『魔剣』や『異界渡り』なんて比じゃないな」
もう一方の刀は既に抜かれている。どうやら抜刀時に飛刃を撃ってきていたらしい。
「避けろよ、アレウリス。貴様はもっといたぶっていたぶって、内臓を抉り出して殺したいからな。秘剣」
両手の刀を上段に構える。
「“松鶴・二段”」




